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11. 鉄橋の上

 神野たちが目を覚ましたのは、それから三十分後のことだったらしい。通りすがりの大人が、伸びた神野たちを発見し、助けてやったそうだ。神野は、ぼくたちに暴力を振るわれたと、涙ながらに訴えたのだが、これまでの彼らの悪行からすれば、大人たちが彼らの言葉を信じるわけもなく、結果「お前たちが悪さばかりしているから、バチが当たったんだ」と言うこととなった。

 その後、神野たちが、なりを潜めてしまったのは言うまでもない。これまで、神野に泣かされてきた子どもたちは、諸手を挙げて喜んだ。ぼくらは、ちょっとした英雄になったのだ。

 だけど、ぼくの一撃はただの偶然の産物で、本当に強かったのはリコだ。さすがに女の子の彼女と本気で取っ組み合いをしたことはないけれど、彼女が強いのには理由がある。

 彼女の父親は、高校の体育教師で、更に無類の格闘好きだった。そんなリコの父親は、あろうことか娘に、剣道、柔道、空手と言った武術まがいのスポーツを教えこんだ。例えば、リコが神野の急所を蹴り上げた時に発した「チェスト」という掛け声は、英語ではなく、ある剣術の掛け声で、リコが得意とする「背負い投げ」などは柔道の技だ。なぜ、リコの父親が武術を教えたのかは、分からない。護身術というにはあまりにも物騒だし、当時の女の子の習い事の定番がピアノのお稽古ということを鑑みても、スポーツというには女の子には不向きだ。だけど、そのおかげで、リコは女子からも頼られる存在で、実際ぼくとヨンちゃんだけでは、神野に立ち向かえなかっただろう。

 そう思えば、「リコ先生」と呼ばれ、子どもたちに慕われている、現在のリコとはイメージが随分違うことに、苦笑してしまう。おしとやかになったというか、大人になったのだ。いつまでも、子どものままでいる人間なんて、どこにもいない。過去はどこかに置いて、未来へ進んでいくのが人間のあるべき姿。だとしたら、ぼくはどうなんだろう? ぼくは何のために、医者になるという未来を選んだのだろう。ぼくにとって、二十年前の過去は、一体何の意味があったのか……。

 変わらないのは、ぼくだけ。

 二十年前に地獄の門番がいなくなった日陰のトンネルを抜け、再び夏の日差しにぼくは目を細めた。あの日、ぼくたちはこの場所から、線路へとのぼり、延々と果てしなく続く線路の上を歩いた。枕木の数を数えながら。

さすがに、大人になったぼくが、線路に不法侵入することは出来ない。そう言ったところだけ賢しいのは、大人になった証拠というべきなのか。

 ぼくは歩きながら、ボストンバッグを漁り、地図を取り出した。ハンディタイプの簡素な地図帳だが、そこには、マーカーで記したこおろぎ山への道が描かれている。夏八木に来る前に、予め確認しておいたものだ。二十年前とは違い、きちんとアスファルトで舗装された上に、当時より距離も短くなった田舎道を歩き、あの日と同じように、こおろぎ山を目指す。

 同時に、二十年前のぼくたちも、線路を歩きこおろぎ山を目指した。


「結局、ヨンちゃんは、びくびくしてただけだったね」

 からからと笑いながら、先頭を歩くリコが言った。すると、ぼくの隣で、枕木の上を選んで歩くヨンちゃんがぷうっと頬を膨らませる。

「俺は、リコちゃんみたいにジャイアンじゃないんだよ。『へいわしゅぎしゃ』ってやつ?」

 平和主義者が何なのか分かっていない口ぶりだが、確かにヨンちゃんは活動的で好戦的な男子ではない。かく言うぼくも、喧嘩ごとは苦手だ。そういうのは、お話の中だけでいいと思っている。それこそ、漫画『ドラえもん』の世界だけで充分だ。ただ、いくらなんでも女の子に向って「ジャイアン」は可哀想だと思っていると、突然リコは足を止めて項垂れた。

「ジャイアンって……、ちょっと傷ついた」

 何だか妙に小さな肩が震えていて、ぼくの脳裏に「まさか」と言う文字が過ぎる。しくしく……すすり上げるような声まで聞こえてきて、ぼくは慌てて、ヨンちゃんの小脇を肘で突っついた。

