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8. 胸騒ぎ

「隣町との境に、こおろぎ山と言う場所がある。こおろぎ山というのは、見た目から誰かが勝手に付けた名前で、本当の呼び名は知らない。ただ、そこへたどり着く道のりは想像以上に険しい。まず、地獄の門をくぐりぬけ、死神の道を辿り、荒れ狂う大蛇の川を越える。そして、果て無き平原を歩き、谷を越えた先に目指す、こおろぎ山があるんだ。こおろぎ山には、年中枯れることのない、常緑の木が一本。その木の葉は、あらゆる傷や病を癒し、人々に幸福を与えると言う。その木の名は、『世界樹』」

 講談師よろしく、抑揚をつけた喋り方でヨンちゃんが言う。その顔つきは、さも「ご清聴ありがとうございました」と拍手を求めているように見えた。

「何それ、ヨンちゃんの好きなゲームの話?」

 と、隣のリコが茶化す。ぼくも悪乗りして、「じゃあ、オーブを集めなきゃね」なんて言ってみる。もちろん、ヨンちゃんはぷうっとふくれっ面をして、「もーっ! 真面目に話してるのにっ」と、怒りを露にする。そんなぼくたちのことを、いつも楽しそうにヒメは見つめていた。けして輪の外にいるわけじゃない。ぼくたちは、ヒメを中心にしていた。

 ぼくのお見舞いがきっかけで、ぼくとヒメの距離は急速に近づいた。もともと、臆病者のぼくが勝手に距離を作っていただけだから、一度わだかまりがほどけてしまえば、仲良くなれるのは当然のことで、そのあたり、十歳の子どもどうしの男女関係や人間関係、恋愛観の未熟さが、却って功を奏したと言い換えてもいいのかもしれない。

 おかげで、好きな女の子と話すのではなくて、友達と話しをするんだと思えば、それまでドキマギしっぱなしだったのが、嘘のようにぼくとヒメは打ち解けた。時には、リコ、ヨンちゃんを混ぜた四人で遊んだりもした。体の弱いヒメは、ぼくたちのように野山を駆け回ることは出来なかったけれど、ヒメの部屋で「世界樹」などという他愛もなくおしゃべりたりするだけでも、ぼくたちにとっては楽しい時間だったし、ヒメにとってもそうだったに違いない。

 それは、ぼくたちが友情と言う絆で結ばれたことの、何よりの証だったと思う。

 だけど、夏が近づくつれて、ヒメの体は目に見えて弱っていった。学校にはほとんど出席することがなくなり、部屋のベッドで一日を過ごすことが多くなった。もちろん、ぼくたちは毎日欠かさずにお見舞いに行った。学校であった出来事や、ぼくたち三人がこれまでやらかしてきた悪戯や冒険の話をするたびに、ヒメは羨ましそうにする。そんな時、不意に差し込む翳りが少しずつ濃くなっていることに、ぼくは不安を感じていた。

 やがて、季節は、雨から真っ青な青空へと変わる。どんよりとした湿り気を帯びた風は、いつの間にか、さんさんと降り注ぐ夏の太陽に乾かされ、山々の木々はまるで季節を謳歌するかのように緑を湛え、セミやカエルの鳴き声が、あちらこちらからこだまする。そう、夏がやって来たのだ。

「今年の夏は、ヒメと一緒に、汐浜町の海へ遊びに行こう」

 最初に言い出したのは、リコだった。リコはどちらかと言えば、ぼくたちのリーダー的な存在で、実際のところ、遊びを提案するのは、いつもリコの役目だった。

 汐浜町と言うのは、電車で二駅のところにある、夏八木に負けず劣らずの小さな漁村で、これまた小さな海水浴場がある。そんな漁村の海へ行こうと、リコが言い出したのには、理由がある。

 あるとき、ヒメが「海をみたことがない」と言った。彼女は、夏八木に来るまで、都会の真ん中に住んでいて、かつ、病気の所為で一度も海へ行ったことがないのだそうだ。だったら、ヒメに海を見せてあげたい、とリコは息巻いた。息巻いては見たものの、小学生が親に内緒でいける海水浴場といえば、交通費などの金銭的な面から言っても、汐浜町の海岸くらいかなかった。だけど、それはちょっとした冒険旅行だ。冒険とは、危険を冒すこと。体が弱く、走り回ったりすることの少なかったヒメが、それを喜ばないはずもなく、わくわくと期待に胸を膨らませているのが、ぼくにも分かった。

