妖怪王国診療譚 こぼれ話 環境保全の先鋒・ミサキ
第1話 嫌われモノ
「先鋒」。剣道や柔道などで団体戦を戦ったことのある人には、お馴染みの言葉だ。
先鋒→次鋒→中堅→副将→大将、と控える。
先鋒、つまり「先鋒隊」の役割は非常に重要だ。主神の先鋒を意味する「御先」に由来する、とされる。ミサキ、である。
歴史的に見ると、ミサキの例として、神武天皇の「東征」を先導したとされる「八咫烏」が広く知られる。戦を勝利に導く、ある意味、ありがたい存在である。JFA財団法人日本サッカー協会がシンボルマークにしているほどだ。
ところが、神話の世界から民間伝承に降りてくると、性格は一変する。
論より証拠。妖怪王国にはミサキが現存する。しかも、カワミサキ、ヤマミサキと、居住地別に呼び名が異なる。山にも川にもいる妖怪なのだ。ヤマミサキは、カワミサキが単に住民票を移したもの、とされる。いずれにしても、人間からは嫌われ通しだった。
四国に生まれた筆者は妖怪にも知り合いがたくさんいる。田舎の妖怪なので、多くは素朴で人懐っこい。しかし、ミサキだけは別だ。特にカワミサキには注意するよう口酸っぱく言われて育った。
「往診お願いします。肩が凝って、フラフラするんです」
姓名は名乗らない。吉野川の中ほどにある観光地・大歩危で待ち合せることになった。
吉野川には癒される。
両岸の結晶片岩は、流れる水をエメラルドグリーンに染める。この水がなければ、さしもの造形美も画竜点睛を欠いたものとなっただろう。ただ、近年、水量が少なくなったことは、否めない。
眼下の地層は六千万から八千万年前にできたとされる。四国山地がゆっくりと隆起、吉野川は中流域でそれを侵食し、結晶片岩を露出させたのである。
第2話 役員は大忙し
こうした大自然の営みに思いを馳せ、タイムトラベラーになっていると、現実に引き戻された。
「わざわざ、ありがとうございます。ひとつ、お願いがありまして」
電話の声の主だった。
「我々はほとんど、人間に姿を見せたことがありません。ですから、決して、姿かたちの細かい描写は、しないでください。声だって、本当は、音声を変えて欲しいくらいなんです」
テレビの見過ぎなのだろう。警戒心が強い。
「そう言うあなたのお名前は?」
「あっ。失礼。申し遅れました。カワミサキです」
若い鍼灸師なら腰を抜かしていたところだ。経験豊富な私は、かろうじて平静を保っていた。
肩が凝る。フラフラする、という電話だった。顔を診ると、火照っている。白目部分も充血している。肩を触診すると、痛がる。脈は速く、緊張している。
活動的なタイプに多い症状だ。
「お忙しいのですか」
「ええ。月に一回、川の清掃デーには参加しなければならない。環境保護の国際会議などもしょっちゅう開かれ、発表資料づくりが大変なんです。それから、ミサキ組合の役員もやっているもんですから。組合の方は、二〇五〇年までやって、後は後輩に任せようと思っています」
同情したくなる。せめて、鍼治療で、苦しい症状をなんとか緩和してあげたい。
仰向けになっていただく。手足のツボを鍼で軽く刺激する。
「ヤマとカワとでは、組合が別々なのですか」
それとなく探りを入れてみる。
「組合活動に参加するミサキが少なくなり、半世紀くらい前に統合されました。それに、喫緊の課題である環境問題は、山と川に共通したものがたくさんありますから」
第3話 強硬派と穏健派の間で
分からないことだらけだ。人間を震え上がらせてきた妖怪の面影はみじんもない。そこには真面目な環境活動家の姿があった。
そもそも、環境問題は人間の経済活動によるもの。その解決に、ミサキさんたちが苦闘している。
「なんで、人間の尻ぬぐいをせんといかんのや」
という声があって、しかるべきだろう。
「それはあったのですよ」
カワミサキは実情を話してくれた。
カワミサキの一代前は人間である。川で溺れるなど水難死した人間の怨霊が、カワミサキになった。 ほとんどが、楽しい川遊びの最中だった。いきなり命を断ち切られ、魂は行き場がなかった。夢の続きを見ようと、川へ行った。そこには幼なじみもいれば、古い知り合いもいた。家族の消息などを聞きたくて近づく。その者たちは決まって体調を崩した。
とりわけ、心の狭い妖怪は、幸せそうな子供たちを憎悪した。それがこの間までの、自分の姿ということを忘れて。これらの妖怪に取り憑かれたが最後、川で命を落とす運命にあった。
こうして、ミサキの仲間は常に補充される。ミサキ王国の繁栄は盤石となるはずだった。
第4話 一時休戦
「けんど、そんなことも言うとられんぞ」
という声が高まってきた。
ひとつは少子化である。川や谷で遊ぶ子供たちの姿を、ほとんど見かけなくなった。
