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地下二階のシンデレラ  作者: 田中
一章 名のなき始動
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6話 一人目と二人目

 ――ようやく二人目か。

 家に戻った橘は、ソファに腰を落とすと大きく息を吐いた。達成感よりも、ただ安堵が勝っていた。それでも胸の奥では、焦りの針がチクチクと動いている。


 ――加賀の言う“期限”まで、残り三日。

 グループと呼ぶには最低でも三人――つまり、あと一人。

でもこの三日で見つけられるのか

 頭の中で何度計算しても、答えは出なかった。


 人材集め以外にも橘の頭を悩ませる問題がもう一つ。


 莉子に、他のメンバーに会わせるよう要求されたのだった。ただでさえ猶予ゆうよが少ない中、そこに時間を割く余裕はない。だが自分以外のメンバーを見ておきたいというのは当然の心理であり、断る理由を見つけられなかった。


 行動力の早い莉子は翌日のアポを希望する。メンバーの予定を理由に拒もうとする橘に対し、莉子はその場で電話をするよう指示。強引にアポをとらされ、翌日に三人で会うことが決定した。


 今後の活動において、莉子の行動力の早さが武器になることもあるだろうが、スカウトに時間を追われるこのタイミングでのそれは、橘からすればやっかいでしかなかった。






 翌日。

 駅前の広場は通行人のざわめきがかすかに響いている。待ち合わせ場所に真っ先に到着したのは橘。橘は予定時刻より早くに家を出て、余暇時間よかじかんもスカウトにはげんでいた。その結果は表情が物語っている。橘は晴れない顔つきで二人を待つ。今も刻々《こくこく》と期限が迫っていることに、気が気でなかった。


「あ、すみません。お待たせしました」


 次に葵がやって来る。

 申し訳なさそうに謝罪をしながら、遠慮がちに橘の前に姿を現す葵。出会った日以降、LIMEでやりとりは続けていたが、葵からすれば得体の知れない大人だ。自然体で振る舞えと言うほうが無茶な話だ。


「お疲れー。まだ時間じゃないから大丈夫。今日は急にごめんな。忙しかったろうに。バイトは休み?」


 葵の緊張を察して、橘は努めて明るく言葉を投げる。


「あ、はい。今日はもう大丈夫です」


 葵の服装は薄手のカーディガンに長袖シャツ、スリムジーンズ。髪は結ばず、そのまま垂らしている。化粧っ気もない。

 人混みの中にいても、すぐに見失ってしまいそうなほど静かな存在だった。


 『今日はもう大丈夫です』その言葉の意味を橘は理解していた。

 既に午前中に終えてきたということなのだろう。彼女の勤労時間と家庭の苦しさが想像できる。年頃の女の子が、おしゃれに興味も持てずに働いていることを考えると、橘は少し複雑な心境だった。



『あんまり無理すんなよ』

 そんな声をかけそうになったが、それがどれだけ無責任な発言かわかっており、橘は言葉のんだ。


「でも久しぶりだな。あのあとLIMEブロックされてたらどうしようかなって思ってた」


「え、そんなことするわけないです」


「でも家帰って一回冷静にならなかった? なんかヤバイ奴に声をかけられた、って」


「え、いや、そんなことはないです!」


「一瞬言葉に詰まってるし、目線が泳いでるし、絶対思っただろ」 


「いやホントにそんなことないですって!」


「少しも怪しいって思わなかった?」


「……はい」


「間があったな。本当は?」


「……ほんのちょっとだけ」


「やっぱそうじゃん!」


「いやでも違うんです! こんな私にスカウトが来るなんて思わないですし……」


「マジかよ。俺の見る目がないってこと?」


「それはわかんないですけど、でもホントに嬉しかったんです」


 橘は悪意を持って尋ねているわけではない。緊張をほどこうという配慮のものだった。くだらない振る舞いをすることで、緊張に値する男ではないとの開示をしたかった。


 葵はそれに対して馬鹿正直に受け答えする。口下手で機転は効かないが、相手を思いやる丁寧さが感じられる。


「ちょっとそこ! 駅前でパパ活はやめてもらっていいですかー?」


 二人のやりとりに、いきなり強い口調が割り込んできた。声の先に視線を合わせると、派手な女が立っていた。


「誰がパパ活だ」


 橘は人聞きの悪いヤジに顔をしかめながら、声の主に短くツッコミを入れる。


「おまたせ」


 最後に莉子が現れた。

 薄手のベージュのトレンチコートを肩に軽く羽織り、インナーには黒色のタートルネックセーター、細身のデニムとブーツ。髪は華やかに巻かれ、口紅は鮮やかな赤。目元を覆い隠すサングラスに、ロゴを強調したブランド物のバッグ。遅れたことを詫びる様子は微塵みじんもない。むしろ、来てやったわ、とでも言わんばかりの堂々とした口ぶりだ。


 ――芸能人かこいつは。


 自信満々の登場に、内心でツッコミを入れるが、口に出すのは控えた。そんなことを言えば何を言い返されるかわかったものではない。


 橘は横目でチラリと葵の様子を覗く。

 案の定と言うべきか、現れた派手な大人の女性に面食らった表情だった。萎縮いしゅくしているのが一目でわかる。


「遅いぞ」


「はあ? 10分ぐらいでグチグチ言うわけ?」


「電車換算で言ったらクレームもんだろ」


「私換算なら早い方だから。で、あんたが言ってたスターの逸材はどこ?」


 サングラスを外し、キョロキョロと周囲を見回す莉子。

 目の前にいるわけだが、その視線が定まることはない。橘は一瞬、嫌味で言っているのかと勘ぐったが、どうも違うらしい。本気で気付いていない様子だ。


「ここにいるよ」


「だからどこ?」


「だからここ」


 二度の促しでようやく視線が一点に定まる。


「は、はじめまして。一ノ瀬葵と申します」


 おずおずと気まずそうに頭を下げる葵。


 それを見て固まる莉子。


「マジ……?」


 莉子は言葉を失ったまま、じっと葵を見つめた。

 赤い唇が動きかけては、また止まる。


 その沈黙に、橘は背中に冷や汗が伝うのを感じていた。



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