◆29 リィンさん、一生の不覚…!!
オバサンと入れ替わりに最前列、懺悔の予約者席へと現れた私に、他の予約者の怪訝な視線を感じたりもしたけれど。
まあ、そこはそこ。
適当に愛想笑いを振り撒いて誤魔化しつつ、順番を待つ。
一人目が懺悔室に消え、二人目が消え。
やがて、聞き慣れぬ名前が「私」を呼んだ。
祭壇脇の小さなドアから続く奥に懺悔室があるらしく、私の前に席を立った二人はきっかり15分でそこから戻ってきた。
席を立ち際、軽く背後を振り返る。
少し後ろの長椅子に、エイラとフレア達がちょこんと腰を落ち着けているのが見えた。
エイラと視線が合うのに軽く頷いてから、懺悔室へと向かう。
ドアのところ、何やら名簿を持った護衛の兵らしき人物が不審そうな目で私を見遣った。
ここはやっぱり愛想笑い。
オバサマと代わってもらいましたの、だの何だの、適当に誤魔化すのを、彼はそれ以上は特に確認してはこなかった。
ドアを押し開け、身を滑らせる。
…何よ、案外、チョロいもんじゃない。
どこか古びた木のドアを潜った先、質素で飾り気のない廊下が真っ直ぐに続く。
片側には所々に縦長窓のくり貫かれた石の壁。
その向こう側は、中庭になっているようだった。
爽やかな風が緑の柔らかい匂いを運んで吹き過ぎる。
もう片側には等間隔にドアが続き、その3つ目のドアの所に佇む人影。
王国警備兵の服装、腰には帯剣。
城内の教会だけあって、その警備は王国の兵士が担当しているらしい。
こちらを見ている男が、軽く顎をしゃくる。
どうやら、あそこが懺悔室らしい。
ようやく、カノーマー司教と顔合わせというわけね――
一つ深呼吸してから、私は止まっていた足を再び進める。
「失礼のないようにな」
辿り着いた私に言って、兵がドアをゆっくりと押し開けた。
ギィ、と小さく軋んだ音とともに内側へと開くドアの先は薄暗い。
軽く礼を述べて身体を滑り込ませれば、ひんやりした空気が私を包み込んだ。
狭い空間。
遥か壁の上方にある小さな採光窓から入ってくる淡い陽光だけが、室内をぼんやりと浮き上がらせる。
大の大人が5人入ればいっぱいいっぱいなんじゃないかという位の四角い空間には、古びた木の丸椅子と、今は灯のともされていない背の高い蜀台が無造作に置かれていた。
壁に囲まれた懺悔室は静けさに満ちていて、どこか現実離れした空気がある。
…なんか、不思議な感じよね。
軽く室内を見回して、私は小さく息をつく。
私の普段の生活は、教会なんていう畏まった場所とはまったくもって接点がない。
それがこうして懺悔室にご案内されているんだから、どうにも変な感じだ。
「どうぞ、お掛けなさい」
ドアの前で突っ立っていた私は、静かな声が響くのに意識を引き戻される。
――カノーマー司教。
言葉に従って椅子に腰掛けると、前には壁から突き出した小さな台。
その正面に窓口のようにぽっかりと石壁がくりぬかれた30センチ四方の正方形がある。
そこに細い網が細かな模様を描いて張り巡らされていて、声はその向こうから聞こえてきたようだった。
ようだった…というのは、つまり、向こうを見ることができないからで。
正面の金網の向こう、ご丁寧に分厚いカーテンがしっかりとこちらとあちらを遮断している。
そりゃま、懺悔室なんだから、お互いの顔を見て話をする場所じゃないものね。
納得しつつ、どうにも落ち着かない気分で姿勢を正した私に、再び声が掛けられた。
「よく来られました。僭越ながら、私が女神エルフレアに代わって貴方の話を伺いましょう」
お決まりの文句であろう台詞を、柔らかな声が紡ぐ。
「心を開き、虚偽を交えず、告白なさい。そうすれば――」
「カノーマー司教」
朗々と空間にこだますように反響する声を遮って、私は口を開いた。
私は、懺悔をしに来たんじゃない。
「……」
