忠告はいたしましたのよ?
性質の悪い遊び
ベルメルカ・リュジルリェッタはある日唐突に前世の記憶を思い出した。
あらま、これって異世界転生ってやつ……?
なんて感じでざっくり把握したけれど、少なくとも今自分がいる世界が前世で見たり聞いたりしたような漫画やアニメ、ウェブ小説作品の何か、というわけではないなというのも理解した。
なんとなく似たような話はあったのかもしれないけれど、少なくともベルメルカの知る範囲ではなかった。
まぁ似たようなそれっぽい世界ってことね、と自分の中で折り合いをつけて、それだけだ。
前世の記憶を使ってなんかこういい感じに内政チートとか料理のあれこれとか、発明云々だとか。
そんな事をしようとは思っていなかったのである。
そもそも前世の自分は消費者側で生産者側になった事がなかったので、やるにしても何をどうすればいいのかよくわかっていなかったし。
ざっくりふんわりした知識だけで下々の者にこういう感じで~とかいう指示を出すにしてもだ。
あまりにもふわふわしたヒントでやれとか無茶振りすぎて言われた側だって大変だろう。
それができそうなポテンシャルを秘めた相手ならともかく、そうじゃなければとんでもねぇ無茶振りを貴族様から言われた可哀そうな平民の図になる。ベルメルカは自分がブラック企業の嫌な上司みたいなポジションにはなりたくなかったので、前世の事はそっと胸の内に秘め、今生きている世界で無茶をせず相応の生活をしていこうと決めた。
もしかしたら前世の知識のお世話になる事があるかもしれないが、積極的に知識をひけらかそうとかそこまでは考えていなかったのである。
大体何がどう役立つものかもわかってないので。
なるようにな~れ、の精神であった。
ベルメルカは公爵家の娘である。
将来は隣国の第三王子に嫁ぐ予定だ。
第三王子は臣籍降下して公爵となるので、結婚前後で生活の水準が変わるような事もない。
移動に時間がかかるので中々会う機会はないけれど、その分お手紙で一杯やりとりはしている。
ベルメルカの国でも、婚約者のいるお隣の国でも貴族たちは成人前に学園に通うのが義務付けられている。
他の国でもほとんどがそうだ。
学園は別に一つの国に一つだけ、とかではないので、特待生で平民が通う学園もあるらしいけれど、ほとんどの貴族たちは平民と関わる事がなかった。
ベルメルカの婚約者――ルドヴィックの手紙で兄が学園に通っていた時の話なのですが……といった感じで教えてもらった内容は、ベルメルカにとってはまるで何かのお話のようで。
「あらま」
読み終わった後思わずそんな声が出てしまったのである。
わたくしの通う学園にも、そういえば似たような状況っぽい方がいらっしゃるわね……と思い当ってしまったから、というのもある。
ベルメルカの通う学園には特待生で平民が、という事にはなっていなかったけれど。
平民から男爵令嬢になったという少女ならいた。
男爵が結婚前にメイドに手をつけて産ませたらしい少女。
結婚後、中々子供に恵まれず、そうこうしているうちに流行り病で男爵ぽっくり。
跡継ぎがいないと思いきや、そういえば以前メイドに手を出して……なんて話が使用人からチラチラリ。
そんな感じで捜索の果て、見つかった少女が引き取られたのである。
明るい金色の髪は光の当たり加減でほんのり淡いピンクにも見えて、新緑のような鮮やかな瞳はぱっちりと。鼻はすっと通っていて淡く色づいた唇と、顔の全体的なバランスが整っていてとにかく愛らしい少女であった。
今まで平民として暮らしていた事もあって、周囲の貴族令嬢と違い表情がコロコロ変わる。
それもあって、何かと目立っていた。
男爵令嬢の名前は、パルメラ・ゴスレゴラ。
生い立ちやら見た目やらでベルメルカはまるで何かの創作のヒロインみたいね、とは思ったものの。
やっぱりそんなヒロインに心当たりがなかったので、そこまで注目はしていなかった。
とはいえ目立つからか何度か学園で見かける事はある。
クラスが異なるのでベルメルカとパルメラが話をするような事にはまずならないが、それでも三日に一回は見かける感じである。
コロコロ変わる表情か、それともまだ貴族令嬢としての色々な拙さか。
それ以外の何かが殿方の心をくすぐるのか、パルメラはベルメルカが見かけた時毎回令息といた。
