◆28 静かにしていて下さらない?
城内にあるとは言っても、この大教会は王城内部に位置しているわけではない。
城門を入ってすぐ東、独立した建物として建てられているのが大教会だ。
基本的に、信徒の為に教会は開放されており、その為に城門も昼の間は常に開かれていた。
正面には広い前庭を有し、荘厳な雰囲気の造りになっているこの教会は、しかし一度横手に回れば、石造りの高い壁だけが、ただ空を遮るごとく聳えている。
教会の側壁も高いが、その周囲を取り巻く外壁もこれまた高い。
城の敷地内にあるのだから、壁が高い意味はあるのかと聞きたくなるけど…。
まあ、それはそれ。
城下街にある教会にしろ、エルフレア教の教会の多くは、しっかりとした外壁に囲まれた造りになっているのが常だった。
双方を壁に囲まれた通路は、そう広くはないものの、等間隔に樹木が植えられ、丁寧に手入れをされた背の低い木々が並んでいる。
教会を取り巻いて続くその通路を進むにつれ、背後に聞こえていた少女達の黄色い声が遠のいていった。
視界の先を、紫の羽織がテラテラと光を弾いて揺れる。
「…ど、どこに行くんでしょう…?」
エイラが、私の影に隠れるようにしつつ、潜めた声を出した。
オバサンの後をつけてやってきたこの教会脇の通路、正面の前庭と違って人気はない。
このまま奥に向かえば、おそらくは神父さんたちの宿坊やらに辿り着くのではないかと思うんだけど…。
「そうね」
通路に植えられた木の後ろに身を隠しつつ、通路の先を眺める。
木の幹から顔だけを出しながら、紫の羽織を目で追って。
これは、多分…。
「…私の予感が正しければ」
言いかけて、途端、オバサンが落ち着きなく周囲を見渡したかと思うと舗装された細い通路からおもむろに脇へと逸れた。
脇の草むらへと踏み込んだその姿を確認して、私は一つ頷いた。
――やっぱりね。
「トイレ、よ」
「……は?」
きっぱり言った私の声に、微妙な間を置いて間抜けな声が返ってきた。
エイラを振り向きつつ、私の片手は持っていた小さめの鞄を漁る。
「だから、トイレ」
「…。…ここで?」
人の目は薄いとはいえ、恐れ多くも、ここは教会脇である。
聞き返すエイラの丸くなった瞳に、私はこっくりと頷きを返した。
「中のトイレは、説教の後のこの時間、さすがに一杯でしょ?でも、オバサンには懺悔がある。…時間がないのよ」
そわそわとしていたオバサンの様子を思い出しながら解説してやる。
「で、でも、でも…」
無意味に周囲を見回すエイラに、空になった鞄を手渡して、私は取り出したロープを軽く扱いた。
…ふむ。
「…――お、お嬢様」
漸く戻ってきたエイラの視線が、私の手の上で止まる。
「抜かりはないわ」
にっこり言い切った私に、エイラの真ん丸い目が私と私の持つロープを数度行き来した。
ややあって、がっくりとその肩が落ちる。
「…うう、交渉するつもりなんて、最初からこれっぽっちもないんじゃないですかぁ」
ていうか、準備万端。
後は、そうね…。
軽く辺りを見回して、私は手近にあった掌に収まるサイズの石を拾う。
…ま、こんなモンでしょ。
尖った石を数度掌の上で跳ねさせてから頷いて。
「――じゃ、頼んだわよ?」
手にした石の代わり、ロープをエイラへと手渡すのに、エイラの眉がハの字になった。
「わ、私がやるんですか…?」
「…か弱い私にオバサン押さえ込みながら、さらに一人でぐるぐる巻きにしろっての」
「ううう」
情けない声を上げながらも、エイラがロープを受け取った。
ほろり見つめてくるエイラへと、どこか心配そうに見上げてくるフレアを預けて、私は一人、オバサン在中の草むらへと歩を進める。
徐々に距離を詰めて、息を潜めた。
手近にあった木の幹へと身体を添わせ、オバサンが動くのを待つ。
…いや。
さすがにね。
用足し中に失礼はしないわよ、レディとして…ねぇ?
やや離れた木の影から、心配そうなエイラの視線がこちらを伺っているのが見えた。
軽く親指を立ててみせる。
心配ないわ、…失敗なんてしてたまるもんですか。
カサリ、不意に茂みが揺れた。
目にも鮮やかな紫の羽織が、緑の草の合間で立ち上がる。
「――――…」
声を出されれば、いくら人気のない場所だとは言え、十中八九、お縄頂戴は免れない。
失敗は許されない。
カサリ、カサリと。
数度耳に草の揺れる音が届いて、視界の端で紫が動く。
手を伸ばせば、届くほどの距離。
木の幹に身を潜める私のすぐ傍を、小柄な体が通り過ぎ。
その丸い背が、視界に映って――。
――今だ!!
