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27. 旅の終わり

 世界樹の葉を手に入れて、意気揚々と引き返すぼくたちは、あのグラグラの吊橋を渡ったところで待っていたのは、留守さんだった。留守さんは、あの役場で借りたという軽トラックでぼくたちを追いかけてきたらしい。ぼくたちの姿を見つけると、急ブレーキで止まり、駆け下りてきた留守さんは、少しだけ心配そうにぼくたちの顔を見ると、突然怖い顔になった。

「まったく、いつまで経っても起きてこないから、たたき起こしに行ってみれば……。それに、この吊橋をガキだけで渡るのは危ないって言っただろうが! ガキが妙な遠慮しやがってっ」

 がつんと、ぼくたちの頭上に拳骨が落ちた。それから、ぼくたちは留守さんの運転で、道を引き返すこととなった。ススキの野原を越えて、みかん山こと双山の山道を、下っていく。途中留守さんの工房へとつづく曲がり道を通り過ぎ、あの浴衣の男の子に崖下に突き落とされそうになり、留守さんに出会った場所を右手に、乃木さんのみかん畑へと続く道も通り過ぎて、やがて、車は県道へと出た。

 線路をつかってショートカットしなければ、本来は県道からこの山に入る。しかし、それは遠回りだからと、無謀にも線路を歩き、電車に追いかけられた。その前には、トンネルをふさぐ、地元の大不良、神野と決闘した。喧嘩ごとなんて嫌いだったのに、それもすべてはヒメのため。ヒメを助けるためだった。

 それが叶わないことになるとは、知りもしないで、ぼくたちは軽トラックの荷台から、一泊二日の冒険の景色を巻き戻しつつ眺めた。歩けば、あまりに時間が掛かる道のりも、一時間ほどで辿れるのは、少しだけ悔しく思いつつ。

「留守さん。ぼくたちの家へ行く前に、寄って欲しいところがあるんですけど」

 住宅地へ入る前、ぼくは荷台から少し身を乗り出して、留守さんに言った。運転席の留守さんは、前を見つめたまま、少し面倒そうな顔をして「何処だ?」と返す。

「浅井さんの家って分かりますか?」

「浅井? あの、浅井源一郎の家か?」

 さすがは地元有力者でもある、ヒメのお祖父ちゃん。どうやら、留守さんは知っているらしい。と思っていると、「分かったから、引っ込んでろ。頭が吹っ飛んでもいいのか」と留守さんはぶっきらぼうに言ってハンドルを切った。

 ヒメの家、つまり浅井家の洋館があるのは、ぼくたちの家とは真逆の方向だ。ここで、家に送ってもらっては本末転倒だ。ヒメを救うため、ぼくたちは世界樹を目指したんだ。きっと、両親は心配しているに違いない。家に帰れば、留守さんの拳骨よりも、厳しい言葉で叱られることは分かっている。そもそも、その覚悟はある。ちゃんと、黙って家を出たことを謝るつもりだった。だけど、その前に、ヒメに世界樹の葉っぱを届けなければいけない。ヒメは、ぼくたちに……ううん、ぼくに助けて欲しいと言ったんだ。ヒメはぼくを待ってる。そう思いながら、何度も、ポケットの中の、すこし萎れた世界樹の葉っぱを触った。

 ぼくたちはヒメの家の前で降ろしてもらった。用事が済むまで待っているという留守さん。

「後は歩いて帰れます。ここまでありがとうございました。ぼくたち、子どもだけど、少しくらいは遠慮させてください。何にも、お礼できないですから……」

 荷台を降りたぼくが言うと、留守さんはニヤリと髭に囲まれた口を曲げた。

「何だそりゃ。ガキのくせにそういう大人みたいな口ぶりは感心しないな。だが、まあ、登り窯をノブにまかせっきりで出てきたからな。お言葉に甘えさせて貰うか……。ちゃんと家に帰って、親にしっかり叱られろ、クソガキども」

「はい!」

 ぼくたち三人が声をそろえて返事をすると、留守さんは、ぼくたちにはじめて笑顔のようなものを見せて、手を振りながらそのまま軽トラックを走らせて、ぼくたちの前から姿を消した。

 そうして、軽トラックのエンジン音が聞こえなくなるまで見送ってから、ぼくたちは洋館へと足を踏み入れた。ヒメの部屋の窓を見上げてみたけれど、カーテンが閉まっていて中の様子は確認できない。だけど、洋館全体が、静まり返っているみたいだった。

 リコが呼び鈴を鳴らす。玄関口に現れたのは、ぼくが初めてここへきたときと同じように、ヒメのお母さんだった。

「あら、あなたたち! 何処へ行ってたの? ご両親がとても心配なさっているのよ!」

 いつも穏やかだったヒメのお母さんらしくない、厳しい口調でぼくたちを窘める。どうやら、ぼくたち三人のうちの誰か、もしくは全員の両親がヒメの家に問い合わせたのかもしれない。「ウチの子が、そちらにお邪魔してはおりませんでしょうか?」って。