見かけた時に同じ令息と一緒であるのなら、特に何を思うでもなかったかもしれない。
けれど見かける度に違うお相手なのだ。
恋に恋する、とか花から花へ飛ぶ蝶のよう、とかそういえば色々言われていたの、あれ彼女の事か、と今更のようにベルメルカは気付いた。
婚約者のいない令息ならもしかしてこれから婚約するとか、その前段階の相性の良し悪しを見極めてるところかしら、とか思って終わりだったかもしれない。
けれど、ベルメルカの知る限り一緒にいた令息たちは婚約者持ちである。
あらもしかして、これってルドヴィック様のお手紙の内容にあったやつかしら……と思ってしまったので。
ベルメルカはおせっかいかもしれないわ、と思いながらもとりあえず、念のためパルメラに忠告をしようと思ったのである。
婚約者のいる殿方とあまり近づくのはよろしくありませんよ、という至って普通の忠告だ。
パルメラは貴族になったばかりだし、そういうの詳しくないままなのかもしれない。
それに元は平民だから周囲もどう扱っていいかわからず戸惑っている可能性もある。
ベルメルカは一応前世の記憶を思い出したから相手が元平民でちょっと無礼であってもまぁ、広い心で許しましょう、くらいの気持ちだった。
ところがベルメルカが声をそうやって声をかけたら、来たわね悪役令嬢! と臨戦態勢でのたまったのである。
…………あらま。
もしかしなくてもこの子、わたくしと同じ転生者だわ。
とは思ったものの、悪役令嬢も何もこの世界が何らかの創作と一致しているかはわからない。
自分も転生者だと明かしたところで話がこじれるだけな気がしてベルメルカはとりあえず、婚約者のいる男性ではなくいない相手と仲良くした方がいい、というのをふんわり伝えたのだけれど。
「婚約者のいない相手ってどこも大したことのない家柄じゃない。冗談じゃないわ。モブに用はないのよ」
と、やっぱり聞く耳持ってくれなかったのである。
「一応、忠告はしましたからね?」
とりあえずそれだけ言ってベルメルカは距離をとった。
それ以降パルメラと関わったりはしなかった。ただ遠目で観察していただけだ。
学園の中でパルメラは高位貴族の令息たちにちやほやされて、それはもう有頂天だった。
彼女を中心にハーレムでもできているのかというくらいだった。
令息たちの婚約者は当然面白くなさそうな雰囲気だったが、しかしベルメルカがパルメラに声をかけた事を知った彼女らはベルメルカから話を聞いて。
とりあえず静観する事にしたようだ。
最近流行りの娯楽小説の中には身分を超えた真実の愛、なんてものもあって、一見するとパルメラの状況はそれに似ている部分もあったけれど。
けれどベルメルカがルドヴィックから聞かされた話の内容のパターンもあるかもしれないので。
婚約者の令嬢たちは、まずパルメラに突撃するような事はせず、落ち着いて婚約者の令息たちとちゃんと話し合った方がいい、と諭されたのである。
その結果、それぞれの令息たちは決して娯楽小説のような身分を超えた愛、なんてものを楽しんでいたわけではなかったと判明した。
勿論パルメラはその事実を知らない。
知ったのは話し合った令嬢たちと、彼女たち経由で知らされたベルメルカである。
なんだかあまりにも不憫になってきたから、とりあえずベルメルカはもう一度だけパルメラに、
「身分とか考えて身の丈に合った暮らしをした方がいいと思いますよ」
と声をかけたけれど。
モテない女の僻み? と返されたので。
ベルメルカは忠告はしましたからねと念を押して立ち去ったのである。
モテないも何も婚約者がいますとは言わなかった。
この学園にいない相手の名前を出したところでパルメラは架空の婚約者とか作っちゃって頭おかしいんじゃない? とか言い出しそうな気がしたから。
ヒロインムーブしてる相手に何言ってももう無駄だわね、とベルメルカは完全に観客の立場として彼女の今後を見守る方向にシフトしたのである。一応、同じ前世持ちの転生者という事もあったからおせっかいをしただけで。
ベルメルカのパルメラに対する親切心はこの時点で売り切れた。
学園の卒業式が終わるとその後は成人を迎えた令嬢令息たちを祝うパーティーが始まる。
卒業式はともかくパーティーとなれば婚約者がエスコートしての参加だ。
