表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
地下二階のシンデレラ  作者: 田中
一章 名のなき始動
3/11

2話 スターの逸材

 三日後。


 ファーストフード店で、橘はコーヒーをすすりながらスマホを見つめていた。目の下にはクマができ、疲労感が漂う。この三日間、SNSでひたすらダイレクトメッセージを送った。


 最初こそは選り好みをしながら声かけを行っていたが、成果の出ない現実に嫌気がさし、手当たり次第にスカウトを行うようになっていた。


 アイドルへの熱意などなく、ただ一発当てたいという欲だけで動いている。ノウハウも戦略も知らない、行き当たりばったりの行動だ。


 ――やっぱ、地道に探すしかねぇか。


 にらめっこをやめた橘は、覚悟を決めて店を出る。足で稼ぐスカウトが始まった。


「すみません、ちょっとお時間いいですか?」

「君なら売れるよ! 俺と世界を獲ろう!」

「すみません。道教えてもらっていいですか? 夢への道なんですど、一緒に行きませんか?」


 人々は皆忙しそうで、立ち止まる者は少ない。怪しいスカウトに耳を貸す時代ではなかった。たまに好反応を示す者もいたが、個人の橘では話にならず、すぐに興味を失う。自分の無力さ嫌というほど味合わされる。拒絶されるたびに心は摩耗まもうする。

 

 街ゆく人々は、ガヤガヤと賑やかに街の雰囲気を盛り立てている。楽しそうに買い物やデートに向かう。橘の存在など眼中になく、彼のために歩を止めることはない。


 何者でもない彼にとって、その空間は居心地が悪かった。


 ――見てろよ。いつか絶対見返してやる。俺の顔を見て立ち止まらせてやる。


 そこでへこたれないのが橘の取り柄だった。身の丈に合わない野心がゆえに、彼の根性は人一倍たくましかった。


 だからといってなにかが好転するわけでもなく、成果のないまま時間だけが経過する。


 気付けば日は沈み、街はすっかり装いを変えている。ひんやりとした風が頬を打ち、橘の顔は赤らんでいた。ひたむきに続けるが成果はなく、声かけも投げやりになっていた。疲労と焦りの中、それでも橘は歩き続ける。


「へい、彼女。俺と宇宙一のアイドル目指さない?」


 疲労で鈍った頭は、考えなしの言葉を吐き出させる。

 顔も見ないままに、往来を足早に歩く一人の少女に声をかけていた。反射的に発した言葉が少女の足を止める。


「え?」


 少女はゆっくり振り返った。

 十代とおぼしき顔立ちで、セミロングの黒髪は無造作で、目元を覆う。髪の影が目元に落ちており、どこか暗い印象を受ける。化粧はしておらず、服装も地味だ。ただ、若さゆえの瑞々《みずみず》しい肌と、無造作な髪の隙間から覗く目には透明感があった。

 

「私、ですか?」

   

 少女の声は小さく、不安げに揺れていた。 

 慎重さと少しの臆病さが混ざった複雑な表情を浮かべていた。警戒しているというよりも、動揺しているといった様子だ。


 橘は彼女をスカウトしようという気にはなれなかった。

 人数を集めないと話にならないのはわかっているが、だからといって誰でもいいわけではない。彼女は取り立てて魅力的とは言い難い。周囲の雑踏と紛れる存在感であり、アイドルに向いているとは思えない。


 とはいえ、立ち止まらせてしまった責任を感じる。少女を無下むげに扱うことは心が痛む。だから橘はあえて過剰に軽薄な態度を示す。


「そうそう。宇宙一のアイドル。君なら絶対なれるよ。俺と一緒に夢を見よう」


 言葉に重みのない軽口。

 そうすることで、彼女の方から見限ってもらおうと考えた。


「や、やめてください。恥ずかしいです」

  