もうひとつは、環境破壊である。森林の乱伐が進んだ。土中に雨水を貯える機能が低下し、雨が降ると洪水、晴天が続くと渇水になる。生活排水が川に流れ込み、平気でゴミを捨てて行く不心得者も、後を絶たない。
このため、山も川も棲める環境ではなくなったと、故郷を捨てるミサキが近年、激増しているのだ。
わずかに国道近くに残っている、人間の村が先に消滅するか。それとも、ミサキ村が先に消滅するか。それほど時間差はないだろうと、専門家は指摘している。
「だから、もっと人間を懲らしめてやらんと。甘いこと言うとるから、いつまで経っても改心せんのや」
と、強硬派は説を曲げなかった。怨念で凝り固まったミサキは頑なだった。ミサキ村の消滅を目前にして、もう、悠長に構えている場合ではなかったのだ。
「そこで、私は提案したのですよ。とりあえず、二〇五〇年まで待ってくれないか。それまでに温室効果ガスの排出量は減るだろうし、吉野川水系の環境は格段と改善されるだろう、と」
最近、ミサキに祟られたという案件を見聞しないのは、そういう背景があったのだ。事と次第によっては、五〇年以降、山や川で被害者が続出するかも知れない。
第5話 幻のダム計画
「幾時代かがありまして」
ミサキの口調が変わった。
「古くから、山間部では農作物が獲れず、苛政に苦しめられてきました。それでも領民は我慢した。時々、一揆が起きると、地元の妖怪でさえ、『お上に逆らうなんて』と白眼視したものです。だけど、あの時だけは違った。史上初めて、領民と妖怪のタッグが組まれたのです。私たちも黙っていられないほどの愚策が押し付けられたのです」
ミサキが川岸のペットボトルを拾って握りつぶした。「ここに超巨大ダムを作ろうという計画が持ち上がったのですよ」
ミサキの話はこうだった。
戦後すぐ、吉野川総合開発計画が進められた。いくつかのダムを建設することにより、暴れ川だった吉野川の治水と利水などを目指したものだ。発電のほか農業用水・工業用水、さらには水不足に悩む地域の上水道用水が確保できる。
しかし、ダム建設にはマイナス面も大きかった。特に小歩危に予定されたダムは高さ一二六メートルに及ぶ巨大なものだった。沿岸を走る国道と鉄道、貴重な観光資源はダム湖の底に沈んでしまう。吉野川水域を生活ゾーンとする村人にとっても、ミサキたち妖怪にとっても死活問題だった。
地域住民と妖怪が団結して根強い反対運動が展開された。住民は反対集会や陳情などに奔走し、妖怪は陰で支えた。目立つと『性悪妖怪にたぶらかされた、一部村民の跳ねあがり行為』として、本質をはぐらかされ、分断・弾圧されることを恐れたからだ。四国四県にわたる計画であり、開発側の足並みもそろわなかった。結局、小歩危ダム計画を中止する代わりに、上流に予定していた早明浦ダムに上乗せ、高さ一〇六メートル、総貯水容量三億一六〇〇万立方メートルという巨大なダムが一九七五年(昭和五〇)に完成した。
総貯水容量としては四国一、全国でも一〇番目にランクされるもので、「四国の水がめ」としてもたらした恩恵は計り知れない。一方で、高知の本山町・土佐町・大川村の二町一村はその少なからぬ部分が湖底に沈んだ。
「小歩危ダム反対運動の先鋒として奮闘した妖怪たちも年を取りました。会議を開いても、歴戦の勇士たちはあまり出席しなくなった。一部の妖怪は意気盛んですが、大部分は社会問題に無関心なのです。そんな妖怪たちは、自然は天からの授かりもの、未来永劫そこにあり続けると思っている。戦いの経験を語り継ぐことは大事ですな」
第6話 贖罪
私は近くの村に生まれ育ったことを明かした。日本中が高度経済成長を謳歌していた時期だった。
「一五で都会に出たとはいえ、ダムの件は初めて聞きました。まったく不勉強でした。皆さん、大変な思いをされたのですね。申し訳ありません」
人間が犯し続けている罪を想うと、慙愧に堪えなかった。
「私も何か協力させていただきますよ。とりあえず、清掃デーなどあるようですので、万難を排して参加したい、と思います」
これは社交辞令ではなかった。
人間の理解者を得て、気分が晴れた感じだった。ガードがガラ空きになり
「せっかくだから、(盲導犬・エヴァンを交え)スリーショットを!」
というのを断った。妖怪の間で評判になるのは考えものだ。今回もずいぶん冷や汗をかいた。
大歩危橋のたもとに、移動スナック「百夜鬼」が出ていた。妖怪たちは心得たもので、私の姿を認めるや、闇に溶けて行った。
「あっ。ちょうどよかった。この間、地域の清掃のお手伝いして、腰が痛くなったのよ。今度、治療してもらえますか」
妖怪ママの腰痛か。祈祷か何かで、どうにかならないものだろうか。また、悪酔いしそうだった。
[本編詳細はこちら]
https://ncode.syosetu.com/n5587kb/4/




