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22. ミートパイの男

 夏八木は、いくつかの山々に囲まれた、海に面さない、内陸部の街である。主な産業は、菜種油の製油業と、みかん栽培。いずれも、他府県のそれには及ばず、細々とやっている、本当に「田舎」という二文字が似合う街でもあった。それは、二十年の歳月を経ても代わりはない。大手量販店が立つわけでも、田舎の風景に似合わない、近代的なビルディングが聳えるわけでもない。代わりに、不動の山々が、街を取り囲むように聳えているのだ。

 北に、蛇円山(へびまどやま)、北東に緑山(みどりやま)。南に、一際大きな、双山(ふたやま)。そして、南西にこおろぎ山がある。こおろぎ山の正式な名前は、単山(ひとえやま)という。隣接する双山が、ぽこぽこと峰を築く山なのにたいして、まるでこおろぎが横たわっているかのような一瘤の山なので、単山というらしい。もっとも、地元住民には「こおろぎ山」という名称の方が通っている。一方、双山は「みかん山」ともよばれている。その由来は、日当たりのいい山の斜面にみかん農家があるからで、季節がらともなれば、色づいたみかんの実が、畑を染めていくことに由来している。

 二十年前、こおろぎ山へ至る道筋は、二つあった。ひとつは、県道沿いに側道へ入り、双山の麓を迂回して、こおろぎ山へ入るルート。その途中には双山へ入るための、いくつかの獣道のような小さな上り口があって、ぼくとはぐれたリコたちが追いかけてきたのは、そのうちの一つ、ということになる。

 そして、もう一つは、線路を渡り双山の山道を登って、連なるこおろぎ山へと向うルート。つまり、その当時直接こおろぎ山へ至る道はなかった。

 距離にすれば、後者の方がより近い。そのため、ぼくたちは、線路を歩くという愚を冒してまでも、双山を登るルートを選んだのだ。もっとも、今更になって思えば、迂回ルートである前者と、山道をせっせと歩くことになる後者を労力と比較して、どちらが近かったとは言いがたく、また、ノブさんが言ったように、現在は直接こおろぎ山の頂上に至る、三本目のルートが存在している。

 ちなみに言えば、三本目のルートは、こおろぎ山の北側から、直接、街を分断するように走る県道に繋がっているため、側道を歩く迂回ルートよりも、何倍も近道となっている。それについて、今言及したところで、当時はなかったわけだから、仕方がないことだ。

 留守さんの工房を黙ってでた、ぼくたちは、そんなことを考えることもなく、ひたすらに山道を登った。あの頃の歩幅よりも、今の歩幅はずいぶん広い。同じ百メートルを歩くにしても、十歳のぼくと、三十路のぼくでは、速度がまるで違う。だが、その反面、決意と使命を感じていたあのときとは、足取りが違うことを、ぼくは感じていた。

 工房から、山道を歩けば、やがて森が開けて、ただっ広い野原に出る。ヨンちゃんの話に出てきた、果て無き平原だ。もちろん「果て無き」というのは、誇張された表現であって、果てがないわけではない。当たり前だ。ちょうど、その平原は、双山と単山の間にある野原で、ぼくは、二十年前と同じように、ススキの生えた野原をひた歩いた。

 その先にあるのは、こおろぎ山。目指すべき場所だ。


「ずっと喋ってないと、胸の辺りがムカムカする」

 と、言い始めたのはヨンちゃんだった。あたりは、ぼくたちの腰の辺りまであるようなススキ野が広がる。山道はまだ続いていて、野原を真っ直ぐに走っていた。

 確かに、留守さんの工房を出てから、ぼくたちはずっと黙りこくったまま、この「果て無き平原」までやって来た。疲れていたワケではなく、楽しい話なんてするだけの余裕がなかった。だって、こうしている間にも、ヒメが苦しんでいたらどうしよう、と心の中が焦るばかりなのだ。すると、足はどんどん足早になり、比例するように、口は閉ざされてしまう。