婚約者が少し年の離れた相手であっても参加できるのであれば参加するし、そうじゃない場合は婚約者がいますよ、という証をつけての参加である。
そうしないと婚約者がいないと思われて下手にうちとどうですか? みたいな駆け込み結婚のお誘いがあったりするので。
ベルメルカの学園とルドヴィックの学園の卒業式は少しばかり日程がずれているので、少々忙しくなるがベルメルカは自分の学園で卒業式をした後はルドヴィックの所へ行く予定である。
勿論自分の卒業を祝うためやってきてくれたルドヴィックと一緒に。
パーティーにそれぞれの令嬢や令息たちが婚約者を伴って会場入りする中、案の定と言うべきかパルメラはぽつんと一人だけでの入場だった。
その後パルメラは騒ぎを起こしかけたので早々に警備の者たちに連れられて会場から出ていく羽目になったのだけれど。
ベルメルカはそれを見て「あーぁ」としか思わなかった。
ベルメルカがルドヴィックの卒業式後のパーティーに婚約者として参加するために次は隣の国に行くわけだが。それには少し時間がある。
具体的には二日ほど。
なので、早々に会場から追い出されたパルメラの事を散々パーティーを楽しんだ後でベルメルカが彼女の事を思い出して様子を確認しに行く程度の時間はあった。
何も犯罪を犯したわけではない。
そのため牢屋にぶち込まれたとかではないが、家に送り返されたので今頃はきっと、彼女を引き取った男爵家の者たちと修羅場を迎えているかもしれない。
男爵本人はぽっくり逝っているし、他の家族が家を継ぐにしても妻は嫁入りした時点でこの家の跡取りになれるわけもなく、というか男爵が死んだ時点で離縁してさっさと家を出ている。
男爵家に残されていたのは、とっくに引退していた男爵の父。つまりパルメラにとっての祖父である。
領地の端っこでのんびり過ごしていたのに出戻って、王都でせめてパルメラの婚約者を見つけようとしたものの、平民上がりと言ってもいい娘だ。
婿に来てもらえる相手が果たしているのか、と頭を悩ませていたらしいことは噂でベルメルカも知っている。
そしてパルメラは高位貴族たちにちやほやされていたのでその中の誰かと結婚できるものだと信じて疑っていなかったに違いない。
婿に来てもらえずともパルメラが嫁になって高位貴族の夫人となって子を多く産めばその中の一人が男爵家を継ぐ事もできるだろう、とか思っていた可能性はある。
しかし実際は。
誰も、パルメラと結婚なんてしなかった。
それどころか各々婚約者をエスコートして楽しげにダンスしてその後はワイン飲んで友人たちと楽しく談笑したりしていた。誰も、パルメラに見向きもしなかった。
令息たちは婚約者にドレスや装飾品を贈っていた。
けれどパルメラに卒業式後のそういった物を贈った者は誰もいなかった。
そのせいでパルメラは会場入りの際、以前にもらったであろうドレスを着ての参加だった。
それでも、男爵令嬢が着るドレスとするなら上等なものである。ただし、既にそのドレスの流行は終わっていたのでそれもあって余計に浮く結果となってしまったが。
ドレスも身につけていた装飾品も、かつてパルメラをちやほやしていた令息たちから貰った物ではあるけれど。
一つ一つの品は、上等な物だ。けれども、それらで着飾ったパルメラは、正直似合っているとは言えなかった。
パルメラの外見が、とかそういう話ではない。パルメラは自分が何らかの物語のヒロインだと思い込む程度には見た目だってそれっぽくはあったので。
単純に組み合わせが悪すぎたのだ。
ドレスも、イヤリングも、ネックレスも、靴や髪飾りだってどれもそれだけを見れば素敵な物だ。ドレスは若干流行遅れになってしまっているけれど、それでもそれ以外の飾りが統一されていれば、そこまで浮かなかったと思う。
だが、どれもこれも組み合わせとしては微妙極まりないもので。
酷い例えになってしまうが、赤い薔薇の中に一輪の白い薔薇が紛れ込むくらいならまだよかった。けれど薔薇の中に一つだけトーテムポールがある、と言われれば。
誰だってそりゃ浮くわとしか言いようがない。
そして、今までパルメラをちやほやしていた令息に言い寄ろうとしたものの、騒ぎの気配を察した者たちが早急に彼女を会場から追い出して家に連行してしまったので。
流石にパーティー終わりにパルメラの家に行く気はなかった。
