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10. 奇跡の一撃

 二十年の月日を経て、無人となった白の洋館、浅井邸を後に、ぼくはあの日の道を辿る。

 浅井邸の前を走る道は、東西に分かれている。東に進めば、交番のあるT字路に戻り、西へ進めば、弓なりに湾曲した道は、やがて線路と交差する。そこは、踏切ではなく、道が線路の下をくぐるトンネル状になっており、幼い日のぼくたちは、そこを「地獄の門」と名づけていた。

 たしかに、大人になった今でも、せいぜい長さ六メートル足らずの、小さく狭いトンネルは薄気味が悪い。だけど、その場所が地獄の門と呼ばれるには、全く別の意味があった。そこには、地獄の門番ケルベロスと、閻魔大王、そしてその僕たる鬼が棲み付いていて、素通りすることが出来なかったのだ。

 何故そんなところを通るのか……ヨンちゃんがヒメに聞かせた話を思い出して欲しい。世界樹に至るための旅路のことを。

『まず、地獄の門をくぐりぬけ、死神の道を辿り、荒れ狂う大蛇の川を越える。そして、果て無き平原を歩き、谷を越えた先に目指す、こおろぎ山があるんだ』

 ヨンちゃんの言葉は、何も架空の場所を指しているわけではない。正確には、彼の言った地名は、ぼくたちが勝手に名づけた名前というだけで、実在の場所を指し示している。そのひとつが、地獄の門であり、ここを突破しなければ、その先にある死神の道へと進めないのだ。言ってみれば、ここが最初の難関である。

 ぼくは、意を決して、トンネルへと足を踏み入れる。日陰にひんやりとした風が心地よい。あの頃よりもっと小さく狭く感じるのは、ぼくの身長が伸びたからだろう。そんなトンネルの壁には、あの頃にはなかったスプレー塗料の落書きが描かれている。意味のある言葉とは思えない単語が羅列されただけで、落書きが美観を損ねるという見解に同意したくなりつつ、ぼくはコンクリートの壁にそっと指を這わせた。そこには、小さな窪みがあった。窪みというよりも、何か固いもので削られたような跡だ。

「まだ、残っていたか……」

 当たり前のことを、ぼくは口走りながら、抉れた壁の傷跡を人差し指でなぞった。その傷をつけたのは、二十年前のぼくだ。そして、それを当時のぼくは「奇跡の一撃」と名づけていた。


 地獄の門を前に他の場所に迂回した方がいいんじゃないか、と提言したのは、ヨンちゃんだった。ヒメを助けたいという気持ちは、ヨンちゃんだって同じだったけれど、彼が地獄の門をくぐることを拒否したのには理由がある。ぼくも、内心に不安を抱えていたのだが、リコはにべもなく、

「死神の道へ上がるためには、あそこをくぐるしかないの、ヨンちゃんも知ってるでしょ? あいつらのことなら、わたしに任せて」

 と、自信たっぷりに言ってのける。「あいつら」とは、地獄の門番たちのことだ。総勢は三名+一匹。もちろん、彼らは魔物ではなく、れっきとした人間だ。いや、れっきとした人間だから、却って面倒なのだ。

 閻魔大王の名前を、神野武じんのたけしという。ぼくらより二つ年上の上級生。そして、ケルベロスの名を、クロという。ドイツ生まれのドーベルマンという犬らしい。彼らは二人の子分を従えて、まるで自らのテリトリーを守るかのように、トンネルを塞ぎ、ぼくたちの前に立ちはだかっていた。

 彼らが何故、トンネルを封鎖しているのかは良く分からない。彼らなりの理由があったのだろうけど、世間的に見れば、不法占拠以外の何者でもなかった。しかも、神野は町内一の乱暴者として通っており、いつも金棒のような金属バットを携えていた。また、クロは獰猛な牙をむき出しにして、道行く人に対して、のべつ幕なしに威嚇する。それが、トンネルのことを「地獄の門」と名づけた所以だった。

 そして、神野の子分は門を通ろうとする相手に、必ずこの言葉を言う。

「ここを通りたければ、通行税をよこせ!」

 彼らの言う通行税とは、お金に限った話じゃない。彼らが満足するものなら何でもいい。たとえば、お菓子や飲み物だって構わない。しかし、そんな持ち合わせがあるはずもなく、また、不法占拠者に何かを貢ぐつもりもなかった。

