執事から見た景色
第二王子の婚約者、公爵令嬢ミレンシアの傍にいた執事アルトから見た景色
「アルト、この子がミレンシアよ。可愛いでしょう。お願いだから、この子を守ってあげてね。わたくしは長くは生きられないのだから」
そう言って、ソニア様は微笑んだ。
私が一生かけて愛していたあの方は、ソニア様ただお一人。
ソニア様のお言葉に従ってミレンシア様をお守りし、傍にいただけ……
あの方のように真っ白な夏の花が眩しくて。
出会った時もあの白い花が咲いていたと……
ふと、馬車の中から窓の外を眺めながら懐かしく思い出していた。
アルトが両親を亡くして、アデルトス公爵夫人に引き取られたのが10歳の時。
アルトの両親 ディセル伯爵夫妻は事業に失敗し、多額の借金を抱え、毒を煽って自殺をした。行き場を亡くしたアルトを引き取ってくれたのが、アデルトス公爵夫人だったのである。
アデルトス公爵夫人、ソニアは、
「ディセル伯爵夫人とは学生の頃、親しくして頂いたのよ。だから、行き場を無くした貴方の事を見ていられなくて。養子にするわけにはいかないの。だけれども、公爵家に置いて、きちっとした教育を受けさせて、食べるのに困らないようにしてあげるから、心配しないで」
そう言って、抱き締めてくれたソニア。
両親が毒を煽って、居間で死んでいたのを見てショックを受けていたのに加え、借金のかたにと、伯爵家も追い出されて、途方にくれていたアルトは、ソニアの腕の中でやっと泣くことが出来た。
大声で泣くアルトを優しくソニアは抱き締めて、慰めてくれて。
その日から、ソニアの為にアルトは命を捧げると決意をしたのである。
アデルトス公爵は夫人であるソニアを溺愛していて、アルトを引き取る事は賛成しなかった。だが、どうしてもソニアが譲らなかったので、渋々、公爵家にアルトを置く事を認めたのだ。
「使用人としてならお前を置いてやる。しっかりと勉学に励み、我がアデルトス公爵家の為に役立つ人間になれ」
「かしこまりました。旦那様」
ソニアはアルトに特別に家庭教師をつけてくれて、アルトは一生懸命勉学に励んだ。
一年後、ソニアは可愛い女の子を出産した。
「わたくしの可愛い娘、ミレンシアよ。どうか、アルト。ミレンシアを守ってあげて。わたくしは長く生きられないのだから」
元々、身体が丈夫でなかったソニア。
度々、寝込むようになってしまっていて。
それでも、ミレンシアが3歳の時までは、ソニアは生きていたのだけれども、冬に流行った風邪にかかりあっけなく亡くなってしまった。
アデルトス公爵の嘆きは深くて、残されたミレンシアを抱き締めながら、
「ああ、愛しいソニアが、私達を残して逝ってしまった。ああ、ソニアソニアっ」
葬儀へ来た人たちの前で、外聞も何もなく、泣き叫んだ。
ミレンシアも涙を流しながら、泣いて泣いて泣いて。
アルトはただ、そんな二人を見ている事しか出来なくて。
自分を可愛がってくれたソニア。
涙がこぼれる。
そして、誓った。
あの人が自分に託したのだ。ミレンシアを守って欲しいと。
アルトはミレンシアに一生、捧げる事を誓った。
アルトはアデルトス公爵家の、ミレンシア専用の執事になった。
ミレンシアの為に、懸命に働く。
ミレンシアは16歳の時、この王国の第二王子ディアトとの婚約が決まった。
アルトは27歳。黒髪黒目の背の高い男に成長した。メイド達から、アルトはとても美しいわね。と、迫られることが増えたが、軽く躱しておく。
ミレンシアも潤んだ目で、事ある毎に、
「わたくしはアルトと結婚したいの。あんなチビで、口うるさいディアト様なんていや」
そう言って、アルトを困らせた。
ディアト第二王子殿下との初顔合わせの時も、