 そうして、ついに小学四年生の夏休みが始まった。その日も、真面目が売りのぼくは、ちゃんと早起きして、ラジオ体操を終え、朝ごはんもそこそこに、宿題に取り掛かった。苦手な漢字の書き取りを済ませる頃には、時計の針は十時をまわっていた。更に、算数のドリルに取り掛かる。一気に集中してやれば、夏休みの中ごろには、すべての宿題を終え、絵日記を残すのみとなる算段だった。

 宿題を終えると、時刻はお昼を少しだけまわる。

 夏休みが始まる前に決めた「予定表」というタイムテーブルでは、その日の宿題が終わり次第、自由時間にしている。つまり、お昼から夕方まで、ぼくは勉強から解放されるわけだ。真面目と言っても、勉強が好きな秀才じゃない、中途半端なぼくとしては、その自由時間は至福の時間だった。なぜなら、今年の自由時間は、すっかり日課になった、ヒメのお見舞いに充てられていた。いつのまにか、好きな女の子に会えると言うことが、嬉しくて仕方なくなっていたのだ。

 ぼくは勉強机の上を片付けてから、出かける前の腹ごしらえ、お昼ごはんを求めてキッチンへ向った。平屋の狭い我が家では、部屋を出れば、いつもキッチンから母の料理の音が聞こえてくるはずなのに、今日は物音もしなければ、美味しそうな匂いも漂っては来ない。

「お母さん?」と呼びかけてはみたものの、母の姿はどこにもなかった。怪訝に思いながら、仕方なく、炊飯ジャーを開けて、冷え切ったご飯を茶碗によそって、その真ん中に生卵と醤油を落として、もぐもぐやっていると

玄関の扉が乱暴に開いて、母が汗を流しながら、どこかから戻ってきた。

「あら、秋人。どうしたの?」

 母は卵かけご飯をほお張るぼくの顔を見るなり、そう言った。だけど、その科白はぼくのものだ。

「お母さんこそ、どうしたの? どこへ行ってたの?」

「ちょっと町役場に行ってたの。あら、お昼廻ってたのね、気付かなかった……」

「町役場? どうしてそんなトコに行ってたの?」

 キッチンの隅にかけられた時計を見上げる母に、ぼくはご飯を飲み込んで問いかけた。すると、母はちょっとだけ困ったような顔をして、

「いろいろと用事があるのよ。そんなことよりも、今日も浅井さんのお家にお邪魔するの? 粗相のないようにしないさいよ」

 とぼくに、説教じみた口調で言う。十歳のぼくは「そそう」の意味をまだ知らなかったけれど、言いたいことが何なのかは口調だけで分かる。ぼくは、適当に「はあい」と答えながらも、母の手に握られた、一枚の書類を見逃さなかった。そこには、小さく「転居願申請書」と書かれていた。

 その時には、その書類が持つ意味を気にすることはなかった。きっと大人の世界で交わされる、難しい「手続き」とか言うやつなんだろう。そんな風に軽く考えていたぼくは、お昼ご飯を済ませると、野球帽を被って、おざなりな「言ってきます」を母に告げ、家を出た。

 夏の日差しは、あまりにもとげとげしい。野球帽を被っていても、すぐに日差しに汗が滴り落ち、あっという間に喉が渇く。家を出て、ぼくはまず、ヒメの家とは反対方向に向って歩き始めた。その道をまっすぐ行けば、街を走る唯一の二車線道路に出る。そしてそのまま駅のほうに向えば、駅前商店街の入り口に、古びた木造二階建ての家が見えてくる。

 その家の一階部分には、大仰な筆文字で描かれた、お店の看板がある。「杉浦商店」、即ちそこはヨンちゃんの家だ。もともとは、三十年以上昔、つまりぼくたちの父や母がぼくたち位の頃には、万屋だったそうだが、今ではどんな経緯があったのか、駄菓子屋に変貌している。いつも、お店の軒下で、ヨンちゃんのお祖母ちゃんが座って店番をしている。言ってみれば「幼なじみの家」であると同時に「行きつけのお店」だった。

「こんにちわ、ヨンちゃんいますか?」

 とぼくが言うと、お祖母ちゃんが答えるよりも前に、二階の窓からヨンちゃんが顔を出す。すると、お祖母ちゃんは一瞬で、優しそうなシワだかけの顔を般若のようにゆがめて、二階のヨンちゃんを叱る。