結構な時間になっていたから。遅くに立ち寄る程気心の知れた仲ではないから。
なので翌日になって、一応先触れを出してからベルメルカはゴスレゴラ男爵家へと向かったのである。
案の定、家に連れ戻されたパルメラはどうして自分が追い出されたのかと怒り、癇癪を起こしたらしい。
部屋に戻され、外に出られないようにした上で頭を冷やすようにと祖父に言われていたパルメラだが、ベルメルカが話したいことがあるというので現在パルメラは応接室のソファに座っている。隣には祖父が。
向かいにはベルメルカと婚約者のルドヴィックが。
見知らぬイケメンにパルメラの表情がわかりやすく変わったものの、ルドヴィックはパルメラと視線を合わせるような事もなく、それどころかベルメルカといかにも親しい間柄ですと言わんばかりに密着している。
そのせいですぐにパルメラの表情はぶすくれたものへと変わった。とてもわかりやすい。
「やはりこうなりましたわね……」
思わず呟いたベルメルカに、パルメラの祖父でもあるトッゾは片眉を上げた。
「やっぱりって何よ、やっぱり貴方が仕組んだって事!?」
噛みつかんばかりのパルメラに、トッゾが「黙らんか」と頭にチョップを落とした。
ごっすといかにも痛そうな音がする。
「話が進まんからお前は黙っておれ」
「~~~~っ!」
文句を言いたいのだろうけれど、思った以上に痛かったのだろう。頭を押さえてうずくまっているパルメラの様子を見る限り、当分はおとなしいと思われる。
「まずこちら、わたくしの婚約者のルドヴィック様なのですが、隣国で今回のパルメラさんに似た状況があったというのを手紙で知りまして」
「ほう?」
「その、高位貴族の遊びらしいんですけれど、たとえば特待生でやってきた平民とか、身分が低い婚約者のいない令嬢とか、誰か一人を決めるらしいんです」
「えぇ、それで、決まったらその一人を徹底的にちやほやします」
「……ぇ?」
まだ痛いままなのだろうけれど、ベルメルカとルドヴィックの言葉にパルメラはぽかんと口を開けた。
「学園の中では決して二人きりにならず、あくまでも友人としての距離感で。
学園の外で会う場合でも、護衛や使用人といった供をつけての外出。行く先も劇や演奏会、美術館といった他に人がいるような場所」
「贈り物をする際も、自分の色を連想させるようなものは渡さず、また何度か贈る場合でもそれらが一式のセットにならないようあえてバラして」
トッゾの視線がパルメラへ向く。
パルメラはといえば、未だ頭を押さえたままではあるが顔を上げてベルメルカとルドヴィックを見ていた。ついでに口は開いたままである。
「心当たり、ありますよね?」
「え、あ……」
はくはくとパルメラの口が何度か何かを言おうとするが、言葉にはならなかった。
「彼らの遊びは、そうやって令嬢の反応を見る事でした。
決定的な恋仲と思われないように注意しながら接触し、そうして」
「君が、それでも相手には婚約者がいるからと令息たちから距離をとるか、それともそのまま彼らにちやほやされたままでいるのか。彼らは君の反応を楽しんでいただけ」
「実際、婚約者の事を蔑ろにしたりなどしていませんでしたもの。彼らは片手間で貴方に関わっていた。そして貴方はそれに気付かなかった」
彼らの目的は何か、と問われれば単純に相手の反応を見て楽しんでいただけとしか言いようがない。
ルドヴィックの国でもあった出来事は、そうやって将来有望そうな令息たち、それもいずれも高位貴族という相手に傅かれちやほやされる事で、相手がどうなるかというものだった。
何か裏があるに違いない、そもそも相手には婚約者がいる……! となってさっと距離を取れば、別に彼らも深追いはしないようだが、しかしそれを良しと受け入れているなら、彼らは愛玩動物を愛でるかのように一人の少女にちやほやするのだ。
決定的な愛の言葉などはかけないし、贈り物だって先程言ったように自分の色を連想させるようなものだとかは贈らず。
それでも勘違いしたならば、その後は大変な事になる。
もしかしたら今の婚約者を捨てて自分を選んでくれるかもしれない……! なんて夢を見ればもう最悪だった。
だって彼らは別に彼女を選ぶつもりなどこれっぽっちもないのだから。
ただ一時的に愛玩していただけ。