 少女は少し俯き、困惑したように頬を染める。褒められることに慣れていないようで、言葉の意味をどう受け止めていいか迷っている様子だ。


 その反応に、橘は内心で戸惑うが、ぎこちない笑みで続ける。


「逸材だよ君はホントマジで。将来のスターだね」


「いや、そんなことは本当に……」


 少女は照れくさそうに目をらし、小さく肩をすくめる。軽口に対しても生真面目きまじめな反応だ。いたいけな少女をからかっているような構図であり、スカウトを無視されるよりも居心地が悪かった。


「でもそれだけにもったいない気がしなくもないかな。髪も肌もケアしてないでしょ? 若さに甘えてたら将来後悔するぞー」


「……すみませんみっともなくて」 


「いやそういう意味じゃ……」


 橘が吐いた無意識な発言に、少女はバツが悪そうにうつむく。


 批難する意図はなかった。悪気のないアドバイスのつもりだった。だが少女の反応を見て罪悪感がわく。


 少女の自信のない振る舞いには、自己肯定感の低さが感じられる。だから褒められてもどうしていいかわからない。ちょっとした言葉を深刻に捉える。


 そんな少女に寂しさを覚える。


 橘の成功欲求の根底には、自己肯定感の低さがあった。何者でもない自分と、彼女を無意識に重ねたのかもしれない。


 だから思いがけない言葉が出た。


「……俺さ、アイドルグループを作ろうと思ってるんだけど、まだ誰もいないんだ。何もないのにアイドルグループ作って一発当ててやるって燃えてんの。逆に最高にかっこよくね? だからさ、まあだからってわけじゃないんだけど、俺と一緒に一発当ててやろうぜ。最初のメンバーになってくれないかな?」


 軽口ではない本音だった。

 無駄な装飾ははぶいた等身大のセリフ。

 素直な感情で彼女を誘った。


 ――ただでさえ勝算の低い夢だ。本来なら誘うべきじゃない。でも、口が動いたんだから仕方ない。直感が言わせたんだから仕方がない。


 橘の言葉に、たじろぐ少女。


「えっと……私、そんな……無理です」


 言葉に戸惑いが混じる。自分には向いていないという遠慮がにじむ。 そんな彼女を見て橘は微笑む。


「こんな怪しい男の誘いには乗れない?」


「いえ! そういうわけじゃなくて、こんな私に声をかけてもらったのは本当に嬉しいんです。うち、ちょっと貧乏で……。私が働いて、家のこと支えないといけなくて……。

だから、すみません」


「大丈夫。絶対売れるから。売れて大金を掴んで家庭を支える方がいいでしょ」


「でも、その……」


「俺は来てほしい。嫌かな?」


 間髪入れずに食い下がる橘に、少女は少し表情を緩めた。


「その聞き方はちょっとズルい……かもです」


「はは、大人はズルいんだよ」


 ――自分でもなぜここまでして声をかけるのかわからなかった。でもこの子に来てもらいたいと思っている。理由はそれで十分だ。

  

 少女は一呼吸置いてから、遠慮がちに問いかける。


「……私でもなれますかね?」


 表情は自信なさげに揺らいでいた。ただ、髪の隙間から覗く目はしっかりと橘を捉えている。 真剣な問いかけだったが、橘は迷うことなく即答する。

 

「なれる。俺が保証する。ってか、なれなくても俺がならせる」  


 ――それが俺の役目だ。


 無責任で無根拠なセリフ。それなのに当然かのように橘は言った。不思議と迷いはなかった。


 少女は思わずは笑った。その時、風が吹き抜け、少女の前髪が持ち上がる。街灯の光が瞳を照らす。暗い街の中で、彼女だけが鮮やかに見えた。その瞬間の彼女は、雑踏に紛れない存在感を放っていた。


 橘は息を呑む。


――これが、スターの原石。


「私、一ノ瀬葵いちのせあおいと言います。どうぞよろしくお願いします」


 アイドルとして天性の素質を秘めた少女との出会いだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