「わたしも……」

 以外にも、ヨンちゃんの意見に、リコが賛同する。どうやら、ぼくの焦りが伝播して、二人とも口を重くしていたのかもしれない。そう思うと、少しだけ悪い気がした。

「ねえ、ヨンちゃん。なにか面白い話をしてよ」

 ぼくは乃木さんから貰った麦藁帽のひさしを少し上げて、ヨンちゃんに提案した。ヨンちゃんは、しばらくの間、うんうんと小首をかしげながら、しばらくしてから急に声を潜めた。ヨンちゃんお得意の、講談師の真似ごとだ。

「これは、ある男の話……。その男の、骨と皮ばかりで出来ている痩せ細った体は、見るからに不健康そのものを物語っているかのようだった。だが、彼は無類の大食漢だった。ある友人は『象の胃袋を持つ男』とあだ名で呼んだし、べつの友人は『ブラックホール』と呼んでいた」

「ヨンちゃんみたい」

 先頭を、いつの間に摘んだのか、ススキの穂を旗のように振り回しながら歩くリコが言う。確かに、見た目は痩せぎすだが、人一倍食の太いところはヨンちゃんそっくりだ。しかし、さすがのヨンちゃんも、象の胃袋を持っているわけではない。

「太らない体質ってやつだよ。ほら、テレビで良くやってる、大食い選手権のチャンピオンとかって、ほとんど痩せている人ばかりじゃない」

 と、ぼくが言うと、何故だかリコは妙に納得した顔をして、こくこくと頷いてみせる。そんなぼくたちに、「話の邪魔をするな」と言わんばかりの視線を向けたヨンちゃんは、話を続ける。

「だけど、大食漢の彼にも、好きなものと嫌いなものがあった……。彼は、ミートパイが好きで、野菜が大嫌いだったんだ」

「野菜って、全部?」

「そうだよ、リコちゃん。俺は、ちゃんとお野菜も残さないからね。その男とは違う」

「はいはい。それで? 大食漢の男の人がいたってだけのお話なの?」

「そんなわけないじゃん。っていうか、話の腰を折りまくってるのは、リコちゃんだからね……。そんである日、男は伯母の還暦のパーティに招待された。小さい頃から慕っていた伯母のパーティなら、欠席するわけには行かない。だけど、困ったことに、伯母は野菜が大好きで、ミートパイが大嫌いだった。パーティの食卓に飾られるのは、野菜尽くしのメニュー」

「うわぁ。もしも、ぼくの嫌いな納豆尽くしのメニューだったら、我慢できないよ」

「そ、シュウちゃんの納豆嫌いと同じくらい、その男にとっては野菜尽くしのメニューが、地獄の食卓に思えたんだ。まず、前菜の、レタスとトマトのサラダ。そして、人参スープとともに運ばれてきたのは、大根のステーキ。真っ白な大根に、似合わない濃厚なタレ。それなのに、ひとくち口の中に放り込めば、大根特有の辛味が広がる。伯母の手前、粗相をするわけにはいかず、男は吐き出したい気持ちを抑えながら、死ぬほど大嫌いな野菜を食べた。そして、男は願ったんだ。もしも、この世の食べ物すべてが、大好きなミートパイで出来ていたら、こんなに辛い思いをしなくて済むのにって」

 そう考える気持ちは分からなくもないけれど、この世のすべてが、ミートパイというのは、少しだけいやな気がした。ただ、その男にとっては、野菜を食べるくらいなら、この世の食べ物が全部ミートパイで出来ていたほうが、いいのかもしれない。まあ、そのあたり、ヨンちゃんがどこかから仕入れてきた、作り話の世界。ここは、黙って拝聴するとしよう。