卒業式を迎えればそれが別れの時である。
そうなれば、夢を見てしまった娘にとってその後待っているのは地獄である。
何故って、自分が選ぶ側にあると思っていたとしても、その時点で誰も選んでいないのだ。
相手には婚約者がいるのだから、そうなれば卒業式後のパーティーは既に見たとおり婚約者をエスコートしての登場だし、自分とその女どっちを選ぶの!? なんてパルメラは言う前に退場させられてしまったが、仮に言えたところで令息が選ぶのは婚約者である。
逆ハーレムだと思い込んでも全然そんな事はないし、誰か一人に選ばれるにしても、卒業式前までにそういった言葉を誰かからかけられたわけでもない。
であれば、その時にあるのは、本来ならば関わる事もない身分の高い令息たちからちやほやされたという楽しい思い出と、その後に残る現実という地獄なのだ。
卒業までに婚約者のいない令息たちの誰かと知り合っていれば、自分にも結婚相手ができたかもしれない。
けれどいずれも婚約者のいる令息たちにちやほやされるだけだったパルメラは、そんな相手と縁を作る事もなかった。
結果として卒業式後のパーティーで、エスコートしてくれる相手もおらず一人での登場となってしまった。
婚約者ができなかったのは何もパルメラだけではない。
けれど、そういった相手は自分にそう言った相手はいませんよという証をつけていたし、家族の誰かしらにエスコートされて登場していたのだ。パルメラのように一人という事はなかった。
「なんでもその、昔から密かに伝わっている遊びらしいのです」
ルドヴィックが言う。
事の発端がいつからかはわからないが、それなりに昔から高位貴族の間で密かに行われる趣味の悪い遊び。
身分の低い女性一人に対してちやほやして、思い上がればそこでおしまい。けれども己を律して立ち去ればそこでもおしまい。
平民が相手であれば、贈り物をしたとして、それらを売り払って今後の生活費に充てるなどしたって構わない。それくらいの気持ちで彼らは自分の懐から程々に贈り物を用意していた。
婚約者に贈るための費用から手を出すなんて事は一切していない。
堕落するかしないか、そんな試練を与える天の御使いのような気分で。
下の身分の者などおもちゃにしたって問題ないだろうという、傲慢な考えで。
大勢が犠牲になっているのなら問題視されていたかもしれない。
けれども彼らはあくまでも紳士的に振舞って、別に性的な行為を強要したりもしていないしただ親切にして贈り物を渡したりしただけだ。たった一人に。
超えてはいけない一線を超える事は誰一人としてやっていなかった。
なぜ彼女だけが、と周囲にやっかみを受けたりする可能性は勿論ある。
けれどそれを相談されたとして、ではそこで彼らが彼女を助けるか、となるとそのつもりはない。
ならば、と彼女が距離を置くか、令息たちの方から離れていくかのどちらかだ。
もしそれでも彼女が周囲から嫌がらせを受けていたとしても、その時点でとっくに関係は切れている。
その先は彼女自身がどうにかするしかない。
「今回の彼らがどういう心境だったかはわからないけれど、私の国で起きた時のそれはどちらかといえば、野良犬や野良猫に餌付けをするような感覚だったそうです」
自分の周囲にいる動物にとりあえず餌をあげてみただけ。
でも自分で飼ってるわけじゃないから最後まで面倒を見たりはしない。
そんな気軽さで、一人の少女をちやほやしていたのだとか。
野良犬や野良猫が餌をもらったとしても、次もまた貰えるとは限らない。
飼い犬や飼い猫ならともかく野良となればそこら辺の世知辛さも把握しているだろう。ある程度の賢さがなければ野良生活はやっていけないので。
けれども人間は。
ちやほやされていたのが突然手のひらを返されてもそういうものとすぐに割り切れるはずもなく。
今までのあれやこれやが忘れられず……というのが多々あった。
勿論人によりけりなので、割り切れる者もいるだろう。
そういう者たちは今までもらったプレゼントをサクッと売り払ってそこそこの資金を得て何らかの活動を行ったりもしたのだとか。
「その……それをもっと早くに教えてはもらえなかったのでしょうか……?」
トッゾが如何ともしがたい、みたいな表情で問いかける。
だからこそベルメルカは答えた。
「忠告はいたしましたのよ?
