◆15 これ、私の部屋の常識
「――とにかく。彼女が目を覚まして、彼女自身から話を聞けない限り…今の僕達にはどうすることもできないってことさ」
しばしの無言の攻防の後、急に戦線離脱をしたアルがベッドの上を眺めながら欠伸まじりにそう言った。
「勝手に迷子と決め付けて、ナッシェのところに連れて行くわけにはいかない」
だろう?と半分目の閉じかけた表情で私を見遣る。
「…ま、それもそうね」
たしかに、今ここで、本人抜きに今後の事を話しても無意味には違いない。
…だけど、果たして目を覚ました彼女が、私達に何か話してくれたりするのかしら?
首を巡らせてベッドを見ると、青い顔の少女が今にも消え入りそうな様子で倒れている。
――気がついたらいなくなってたりして。
怯えていた様子を思い出すと、それは多いにあり得る気がした。
「じゃ、そういう事で」
私の思考を中断して、アルが何気なくそう言う。
組んでいた足を解くと、よっこらせと立ち上がった。
…え?
ぽかん、とその様子を眺めていた私。
はたと気付いて、凭れていた背を起こす。
「ちょ…、ちょっと!もしかして、帰るつもり…!?」
「もうこんな時間だしね」
当然、という様子のアルが、小さく伸びをしながら答える。
確かに時刻はすでに午前5時頃。
もうしばらくすれば、外は明るみ始めて、小鳥が朝を告げるだろう。
アルには仕事もあるんだろうし…。
で、でもっ!!!
「この子はどうしたらいいのよ!」
緩慢な仕草でもって、アルが首を巡らせる。
その視線が私を通り越して、ベッドの上の少女へと向けられた。
「外に放り出すわけにも、ここに縛りつけておくわけにもいかないだろうね」
…それってつまり、ここに寝かせておいてやれって事?
もしかしたら、非常に情けない表情をしていたかもしれない。
軽く肩を竦めたアルが、大丈夫、というふうに精霊を顎で示した。
「そんな様子だから、突如飛び起きて襲いかかってきたりはしないよ」
「…な、何を根拠にそんな…」
「……あ、あの、それじゃ、私もこれで…」
私達の会話に、遠慮がちに声が重なる。
「――エイラ」
こそこそと、ルクスの腕を引っ張ってなんとか自分の上に担ぎ上げようと努力中だったエイラが、私の優しーい呼び掛けに、過剰な程に身体を縮める。
「いいのよ…?そんな遠慮なんてしなくても。ほら、ここは貴方の家のようなものなんだし。客室だってあるんだから、ゆっくりして行きなさい?」
言外に、ゆっくりしていくわよね、と強制力を込めてにっこりと私。
ルクスの身体を半分肩に担ぎ上げたままに、エイラが微妙に引き攣った顔で私を振り返った。
「あ、あ、あの、でも…、やっぱり、お邪魔で…」
「ンン?」
言いかけるのを遮って、満面の笑みで首を傾ける。
固まったまま私を見ていたエイラが、ややあってがくっと項垂れた。
――ふ、勝利。
どーして私だけが貧乏くじで、精霊さんと一緒におねんねしなきゃなんないのよ。
エイラを引き込んで、ひとまず私は満足する。
「じゃ、この部屋の隣の客室を使いなさい?朝はゆっくり寝てても構わないから。ああ、ルクスも一緒にね」
「…ハイ」
いつもより、3割ほど小さくなったエイラの返事が返って来た。
このリィンさんから逃れようなんて、甘いわ、エイラ。
「じゃ、ルクスは俺が運ぶから。…また明日、仕事が終わったら寄るよ」
私達の遣り取りを最後まで聞いてから、アルがルクスの身体を担ぎ上げる。
そのままドアへと欠伸がてらに移動して。
「おやすみ、二人とも」
言葉を残して、その姿はルクスごと、ドアの向こうへと消えていった。