 ぼくは慌ててポケットから、世界樹の葉っぱを取り出した。

「あの、これ、どんな病気でも治るっていう、世界樹の葉っぱです。ぼくたち、これを採りに、こおろぎ山まで行ってきたんです。お願いです、これで、ヒメを助けてください」

「世界樹の葉っぱ……?」

 葉っぱを受け取った、ヒメのお母さんは少しだけ驚いたような顔をしていた。すかさず、リコがぼくの前に歩み出て、

「あの、ヒメの……夏音ちゃんの様子、どうですか? お見舞い、してもいいですか?」

 と尋ねると、ヒメのお母さんは少しだけ長居まつげを伏せて、頭を左右に振った。

「ごめんなさいね。すこし落ち着いたけれど、またいつ発作が起きるか分からないの。今度、発作が起きたら、もうあの子は……」

 言葉につまり、ううっ、と嗚咽を漏らしながら、ヒメのお母さんが震えた。その言葉の後には「助からないかもしれない」と続いたのだろう。だけど、そんな言葉を打ち消すように、ぼくは声をあげた。寝室で眠るヒメにも届くように。

「大丈夫です。この葉っぱがあれば、ヒメの病気は絶対治ります!」

 根拠のない言葉。何度かぼくはそういう言葉を口にした。平気で口にするような子どもだったといえば、とても聞こえが悪い。だけど、ヒメのお母さんは、泣き出しそうな顔に無理やり笑顔を作って、

「ありがとう。秋人くん、梨花さん、四郎くん。この葉っぱ、必ず夏音に届けるわ。だから、あなたたちは早く家に帰りなさい。大騒ぎになりかけてるんだから、ちゃんとお父さんお母さんに、謝るのよ」

 と言い、そして去り行くぼくたちの背中に「また、お見舞いに来て頂戴ね。あの子にとってそれが一番の薬だから」と、付け加えた。

 これでヒメは助かるはずだ。本当なら、使命を果たした満足感や達成感を感じながら、家路に着くはずが、ぼくたち三人は誰一人言葉を交わすことなく、悲しげなヒメのお母さんの声を引きずるように、ぼとぼと家路に就いた。

 そうして、ぼくたちの旅は終わった……。

 家に帰ったぼくは、まずお母さんにビンタされた。次いで、仕事から飛んで帰ってきたお父さんに、拳骨を食らった。留守さんの拳骨に比べれば、全然痛くなかったけれど、ひとり息子が家出でもしたんじゃないか、もしかしたら誘拐されたのか、事故に遭ったのか、と心配で心を痛めながら一晩を過ごした両親の目に涙を見たぼくの胸は、とても強く締め付けられた。

 いつの間にか、ぼくも泣き出して、何度も「ごめんなさい」を言った。それから、たっぷり三時間近くは説教を食らっただろうか。山から吹き降ろす夕風が、家の縁側の風鈴をちりんちりん、と鳴らす頃、ようやく両親は落ち着いた口調で、こう切り出した。

「実はな、秋人。ずっと黙っていたんだが、明後日にはこの街から引っ越すことになったんだ」

 深刻なお父さんの口調が、少しだけ怖かった。それ以前に、何を言っているのか理解できなくて、ぼくは戸惑った。お父さんの仕事の都合で、都会にある本社ビルに転勤となったらしい。いち社員のお父さんに断る術はなく、転勤を受け入れたものの、この街で十年間過ごしてきたぼくには、なかなか言えなかったらしい。

 今思えば反抗することも出来た。「いやだ、絶対にイヤだ」と駄々をこねることも、子どものぼくにはできた。だけど、目一杯心配かけた後に、わがままを言って、両親を困らせるほどぼくはヤンチャになりきれない。そういうところが、賢しいというのだ。

「突然のことでごめんね、秋人」

 お母さんにそう言われて、頷いたぼくは、荷物の片付けに追われて、結局引越しのその日まで、幼なじみたちに何も言えなかった。あまりに何もかもが急に訪れたみたいで、ぼくもパニックになりかけていたのかもしれない。

 ぼくが引っ越すことを知った、リコとヨンちゃんの反応も似たようなものだった。突然のことに、ふたりとも信じられないと、顔に書いてあった。だけど、引越しは待ってくれない。見送る二人と、別れを惜しむ間もなければ、いまだ病床にいるであろう、ヒメに別れを告げることも出来なかった。

「ヒメのことお願い。ぼくの代わりに、毎日お見舞いに行ってあげて。ヒメのお祖父ちゃんに追い返されても」

 と、ぼくが言うと、リコとヨンちゃんは揃って頷き返してくれた。

「うん。ヒメにはわたしから話すよ」

「任せとけ。シュウちゃんの分も、俺たちがヒメのお見舞い行くから」

 すべてがバタバタしたままだった。引越し業者のトラックに、荷物という荷物を詰め込み終わったお父さんがぼくを呼ぶ。ぼくは荷台に乗り込むと、幌をめくって、必死に手を振った。

「必ず、必ず、手紙書くからね、シュウちゃん!!」

「リコ、ヨンちゃん、元気でね!」

 全力疾走で引越しトラックを追いかけてくるリコと、最後に交わした言葉。やがて、加速した引越しトラックが二人を引き離し、その姿が見えなくなると、ぼくは涙が溢れてきた。幌の外を流れ、どんどん通り過ぎていく、住みなれた街、遊びまわった街、ぼくが育った街の景色が、潤んで見えた。

「さようなら」

 ぼくが呟いた言葉が、夏八木に向けたものだったのか、それとも幼なじみに向けたものだったのか、それとも初恋の女の子に向けたものだったのかは、今でも分からないままだ。

 そうして、ぼくは二十年間、この町に戻ることはなかった。

 

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