ただ、そうしたらわたくしの事を悪役令嬢だとか、モテない女の僻みだとか言って聞く耳持って下さらなかったので」
「そう、今回の事だって別にこうして教えに来る必要はないと言ったのだけれど……そちらの令嬢はさておき彼女を引き取った貴方は原因も何もわからぬままではお困りだろうと思いまして」
ルドヴィックはパルメラの事をちゃんと紹介されたわけでもないので名前など一切呼ばなかった。
下手に名を呼んで知り合い扱いになったら面倒そうだなと思ったのも勿論ある。
パルメラに真実を明かすというよりは、そんな彼女を引き取って男爵家が断絶しないために……となっていたはずの祖父のためでもあった。メイド相手に孕ませた己の息子のやらかしの後始末を引退後にする羽目になったのは、まぁ貴方の息子のやらかしだし……と完全に同情はできないけれど、それでも引き取った孫娘がコレでは……と思ったのもあっての事だ。
ついでにパルメラの様子も一応確認しておこうか、というのも確かにあったけれど。
引き取った孫娘が貴族令嬢としては拙いなんてもんじゃなかったけれど、背に腹は代えられない。
せめて同じ男爵家の令息か、あわよくば子爵家あたりの次男三男あたりを捕まえてきてくれれば……と思っていたトッゾは、学園でパルメラが順調よ、と言っていたのをそこまで期待せず聞いていたのである。
なのでそのうちどこかの家から婚約の話が来るだろうと思っていたし、卒業式を控えてもそんな様子がないから大丈夫なのかと声をかけたもののパルメラは、ドレスや装飾品を贈ってもらったもの大丈夫、と自信満々だったから。
一体相手はどこの誰だと思いつつも、そもそもトッゾだって男爵といってもそこまで有能な貴族というわけでもなかったから。
上手くやってるわ、というパルメラの自己申告を信じるしかなかったのである。
何せ引退後、また出戻る形になったのだ。やる事は沢山あったし、昔とやり方が変わってしまったものもあった。パルメラの事までとてもじゃないが手が回らなかった。
ただ、贈られてきたと言ってもそれが卒業式後のパーティー用というわけではなく、それより前に贈られていたとトッゾが聞いていればもうちょっと気付く事があったのではないかと思うけれど。
でもまぁ、現役退いて余生を過ごしてただけの老人に復帰してまたすぐ現役バリバリな時と同じようにやれって言ったって流石に無理があるよな、とルドヴィックは内心で同情した。
ついでにベルメルカもどうにも彼女、自分の事を何かのヒロインだと思っていたでしょうし、いきなり引き取られた身内がこんなおじいさんじゃそこまで話をしたりもしてなかったんだろうなと思ったので。
意思の疎通もロクにできてなかったようね……としかしベルメルカはルドヴィックと違って特に同情はしなかった。
孫娘と言っても生まれた時から知ってるわけでもなく、突然ポンとその存在が明らかになったのだ。
家を潰さないための道具扱いにしても、元々貴族令嬢として育てられていたならまだしも平民として過ごしていた娘がトッゾの言葉を聞いてその真意を察して行動するとかあるはずもない。
パルメラからすれば自分に命令してくるだけの偉そうな爺さん扱いだろうし、トッゾからすれば見た目はともかく中身は令嬢としてはあまりにも……と思うようなほぼ赤の他人。
せめてパルメラがもうちょっと従順な性格をしていれば……とは思ったが、場合によってはやはりずるずるとその場の勢いに流されて令息たちのおもちゃになっていたのではなかろうか。
いや、でもその場合ならベルメルカの忠告をもうちょっと素直に聞いてくれていたかもしれない。
結局のところ、もしもの話をしたところでどうにもならない。
