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23. 水の神さま

「これは、ウチのお祖父ちゃんが体験した話だ。今から、六十年くらい昔。まだ夏八木には、県道も電車も走ってなかった。あるのは、田んぼだけ。いまよりずっと、ずーっと田舎の町だったころ」

 ヨンちゃんはそう前置いた。今から六十年も前と言われても、今より田舎の夏八木を想像することは難しい。想像力に乏しいというよりも、知識が足りないだけだ。なので、ぼくは頭の中で、目の前に広がるススキ野を、田んぼに置き換えることにした。

「ところで、シュウちゃん、リコちゃん。なんであの川が『大蛇の川』って言うか知ってる?」

 突然、ヨンちゃんは、ぼくたちに話を振ってくる。

「それは、ヨンちゃんが、名づけたからでしょ? 死神の道とか、果てなき荒野とか」

「ネーミングセンス悪いよね」

 リコとぼくは、お互いに顔を向き合わせて笑った。ヨンちゃんは、少しばかり頬を膨らませながら、

「確かに、それは俺が名づけた名前だけど、大蛇の川と世界樹を名づけたのは、ずっと昔の人たちだよ」

「そうなんだ。てっきり、ヨンちゃんが名づけたんだと思ってた。だって、世界樹って、ヨンちゃんの好きなテレビゲームに出てくる名前じゃん」

 と、ぼくが返すと、ヨンちゃんは深く溜息を付いて、「夏八木っ子が聞いて呆れるよ」とぼくを窘める。

「確かに、ゲームに出てくる樹の名前も『世界樹』だけど、こおろぎ山のそれとは違うんだ。こおろぎ山の頂上にあるその樹には、世界中の神さまが宿ってるって言い伝えがある。だから、その葉っぱはどんな病気にも効くんだよ」

「世界の神さまが宿る樹……だから『世界樹』か。ステキだね」

 感慨深げに言ったのは、リコだった。女の子らしく、そういうロマンチックな言い伝えには、興味がそそられるのだろう。

「そう。俺たちが生まれる、ずっと前からそういう名前なんだよ。おっと、脱線するところだった。で、大蛇の川って言うのも、夏八木に伝わる古い言い伝えからその名前が付いた」

「古い言い伝え? あの川、うねうねしてて蛇みたいだから、じゃないの?」

「シュウちゃんなら知ってると思ってたんだけど。ま、いいや。その昔、あの川の底には巨大な蛇が棲んでいたんだ。だから、『大蛇の川』って呼ばれてる。それは、蛇というより、龍と呼んだほうがいいかもしれない。ほら、ヨーロッパの龍みたいにトカゲっぽいのじゃなくて、中国や日本の龍って、蛇そっくりでしょ?」

 確かに、由緒あるお寺の天井に描かれていたりする、龍の姿は、にょろにょろと細長い蛇に似た姿をしている。

「べつに、怖い話じゃなくていいんだけど……」

 リコが振り向きざまに、呆れた顔をする。何か話をして、とは言ったけれど、別に怪談を求めているわけじゃない。すると、ヨンちゃんは「怖い話じゃないよ」と言って、話を元に戻す。

「それで、話は元に戻るけど、ウチのお祖父ちゃんがまだ、俺たちみたいに子どもだった頃、大蛇の川には、小さな吊橋が一本しかなかった。明治時代に作られた橋で、もうあちこちがボロになっていて、今にも切れそうなその橋を、お祖父ちゃんは怖がってた。でも、橋を渡らなきゃ、街の反対側にはいけない。ちょうどその日、お祖父ちゃんは、お祖父ちゃんのお母さん、つまり俺の曾祖母(ひいばあ)ちゃんにお使いを頼まれていた。お祖父ちゃんは、恐々とつり橋を渡ったんだ」

 そう言って、ヨンちゃんはフラフラとした足取りをして、吊橋の不安定さを体で表現する。

「吊橋は、一歩歩くたびに、ぎしぎしと音を立てる。それは、まるで、橋が悲鳴を上げているみたいだった。お祖父ちゃんは、お使いの荷物をぎゅっと抱きしめて、橋を渡った。その時だった! 橋のツルがみしみしと音を立ててちぎれたんだ」

「ひゃっ!」

 と、リコが女の子っぽい悲鳴を上げる。あ、リコは女の子だから、いいのか。

「崩れた橋と一緒に、お祖父ちゃんは川へまっ逆さま。そう言や、俺たちも川へドボンしたわけだから、奇遇だよね」

「川に落ちたヨンちゃんの祖父ちゃんはどうなっちゃったの? まさか……」

「そんなわけないだろ、シュウちゃん。祖父ちゃん死んでたら、この杉浦四郎さまは、この世にいないって」

 ヨンちゃんの言葉に、それもそうかと、ぼくは頷いた。ヨンちゃんは、「お祖父ちゃんは、泳ぎが得意じゃなかった。杉浦家の人間は、代々陸育ちなんだよ、うん」と、自分で自分に言い聞かせるかのように言うと、話を続けた。