「なんで、あんたたちにそんなものあげなきゃいけないのよっ!」

 当然リコは噛み付くように言い放つ。すると、クロが反射的に吠え立てる。ドスの聞いた鳴き声は、それだけで臆病者のぼくを縮み上がらせた。

「いい度胸してるじゃないか、女のクセにっ!」

 子分の一人が見下すような視線を投げかけ、こちらに近づいてくる。ぼくとヨンちゃんは思わず後ずさる。子分の二人も、喧嘩が強い。反対に、ぼくとヨンちゃんは喧嘩なんかしたことがない。「やっぱり、別の場所から行こうよ」と、ぼくたちが囁いても、リコだけはぐっと胸をそらして、犬や上級生の威嚇に張り合う。

「女のクセにとか言ってたら、女の子に嫌われるわよ。あ、そうか、だから、こんな日陰に集まってるのか。やーね、じめじめしちゃって」

 もはや、その言葉は挑発に近かった。案の定、子分たちは、鬼の顔よろしく真っ赤になって、リコに掴みかかろうとする。慌ててぼくは、リコの腕を引っ張った。どう考えても、彼女の細腕じゃ、上級生に敵いっこないからだ。

 だけど、リコはぼくの手を無理やり振りほどくと、更に続けた。

「だいたい、こんなところに居座って、みんな迷惑してるんだよっ!! あんたたち、何さまのつもり!?」

「神野さまだよ」

 突然、子分たちの後ろから、声がする。子どもながらにドスの効いたその声は、ぼくらにとってはまさに閻魔大王さまの声のように思えた。

「ここは、俺たちの縄張りだ。通りたきゃ、通行税を払うんだな。さもねえと……」

 神野は、トンネルの真ん中に据えた木箱に座ったまま、金属バットで、地面を強く叩いた。舗装されていない地面が、乾いた音を立てて抉れる。ぼくとヨンちゃんはヒヤヒヤしながら、リコの出方を待った。出来ればここは穏便にと、ぼくたちは願う。だけど、リコは不敵に笑い、

「さもないと、わたしたちをボコボコにするの? やれるもんなら、やってみなさいよっ!!」

 と、神野たちに最後通牒を叩きつけてしまった。ぼくの脳裏に「あちゃー」と言う文字が通り過ぎていく。傍らのヨンちゃんも、同じように顔をしかめた。

「おう、後で泣いても知らねえからな!」

 そう怒鳴ると、神野は立ち上がり、木箱を蹴飛ばした。木箱は、派手な音を立てて、トンネルの壁に激突すると、見事に砕けてしまう。大抵の子が、ここで泣いて逃げ出すが、リコは一歩も退くことなく半そでをまくるような仕草をし、腕をぶんぶんとふりまわす。本当なら、男であるぼくかヨンちゃんが、喧嘩は止めた方がいいよと、リコを諌めるべきなのだが、頑固者で曲がったことが大嫌いな彼女に、何を言っても無駄だと言うことと、戦闘態勢を整えたリコが、男子よりよっぽど強いことをぼくは知っていた。

 そう、それが証拠に。用意ドンの合図があったわけではないけれど、リコが駆け出した直後、子分の一人が瞬くうちに、軽々と投げ飛ばされた。リコの必殺技の一つ「背負い投げ」だ。投げられた子分の一人は、何が起きたのかも分からずに、口をパクパクさせながら、地面に打ちつけた背中の痛みに呻き声を上げる。

「女だからって、甘く見てると、ぶっ飛ばしてやるっ!」

 リコは、威勢良く宣言すると、その足でもう一人の子分の襟元をぐいっと掴んだ。そして、スカートがめくれるのも気に留めないで、華麗な足裁きで大外狩りを決めると、またしても一瞬で勝負を決める。肝心の男の子であるぼくたちは、その光景をひやひや、あわあわしながら見届けるしか出来なかった。

 残る門番は二人。あっという間に、のされてしまった神野の子分に一瞥をくれると、リコは両手をはたきながら、彼らに歩み寄る。神野は少しばかり、リコの強さに驚きながら、バットを両手で握り締め、はすに構えた。

 ファイティングポーズを決めるリコと、神野の睨みあい。まるで、格闘技の試合でも見ているかのように、相手ので糧を伺いあう、膠着状態が始まった。

 午後の日差しが、蝉しぐれとともに、容赦なく二人に降り注ぐ。ぽたり……、リコの額を汗が伝い落ち、狙い済ましたかのように、リコの瞳に流れ込んだ。リコは一瞬、目を瞑った。

 神野はその好機を見逃さなかった。「食らえ!」とばかりに振り上げた金属バットが、風を切る。このままじゃ、リコがメッタ打ちにされちゃうっ!