「四郎、宿題が終わるまで遊びに行っちゃダメだからね! まったく、目を離すとすぐ遊ぶんだから、我が孫ながら、情けない。シュウちゃんは、ちゃんと夏休みの宿題やってるかい?」

「うん。さっきまでやってたよ。今日は、国語と算数したの」

「よしよし、いい子だね。じゃあ、四郎のバカを待ってくれてる間、祖母ちゃんが特別にカキ氷をご馳走してやろうかね」

 時々、ヨンちゃんのお祖母ちゃんは、ぼくやリコにカキ氷をご馳走してくれる。氷蜜の種類が、イチゴしかないのは玉に瑕だけど、ヨンちゃんを待っている間にご馳走に預かるカキ氷は、とても美味しかった。冷たくて、甘くて、キーンとする。

 しばらくすると、バタバタと忙しなく足音が聞こえてきて、ヨンちゃんが店先に姿を見せた。どうやら、宿題を急ピッチで済ませたらしい。

「あーっ、いいな、俺もちょうだいっ!」

 夏空の下でカキ氷を食べるぼくの姿を見咎めたヨンちゃんは、羨ましそうにする。ぼくは最後のひとくちをすくって、

「ヨンちゃんは、もっと栄養のあるものを食べた方がいいよ」

 と、それをぱくっと食べた。お祖母ちゃんが、それを見てけたけたと笑う。きっと、骨と皮みたいに痩せっぽちなヨンちゃんには、的を射たことだったのかもしれない。

 ぼくは、お祖母ちゃんにお礼を言って、ヨンちゃんとともに、来た道を引き返す。道中の話題は、昨日読んだ漫画の話。どちらかと言えば、ヨンちゃんがやや興奮気味に語って、ぼくが相槌を打つというのが定番だった。やがて、我が家の前を通りすぎて、交番の前までやってくると、交番の入り口に、まるでお巡りさんのように仁王立ちする、リコの姿が見えた。

「遅いっ! 二人ともっ」

 リコの視線がぼくたちを睨みつける。どうでもいいことだけど、リコと喧嘩すると、男のぼくたちは口でも腕っ節でもかなわない。だから、素直に謝る。

「ごめん。待ち合わせにヨンちゃんがいないみたいだったから、迎えに行ってた」

「で、このリコさまを炎天下に三十分も待たせたの?」

 仁王さまの額に四つ角が出来ている。そんな顔しちゃ、女の子らしくないよ、なんて言うのは火に油を注ぐようなものだ。そもそも、リコと一緒にヨンちゃんを迎えに行けばよかった、と今更思ってももう遅い。

「それは、今日の宿題を終わらせてなかった、ヨンちゃんに言ってよ」

「何だよ、祖母ちゃんからカキ氷奢ってもらってたくせに」

 と、ぼくたちはお互いに罪のなすり合いをする。交番の前で。

 最初に呆れたのは、リコの方だった。はぁっ、とぼくたちに聞こえるように溜息を吐き出すと「まあいいわ」と前置いて、

「ヒメが待ってるから、早く行きましょ。あ、明日はわたしもヨンちゃん家行くから。そんでもって、今日の罰として、カキ氷奢ってもらう、二人に」

 と言い、くるりとヒメの家の方角に、踵を返した。どうやら、リーダーには逆らえないらしいと悟った、ぼくたちはリコのやや後ろを追いかけた。

 ヒメの家までは、交番からそれほど遠くはない。すぐに、木陰に覆われた、涼しげな白い洋館が見えてくる。と、唐突に、ぼくたちの背後から黒い外国の車が、クラクションを鳴らして追い越していく。ぼくたちは慌てて、道の端に避けて、車が通り過ぎるのを目で追った。車はそのまま走り去るかに思われたけれど、ヒメの家の前で急ブレーキをかけると停まった。

 そして、勢い良く後部座席の扉が開くと、茶色の鞄を持った、白衣の男が現れる。その出で立ちから、ぼくたちはすぐに、その男が医者であることに気付いた。

「先生! 突然、申し訳ありません」

 医者の男を出迎えたのは、ヒメのお母さんだった。ヒメのお母さんは、いつになく真っ青で、余裕のない表情で、何度か医者に頭を下げながら、医者を家へと招き入れる。

 ヒメの身に、何かがあったのかもしれない。ぼくは、脳裏を冷たく吹き抜けていくような、イヤな胸騒ぎを覚え、一目散に走り出した。

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