2話 スターの逸材
三日後。
ファーストフード店で、橘はコーヒーをすすりながらスマホを見つめていた。目の下にはクマができ、疲労感が漂う。この三日間、SNSでひたすらダイレクトメッセージを送った。
最初こそは選り好みをしながら声かけを行っていたが、成果の出ない現実に嫌気がさし、手当たり次第にスカウトを行うようになっていた。
アイドルへの熱意などなく、ただ一発当てたいという欲だけで動いている。ノウハウも戦略も知らない、行き当たりばったりの行動だ。
――やっぱ、地道に探すしかねぇか。
にらめっこをやめた橘は、覚悟を決めて店を出る。足で稼ぐスカウトが始まった。
「すみません、ちょっとお時間いいですか?」
「君なら売れるよ! 俺と世界を獲ろう!」
「すみません。道教えてもらっていいですか? 夢への道なんですど、一緒に行きませんか?」
人々は皆忙しそうで、立ち止まる者は少ない。怪しいスカウトに耳を貸す時代ではなかった。たまに好反応を示す者もいたが、個人の橘では話にならず、すぐに興味を失う。自分の無力さ嫌というほど味合わされる。拒絶されるたびに心は摩耗する。
街ゆく人々は、ガヤガヤと賑やかに街の雰囲気を盛り立てている。楽しそうに買い物やデートに向かう。橘の存在など眼中になく、彼のために歩を止めることはない。
何者でもない彼にとって、その空間は居心地が悪かった。
――見てろよ。いつか絶対見返してやる。俺の顔を見て立ち止まらせてやる。
そこでへこたれないのが橘の取り柄だった。身の丈に合わない野心がゆえに、彼の根性は人一倍たくましかった。
だからといってなにかが好転するわけでもなく、成果のないまま時間だけが経過する。
気付けば日は沈み、街はすっかり装いを変えている。ひんやりとした風が頬を打ち、橘の顔は赤らんでいた。ひたむきに続けるが成果はなく、声かけも投げやりになっていた。疲労と焦りの中、それでも橘は歩き続ける。
「へい、彼女。俺と宇宙一のアイドル目指さない?」
疲労で鈍った頭は、考えなしの言葉を吐き出させる。
顔も見ないままに、往来を足早に歩く一人の少女に声をかけていた。反射的に発した言葉が少女の足を止める。
「え?」
少女はゆっくり振り返った。
十代とおぼしき顔立ちで、セミロングの黒髪は無造作で、目元を覆う。髪の影が目元に落ちており、どこか暗い印象を受ける。化粧はしておらず、服装も地味だ。ただ、若さゆえの瑞々《みずみず》しい肌と、無造作な髪の隙間から覗く目には透明感があった。
「私、ですか?」
少女の声は小さく、不安げに揺れていた。
慎重さと少しの臆病さが混ざった複雑な表情を浮かべていた。警戒しているというよりも、動揺しているといった様子だ。
橘は彼女をスカウトしようという気にはなれなかった。
人数を集めないと話にならないのはわかっているが、だからといって誰でもいいわけではない。彼女は取り立てて魅力的とは言い難い。周囲の雑踏と紛れる存在感であり、アイドルに向いているとは思えない。
とはいえ、立ち止まらせてしまった責任を感じる。少女を無下に扱うことは心が痛む。だから橘はあえて過剰に軽薄な態度を示す。
「そうそう。宇宙一のアイドル。君なら絶対なれるよ。俺と一緒に夢を見よう」
言葉に重みのない軽口。
そうすることで、彼女の方から見限ってもらおうと考えた。
「や、やめてください。恥ずかしいです」
少女は少し俯き、困惑したように頬を染める。褒められることに慣れていないようで、言葉の意味をどう受け止めていいか迷っている様子だ。
その反応に、橘は内心で戸惑うが、ぎこちない笑みで続ける。
「逸材だよ君はホントマジで。将来のスターだね」
「いや、そんなことは本当に……」
少女は照れくさそうに目を逸らし、小さく肩をすくめる。軽口に対しても生真面目な反応だ。いたいけな少女をからかっているような構図であり、スカウトを無視されるよりも居心地が悪かった。
「でもそれだけにもったいない気がしなくもないかな。髪も肌もケアしてないでしょ? 若さに甘えてたら将来後悔するぞー」
「……すみませんみっともなくて」
「いやそういう意味じゃ……」
橘が吐いた無意識な発言に、少女はバツが悪そうに俯く。
批難する意図はなかった。悪気のないアドバイスのつもりだった。だが少女の反応を見て罪悪感がわく。
少女の自信のない振る舞いには、自己肯定感の低さが感じられる。だから褒められてもどうしていいかわからない。ちょっとした言葉を深刻に捉える。
そんな少女に寂しさを覚える。
橘の成功欲求の根底には、自己肯定感の低さがあった。何者でもない自分と、彼女を無意識に重ねたのかもしれない。
だから思いがけない言葉が出た。
「……俺さ、アイドルグループを作ろうと思ってるんだけど、まだ誰もいないんだ。何もないのにアイドルグループ作って一発当ててやるって燃えてんの。逆に最高にかっこよくね? だからさ、まあだからってわけじゃないんだけど、俺と一緒に一発当ててやろうぜ。最初のメンバーになってくれないかな?」
軽口ではない本音だった。
無駄な装飾は省いた等身大のセリフ。
素直な感情で彼女を誘った。
――ただでさえ勝算の低い夢だ。本来なら誘うべきじゃない。でも、口が動いたんだから仕方ない。直感が言わせたんだから仕方がない。
橘の言葉に、たじろぐ少女。
「えっと……私、そんな……無理です」
言葉に戸惑いが混じる。自分には向いていないという遠慮がにじむ。 そんな彼女を見て橘は微笑む。
「こんな怪しい男の誘いには乗れない?」
「いえ! そういうわけじゃなくて、こんな私に声をかけてもらったのは本当に嬉しいんです。うち、ちょっと貧乏で……。私が働いて、家のこと支えないといけなくて……。
だから、すみません」
「大丈夫。絶対売れるから。売れて大金を掴んで家庭を支える方がいいでしょ」
「でも、その……」
「俺は来てほしい。嫌かな?」
間髪入れずに食い下がる橘に、少女は少し表情を緩めた。
「その聞き方はちょっとズルい……かもです」
「はは、大人はズルいんだよ」
――自分でもなぜここまでして声をかけるのかわからなかった。でもこの子に来てもらいたいと思っている。理由はそれで十分だ。
少女は一呼吸置いてから、遠慮がちに問いかける。
「……私でもなれますかね?」
表情は自信なさげに揺らいでいた。ただ、髪の隙間から覗く目はしっかりと橘を捉えている。 真剣な問いかけだったが、橘は迷うことなく即答する。
「なれる。俺が保証する。ってか、なれなくても俺がならせる」
――それが俺の役目だ。
無責任で無根拠なセリフ。それなのに当然かのように橘は言った。不思議と迷いはなかった。
少女は思わずは笑った。その時、風が吹き抜け、少女の前髪が持ち上がる。街灯の光が瞳を照らす。暗い街の中で、彼女だけが鮮やかに見えた。その瞬間の彼女は、雑踏に紛れない存在感を放っていた。
橘は息を呑む。
――これが、スターの原石。
「私、一ノ瀬葵と言います。どうぞよろしくお願いします」
アイドルとして天性の素質を秘めた少女との出会いだった。




