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夢のはじまり

「これが世間に出たら大変だと思うんですよね。あなたは結婚していらっしゃいますし、これを知ったら奥様はさぞ悲しまれるんじゃないでしょうか」


 人気ひとけのないバーの片隅で、二人の男が対面していた。一人は視線を床に落とし口を閉ざしている。


 そんな男に、橘玲たちばなれいは“家族を心配するような”口ぶりで語りかけた。だが声はどこか上ずっていた。」


 親身になるかのような口ぶりだが、思いやりよりも緊張が強い。どこか地に足がつかない様子で落ち着きがない。


「……何が言いたい? はっきり言ったらどうだ」


 視線を落としたままの黙っていた男――加賀文明かがふみあきが、重い口を開いた。顔を上げて橘に視線を送る。いましめるかのような厳しさを含んだ視線に、橘は一瞬たじろぐ。


「え、いやね、別にどうってわけじゃないんですけど、ただ俺は心配だなーって。ほ、ほら、あなたは有名な方だから、色々と面倒なことになるんじゃないかなーと」


 自分の年齢の倍はある加賀の威圧感に、橘はわかりやすく動揺していた。権威に弱い小心者の性格が、早口な姿に表れている。


 本来であれば橘と加賀は二人で会うような関係ではない。そもそも知り合いですらない。そんな二人がこうして話しているのには理由があった。


 きっかけは一つの偶然からだった。

 加賀の不倫現場を目撃したことで全ては始まった。

 

 橘がバイトを終えて夜の繁華街を歩いていると、加賀が女と抱き合い口づけを交わす場面に遭遇した。


 加賀は一昔前に注目を浴びた音楽プロデューサーだ。今となっては過去の人として取り扱われることも多いが、当時はテレビにも出るほどの活躍ぶりだった。だから橘は加賀の顔を認知していた。加賀の妻が元タレントであることも知っていたので、とがめられる行為であることも直ぐにわかった。


 後日橘はSNSを通じてコンタクトをとった。通常であれば無関係な一般人からのメッセージなど取り合わないが、そこに自身の痴態ちたいが映っているとなると話は違う。橘はスマホで撮影していた画像を送り、こうして面談の場を設けさせたのだった。


 不倫が咎められる行為であることは論ずるまでもないことだが、他人を盗撮して脅迫まがいの行為も咎められるべき行為だ。


 橘自身それは理解しており、罪悪感を抱えながらこの場にやって来ていた。それでもこうして行動を起こしたのには彼なりの理由があった。


 橘は今年で27歳のフリーターだ。高校卒業後、定職に就かず色々なものに手を出した。ネットビジネスや投資、起業など、儲かりそうな臭いがする方向に飛びついていった。しかしどれもこれも上手くいかず、借金だけを抱える結果で終わった。


 自分は特別だ、自分は何者かになれる、そんな淡い理想を抱いていたが、現実はそれを拒んだ。自分は特別でもなんでもなく、ただの夢想家むそうかであったということを叩きつけられた。


 無力感にさいなまれたが、生きるためには働かざるを得ない。借金もあるため、休む間もなくアルバイトに追われる。現実を知ったことで自分の価値が揺らぎ、無気力に働く日々だった。


 そんな時にたまたま目撃した元有名プロデューサーのスキャンダル。これをきっかけに再起できるのでは、と誤った期待に後押しされながら橘は加賀を呼び出した。


 理由というにはお粗末な話だが、失うものの無い橘には覚悟があった。


「……金か? いくら欲しい?」


 意を決したかのように加賀が尋ねた。

 声からは下衆げすな脅迫に対する怒りが覗く。


「いえいえ! 違いますよ! それだと恐喝じゃないですか!」


「じゃあなんだ? はっきりと言いなさい」

 

「曲を作っていただけたらなーと」


「は?」


 加賀は驚きの声を上げた。


 恐らく金銭を要求されると思っていたのだろう。その証拠に、加賀のポケットには起動したボイスレコーダーが入っていた。恐喝の言質げんちをとろうとしていたのだろうが、橘がした要求はそうではなかった。


「はい。厚かましいことは承知していますが、天才音楽プロデューサー加賀文明さんの才能の結晶をいただきたくて」


「お前は何を言っているんだ? 本気か?」


「はい!」


 威勢の良いことを言いながら即答する橘に対し動揺する加賀。それもそのはず


「俺の専門は女性アイドル曲だぞ」


 そう。加賀が生業なりわいとしていたのは女性アイドルの楽曲。可愛くて愛らしい、いかにもアイドルソングといった曲を世に出して来た人物。目の前にいるのはアイドルソングがまるで似つかわしくない、安っぽくて華のない青年。そんな男が自分の曲を求めてくるとは想像もしていなかったのだろう。


 加賀の動揺をよそに、橘は自信満々の表情で返す。


「もちろん存じ上げています! 俺、アイドルグループを作ろうと思うんです!」


 ここから全ては始まる。

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