◆21 ――確認するまでもない。
「……」
「……」
「……」
凍りついた空気を、誰一人として崩せない。
…いや、だって。
だって、よ?
何なのよ、今の声…!?
こんなか弱そうな少女の口から、オッサンの…オッサンの声が…!!
「…く、クッキー」
エイラが挙動不審な動きでバスケットを差し出した。
かなりの動揺が覗える。
「クッキー、食べますか」
「……いただくわ」
無造作に、私はバスケットに山積みにされたクッキーに手を伸ばす。
そのまま、まだ暖かなクッキーを口へと運んだ。
甘い香りと共に、さくり、と口の中でクッキーが割れる。
「美味しそうだね」
言葉とともに伸ばされたアルの手が、クッキーを摘んでその口許へ。
エイラもそれに倣って、指先に掴んだクッキーを半分齧る。
さくさくさくさく…。
クッキーを食べるのどかな音だけがこだまする。
「…聞いておるのか、おぬしら」
しばしの間をおいて、耐えかねたか、再び声が響いた。
私の腕の中、少女は怯えの混じった、揺れる瞳で私達を見上げている。
が、その声は、現実逃避にあたいするオッサン声。
――れ、冷静に。
冷静になるのよ、私…。
「…空耳よ、空耳。ほら、この子の口許だって、動いてないもの。ね?」
私の言葉通り、声は少女から発せられるものの、彼女の口許は一度として動いていない。
そう、つまり、これは少女の声ではない、と。
「そ、そうですよね。いくらなんでも、そんな…」
クッキーを頬張ったまま、うんうんと救いを求めるように頷きながらエイラ。
アルはひたすら、クッキーを齧っている。
「空耳なわけがなかろう」
不機嫌に低くなる声とは裏腹に、目の前の少女は表情一つ変えずに不安そうな眼差しを私達にむけているだけで。
「――だ、誰なの…?」
思わず構えながら、膝の上の少女に問い掛ける。
だって、声は彼女から…。
もぞり、とその少女の胸元が不自然に動いた。
「わしじゃ、わし」
声とともに、さらにネグリジェがもぞもぞと動いて。
その胸元から現れたのは、淡い水色の、黒いゴマ粒の瞳を持った…。
「き、昨日の…ぬいぐるみ…っ!!」
悲鳴に近い声を上げて、エイラが盛大に後方に飛び退いて、かと思えばそのまま尻餅をつく。
彼女の膝から転がり落ちるバスケットを、しかしアルが素早く横から掻っ攫って救出した。
さすがはアル。
どんな時でも大事なモノは守り抜く、職業・騎士サマ。
…というか、この場合、エイラの方を助けてあげるのが普通だと思うんだけど。
ふよ、と少女の胸元から飛び出てきた水色のヌイグルミは、そのままふわふわと空中を遊泳しながら私達3人を見まわした。
もちろん、首なんてもんはないから、ぐるりと回った訳だけど。
その目が、今だ尻餅をついて目をぱちくり、ヌイグルミを凝視しているエイラへと向けられて止まる。
びくりとエイラの肩先が揺れて、喉が小さく上下した。
「…失礼な反応じゃのう。わしはこれでも精霊というやつじゃ」
憮然とした響きを伴って、渋い声がそう言った。
酸欠の金魚のごとく口をぱくぱくとして、今にも失神しそうなエイラを他所に、私は内心首を捻る。
『精霊』――――?
今、精霊って言ったわよね?
このヌイグルミ…、もといヌイグルミもどき。
自然、アルへと視線を向ければ空中でばっちし目が合った。
「…変わった精霊も、いるものだね」
いつもと変わらぬローテンポ、私の内心を読み取ったかのように、アルが言う。
そう、変わった精霊、だ。
私達の知る『精霊』に、こんな姿の『精霊』はいない。
もちろん、私達の知っている知識なんていうのは、ほんの聞きかじり程度のもの。
実際に見たことのある精霊は、ナッシェと、この少女くらいのものだし。
…ただ、そのナッシェの話に出てくる精霊は、みな一様に人と同じ姿をしたものばかりだった。
それが、ねぇ…?
もう一度まじまじと、空中に浮かぶ自称『精霊』を眺めてみる。
雫型のボディ、おそらく目であろうそれは、つぶらに黒い点二つ。
瞬きをする事もなく、その下に小さく描いたような曲線は、もしかしてもしなくても、口かもしれない。…が、その口らしきものも、喋るのに合わせて動いたりはしていない。
…その辺に転がってりゃ、どこをどう見てもただのヌイグルミ、だ。
これが、『精霊』…?
3人に囲まれたまま視線を受けて、さすがに居心地が悪くなったか、水色の身体が小さく震えた。
小さな咳払いが響く。
「…つまり、お前さんらの言うところの、『ピクシー』というやつじゃな」
言い直すヌイグルミもどき。
ピクシー…?
アルが小さく首を捻ってみせた。
どうやらお互い、その単語には聞き覚えがないらしい。
…まあ、そりゃね。
さっきも言った通り、私達の精霊に関する知識なんてほんの僅かなものだから。
知らない事があるのは、むしろ当然なわけで。
ヌイグルミもどきの言い方に気になる部分はあれど、ここで詮索していても話は進まない。
この際そこはすぱっと無視を決め込んで…。
私は気を取り直して、『ピクシー』へと向き直った。
「…それで。そのピクシーさんとやら」
くるり、水色ヌイグルミが、待ってましたとばかりこちらへと向き直る。
その背後で、のそのそと尻餅を解除したエイラが、僅かに距離を取りながら恐る恐るといった感じに私達を見た。
「聞いて欲しい話って言うのは…」
自然、膝上の少女へと視線を落としながら言うのに、
「…うむ」
重苦しい動作で一つ頷いてから、ピクシーの視線もまた少女へと向けられる。
相変わらず私にしがみついたままの少女の朱い双眸は、今はじっと水色のヌイグルミを捉えていた。
ピクシーの視線が、ゆっくりと上がってきて私を見据える。
「わしらの――…、フレアの事…。お主らを信じて話す」
こちらを見つめる光沢のない黒ビーズのような瞳が、言外に“聞いてくれるか”と問うている。
アルに顔を向ければ、当然のように目が合う。
ついで見遣ったエイラ、まだ怯えたような色を浮かべているものの、その瞳もやはりしっかりとこちらに向けられていた。
――確認するまでもない。
ここまで首を突っ込んでしまえば、もはや同じだ。
むしろ、少女が言葉を発しない分、ここにこのフェアリーの存在はありがたい。
ま、何より。
この水色フェアリーが現れる前から、私達の意見は、一致してたワケだしね。
「聞くわ」
頷いた私に、フェアリーの身体が一つ、頷き返すように小さく揺れた。