何故って事態はもう起きてしまった後だから。
「そんなわけで彼女、学園で婚約者のいないお相手と縁を繋げるような事もなく、友人も作っていないので。
他の伝手を頼るのも難しいと思いますわ。
それでは、わたくしたちはこれで」
一応事情を知らないであろうトッゾに伝えるだけは伝えたので、その後の事はベルメルカやルドヴィックがどうにかする事でもない。
そもそもの話ゴスレゴラ家はそこまで歴史があるわけでもなければ、資産もそこまであるわけではない。
一応貴族ではあるけれど、別になくなったところで困る程の影響力があるわけでもないといった家だ。それはゴスレゴラ家に限った話ではないけれど。
パルメラに跡を継がせるにしても、貴族令嬢としても拙いままだった彼女が男爵家の女当主になりましたよ、となったところで社交界に出た時点で場合によっては他の家にぷちっと潰される可能性が高い。それならいっそ爵位目当ての金持ち商人とパルメラを結婚させた方がマシかもしれないな、とベルメルカは思った。
爵位を返すとなればトッゾも平民になる。そうなれば彼はあの年で今後の生活のために働かなければならない。それは流石に厳しいだろうなとも。領地からの収入で慎ましやかであれど生活できているなら、今のままを維持する方法を選ぶのは想像に難くない。
「まぁ、でも。
あの方がどのような選択をしたところで、パルメラさんにとっては大変でしょうね」
「わざわざそんな事まで気にしてあげるんだ、ベルは優しいね」
「まさかそんな。おせっかいにも首を突っ込んだだけですから、この後何かをしようなどとは思っておりませんわ」
トッゾが平民になったならパルメラも平民に逆戻り。
トッゾが貴族のままを選ぶにしても、その場合もうパルメラは結婚相手を選ぶ事などできるわけもなく。好きでもない相手と無理矢理結婚させられて好きでもない相手の子を産まなければならなくなる。
前世の価値観があるならそう簡単に受け入れられないかもしれない。
こんな生活嫌よ! と仮に家から逃げ出すにしても、果たして行くアテがあるかもわからない。
平民に逆戻りしたとしても、今まで散々顔の良い男たちにちやほやされてきたという過去のせいできっと色々と比べてしまう。
トッゾは残り僅かな余生だ。平民になるという道を選ぶ可能性は低い。そうなればそのための犠牲になるのはパルメラである。
(今引き返したら、あの家の中で二人で殺し合いとかしてたりしないでしょうね……)
そんな嫌な想像をしてしまったが、仮にそうなったところでどちらが生き残ったとして結局そこにあるのはさして明るくもない未来だ。
パルメラが忠告をきちんと聞いてくれていれば。あの時点でそれってどういう事? と聞き返してくれていたならば。
そうしたらまだどうとでもできたかもしれないけれど。
(どっちにしても今更なのよね……同じ転生者だからって、彼女の人生まるごと背負うつもりわたくしにだってないわけですし)
明るい未来が全く見えないけれど、パルメラにはせめて少しでもこの先逞しく生きていってほしいものだ。
「ベル、折角だからお土産を買って帰りたいんだ。選ぶのを手伝ってもらえるかな?」
「えぇ勿論。喜んで」
ゴスレゴラ家からの帰り道、ルドヴィックにそう言われ、ベルメルカの中からパルメラという少女の存在はこの時点で綺麗さっぱり消え去った。
あくまでも同じ転生者というだけの、友人ですらなかった少女の存在なんてそんなものである。
割りのいいパパ活だと思えばボロい商売だったかもしれない(酷)
次回短編予告
偽物聖女め、真の聖女は彼女だ!
そんな感じで巻き込まれかけた令嬢の話。
次回 真の聖女とばっちり未遂事件
投稿は近日中。