「この人はわたくし専属の執事のアルトですわ。傍に控える事を許して頂きたいのです。だって、彼はわたくしの手足となって、わたくしの為に動いてくれる執事なのですから。わたくしの事は全て把握したいと言っておりますの。お許し下さいますわね」
「アルト・ディセルでございます。ミレンシアお嬢様の執事をしております」
初顔合わせの時に、アルトもミレンシアに付き従ったが、ディアト第二王子はアルトの顔を見て明らかに嫌そうな顔をした。
そりゃ当然だろう。婚約者の傍に、若い執事なんぞいれば、いいものではない。
それを解っていても、アルトはミレンシアの傍にいることがやめられなかった。
ソニアが守ってやってくれと、自分に頼んだのだ。
白い可憐な花のような、ソニア。
自分を引き取ってくれて、きちっとした教育を施してくれたソニア。
ミレンシアと距離を取って、第二王子と親しくするように進言するのが、公爵家の為でもあるし、ミレンシアの為でもある事は解っている。
アルトとの結婚は、アデルトス公爵が許さないだろう。
アルトは今や、平民である。
ミレンシアが自分に執着して、良いことなんて一つもないのだ。
それなのに、どうしても、ミレンシアから離れられない。
あの人が望んだから、あの人の忘れ形見だから。
ミレンシアが時折見せるあの表情が、亡きソニアにそっくりで、
アデルトス公爵もミレンシアを凄く甘やかしている。
あの後、アデルトス公爵は後妻を貰った。伯爵家の令嬢だ。
後妻の夫人は厳しい人で、ミレンシアに対して、よく小言を言っていた。
「貴方はアデルトス公爵家の長女で、第二王子殿下を婿入りさせ、この公爵家を継ぐのです。アルトを首にしなさい。アルトを傍において、第二王子殿下がよく思わないはずないでしょう」
すると、アデルトス公爵が言うのだ。
「アルトはソニアが引き取った男で、ミレンシアがアルトが傍にいないと嫌だと言うのでな」
ミレンシアも頷いて、
「お義母様。わたくしはアルトが執事でいてくれて本当に心が安らいで、幸せなのです。ですから、アルトを首にしないで。お願い。もし、アルトを首にしたらお義母様がわたくしを虐めるって社交界に広めてやりますわ」
そう言われれば、現アデルトス公爵夫人も黙るしかなかった。
公爵との間に、ミレンシアと5歳違う妹のリアーテがいる。
リアーテは幼いながらも、優秀な令嬢で。
アルトはリアーテが嫌いだった。
いい子ぶって、影ではミレンシアを馬鹿にしている。
アルトに対して、
「お姉様も馬鹿だわ。アルトなんて傍に置いて。未婚の公爵令嬢が、美しい男性を傍において、第二王子殿下がよく思うはずないとわたくしは思うわ。アルトは何で、お姉様の傍にいるの?出ていくか、お姉様付きをやめればいいのに」
まだ11歳の子供であるリアーテに、辛辣に言われたが、アルトは、
「わたくしは、ミレンシア様の傍にいてお守りしたいのです」
「でも、このままじゃ、第二王子殿下に嫌われて、婚約破棄されるわよ。お姉様を破滅させたいの?お姉様も馬鹿だとは思うけど」
「それでも、私は、離れられないのです。ミレンシア様の為に働きたいのです」
ミレンシアの傍にいないと、ミレンシアの為に働きたい。ミレンシアミレンシア。
いや、ミレンシアの姿に、ソニアの姿を重ねている。
白い花が似合ったソニア。
遠い日の初恋。
だから、ミレンシアの為に、誕生日パーティも企画した。第二王子殿下抜きでである。
ミレンシアの仲の良い令嬢達を招待した。
ソニアは、白い大輪の花が好きだったが、白いカスミソウも好きだった。だからアルトは白いカスミソウが好きだ。
そう言ったら、ミレンシアも、
「わたくしも白いカスミソウが好き。アルトの事も好きよ」
そう言って、抱き着いてきた。
このままではよくない。
それでも、アルトはミレンシアから離れられなかった。