瞬間、僅かな草の鳴る音と共に飛び出した私の腕が、オバサンを背後から締め上げる。
「――――!!」
叫ぼうと開いた口元を、すかさず手で塞ぐ。
悲鳴は声にならずに、オバサンの身体を大きく震わせた。
小柄な身体を容赦なく羽交い絞めにしつつ、さらにその力を強めて耳元に口を寄せる。
「…命までは盗りゃしないわ」
ぎくり、オバサンの体が竦むのがリアルに腕を伝ってきた。
もごもごと、何やら言おうとしているらしい言葉は、私の掌に押さえ込まれて言葉にならない。
…あ。
なんか、ちょっと乗ってきたかも。
「ほんのちょっと、静かにしていて下さらない?」
声を低く、ドスを聞かせて囁いた言葉とともに、手にしていた石の欠片を、相手には見えぬようにそのわき腹へと押し当てる。
ぷに、と肉が弾力を持って堅く尖った石の先を押し返した。
ひ、っと息を呑むオバサンの体が、小さく痙攣する。
「声を出したり動いたりしたら…」
分かるわよね…?
続けようとした私の声は、そのまま途切れる。
がくん、とばかりオバサンの頭が垂れた。
…――あ、あら?
急に力を無くした肉厚な体が、私の腕に重みをかける。
え、えーっと…?
ちょ、ちょっと重いんですけど…?
静かになったオバサンを覗き込んで、私は一瞬ぎょっとした。
「お嬢様…っ」
緊迫した声が近付いてきて、見遣ればエイラがフレアの手を引きながら駆け寄ってくる。
その表情は蒼白。目は哀れなほどに白黒。
「ヤ、ヤッてしまいました…!?」
上擦った声での確認に、私の目は点になる。
「…は?」
「つ、ついに…ついに、ヤッてしまったんですねっ!?私がついていながら…なんて、なんて事を…!!」
「――ちょっと」
「…し、心配いりませんよ、お嬢様!!…ば、ばれなきゃ、何とかなりますっ」
言って、きょろきょろと周囲を見回し始めるエイラの目は血走っている。
…いや、あのね。
「あんたね…そんなに私を殺人犯にしたいの?」
気を失ってぐったりと頭を垂れるオバサンを腕に、思わず遠い目になってしまう。
そりゃ、一瞬私もぎょっとはしたけど。
だって、このオバサン、すごい白目剥いてるんだもの…。
だがしかし。
しっかりと呼吸はあるし、心臓だって動いてる。
「別に死んでないわ」
言った私に、エイラの視線が戻ってきたのは随分と経ってからだった。
「…え?」
「だから、気を失ってるだけよ」
「……」
おそるおそる、エイラが私の腕に身を預けているオバサンを覗き込む。
ひゅ、と小さく息を呑んで、その体が一歩後ずさった。
「…いや、確かにすごい顔で意識飛ばしてはいるけど」
手にしていた脅し用の石を下に捨てながら、私は気を失ったオバサンの身体をそっと解放する。背丈の低い草の上に転がして、茫然自失で突っ立っているエイラからロープを奪うと、てきぱきとオバサンを巻いていく。
こんな所を人に見られれば、これまた言い逃れはできそうにない。
自然、手は高速で動く。
すっかり意識を飛ばしているらしく、オバサンが目を覚ます気配はまるでない。
やがて出来上がったオバサンの簀巻きに、最後にハンカチーフを口に結わえて作業完了。
しばらくは誰にも発見されないよう、草むらの奥の方へとその身体を押し遣った。
「…これで良し、と」
始終、怯えた目で横に佇んでいたエイラの表情はまだ蒼白。
…よほど、オバサンの気絶顔が怖かった模様。
「ほら、終わったわよ」
その肩を叩くと、漸くエイラの視線が私を捉えた。
「…夢に出てきそうです」
うっそりと呟くエイラに、私はさらにその肩をぽんぽんと叩く。
「大丈夫。死んでないから、祟りゃしないわ」
「恨まれそうではありますよね…」
ぽつり、エイラの言葉は聞こえぬ振り。
不思議そうにこちらを見ているフレアの手を取って、私は急ぎ来た道を戻り始める。
慌ててエイラが後をついて来た。
軽く振り返って確認する草むら、オバサンがお寝んねしているはずのそこは、通り過ぎたくらいでは多分おそらく気付かない。
…ちょっぴり、悪いことしちゃったかしら?
僅かばかり良心が咎めぬ事もないけれど…、こちとらそうも言っていられない。
握ったフレアの冷たい掌を、少し強く引っ張りながら歩を早める。
さて。
これで司教に直接会える機会はできたわ。
後は、全てが上手く運ぶ事を祈るのみ、よね?