◆23 私達は、どうすればいいのかしら?
ふと上げた視線の先、黙りこくった水色ピクシーが空中を浮遊している。
…こうしてみると、何処見てるのかさっぱり分からないわね、このヌイグルミもどき。
黒い瞳はひたすらつぶらで、ごま粒のように水色の身体に厚みを感じさせずにくっついている。
そこから感情を読み取ることは困難だ。
「…どうかしたのかい?」
静けさに満ちた室内を、アルのゆったりとした声が震わせる。
こちらを、…ではなくて、見ているのは水色ピクシー。
「難しい顔をしているね」
不思議そうに小首をかしげて、そう言う。
む、難しい顔…!?
私は思わず、ピクシーの横顔をしげしげと見つめる。
当然のように、黒い瞳は表情を映してはいない…ように見える。
「うむ」
神妙そうな声が答えて、水色の身体がひとつ揺れた。
――なんてこと。
このヌイグルミの表情を見分けるなんて。
なかなかやるじゃないの、アルのくせに。
思わず尊敬して見遣った先のアルは、いつの間にやら手にしたクッキーを齧りつつピクシーを見つめていた。
「…わしらが研究所を逃げ出してきた理由なんじゃが。2週間ほど前になるか…、ちょっとした事件が起こったからなんじゃ」
「事件…?」
「事故、という方が正しいかもしれんがの」
言い直したピクシーの瞳が、アルから私の方へと戻ってくる。
その瞳がじっと、膝上の少女を見つめた。
いつの間にか、少女の赤い瞳は閉じられて、私の服をしっかりと握ったまま静かな寝息を立てている。顔色は相変わらず悪いけど、こうしていると本当に普通の子供のようだ。
「…この子が、どうかしたの?」
なんとなく、少女の背に回した腕に力がこもった。
「フレアの能力実験中に、研究員が…次々と意識不明で倒れたんじゃ」
「!」
視界の端で、エイラの身体が小さく揺れる。
さくり、クッキーの割れる軽い音が響いて、アルの瞳が僅かに細まる。
「――生体エネルギーの吸収、だね?」
「その通りじゃ」
ため息をつくみたいに一つ、僅かな間を置いて渋い声が再び言葉を続けた。
「おそらく、フレアにとってもアクシデントだったんじゃろう。それまで発現していなかった能力が、偶然、その時に発現してしもうた。無意識下で、コントロールなしに、のう」
「…その研究員達は、どうなったの?」
何となく、声を潜めて私。
ピクシーの身体がゆっくりと左右に揺れた。
「…分からん。幾人かは、回復したようじゃがの。――ただ、その事故がきっかけで、研究所内にフレアを危険視する声が高まった」
続けられたその言葉に、私は少女――フレアへと視線を落とした。
眠る幼い少女は、ただ静かに胸元を上下させている。
こうしてみれば、危険なんて言葉は浮かんではこないけど…。
…だけど、そうよね。
人間にとっては未知の力である精霊の力が、仲間に危害を及ぼす。
そしてそれは、いつ自分に向けられるかも分からない。
対処法すら分からない。
危険だと思うのは、当然のことだろう。
「…それで?」
小さく先を促すアルの声に視線を上げた先、ピクシーがこちらを見ていた。
「――排除案が出された」
さらりと言われた言葉は、一瞬頭の中で意味を為さない。
…何ですって?
思わず聞き返そうとしたところに、エイラが息を呑むようにして、その単語を復唱した。
「排除案」
「…つまりは、始末してしまおうと、そういう事じゃな」
あっさりとそう続けるピクシー。
――始末。
始末。
つまり…、まるでモノのように…、この子を「廃棄」してしまおうと。
…そういう事?
