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20. 留守さんの話

 質素な仏壇は、本来この工房でなく、彼の生家などに置かれるべきものだ。しかし、それが、弟子とは言え他人の下にあるのは、彼が生家から絶縁された身であったからに他ならない。ただ、小さな遺影に浮かぶ、留守冬男その人の顔は、二十年前に見た不器用なまでの仏頂面で、死んでも尚、生家に帰ることさえ許されない自分の人生を、悔いているようには見えなかった。

「神さまと言うヤツは、案外冷たい。師匠は、酒もタバコもやらず、ただ真摯に陶芸に取り組んでいただけだと言うのに、体調を崩してあっという間さ。生きていれば、今年で還暦だった……」

 と、麦茶の入ったコップを持って、ぼくの傍にノブさんが腰を下ろす。すっかり、師匠に似た風格を備えた彼は、懐かしさに目を細めながら、ぼくにお茶を勧めてくれた。

「夢叶うことなく、師匠は逝ってしまった。その後を継ぐのは、少しばかり怖くもあったけれど、ぼくも師匠と同じく、陶芸の道を目指すため、家を飛び出した身だからね。帰る場所なんてここ以外にない」

 ノブさんの言葉を聴きながら、ぼくは線香を沿え、静かに手を合わせる。

「手を合わせるのは、春江さんかぼくぐらいだったからね。今日は、君が来てくれて、きっと師匠も喜んでいるよ。ムッとした顔しながら」

 確かに、留守さんは遺影のように、いつも不機嫌そうな顔をしていた。留守さんの第一印象はかなり悪く、リコとヨンちゃんも口を揃えて「怖い人」と言う。確かに、子どもの目線から言えば、怒っているようにしか見えず、声をかけるのも憚られるような人だった。だけど、ぼくは留守さんが間違いなく、優しい乃木さんの弟であることを知っている。あながち、ノブさんの言うのも間違いじゃないだろう。目に浮かぶようだ。

「あれから、何度もコンペや展覧会に出品したりしたんだけどね。もともと人付き合いのキライな師匠だったから、結局その才能を認めてはもらえなかった。だから、ぼくはここで仇を討つことにしたんだよ。師匠の才能には遠く及ばないけれど、ぼくは師匠の技や感性を受け継いでいると思ってる。だから、ぼくが師匠に代わって、一流の陶芸家になってみせるってね……」

「及ばずながら、ぼくも応援させていただきます」

 ぼくが言うと、ノブさんはあの頃と変わらない笑顔を、髭面の間に垣間見せた。

「そういえば、またどうして、わざわざ工房を訪ねてきたんだい?」

 不意に話題がそちらに向く。怪訝な顔をしているわけでもないし、ノブさんにも他意はなかったに違いない。しかし、またしてもぼくは口ごもる。医者として、夏八木の診療所にやって来た、とは言えない自分がいる。ノブさんは、そんなぼくの顔に差した翳りに気がついたのだろう、

「さては何かあった、と言う顔をしている。人間、壁に当たると、昔のことを思い出したくなるものだからね」

 と、図星を突いてきた。察する、と言うことにかけては、殊に仏頂面の師匠の下で研鑽されたノブさんだ。いい加減なごまかしは、通用しないと、顔に書いてあるような気がした。

 どこから話すべきか……。目的地はまだ先で、工房に長居するつもりはなかったのだが、恩人である、留守さんとノブさんには、訳を聞いて欲しいという気持ちもあったのかもしれない。半ば弱音を吐くようなものかもしれない。それでもぼくは、ゆっくりと重い息を吐き出して、これまでの経緯を語った。

 ノブさんがどのような反応を示すのか、ぼくには皆目見当がつかなかった。話し終わると、ノブさんは音もなく、師匠の遺影に手を合わせ、そして、ぼくの方に向き直った。

「それでも、君が夏八木診療所に医者としてやって来たのは何故だい? 医者として行き詰って尚、君はどうして医者でいるんだい? 答えはもう出ているんだろう? ただ、それに気付くのが怖いだけなんだ」

 あの白い浴衣の少年とは違う、深くそれでいて優しげな、二つの眼がぼくを見据える。一つは、ノブさんの、もう一つは、留守さんの遺影だ。

「十年ばっかし、人生を長く生きているものとして、後輩たる君に、一つだけ……。師匠が君に教えたことを思い出すんだ」

 ノブさんは、戸惑うぼくに、しっかりとした声で告げた。留守さんがぼくに教えたこと……それは。 


「ん? 俺は、伸由を呼んだつもりだったんだがな……ガキはさっさと寝ろ。明日、こおろぎ山へ連れて行ってやらねえぞ」

 ノブさんから預かった薪を登り窯の前にいる、留守さんのところに持って行くと、留守さんは睨むような目つきで一瞥をくれた。思わずたじろいでしまうが、手伝いたいと言い出したのはぼくだ。ただ、ムスっと口を真一文字に結び、窯の入り口から噴出す炎を瞳に映しこむ留守さんの横顔は、とても怖かった。

「あの、眠れなくて……それでお手伝いを。あのっ、寝ずの番って、ずっと寝ないで窯を燃やすんですか?」

 どうにか叱責から逃れたくて、興味があるわけでもないのに、会話の糸口として尋ねてみる。すると、以外にも、留守さんは顔をこちらに向けはしなかったものの、ぼくの問いかけに応じてくれた。

