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地下二階のシンデレラ  作者: 田中
一章 名のなき始動
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5話 赤いヒールのシンデレラ

 今の時代、自称アイドルは腐るほどいる。スマホ一つで動画配信が出来る時代だ。活動のハードルは低い。そんな数多あまたいるライバル達とどうやって競うのか。


 可愛いだけ。ダンスが上手いだけ。歌が上手いだけ。それだけで名を上げることは難しい。飛び抜けているなら話は違うが、力のない橘にはそんな人材集められない。だから他の強味を探していた。


 それが客対応能力だ。


 橘はグループ結成後、地下ライブで足場を固めるつもりだった。基礎を磨くとともに人気を取り、活躍の舞台を広げていく計画だ。そこでのファン対応が成否を握ると考えていた。物販や握手会、チェキ会など、ファンとの交流場面を想定し、対応力が必要不可欠と考えた。


 それを期待できる人材がここにいる。

 橘の軽薄な態度に嫌な顔一つせず、心底楽しそうに笑う嘘つきがいる。


 ――見つけた。

 求めていた人材に出会ったことで橘の胸は高鳴る。だがそれを悟らせてはいけない。焦りと緊張を見せれば低く見積もられる。相手は夜の蝶。安い誘いに乗るほど甘くはない。


 ――化かし合いなら望むところだ。

 作ってもらった水割りを飲み、橘は気合を入れ直す。


「マリカちゃんの夢ってお金持ちになることなの?」


「あ、話変えてるー。マリカのおねだりなんて聞いてくれないんだ。やだなぁ。絶交しちゃおっかな」


「ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど、そっちの方が気になって。好きなの飲んでいいよ」


「え、ホントですか? すみませーん、ドンペリボトル――」


「ちょちょ! それはさすがに!」


「あはは! ジョーダン。お兄さんがマリカのことからかったからお返し。焦ってる顔チョーウケる」


「スニーカーで来て良かったって思ってた。走って逃げようかと思ったよ。ドンペリボトルはまたいつかね」


「あはは! でも確かに! 今気づいたけどなんでスニーカーなの? ランニングが趣味なの? それともマリカを連れ去ってくれるため?」


「マリカちゃんに会うために山を越えるために履いてきた」


「あはは! ホントウケる! ああー、久しぶりにこんなに笑った。ってかごめんね? マリカばっかり楽しんじゃって。お兄さんといるの楽しくて素で楽しんじゃう」


 相手の言葉一つで色鮮やかに表情を変え、耳触りのいい声で好反応を示すマリカ。プライベートだったなら、橘はこの居心地の良い雰囲気に酔っていただろう。だが今は違う。今後の運命を左右する大事な場面だ。


「マリカちゃんの夢ってなに?」


 橘は再度問う。これまでと一変して真剣なトーンで聞いた。


 何を言っても小気味良く返してくるのに、夢の話題をそらしたマリカの反応が気にかかっていた。そこが交渉の取っかかりだと考え、勝負に出る。


「マリカの夢? まあ簡単に言うとお金持ち!」


「お金を稼ぎたいってこと? 金持ちと結婚したいってこと?」


「んー、働くのしんどいしお金持ちの旦那さんもらいたいかな。あ、お客さんの前で働くのしんどいとか言っちゃった。もうー、お兄さんの前だと素が出ちゃうー!」


「どれくらいのお金持ちがいいの?」


「どれくらい? 考えたことなかったなー。んー、年収1億とかあったら嬉しいな」


「その夢はここで叶えられそう?」


「え、どうなんだろ。わかんない。ってかお兄さんなんの話? 実は年収1億稼いでて私をお嫁にもらいたい的な? 一目惚れで口説いちゃおう的な? 白馬の王子様的な? そんな感じ?」


「いや、今はただの敗者だよ。でも将来はそれぐらい、いやもっと稼ぐよ」


「だからお嫁に来てくれってこと? ちょっと! 照れる……!」


「マリカちゃん、腹を割って話そう。君はここで満足?」


 のらりくらりとかわしていたマリカだったが、この言葉で一瞬言葉に詰まる。意図の見えない言動にしびれを切らしてきたのか、目の奥に雲が宿る。


「ねえお兄さん、何が言いたいの? スカウト? 他店でのスカウト行為はご法度はっとだよ」


 橘は今日はじめてマリカの人間らしい感情に触れた気がした。苛立ち、それが言葉にこもっていた。


「ああ、スカウトだよ。ただし水商売じゃない。アイドルのスカウトに来た」


「は?」


「アイドルになれば君の夢は叶う。芸能界に行けば1億どころかもっとだ。ここで出会う人間より遥かに稼いだ旦那候補がゴロゴロいる。外車も海外旅行もブランドも、思うままだ。アイドルにならないか? お前ならできる。俺について来ないか?」


 橘の大言壮語たいごんそうごを聞いて、マリカの目の色が消える。


「へぇー、すごーい。でも私は興味ないかな。話はそれだけ? もっと話したいなら指名してもらえる?」


 客ではないと判断したのか、マリカは媚びた態度をやめた。冷めた態度で橘の絵空事を切り捨てる。先ほどまでの愛嬌が疑わしくなるほど冷淡な視線を送る。


 その反応は予想の範疇はんちゅうだった。橘とて、こんなごとで上手くいくとは思っていない。相手は夜の空を飛び回ってきた蝶。一ノ瀬葵のようにことは進まない。まずは素の感情を露呈ろていさせるのが目的だった。嘘のつき合いでは話が決まらない。


