8話 小さな嘘
握手を交わした二人。
二人の表情が柔らかくなったのを見て、橘はようやく肩の力を抜いた。
正反対の二人を会わせることでどうなるかと心配していたが、ひとまず問題はなさそうだ。
ホッとしたのも束の間、莉子が今度は橘に矢印を向ける。
「橘さん、色々と聞かせて欲しいんだけど、今後の予定は? 具体的なイメージはあるの? メンバーはまだ二人みたいだけど、他に何人集めるの? 雇用関係ってどうなるの? 資金はあるの? 私は歌もダンスも素人だけど、サポート体制はできてるの?」
莉子は疑問点を矢継ぎ早に問いただす。
葵に対するものとは違い、遠慮がなく、質問というよりも追及だ。
いずれも解消しておくべき問題であり、当然の疑問なのだが、橘からすれば耳の痛い問いかけだった。見切り発車と言わざるを得ない計画であり、明確なビジョンなどまだ持ち合わせていない。加賀に課されたメンバー集めに奔走していたこともあり、整理のつかないまま、ここまで来てしまった。
莉子の矢継ぎ早な言葉に、橘の手のひらに汗がにじむ。
「ちょっと待て。一つずつ答えるから」
「じゃあまず、今後の予定とイメージ」
「まずは地下ライブで経験を積んで、実力をつけていってもらう。それと並行して、SNSで知名度を上げていく。動画サイトでアカウントも作るつもりだ。動画編集は過去の事業でやってたから、そこは任せてくれ」
「メンバーは? 何人グループにするつもり?」
「五人を想定してる。でも活動開始を早めたいから、三人以上――つまりもう一人揃い次第、動き始めたい。あと三日以内に見つけてくるから、それからが本格始動だと思って欲しい」
「けっこうむちゃくちゃなスカウトしてるけど、ホントに見つかるの? 普通あんなの乗らないよ」
「絶対に見つけてくる! それは約束する!」
「ふーん、まあ期待してる。さっきも聞いたけど、給料とかないんだよね? 活動費は自腹?」
「悪いけど給料は出せない。ただ安定した収益が望めるようになったら直ぐに還元する。活動費は基本的に俺が負担する。あと、雇用契約じゃないけど、契約書は作るつもりだ。縛るためじゃなく、守るためのものにする。俺が約束を反故しないためのものだと思って欲しい。辞める自由は残すし、不利益のない内容にする。まだ準備中だから、でき次第伝える」
「基本的にはって言ったけど、練習用の靴とか服は活動費に入るの? ライブするとしたらチケットノルマとかあるんだよね。それも橘さん持ち? あと、収益の基準とか分配率とか、そういう細かいところも詰めた契約書にしてね」
「……寝ずにがんばります」
「資金は――まあいっか。給料は払えないんだし、ないよね。最後に、一番大事なこと。私も葵も、多分これからスカウトして来る子も、経験者じゃないよね。サポート体制はとれるの? ダンスとか歌とか、教えられる人は? 曲は? 資金がないのに準備できるの?」
「……加賀さんと共同して動いているって言っただろ。だからそのあたりは大丈夫」
橘はなるべく嘘のないように答えた。
二人の目を見て、誠実であろうとした。
必死に言葉を選び、真実だけを拾い上げるように話す。
だが、それにも限界があった。
橘は加賀の名前を出してしまった。
“大丈夫”――その言葉は確証のない願望だった。
加賀は何かを保証しているわけではない。メンバーを揃えれば話は聞くと言ったが、それが協力を意味するかは不明だ。仮に協力を得られたとして、どこまで支援してくれるのかはわからない。
“大丈夫”――その言葉は真実ではなく、橘自身の祈りに過ぎなかった。
「本当だよね?」
莉子の視線が、静かに橘を射抜く。
見透かすような瞳が、ひたすらに痛かった。
「ああ」
――そう答えた瞬間、自分でもわかった。声がわずかに震えていた。
だがその動揺を指摘されることはなかった。誰も気付かなかったのかそれとも――。
******
会話が一巡した頃、三人のグラスは空になっていた。
手厳しい質問の数々だったが、当事者として活動する彼女たちには聞く権利が、背負う橘には話す義務がある内容だった。
橘の肯定をどう感じたのかはわからないが、莉子はそれ以上追及することはなかった。一定の理解が得られたと考えていいのだろう。納得がいかなければ、莉子ならこの場で活動辞退を申し出ていたことだ。
一方の葵は、真剣に耳を傾けていたが、二人の口早な問答に、理解が追いつかないようだった。ただ、どこまで理解したのかはわからないが、橘への不信感はなさそうだ。
苦労して掴まえたメンバーが離れていかないことに安堵しつつも、現実的な問題を再認識して、橘は憂鬱な気分だった。
「葵は今日バイト?」
ひとしきりの質問を終えてから間もなく、莉子が再び葵に声をかける。よく喋る女だ、と思った橘だが、余計なことは言わないでおこうと、言葉を慎んだ。
「いえ。今日はもう済ませました」
「そっか、お疲れ様。このあとなんか予定ある?」
「いえ、特にないです」
葵の返答に目をキラリと光らせる莉子。
「じゃあ決まりね。よし、美容院行こ!」
言うが早いか、葵の手を引き即座に立ち上がる莉子。
その表情は子どものように無邪気な笑顔。
反対に、葵は突然の誘いに困惑していた。
「え? 今からですか?」
「そう。私このあと美容院予約してたんだけど、その枠あげる。代わりに切ってもらお」
「え、でもそんなの悪いですよ。莉子さんがせっかく予約してたの――」
莉子は、遠慮する葵のほっぺたを指で挟み、物理的に口を塞いだ。
「でもじゃない。アイドル目指すんでしょ。そんなボサボサな髪じゃダメ。綺麗にしないと。女の子はおしゃれすることで元気になる生き物なの。その楽しさを知らないなんてもったいない。私が教えてあげる。わかった?」
強引で独善的な主張。
だがこれは彼女なりの優しさなのかもしれない。
強い物言いだが、その言葉はどこか温かさを持っていた。
「ふぁい。しゅみましぇん」
葵は頬を押さえられたまま、声にならない声を上げる。
そう言う葵の頬はほんの少し緩んでいた。
それを見て、橘は心の底からほっと息をついた。
「社長、これは活動費?」
莉子は立ったまま、ニヤリとした不敵な笑みで橘を見下ろす。
――こいつは本当に。
橘の表情も自然とほころんでいた。
「ああ。もちろん」