「そうだ。窯の温度が、一定に達するまで薪をくべ続けるんだ。そして、中の様子を確認しながら、陶器が焼き上がるのを待つ。それまでの三日間、寝てる暇なんかない」

「寝なくて、平気なんですか?」

「さあな。三日後にぶっ倒れてるかどうかは、神のみぞ知るってやつだ。それでも、いい皿が出来ればそれでいい。そんなことは、お前には関係ないだろう? ……いや、関係あるか。心配するな、明日ちゃんとお前たちを、こおろぎ山まで連れて行ってやる」

 留守さんは、ぼくから薪の束を受け取ると、それを窯に放り投げた。火の粉がふわりと舞い上がり、焼け付くような熱風が噴出してくる。夏場、夜になれば気温が下がると言っても、やはり暑いことに変わりはない。それなのに、三日三晩窯の番をし続けるというのは、重労働以外の何者でもないと、子ども心にもわかる。

「あの……」

「まだ何かあるのか?」

「あの、その。どうして、留守さんはぼくたちをこおろぎ山へ連れて行ってくれるんですか?」

 ぼくがそう尋ねると、留守さんは少しばかり驚いた顔をした。それは、留守さんが仏頂面以外に初めて見せた、驚きの顔だった。

「何だ、連れて行って欲しくないのか? 連れて行けと言い出したのは、お前たちの方だろう?」

「そうだけど、その、見ず知らずのぼくたちの為に、こんなに忙しいのにわざわざ時間を割いてくれるなんて……」

「姉貴の頼みじゃ聞かないわけにもいかないだろう。長い間、影ながら俺を支え、助けてくれたのは、夏八木のみかん農家に嫁いできた姉貴なんだよ。だから、姉貴には、感謝してもしきれない。その姉貴が、お前たちクソガキをこおろぎ山まで連れて行ってくれと言うなら、イヤとはいえないだろう」

「お姉さんって、乃木さんですよね?」

「そうだ。乃木春江は俺の姉貴だ。昔な……昔、こんな話があった。今から二十年くらい前だ。大学生だったある男が、『安保反対』なんてわけも分からずに、声高に叫んでいた」

 留守さんが、遠い昔を懐かしむような口調になった。

「その男は、姉の忠告も聞かず、テロまがいの片棒を担ぎ、とうとう親に勘当された。それでも、自分のやってることは正しいんだと、盲信し続け、終いには大学に立てこもり、警官隊に火炎瓶を投げつけた。その結果、男は逮捕され、じめじめした牢屋に入れられた。そして、四角い部屋の中で、ふっと思ったのさ。何をやっていたんだろうって……。一月もしないうちに、テロリストの下っ端だった男は釈放された。だが、帰る場所も、行くべき場所も見失った男に夢も希望もなかった。失意のどん底だったんだな。そして、たどり着いた夏八木という寂れた街で、唯一の趣味だった陶芸を始め、やがて、陶芸家の道を目指した」

「それって……」

「俺の話だ。いつか、どうしようもない俺でも、世間さまに認められるようになりたいなんて、叶うかどうかも分からない馬鹿な夢に、師匠と慕ってくれる伸由を巻き込みながら、もう二十年だ」

 仏頂面に似合わないほど、留守さんは饒舌であったけれど、それでも、何処か自嘲するように鼻で笑う。

「どうして、小父さんは、二十年も陶芸を辞めずに続けているんですか? 伸由さん言ってました。陶芸家をやるのも楽じゃないって……」

「さあな。俺にも良く分からん。ただ、世間さまに認められたいなんて、そんなの前口上みたいなもので、その実、こうして陶芸をやっていることが、好きだから、辞めたいと思わないんだろう」

 まるで他人事のように、留守さんが答える。

「好きなことから逃げ出したら、本当の意味で自分はダメな人間になってしまう。自分がそれを使命だと信じ、逃げないことが大切なんだ。だから、俺は三日の寝ずの番も苦ではない。分かるか? クソガキ」

「分かったような……分からないような」

「だろうな。だが、お前も大人になったとき、いつか壁にぶち当たる日が来るかもしれない。その時、自分が本当にやりたいこと、したいことから、逃げ出したら、お前がお前である意味がない」

「ぼくが、ぼくであること?」

「そうだ……分からなくても、覚えておけ。人生の落伍者一歩手前で踏みとどまった大人からの忠告だと思って。そんでもって、伸由呼んできて、さっさと寝ろ」

 そう言うと、留守さんは元の怖そうな顔に戻り、工房の方を指差した。この時は知らなかったのだけど、ノブさんは、ぼくと留守さんの会話を工房の中から聞いていたらしい。すっかり、出て行くタイミングを逸していたノブさんと入れ替わるように、ぼくは登り窯を後にした。部屋に戻ったところで、眠れる自信はなかったけれど、ちゃんと寝ておかないといけない、と思ったからだ。

 少し衣服についた、煙の匂いを感じながら、忍び足でノブさんの部屋に戻ると、ヨンちゃんが心地よさそうに、くう、といびきをかいていた。

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