「次々と運ばれてくる、野菜のフルコースに目を回しながら、ほとんど味わうこともなく飲み込み続けた男の前に、ついにとどめの一皿が運ばれてくる。なんと、野菜で出来たジェラートだ。もはや、野菜の『や』の字すら見たくない彼は、昏倒寸前だった。その時っ!!」

 ばばんっ、と効果音でも入りそうな勢い。

「男の前に、怪しげな魔法使いが現れた。魔法使いは、男の傍まで近づくとこう言った。『お前の望みをかなえてやろう。世の中すべての食べ物をミートパイに変えてやる』。もちろん、二つ返事で男は了承した。そして、次の瞬間、食卓に並べられた食べ物がすべてミートパイになった。それどころか、伯母の家の冷蔵庫の中も、町中の、いや、世界中のありとあらゆる食べ物が、ミートパイになってしまった」

「わわっ、じゃあ、わたしの好きな、イチゴのケーキも!?」

 と、リコ。

「イチゴのケーキどころか、家で売ってる駄菓子も、何もかもだよ。男にとっては、天国みたいな世界だった。だって、世の中の食べ物すべてが、大好きなミートパイなんだから。男は喜びまくって、飽きるほどミートパイを、来る日も来る日も食べまくった。そうしたら、あれほど痩せてたはずの男も、流石にどんどん太っていって、風船みたいに膨らんだ」

 ヨンちゃんは、両手を使って丸々と太った男の姿を現して見せた。当のヨンちゃんは、ガリガリに痩せている。二十年後、そのヨンちゃんが、話の中に登場した男のように、丸々と太っているとは、その時誰も想像できなかったに違いない。

 もっとも、ヨンちゃんの話はそこで終わりじゃなかった。

「そして、一年が過ぎ、ミートパイに囲まれて毎日幸せに暮らす、痩せぎすな男改め、ぶよぶよに太った男のもとに、あの魔法使いが再び現れた。男は、魔法使いにお礼を言った。すると、魔法使いは、ニヤリと笑ってこう言ったんだ。『こちらこそ、こんなに丸々と太ってくれてありがとう。これでようやく、ワシも食事にありつける。お前はずいぶんと美味そうな魂をしているが、いかんせん骨と皮ばかりで、食い手がない。だから、お前の大好きなもので世の中をあふれさせて、お前をぶよぶよに太らせたのだ。そう、家畜の豚と一緒だよ。まあ、今のお前の姿は、豚にも劣るがな』と」

 急激に話の展開が変わり、ぼくもリコも固唾を呑む。

「男は、魔法使いにそういわれて、鏡を見た。そこに映るのは、醜く太った、哀れな男の姿。今更、魔法使いが悪い人で、食べるために男の願いを聞き届けたのだということに気付き、ひどく後悔した。だけど、もう時遅く、魔法使いは見る見るうちに大蛇に姿を変え、あっという間に男を丸呑みしてしまった。そして、魔法使いの胃袋の中で、じわじわと溶かされるのを待ちながら、伯母が『ミートパイばかり食べないで、野菜もちゃんと食べなさい』といっていたことを思い出して、泣いた」

 ちゃんちゃん、と締めくくったヨンちゃん。ぼくとリコは、あまりにもあっけない幕切れと、救いのない終わり方に、少しばかり、呆気に取られてしまった。

「どお? 怖くない? この話」

 と、ヨンちゃんは言うけれど、実のところ、昨日の夜、白い浴衣を着た謎の男の子に殺されそうになった身としては、あんまり怖くない。むしろ、荒唐無稽さに苦笑すらしてしまいそうになる。リコもさほど怖くなかったのか、ススキの穂を振り回しながら「うーん、どうだろ」と笑う。

「そっかー、取っておきの話だったんだけど……。じゃあ、もう一つ、取って置きの話をしてあげる」

「いくつ取っておきがあるのよ」

 ぼくがツッコミを入れる前に、リコが言う。だけど、ヨンちゃんは気にする様子もなく、次の話を始めた。


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