『ヨンちゃん! リコを泣かせてどうするんだようっ』

『ええ? 俺の所為?』

『ヨンちゃんが、リコのことをジャイアンなんていうからだろっ。リコに謝りなよ』

『う、うん』

 ぼくたちはリコの背後で、目配せをして会話を交わした。ヨンちゃんは、仕方がないといった風に口を尖らせて、リコの傍による。

「ごめん、リコちゃん」

 と、ヨンちゃんが言っても、両手で顔を覆いながら、女の子っぽい仕草ですすり泣くリコは何も返さない。旅の行く先はまだまだ遠いと言うのに、第一関門を突破した途端に、出鼻をくじかれた思いに、ぼくは不安になってきた。

「ごめんね」

 ヨンちゃんがもう一度謝りながら、腰を折ってリコの顔を覗き込んだ。その瞬間、両手の隙間から見えるリコの口角がにやりと曲がるのをぼくは目撃してしまった。だけど、すべてはもう遅かった。すばやく顔を覆い隠す両手を解いたリコは、目にも留まらぬ速さで、ヨンちゃんの腕を取り、足を払い、のけぞらせる。

 関節技だ! ぼくが内心に叫ぶよりも早く、ヨンちゃんが苦痛に顔をゆがめて「ギブ、ギブっ!!」と叫ぶ。

「誰が、ジャイアンよ。わたしがジャイアンなら、ヨンちゃんはのび太くんだね。のび太のクセにっ!!」

 ぎゅーっと、力を込めながら、リコが言う。リコがしくしくと泣いたのは、嘘泣きだった。男子が、女の子の涙に弱いと言うのを知っているのか知らないのか、見事にヨンちゃんは騙されたのだ。しかし、ジャイアンと呼ばれたリコの怒りも分からないでもない。

 もっとも、その時、ぼくは二十年後のヨンちゃんが、ドラえもんみたいな体格になるとは思っても見なかった。

「ごめん、ごめんってば! 許してよう、リコちゃんっ!」

 ヨンちゃんが線路中に響き渡るような悲鳴を上げた。さすがに、ヨンちゃんが可哀想になってくる。

「リコ、反省してるみたいだし、許してあげなよ」

 ぼくが仲裁すると、リコは溜息混じりに、関節技を決める両腕を解いた。ヨンちゃんは「きゃあ」と女の子みたいな声を出しながら、その場に崩れ落ちた。

「シュウちゃんに免じて、許してあげるわ。でも、今度わたしのことをジャイアンだなんて言ったら、もう一回コブラツイストしてあげるから」

 フンっ、とリコは鼻息荒く、ヨンちゃんに言った。どうやら、ぼくたちはリコに逆らえないみたいだ。 ホントに怖いのは、神野ではなくてリコなんじゃないか……心の中でぼくは呟いた。もちろん、声には出さない。関節技を決められたくないから。

「リコがいれば鬼に金棒。ぼくらはびくびくしてていいってことだよ」

 ぼくは、ヨンちゃんの耳元で囁きながら、彼を助け起こした。ヨンちゃんは、肩や首をひねりながら、まだ痛みにうんうんと唸っている。

「ほら、ぐずぐずしてたら、明日になってもこおろぎ山にたどり着けないよ。ヒメを助けられなくなっちゃう!」

「分かってるよ」

 ぼくとヨンちゃんは声をそろえてリコに返事すると、すでに少し先を歩くリーダーの後を追いかけた。

 線路は続くよ、どこまでも。という歌の歌詞を思い出すほどに、鉄道は果てしなく続いている。当時の夏八木にとっては、唯一の公共交通機関でだった電車には、何度も乗ったことがある。だから、電車に乗れば、たった三十分ほどで隣町の駅にたどり着くことは知っている。しかし、線路は途方もなく長く伸び、その行く先は陽炎にかすんで見えない。隣町まで行くわけではないにしても、その道のりの果てしなさを物語っているかのようだった。

「喉かわいた……」

 と最初に根をあげたのは、ヨンちゃんだった。頭から水を被ったように汗だくで、英語の文字がプリントされたTシャツが肌に張り付いている。それは、ぼくもリコ同じだ。リコは、振り向きざまにヨンちゃんを睨みつける。

「もう、ヨンちゃん! わたしだって喉かわいてるんだから。口に出して言わないでよっ」

「だって……」

 と言いかけて、ヨンちゃんは口をつむぐ。先ほどの、関節技の痛みが蘇ってきたのだろう。リーダーには口答えしない、と学習したのかもしれない。

「どこかに、水のみ場でもあるといいんだけど」

 線路の上を歩きながら、ぼくはあたりを見渡した。線路は少し高台に差し掛かっている。ぐるりと頭をめぐらば、あたりが一望できるものの、近くに民家はなく、水を分けてもらえそうな場所は見当たらない。