「チェストっ!!」

 ぼくが瞳を伏せようとした瞬間、リコは不思議な掛け声とともに、カモシカのような健脚を蹴り上げた。その爪先が狙う場所は、男なら誰もが目を逸らしたくなるような、絶体絶命の急所だった。

「ぎゃあっ!」

 と悲鳴を上げた神野の顔色がおかしくなる。バットを手放して、両手で股間を押さえで、ウサギのようにぴょんぴょん跳ね回る姿は、街一番のワルガキに似合わない、滑稽な姿だった。だけど、笑っている場合じゃない、ぼくは咄嗟に立ち上がると、中腰の姿勢で駆け、神野の落とした金属バットを拾い上げた。

「ひっ、卑怯者っ!!」

 神野が罵ったのは、ぼくではなくて、リコの方だった。リコは、フンと鼻を鳴らし、額の汗を腕で拭い取りながら余裕の笑みを湛えた。

 その時である。リコの真横から、黒い影が走ってくる。いつの間に、回りこんだのか、神野の忠実なる僕であるケルベロス……もとい、ドーベルマンのクロだ。クロは牙を剥き出しにして、その長い首を目いっぱい伸ばして、リコの腕に噛み付こうと飛び掛った。

「危ない、リコっ!!」

 叫んだのが先だったか、それとも走り出したのが先だったか分からない。ぼくは考えるよりも先に、両腕を延ばしてリコを突き飛ばした。代わりに、クロのタックルがぼくの横腹を鈍く叩いた。

 ずん、と重みのある痛みに、ぼくは思わずバランスを崩してしまう。

「シュウちゃんっ!!」

 リコとヨンちゃんの叫び声が重なった拍子に、眼前にクロの牙が迫ってくる。獰猛なそれに噛み付かれたらひとたまりもない。これだから、犬ってキライなんだ! 内心に叫びながら、ぼくは左手にしたバットを振り上げた。バットの柄が乱暴にクロの長い首筋を叩くと、それまで獣のようだったクロが一変して、「きゃんきゃん」と吠えながら一目散に逃げていく。

 ところが、バットはそのままぼくの手をするりと抜けて、そのまま、クルクルと回転しながら、真っ直ぐに神野の方へと飛んでいった。神野は、まだリコが与えた痛烈な打撃から立ち直ることが出来ず、無防備を晒している。そこへ、バットが飛来する。

 なんだか、いやに柔らかいような、堅いような音がしたかと思うと、神野の側頭部を殴打したバットは更に跳ね返って、トンネルの壁面にぶつかった。今度は、激しい金属音。コンクリートの壁が小さく抉れ傷ついた。その隙を逃さず、リコが神野の巨体を投げ飛ばした。

 あとには、泡を吹いて昏倒する神野と、その子分だけ。

「す、すごい……」

 呆然とするヨンちゃんが、その光景を見回しながら言った。奇跡の一撃と言ってもいいかもしれない。たった一発の攻撃が連鎖して、一気に勝負をつけてしまうなんて、こんなことがあれば、お正月とクリスマスの時にしか信じていない「神さま」ってやつを信じたくなってしまう。

「神野くん、大丈夫かな?」

 ぼくはお尻に付いた土を払い落としながら立ち上がり、口の周りに泡をつけた神野の顔を覗き込んだ。

「大丈夫よ、これっくらいでどうにかなるようなヤツじゃないでしょ。それより、こいつらが目を覚ますまえに、早く線路に上がろう!」

 そう言うと、リコはぼくとヨンちゃんを手招きする。ぼくは、少しばかり神野のことを気にしながらも、ヒメを救うという目的を見失ってはいけない、と頭を振って、二人の後を追いかけた。

 トンネルの脇を登ると、そこは砂利の敷かれた線路。前後に果てしなく伸びるそれは、こおろぎ山へと至るための近道。きちんとしたルートで歩めば、こおろぎ山へは大人の足でも一日かかる。だけど、この線路を辿っていけば、その半分。それでも、子どものぼくたちにとっては果てしなく遠い距離だった。だから、ヨンちゃんは「死神の道」と名づけたのだ。

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