「こんなところで溺れ死ぬなんてイヤだって、必死にもがいたけれど、川の流れは思ったよりも速い。すぐに力尽きて、ボコボコと水中に沈んでいく。その時、お祖父ちゃんの足を何かが強く引っ張った。ああ、死神が呼んでるんだなって、お祖父ちゃんは半ば諦めかけたらしい。だけど、それは、お祖父ちゃんをぐんぐん引っ張って、みかん畑の傍の岸に運んでくれた。そして、意識を失う直前、水面をスイスイと泳ぐそれの姿を、お祖父ちゃんは見たんだ」

「それが、大蛇だったの?」

 ぼくが尋ねると、ヨンちゃんがこくりと頷いた。

「夏八木の川には、水神さまが棲んでいる。その大蛇はきっと水神さまだったんだろうって、お祖父ちゃんは言ってたよ」

 水神さま、と言う言葉に、ぼくは乃木さんの言っていた言葉を思い出していた。鉄橋から川に飛び込んだあと、ぼくは水中で何かに引っ張られた。その後すぐに気を失ったけれど、奇しくもヨンちゃんのお祖父ちゃんと同じように、みかん畑の傍の岸に流れ着いた。

「なんだよ、シュウちゃん。信じてないって顔してる。そうだよな、シュウちゃんは、お化けとか信じてないもんね。サンタクロースだって、信じてないくらいだから」

 ヨンちゃんが、ジト目をこちらに向けてくる。慌てて、ぼくは否定した。信じたくはないけれど、ぼくも川で溺れて気を失い、そして助かった。ヨンちゃんのお祖父ちゃんとおなじ身の上。幽霊だとか、神さまだとかは信じていないけれど、それが大蛇であるか水神さまであるか、それとも、たまたま川の流れがみかん畑の傍の岸に向っているのか、いずれにしても、ぼくはここにいる。その偶然は、確かに存在しているのだ。それを、神さまと呼ぶのなら、そうなのかもしれない。

 ただ、それと、サンタクロースは一緒にすべきじゃないと思うと、自然に苦笑いがこみ上げてきた。

「ヨンちゃん、将来、小説家になったら?」

 苦笑いをかみ殺すためにそう言うと、ヨンちゃんはつんとそっぽを向く。

「俺は、祖母ちゃんの駄菓子屋を継ぐの。そうしたら、毎日お菓子食べ放題だから。シュウちゃんにも分けてあげるよ」

 なんと、理想の小さなことか……と十歳のぼくが思うはずもなく、ご相伴に預かることが出来るなら、それもありかと思う。子どもにとって、お菓子の山は、海賊が探し当てる財宝にも等しい、お宝だった。サラリーマン家庭の子としては、駄菓子屋の孫息子というのは、ある意味で、羨望の対象でもある。もっとも、店をすると言うことが、安易なものでないことを、この当時のぼくたちは知らなかった。

 事実、二十年後の杉浦家の駄菓子屋は、ヨンちゃんの経営するコンビニエンスストアに変わり、ご相伴に預かったのは、五百ミリリットル入りのペットボトル・ティーだけだ。

 結局、子どものうちは、夢を見るだけならタダなのだ。ならば、自分はどうなのか。十歳の野崎秋人は、どんな夢を持っている? 留守さんの言った、「自分のしたいこと」とは一体何か、見定めることは出来ているのか? そんなことを、ススキ野を歩くぼくが考えているはずもない。それもまた、子ども故だ。一見、思慮深そうに見えて、その実、思慮深くなどない。風に揺れるススキの穂とおなじ、ただ風に身を任せていた。きっと、世界樹野葉っぱを持ち帰るその時まで……。

「シュウちゃん、ヨンちゃん! あれっ!!」

 唐突に、リコが右手にしたススキを指し棒よろしく掲げると、正面を示した。話に夢中になっていたぼくたちも、歩みを止めて、前方に目をやる。ススキの原っぱを走る道は、双山と単山、つまりみかん山とこおろぎ山の間に横たわる谷で終わっていた。

「吊橋だ」

 と言ったのは、ヨンちゃんだった。小さな吊橋。金具でしっかりとめてあるとは言え、風が吹くと、ゆらりゆらりとするそれが、子どもの眼にはとても恐ろしいもののように映った。そして、先ほどまで、吊橋の話をしていたためか、その奇妙な符号は、ミートパイ男の話よりも、ずっとずっと怖かった。

「ねえ、シュウちゃん、あそこに見えるのって……」

 リコが、こおろぎ山の頂上を指し示す。ちょうどぽっこりとしたこおろぎの背中のような形をした山の頂上。すっかり、南の空高くに上がった太陽の光が眩しいけれど、それは、はっきりと見えた。なぜなら、こおろぎ山山頂付近は、木々がなく、草原が広がっているため、一際一本だけ生える木が目立つのだ。

「あれが、世界樹」

 ぼくはぽつりと呟くように言った。

「そうさ、あれが神さまの宿る樹『世界樹』だよ」

 と、ヨンちゃん。ついでリコが言う。

「もう少しだね。でも、その前に、この橋を渡って、あそこまで登らなきゃ。結構斜面きつそうだよ。最後の関門ってヤツ?」

「行こう。ヒメはぼくたちを待ってるよ」

 ぼくは二人に向って頷き合わせると、意を決して、吊橋に足を踏み入れた。

 


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