「このまま、川にでも飛び込みたい気分」

 ヨンちゃんが溜息を漏らす。すかさずリコが、

「いつもプールの授業、大嫌いって言ってるのに?」

 とちゃちゃを入れる。ヨンちゃんは、泳ぐのが苦手で、プールの授業がある日は、まるでこの世の終わりのような顔をしている。そんなとき決まってヨンちゃんが言うのは、「学校のプールでも、海水浴場と同じように、不際が使えたらいいのに。浮き輪を発明した人は、きっと大天才だね」である。

 しかし、午後の夏の日差しは、そんなカナヅチの気があるヨンちゃんをして、川に飛び込みたいといわせるほどの暑さだった。ここまで来たことが、早計だったと思わないまでも、何の準備もせずに、こおろぎ山を目指すことの無防備さを、ようやく実感する。

「このままじゃ、干からびてミイラになっちゃうかも」

 痩せすぎで骨と皮だけで、すでにミイラみたいなヨンちゃんは、愚痴をこぼしながら歩く。その足が不意にぴたりと止まった。ついに、「帰る」と言い出すんじゃないかと、ぼくは不安になる。すると、ヨンちゃんは目を閉じて、両手を耳元に当てた。

「どうしたの、ヨンちゃん?」

 リコが振り向く。

「しっ! 静かに……水の音が聞こえるよ」

「そりゃ、この先には川に掛かる鉄橋があるからね」

 そう言って、ぼくは町の北側を眺めた。線路の上からでは、全く見えないが、この町には一本の川が流れている。それは、町の北側から大きく湾曲しながら、線路と交差しているのだ。

「そっか。でも、あそこからじゃ、川には飛び込めないよね」

 ヨンちゃんは、がっかりとしたような口調で言うと、再び歩き始めた。しばらく歩くと水音は少しずつ大きくなっていき、眼前に鉄橋が見えてくる。

 何故、鉄橋からでは、川に飛び込めないのか……。それには二つの理由がある。まずひとつめは、鉄橋の高さから川まで、五階建てほどの高さがある。下が水だといっても、飛び込み台の上から、ダイブするようなものだ。そして、もう一つ、その場所は川幅がとても狭くなっているため、流れ込む水の勢いが増しているのだ。水泳が苦手なヨンちゃんじゃなくても、あっという間に流れに飲み込まれてしまう危険があった。

「川が目の前にあるってのに」

 ヨンちゃんが眼下の川を見つめながらぼやく。その気持ちは分からなくもないが、白波をたてて流れる急流に飛び込みたいとは、これっぽっちも思わなかった。

「ほら、でも川から風が上がってくるよ」

 涼しい風とともに、ごうごうとうねりのような、流れの音が聞こえてくる中、ぼくたちは、行進するみたく一列になって、鉄橋に足を踏み入れる。もともと、人間が歩いて渡るようには作られていない鉄橋は、枕木と枕木の間に隙間があって、そこから真下が覗ける。高所恐怖症ではないけれど、すこし背筋が冷たくなる。

「こんな映画あったよね……スタンドなんとかってやつ」

 突然、先頭を行くリコが、何かを思い出したかのように言った。その映画なら、ぼくも見たことがあると、返そうとして、いやな予感が過ぎった。リコは、わかっているのかいないのか、少しだけ笑う。

「あれって、たしか、こんなシチュエーションで、後ろから汽車が走ってきたよね」

「リコちゃん、縁起でもないこと言わないでようっ」

 ぼくの背後のヨンちゃんが、怒鳴る。彼の頭の中は、落ちたらどうしようという不安でいっぱいだったのだろう。リコの言葉は、そんな不安に追い討ちをかけるようなものだった。

 その時だった。

 泣きっ面に蜂、という言葉が現実に変わる瞬間、ぼくたちの背後で、警笛の音が聞こえてくる。ぼくたちは真っ青になって後ろを振り返った。一秒前まで、笑ってたリコでさえ、青い顔になる。振り返ったぼくたちの視界に映ったのは、なじみのある二両編成の電車が、真っ直ぐこちらに向って走ってくる姿だった。川の流れる音で、電車の走行音がかき消されていたのかもしれない、と思ってみても、何の解決にもならない。

「むこう岸まで、走るんだっ!!」

 ぼくは咄嗟に、リコの背中を押した。だけど、隙間のある鉄橋で、足でもとられれば一巻の終わり。電車の運転手さんたちもぼくたちのことに気付いているハズ。だけど、電車は、車と同じで急には止まれないし、車と違ってハンドルを切ることは出来ない。その上に、車より巨大な鉄の塊に轢かれれば、どうなってしまうかくらい、子どものぼくたちにも容易に想像できた。



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