◆13 夢なら早く覚めてほしいわ
「貴様ら、姫に何をしている――!!」
駆けつけた先頭の騎士装束の青年が、開口一番、剣の柄に手をかけながら鋭く叫ぶ。
後ろの二人も、今にも剣を抜きそうな勢いでこちらを睨んでいた。
その肩は苦しそうに上下している。
そりゃ、あんな重そうな鎧引っさげて、全力疾走してきたんじゃねぇ…。
全身鎧に身を包んだ二人とは対照的に、先頭の青年だけは胸部と肩だけを保護するハーフプレートのみの軽装備だ。
プレートの下には濃い青を基調とした装束。
アルのとは少し違うようだけど、あれは多分、騎士の装束だったはず。
銀色の短い髪に、背の高い、細身ながらもしっかりとした体格。
歳は20を超えたくらいだろうか。
こちらを睨む顔は精悍で、その瞳に明確な敵意さえ浮かんでいなければ、かなりの男前だと思われる。
泉を背に、私達は駆けつけてきた3人に取り囲まれる形で対峙している。
こっちは丸腰、あっちは帯剣。
しかもあちらさんが私達を見る視線は、明らかに不審者に対するそれである。
ぐるり、私達を順に眺めると、騎士の表情はさらに顰められた。
…にしても、状況をよく見てものを言って欲しいわね。
「何もしてないわ」
やや投げやりな気分のまま、思わずぽろりと口をついて言葉が出る。
隣のエイラがぎょっとしたように私を見た。
青年騎士の瞳が僅かに細くなって、私へと向けられる。
「…姫から離れろ」
トーンの下がった声とともに、腰の剣に置かれていた手が僅かに動く。
鞘から、銀色の刀身がのぞいた。
場の空気がぴりぴりと肌に痛い。
――絶体絶命、ってやつなのかしら?
どことなく、他人事のように考える。
状況は最悪なのに、それほど深刻な気分にならないのは、いろんな事が起こり過ぎて、すでに私自身が飽和状態だからかもしれない。
だって、浮気調査だったのよ…?
事の始まりは、エイラの彼の浮気調査。
そっから精霊さんが出てきて、あれよあれよと言う間にご対面でしょ?
何故かその精霊さんは私の腕でおねんねしてるし。
かと思ったら、ここってば王宮で。
目の前にはお姫様。
…この上、さらに何が起きても、そうそうとは驚けないわよ、これは。
というか、これって現実なんでしょうね?
思わず、これは寝不足のための白昼夢、という仮説が浮上する。
うう、夢なら早く覚めてほしいわ…。
威嚇の為に晒された刀身が、僅かな月明かりを受けて冷たく光を放つのに、私は一つ息をつく。
そのまま、相手の言葉通りに姫様から離れようと動き。
「――剣を納めて下さい、カイル」
柔らかな声が、私の動きに制止をかけた。
私同様、驚いたようにエイラとアルも声の主、姫様を見遣る。
言われた騎士――カイルというらしい――も、驚いた表情で姫様へと視線を向けた。
「…ですが、姫!」
異議満載な険しい表情で、姫様に食ってかかる。
それを、私とそう歳も変わらないであろう姫君は軽く手を上げただけで制してしまった。
「剣を納めなさい、カイル」
再度、声は柔らかいままに、命令口調でそう言う。
さっきまでの、のほほんとしたお姫様はどこへやら。
こうして見る姫様は、華奢で小柄にも関わらず、妙に威圧感があった。
一瞬眉間に皺を寄せたカイルは、しかしややあって剣を元通り鞘へと納める。
背後の衛兵二人も、それにならって剣から手を離した。
それを確認すると、姫様が表情を緩めて一つ頷く。
そうして、驚いたまま立ち尽くしている私達へと改めて向き直った。
「――すみません、驚かせてしまいましたね」
にっこりと微笑む顔は、やはり天使の微笑。
目が合って、私は思わず目を瞬いた。
「カイル」
名を呼んで、姫様が振り返れば、騎士の背筋がピンと伸びる。
「は」
「心配させてしまい、申し訳ありません。…ですが、こちらは、私のお友達ですの」
さらさらと、姫様の口から紡がれる言葉に、騎士の目が丸くなる。
そのまま、疑いの目で私達を順に眺めた。
「ご友人…ですか…?」
…いや、いやいや。
そんな目で見られても…。
私自身、目が点、なのである。
いつの間に、私達ったら、お姫様とお友達なんて、大それた身分になったのかしら…?
向けられる猜疑に満ちた視線に、ぶんぶんと首を横に振ってしまいたいくらい、有り得ない話だ。
姫様に視線を向ければ、『そうでしょう?』と言わんばかりの優しげな笑みが返ってきた。
…庇ってくれる気なのだ。
何故かは分からないけど、このお姫様は。
「もうお帰りになるようだから…。そうね…門までお送りしてもらえるかしら、カイル」
緩く首を傾けて、立ち尽くしている騎士に言う。
困ったように、彼は視線を姫様へと戻した。
「…しかし、姫」
「この時間だから、私の離宮の方の通用口からお帰りになってもらうといいわ」
「…姫」
「――あと、この事は内緒にして下さいね?こんな時間にお友達と会っていたなんて知れたら、お父様やお母様から不良娘だと思われてしまいますもの」
何やら言おうとしている騎士を遮って、茶目っ気たっぷりの笑顔で付け加える。
「さあ、早くしないと、夜が明けてしまいますわ」
もう一度、騎士の青年が私達をゆっくりと見回して。
やがて諦めたように姫様へと向きなおった。
「…承知しました。――ですが、このような事は、今回限りですよ」
言葉に、姫様はにっこりと笑みで応える。
そうして、私達へと顔を向けるとその笑みのままで、ひらひらと手を振った。
「それでは、お気をつけて――。また遊びに来て下さいね」
エイラとアルと、3人で顔を見合わせる。
最後の台詞に、騎士が苦虫を噛み潰したような顔になった。
「――さ、行くぞ。着いて来なさい」
颯爽と背を向けると、残りの二人の衛兵に姫様を寝所まで連れ帰るように指示を出し、私達を促す。
な、なんだか。
お姫様の掌の上で、話は纏まったようだけど…。
…こ、これでよいのかしら?
いや、正直、ほんとに助かったけど…。
まだ呆然としている私に、先に行った騎士が歩を止めて振り返った。
「リィン」
横から、アルが行こう、と私を促す。
私は腕の中の少女を抱き直すと、青年騎士の後を追って早足に歩き始める。
エイラが抱き起こそうとするルクスの身体を、横からアルが素早くその背へと背負って、やや重そうに後に続き。
エイラも心配そうにそれに続いた。
まだ夜が明けぬ暗闇の森、騎士の背を追い掛けつつ、ふと姫様を振り返る。
視界の中でひらひらと手を振る彼女に、私は軽く頭を下げた。
…どうして助けてくれたのかは謎だけど。
私達を地下牢行きから救ってくれたのは、間違いなくこのお姫様だ。
ちょっとおとぼけ入っちゃってるみたいだけど…、そこはそこ。
とにもかくにも大感謝。
こうして、精霊さんをメンバーに加えた私達5人は、五体満足、無事に王宮から脱出。
夜明け前の道を、そそくさと私の家まで引き返したのだった。
◆◆◆
無事に王宮を後にしたリィン御一行。
が、しかし、彼女らはすっかり忘れているのです。
ココで問題。
さてはて、何を忘れているでしょう?
…答えは次話「閑話」にて(笑)