「オッケー。すみませーん、場内指名お願いしまーす」


「はあ? いやダルいんだけど。無駄に時間使わせないでよ。どうせあんた金にならないじゃん」


「アイドルになろうぜ。お前ならできる。そのコミュケーション能力は絶対に活きる。ここで終わる素質じゃない。金持ちと結婚するのが夢なんだろ? ここで終わっていいのか? もっと高みを目指さずに現状に満足してんのか?」


「はぁー。あんたから金の匂いはしない。汚いスニーカーもそうだけど、ネクタイの結び方が甘いし、香水も安い。自分を誤魔化してる匂いがする。夢語るのは好きにしたらいいけど、説教臭い持論をウダウダと言ってこないで」


 つけ入る隙を見せないマリカを見て、橘は唇を噛んだ。手ごわいのは百も承知だったが、取っかかりが見つからない。橘の根拠のない自信から来る言葉は、得体の知れない可能性を感じさせるものだが、現実主義のマリカには通用しない。



「加賀文明って知ってるか? 俺は加賀と協働して動いている。だからチャンスはある」


 ――本当は名前を出すのは避けたかった。加賀を餌に引き入れるのはリスクだ。使えば信用を失うかもしれない。

 けれど、ここで逃せばもう二度とチャンスはない。

 だから橘は、迷いを押し殺した。


「誰それ」


「ラブリーズは?」


「ああ、子供の時めちゃめちゃ流行はやってたね」


「そのアイドルの作詞作曲した人。テレビで見たことないか?」


「テレビ見ないし知らない」


「現代っ子かよ」


「現代っ子だわ」


「絶対見たことあるから検索してみて」


「めんどくさいなぁ。ああー、なんか昔見たことある。けっこう出てた気がする。え、知り合いなの?」


 スマホを見るマリカの瞳に妖しい光がともったことを橘は見逃さなかった。金の匂いを感じたのだろう。これを逃せば機は巡ってこない。リスクは度外視して、橘は最後の交渉に入る。


「ああ。お前の言う通り、今の俺に金はない。けど必ず掴む。これはチャンスだ。俺だけじゃない、二人のチャンスだ。俺はお前を仲間にできればグループとして成功できる確信を持ってる。お前はアイドルとして華々しい世界に行ける可能性を持ってる。そのチャンスをみすみす見逃すのか?

別にそれならそれでいい。無理強いすることじゃないし、人材ならいくらでもいる。でも俺はお前に来て欲しい。お前と一緒にやりたい。その嘘つきの演技力で、客を魅力して欲しい。なあ、マリカ、俺と一緒に一発当てようぜ。俺がその赤いヒールをガラスの靴に変えてやる。シンデレラストーリーを叶えようぜ」


 橘の取り柄は根拠のない自信を持っていることだ。良くも悪くもそれは行動力に繋がる。野心を下支えする骨格だ。それが図太いから、橘は臆面おくめんなく堂々と言ってのけられた。失敗を微塵みじんも疑わない、芯のある口振りは、ある種の期待感を覚えさせるものだった。


「ぷっ、ははははは! 臭すぎ! 超おもろしいねホントあんた! あははは!」


 橘の口上を聞いたマリカは盛大に笑う。これまでに何度も笑っている姿を見せてきたが、それまでとは質が違う。媚びた笑いではなく、彼女の素を投影したものだった。


「……笑い過ぎだろ」


「ああー、久々にこんな笑ったわ。お腹痛い。ねぇ、加賀と知り合いってホント? 証明できる?」


「ツーショット写真でも撮ってこようか?」  


「まあその言葉に嘘はなさそうだったしね。ねぇ、途中離脱あり?」


「見込みがないと思ったらいつでもどうぞ。水商売と違って罰金はないから安心してくれ」


「――ねぇ、本当に私がアイドルになれると思ってんの?」


「じゃなかったらあんなに自信満々に長々と喋れねぇだろ」


「ははっ、確かに。あとさ、私ガラスよりダイヤモンドの靴が良いんだけど」


「金のかかるメンバーだな。でもそれはお前次第だよ」


「ってかさ、さっきからお前お前ってムカつくんだけど。お前って言わないで。私の名前は成瀬莉子なるせりこ


 そう言って莉子は笑った。

 それまでの愛想笑いとは違う、夜のネオンの奥に隠れていた“本当の笑顔”だった。媚びも虚勢もなく、どこか挑発的で、まっすぐな笑み。軽くて自由で、でも不思議と目が離せない。


「次お前って言ったらぶん殴るから」


 挑むように言い放ち、莉子はグラスを傾けた。

 その仕草に合わせて橘もグラスを持ち上げる。

 コツン、とグラスが触れ合う音が、まるで夜がほどけていくように静かに響いた。


「俺個人的にはこっちのキャラの方が好きだわ」


 その一杯は、これまでにない達成感に満ちた上質な味がした。

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