9話 強引な優しさ
莉子の勢いに急かされながら、三人は席を立ち美容院へと向かう。
莉子が先頭を歩き、葵の手を引く。その後ろを橘が少し距離を置いてついていく。
――正反対の二人だけど、遠慮がちな葵には、莉子ぐらい強引なタイプの方が、案外ちょうどいいのかもしれないな。
二人の背中を見つめながら、橘はそんなことを考えていた。
美容院は、莉子の行きつけだという駅前の雑居ビルの一角。 大きなガラス越しに見える店内は明るく、鏡が反射する照明の光がキラキラと揺れている。
おしゃれできらびやかで、いかにも莉子らしい。そんな印象を受けた。
扉を前に、葵は立ちすくんだ。
伏し目がちに小さく肩をすくめ、足が止まる。
自分が場違いに思えたのだろう。指先がかすかに震えていた。
「行くよ葵。世界一の美人にしてもらうよ」
「え、あの、はい」
莉子は笑顔のまま手を取り、葵の動揺などお構いなしに中へと引き込む。
それはきっと、彼女なりの優しさでもあった。
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それから少しして、莉子だけが店から出てきた。
「待ってる間どうする? デートでもするか?」
橘の冗談に、莉子は唇の端を上げる。
「あら、私との同伴は高いけど大丈夫?」
「出世払いで頼む。弊社のアイドルは必ず売れるから、それまで待ってくれ」
軽口をたたき合いながら、二人は小さく笑った。
葵を見届けてから、莉子は近くの喫煙所に橘を連れていった。店先の植え込みに囲まれた、小さな灰皿スペース。電子煙草を取り出すと、莉子は迷いなく電源をつける。
「タバコ吸うんだな」
煙草に火をつけながら、橘は素朴な思いを口にする。
「うん。たまにね」
――そういう割には随分と慣れた手つきだったけどな。
橘はそんな感想を抱いたが、言葉にはしなかった。アイドルのイメージ戦略としてはマイナスだ。だが、それを指摘できるほど、自分も清廉潔白ではない。何よりも、今は少しだけ、ゆっくりとした時間を味わいたかった。
煙草を吸っている間、人は不思議と“素”が出やすい。
それまで張っていた肩の力が抜け、感情が自然体に近づく。カフェでの探り合いとは違い、ここには余計な装飾がなかった。
橘の吐く紫煙がゆるやかに上がる。街のざわめきが遠くに感じられた。
「俺さ、ちょっと意外だったよ」
橘がポツリと言う。
先の態度は、橘からすれば意外な対応だった。適性が無い、と無下にするのではないかと不安視していた。だが実際はその逆で、莉子は葵を気にかけている様子だった。
橘の素朴な感想に、莉子は眉間に皺を寄せる。
「なにが?」
「葵への態度。もっと冷たいのかと誤解してた」
「はあ? 十代の女の子相手に、そんなことするわけないじゃん。人のことなんだと思ってるの?」
「ごめんごめん。でも良かった。莉子が歩み寄ろうとしてくれるタイプで安心した。似た境遇って言ってたけど、そういう部分で――」
「ああ、あれ。嘘だから」
「え?」
「普通の一般家庭で生まれたし、別に苦労とかしてない。あの場の空気を読んで、それっぽいこと言っただけ」
莉子は淡々と言いながら、もう一口煙を吸った。
その横顔には、開き直りのような静けさがあった。
悪意のある嘘ではなく、言及することではないが、呆れるというか関心するというか、橘は苦い顔で笑った。
「ねえ、橘さん。葵は大丈夫だと思う?」
そう言って莉子は煙を吐く。
莉子は橘ではなく、その煙の行方を目で追いながら尋ねた。吐いた煙はゆらりと立ちのぼり、秋の冷たい風に溶けていく。
「どういう意味で?」
「全部。性格もそうだし、アイドルとしてやっていけるかってことも。あの子、きっと良い子だよ。緊張しながらも、ちゃんと人の話を聞こうとしてた。でも、それだけでやっていけるほど甘くない世界だよね。たぶん傷つくことの方が多いと思う。それでも、あの子に夢を見せるの? 責任とれるの?」
一瞬、言葉が詰まった。
正面から見つめてくる莉子の目に、冗談の色はなく、覚悟を問うものだった。
逃げ道を探したくなるほどまっすぐな視線。
橘はひと呼吸置いてから、未熟な思いの丈を言葉に乗せ始める。
「……正直、なにが正解なのか俺にはわからない。向いてるかどうかもわからない。けど、適性を磨くことが俺の仕事だ。やってみたいって言ってくれた葵のためにも、全力でサポートしたいと今は思ってる。責任は……とれない。ごめん。でもだからこそ絶対に成功させる。俺について来たことを後悔させないように尽くすよ」
橘の言葉に、莉子は少しだけ目を細めた。
「橘さんって言ってることに根拠がないし、大きいことばっか言うし、ろくでもない大人だよね」
「……言い過ぎだろ」
「でも、ちょっとだけ期待させてくれる。あの子も私も、自分が決めたことなんだから、自分で責任をとるべきってわかってるよ。ただ、どう考えてるか知りたかったの。もし責任とれるとかテキトーなこと言ったら、見限るとこだったよ」
橘からすれば物騒なことを、平気な顔で言ったあと、莉子は無邪気に笑う。その笑顔は年相応で、親しみを感じる色をしていた。
まだ少し、ほんの少しだろうが、認め始めてくれているようで、橘は悪い気分ではなかった。
「怖い試し方しないでくれよ。莉子の目から見て、葵はどう思う?」
今度は橘が問い返す。
自分には逸材だと思えた可能性の塊を、莉子がどう判断したのか知りたかった。
「さあ? そもそもアイドルとかよくわかんないし、葵がどうなるかもわかんない。向いてはないんじゃない」
莉子は媚びることも気をつかうこともなく、装飾のない感想を言う。淡白な感想であり、少し冷たさを覚えたが、言葉は続く。
「でも、ああいう子が報われる世界であって欲しいとは思う」
莉子は吸い終えた電子タバコを灰皿に捨てながら、淡い希望を短くもらした。橘も同様に、吸い殻になっていた煙草を灰皿に投げ入れる。
「それは同感だ。……そういう世界であって欲しい」