ほんのしばし、沈黙が訪れる。
息を潜めて、私は網の向こうを伺った。
僅かに考えて、再び口を開く。
「マスター・ミラルド」
沈黙。
が、今度の沈黙はそう長くは続かなかった。
ほんの小さく、カーテンの向こうの気配が動いた。
微かに、ため息のような吐息が耳に届く。
食い入るように見つめる先、しっかりと引かれていたカーテンが、ふいに揺れた。
「…そちらの名前で呼ばれるのは、あまり好ましくありませんねぇ」
穏やか、というよりは、どこか間延びした声。
それまでの司教のイメージとはかけ離れた、ため息交じりの言葉。
ゆっくりと、衣擦れの音とともに開いたカーテンの向こうから、眩しい陽光が差し込んで、私は反射的に目を狭める。
視界の中で、銀色が煌いた。
「懺悔をしに来た――」
網越し、軽く首を傾げて銀髪の青年――司教は、私を一瞥する。
「…と、いうわけではなさそうですね」
その深い海を思わせる双眸が、緩く細められた。
「…ええ」
私は、ごく小さく頷いて返答する。
しばしの静寂の中、網越しに互いの瞳の中を映し合う。
目が合ったまま、私はカノーマー司教から視線を外すことが出来なかった。
肩から胸元へと流れ落ちる銀髪は淡く光を弾いていて、彼の白い司教服に彩を加えている。
蒼い両の瞳は澄んで、間近で見れば、それは吸い込まれそうな程に深い色合いをしていた。
海の、深い部分の、夜を溶かし込んだかのような蒼。
こちらを見つめる整った容貌は、しかし決して女性的ではない。
「……」
惹き込まれる、というのが正しいかもしれない。
その容姿ももちろんだけど、何より、彼の持っている雰囲気が人を惹きつける。
透明で穏やかなようでいて、だけどどこか――
「…私に、何の御用でしょう?」
しばらくの沈黙の後、どこか諦めたような穏やかな笑みがその表情に浮かんだ。
整い過ぎて無機質ささえ感じさせる容貌が、ふいに暖かさに満ちる。
私は一つ息を呑む。
そうしてはたと我に返った。
――いけない。
リィンさん、一生の不覚…!!
思いっきり、見惚れてしまってたわ。
これじゃエイラの事、とやかく言えやしないじゃないのよ!?
自分に喝を入れながら、深呼吸一つ、改めて司教を見据える。
「…フレアを。――お預かり、しています」
慎重に言葉を選んで、反応を伺った。
柔らかな逆光の中、影を背負う司教の表情は微笑みのまま動かない。
「ピクシーの頼みで、あなたの所に送り届けて欲しいと…」
「――ピクシーの…?」
僅かに、司教の表情が動いた。
とはいっても、綺麗な線を描く眉がほんの僅かに寄せられただけだけど。
意外そうな響きでもって反復される言葉に、私は頷いた。
「ええ」
「……」
こちらをじっと見つめたまま、司教の瞳が深さを増す。
何かを探るように私を見つめるその瞳に、私は知らず小さく喉を鳴らした。
おそらくは、ほんの僅かな時間だったんだと思う。
けれど、私には、それはものすごく長い時間のように思われた。
延々と続くかのように思われた沈黙を、しかし司教の柔らかな声が遮った。
「――分かりました」
短くそれだけを言うと、思案するように一度瞳を伏せてから再び口を開く。
「それで、フレアは…?」
「…連れて来ています」
もう一度、今度はしっかりと司教が頷いた。
「部屋を用意させましょう。私にはまだ仕事がありますので、今すぐ抜けるわけにはいきませんが…、なるべく早く切り上げて、そちらへ参りましょう」
よろしいですか?と確認されれば、私は頷くしかない。
なんだか妙に、あっさり事が運んでるみたいだけど…。
そのあっさり具合に、逆にちょっと不安になったりもするけど…。
…これで、いいのよね?
それではまた後ほど、と微笑む司教に、私は一礼とともに席を立つ。
順風満帆、何の問題もなく。
こうして私は司教への橋渡しを完了させたのだった。