閉じてしまったドアを見つめて、途方に暮れているらしいエイラへと絨毯上をにじり寄り、私はその肩をぽんと叩く。
「さ、ひとまず、寝ましょうか」
私だけが精霊サンと同じ部屋っていうのも、ちょっぴり不安は残るけど。
さすがにエイラを、ここの床に寝かせるわけにはいかないしね。
こればかりは、私が我慢するしかない。
眠っている精霊さんは、いまだ目を開きそうな様子はない。
立ち上がってベッドまで近寄ると、私は少女をソファへと移すため、その折れそうなほどに細い身体をそっと抱き上げる。
その動きを座ったままで見守っていたエイラが、首を傾げた。
「…どうするんですか?」
「…なんで私がソファで寝なきゃならないのよ。お客様にはソファ、これ、私の部屋の常識」
しれっと答えて、白いソファの上へと少女の身体を静かに横たえる。
やはり、彼女の身体は驚く程に軽かった。
…それにしても。
泉で倒れたこの子を抱きとめた時から、実はものすっごく気になってるんだけど…。
「…な、なにしてるんですか?」
やはり座ったまま、エイラが今度はぎょっとしたように尋ねてくる。
そう言われた私、ただ今少女のネグリジェの襟ぐりをビローンと捲って中を覗き中だったり。
――や、別に、女同士だし…、子供だし、ねぇ?
お、これか…?
「お、お嬢様…」
愕然と、エイラの声が耳に届くけど、無視。
私は平然と少女の胸元から手を突っ込んで、ごそごそと探ると、目的のモノを取り出した。
「…おかしいと思ったのよ。この外見で、この弾力は。見て、これ」
私の手には、二つの丸いクッションのようなモノが掴まれている。
目を丸くして私を眺めていたエイラの視線が、ようやく手元へと移動した。
「…何ですか、それ?」
たった今、私が少女の胸元から発掘したモノ、である。
二つの球体は色違いで、かたや薄いピンク、かたや淡い水色だ。
まん丸、というわけではなく、一部をちょっと摘んで引き伸ばしたように雫形をしている。
掌にそれぞれが収まるサイズ。
重くはないが、軽くもない。
中に綿が入ったクッション、というよりは中までしっかり実が詰まってる感じなんだけど…。
「何かしらね…?」
掌に乗せて、うにうにと押してみる。
指先に、妙にみずみずしい弾力が返ってきた。
「――ひっ」
下に座っているエイラが、一瞬引き攣った声を上げた。
「…お、お嬢様、それ、目が…」
「目…?」
言葉に水色の方を引っくり返してみると、そこには確かに黒い点が二つ。
…なにこれ、ぬいぐるみなのかしら…?
つぶらな黒いゴマ粒大の二つの点が、こちらを見ていた。
となると、こっちが頭で、雫形の引き伸ばされてる方がしっぽになるのかしら。
が、別段、黒い目は動く様子も瞬く様子もない。
「…」
横に引き伸ばすと、ふにーっと、引かれるままにそれの形が崩れる。
指を離した途端、弾力に従ってもとの形に戻る、ぬいぐるみもどき。
「…別に、危険なものでもなさそうね」
私は軽く息をつくと、寝ている少女の頭の横へと、それらを落ちつけた。
エイラはしばし、気味悪そうにそれを眺めていたが、私が少女の上に毛布を掛けると慌てて立ち上がった。
てきぱきと、部屋の灯りを落としてくれる。
「そ、それじゃ、お嬢様。おやすみなさい」
私がベッドに入ったのを合図に、軽く頭を下げてエイラがそそくさとドアを出ていく。
「おやすみ」
手をふりふり見送って、私はベッドに転がった。
軽くて柔らかな布団が心地よい。
ちら、と視線をやったソファには、少女がぴくりともせず横たわっていた。
…大丈夫、よね。
自分に言い聞かせるように心の中で呟きながら目を閉じる。
睡魔は、すぐに訪れた。