穏やかでない言葉に、私を含めて、全員が言葉を失う。
「――ひどいお話でしょう?」
代わりに飛び込んできたのは、鈴を鳴らすような高い声。
高くはあるが、決して不快ではないソプラノの、まさにこれぞ美少女声。
…まさか。
予感のままに、眠るフレアの胸元へと視線を落とす。
そのネグリジェの襟元から、ピンクの物体が顔を覗かせていた。
「…!!!」
エイラが声も無く、半歩背後に後ずさった。
いや、ある意味、期待通りの反応なんだけど。
「目が覚めたかの?」
水色ピクシーがゆったりと尋ねるのに、フレアの襟元からひょいと空中に浮かび上がった桃色のヌイグルミもどきは、ふるふると小気味に身体を震わせる。
「ええ。少し寝過ごしてしまったみたいですわね」
水色と同じフォルム、まったり雫型の桃色ピクシー。
くるり、周囲を取り囲んで座る私達を見回してから、
「お初にお目にかかりますわ」
礼をするみたいに可愛らしく頭を下げる。
「お話は、途中から聞かせていただいておりましたの。フレアがお世話になったようで、感謝いたしますわ」
やはり水色とおそろいのゴマ粒大の黒い瞳が、エイラ、アル、そして私を映した。
「愛らしいお嬢さんと、美人な坊や、それから凛々しいお姉さま。どうぞ宜しくお願いいたしますわ」
…ちょっと!
エイラはいいとして、アルと私の修飾語が微妙に違うでしょーがっ。
思わず口を挟もうとした私を差し置いて、アルの声がゆったりと桃色ピクシーへと向けられた。
「きみも、ピクシーなのかい…?」
「ですわ」
見遣ればその目は活き活きと輝いていて、新たな参入者を歓迎している模様。
桃色ピクシーが、短い返事とともに軽い動きで身体を弾ませた。
…ま、予想は出来てたけどね。
昨日の夜に2匹そろって目撃しているわけだし。
水色がピクシーだというのなら、桃色も当然同じ生き物だと想像はつくわけで。
ちらり見遣った先、一人まだ順応できていないらしいエイラが、口をパクパクとさせて並んだピクシーずを眺めている。
その反応を見る限り、エイラは全く想像だにしていなかったようだけど。
ふいに、膝の上で眠るフレアが僅かに身じろいだ。
…と。
いけない、いけない。
桃色ピクシーの出現で、話が脱線間際だわ。
「で。その排除案とやらが出されて、それで逃げてきた…と。そういう事ね?」
強引に話を戻した私に、水色が言葉を返すより先に、桃色が跳ねるようにこちらを向く。
「そうですわっ。まったく、ほんっとうに、勝手ですわよね!?」
憤慨したように、高い声がキーキーと喚き立てて、桃色の身体が1.5倍にぷくりと膨らむ。…水色より桃色の方が、感情表現は豊かと見た。
「――だから、わしはてっきり…刺客が送られてくると思っておったんじゃがの」
呟くように、渋い声が言った。
みんなの視線が水色ピクシーへと向けられて、
「…彼らの目的は、この子――フレアの捕捉だったようだけどね」
アルの、いつもと変わらぬのんびりとした声が後に続く。
排除ではなく、捕獲。
エイラが、躊躇いがちに首を捻った。
「排除案、撤回されたんでしょうか…?」
「…うむ」
低く唸って、肯定とも否定とも取れるような声が水色から漏れる。
「そうだとしたら、あまりにも…勝手過ぎますわ」
ぽつり、僅かにトーンの落ちた美少女声が呟いた。
「――どちらにしても、じゃ」
沈黙の落ちかけた室内を、渋い声が浮上させる。
水色ピクシーが、私達を見回した。
「わしらは、研究所に戻るつもりはない」
きっぱりと言い切る。
…ま、そりゃそうでしょうね。
小さく頷いてから、私は軽く背筋を伸ばす。
「…それで?私達は、どうすればいいのかしら?」
「うむ」
尋ねた私に、水色ピクシーが一つ頷き。
そうして返ってきた協力要請は、私の予想とは遥かにかけ離れたものだった。
「ある人の所へ…」
ゆっくりと、落ち着いた声が告げる。
「フレアを、送り届けてやって欲しい――」
黒いつぶらな瞳は、眠る少女を静かに見つめていた。