◆19 ――何なワケ、あんた達?
が、しかし。
当の人質にされた少年の方には、全く怖気づいた様子はない。
それどころか、ふてぶてしい態度で胸を張り、その表情はむくれている。
降参、の意なのか、両手を肩より上に上げてひらひらと振りながら、その瞳は前方、そこに突っ立ったままの青年へと向けられる。
「――ウィング!こいつ、何なんだよっ。お嬢サンが一人なんじゃなかったのかよ!」
自分を捕えているアルをちらりと見上げつつ、子供特有の高い声が喚く。
その声がうるさいと言わんばかりの表情で、ウィングと呼ばれた青年が大袈裟に肩を竦めた。
「そんなこと、俺に言われてもねえ。出てきちゃったモンはしょうがないよ。仕事に障害は付き物だろう…?」
「もっとちゃんと下調べしとけよなっ!」
アルに捕えられたまま、少年が悔しそうに地団駄を踏む。
「…で、話が一段落したトコロで。――何なワケ、あんた達?」
割って入った私の言葉に、ウィングがこちらに顔を向けると、自然な笑みを浮かべた。
その表情は、嫌味なほどに余裕たっぷり。
「ああ…、そんな事はお気になさらず」
「――人ンちに不法侵入した上に、こんな挨拶まで頂いたら、気にしない訳にはいかないわ」
半眼に剣呑な光りを宿して私。
おや、という風にウィングの細い瞳が僅かに丸くなった。
「それは失礼。…俺がウィング。で、そっちがラグウです」
以後お見知りおきを、と丁寧に頭を下げたウィングに、私の目はさらに細くなる。
ふざけているのか、こういうヤツなのか。
どちらにしろ、私はこういうタイプの男は嫌いだ。
流暢な動きで頭を上げたウィングが、ラグウ、アル、私の順に視線を向けると首を傾げた。
「…さて。そんなことより、取り引きしません?」
酒場でオヤジが『一杯どうです?』とでも言うような口調。
私は警戒を深めながら、ウィングの笑みを見返す。
「…取り引き?」
「そこのラグウを離して、その少女をこちらへ」
ウィングが頷きながら、あっけらかんとそう言う。
…ちょっと!
「それのどこら辺が、『取り引き』だってのよ…?」
思わず呆れた表情で切り返した私に、しかしウィングは笑みを称えたままだ。
その微笑が、得体の知れないもののように思えて、私は僅かに口許をきつく結ぶ。
ウィングがゆっくりと頭を横に振った。
「取り引き、ですよ。――応じるなら、貴方達二人の命は、保証しましょう」
「!!」
私は小さく息を飲む。
アルの気が張り詰められていくのが傍にいるだけで伝わってくる。
ウィングの纏う空気が変わった。
笑みはそのままなのに、動けばそれだけで切り刻まれそうな鋭さがそこにはある。
「…さあ。どうします――?」
「言っといてやるけど、ウィングは強いぜ?」
喉元に剣を突き付けられたまま、しかし平然と仰向いてその喉を晒しながら、ラグウ。
私はちらりとそんな少年に視線を向けて口端を上げる。
「…今のトコ、アンタがこっちに捕まってる分、こっちに分があると思うんだけど?」
「…ふんっ」
半分虚勢だと、自分でも認めながら口にした言葉に、ラグウが口を尖らせてそっぽを向く。
そのラグウを捕えているアルの視線は、変わらずウィングに向けられていて。
研ぎ澄まされた空気が、アルを覆っている。
その姿には隙もないが、余裕もない。
交渉は、私の役目のようだった。
「――この子を連れてって、どうしようっての…?」
私の服に必死でくっ付いている少女の身体に、片手を庇うように回しながら尋ねる。
ちら、とウィングの視線が少女へと向けられた。
「…答える義務はないね」
予想通りの返答。始終、その表情は穏やかな笑みだ。
どうする?というように、ウィングの視線が私の上で止まる。
背中には冷や汗。
事態はこちらにとって有利であるはずなのに、とてもそうは思えない。
この男は、危険だ。
――だけど。
私は正面からその視線を受け止めて、そして小さく笑み返す。
「あんた達にこの子を引き渡したら、後味が悪そうだわ」
きっぱりと言い切る。
笑みに細められていたウィングの瞳が、ほんの僅か、鋭さを増した。
「…交渉決裂、だね」
小さく、ウィングが肩を竦める。
瞬間、冷や水を被せられたかのような怖気に、私は息を詰めた。
ウィングの表情から笑みが消える。
明確な殺意。
時が止まったかのような錯覚、その中で、視線の先にあるウィングの腕だけがことさらゆっくりとした動きでその背へと回り――。
「おーじょ〜さまあぁ〜っ」
突如、お気楽全開、花でも撒き散らしそうなピンク色の大声が、緊迫した空間を横断した。
その場にいた全員の動きが一瞬止まる。
ウィングすら、それは例外ではなく。
「っ、きゃああ――!!!?」
叫び声へと変わったその声が響き渡る中、ウィングが地面を蹴って跳躍する。
それと、ほぼ同時。
ラグウを突き飛ばしながら、ウィングに向かってアルが動く。
突き飛ばされて思いっきり前につんのめるラグウの細い身体と、ウィングの動きに合わせて私の前に踊り出たアルの合間に、銀の一線が閃いた。
いつの間に投げられたのか、それは私の手にしているナイフと同じ物。
標的を逃したナイフはそのまま芝に突き刺さる。
片手に少女を庇い、その身を預かりながら、ナイフ一本片手で応戦できる相手ではない――。
私は瞬時の判断で少女を腕に抱いて横に飛び退く。
今まで私がいたその場所で、二つの銀の軌跡が交わって、青い火花を散した。
耳障りな、金属がかみ合う音が空気を震わせる。
私の目の前で、ウィングのナイフを受け止めたアルの剣が、それを押し返して閃いた。
その動きに合わせるように、ウィングが背後へと大きく飛び退る。
「ラグウ!!一旦退く!」
鋭い声と共に、身軽な跳躍で庭を駆け抜けるウィング。
「あいよ〜…、ったー…、ナイフ、俺に当たるかと思ったじゃん」
アルに突き飛ばされて芝生にしゃがんでいたラグウは、ウィングの声に立ち上がるも、ぶつくさとそう言って。しかし、次の瞬間、ウィングに劣らぬ素早い動きで私達の目の前から走り去る。
二人、そう低くはないはずの庭の壁を軽々と超えて、その姿は完全に見えなくなった。
「……」
残されたのは、私と、アルと、少女と、3本のナイフ。
そして…。
「――…あ、わ…、私…、お呼びで、ない…ですか……?」
テラスにエプロン姿で突っ立っている、目を白黒させたエイラの姿だけ、だった。