このまま、破滅が待っている。そのような予感を胸に抱えながらも。
ミレンシアはアルトに抱き着きながら、
「あの第二王子を婚約破棄してやりたい。どうしても嫌なの。わたくしは貴方と結婚したい。
第二王子が浮気をしてどうしようもない男だと解れば、第二王子有責で婚約破棄して、貴方とわたくしは結婚出来るかもしれないわ」
「いえ、私は平民。それはないと思いますが」
「わたくし、夢をみたのよ。第二王子がどうしようもない屑で、男爵令嬢と浮気をして、わたくしを婚約破棄を冤罪で訴える夢。でも、それは冤罪だから、第二王子が有罪になって、何故かお父様が、貴方との結婚を許してくれるのよ。ああ、ともかく、アルト、第二王子をはめて頂戴。男爵令嬢を近づけて浮気をさせて。お願いよ。アルト」
抱き着かれて、上目遣いでそう言われれば、
「かしこまりました。お嬢様」
そう言うしかなかった。
手を回して、男爵家に養女に入ったフィリア・セダスという女生徒に、接触した。
禁じられている魅了の魔道具を手に入れて、多額の報酬と共に、フィリアに使うように命じた。
人目のつかない場所で、フィリアと会ったアルト。
フィリアは上目遣いで、胸を押し付けて来て、
「ねぇ、貴方と仲良くなりたいの。それも報酬に加えてくれたら、私、言う事を聞くわ」
アルトはフィリアを抱き締めて、唇をむさぼっていた。
誰と寝ようと、かまわない。自分の心はソニアの元に置いて来てしまったのだから。
フィリアとベッドで寝ながら、アルトは、第二王子への接触の仕方を教え込んだ。
結果、第二王子に魅了が見破られ、フィリアは失敗し、騎士団へ捕まった。
あの魅了の魔道具は、いざという時に背後がばれないように、使用者を自殺させる機能がついている。
フィリアはアルトの事を白状する前に自殺をした。
ちっとも心が痛まない。
そんな中、ミレンシアが、
「もう、耐えられないの。アルト、わたくしを連れて逃げてっ」
そう言われたので、ミレンシアを連れて、屋敷を出た。
本当に顔はソニアに似ているのだけれども、愚かなミレンシア。
公爵令嬢がいくら自分が一緒だからって、市井での生活が耐えられるとは思えない。
そう解ってはいたのだけれども……
しばらく、家を借りてミレンシアと暮らした。
アルトは、酒場の給仕の仕事をして、生活を支えたのだけれども、
公爵家の食事と違って、豪華な食事など用意も出来ず、アルトが仕事している昼から夜にかけて一人放っておかれる生活にミレンシアは苦情を言い出した。
「公爵家に帰りたいわ。こんな生活嫌。食事はまずいし、洗濯掃除なんてわたくしには出来ない。いくら、愛しいアルトと暮らせるからって、わたくし耐えられない」
そうベッドでミレンシアを抱いてやっても、さめざめと泣くのだ。
「そうおっしゃられても、お嬢様。私はお嬢様を養うので、今の生活が精一杯です」
キスをして宥めておいたが、翌日、仕事から戻ってきたらミレンシアはいなくなっていた。
公爵家に戻ったのか?戻ったならいいが、さらわれでもしたら。
心配になって、アデルトス公爵家に向かった。
そして、見慣れぬ馬車と、ガタイのいい男達が数人、門の前にたむろしているのが見えた。
アルトが近づいたら、声をかけられた。
「アルト・ディセルだな?」
「お前達は?私に何の用だ」
「お前を連れて行く。辺境騎士団へな。第二王子殿下の命だ」
辺境騎士団?
第二王子殿下の命?
邪魔な自分を第二王子は排除したのだろう。
ミレンシアの傍にいてはいけない。
頭では解っていても、ソニアが微笑みながら言うのだ。
ミレンシアを守ってあげてね……
傍にいたら破滅することは解っていた。
離れなければいけなかったのに。
ソニアに似ているミレンシア。その面影を求めて、離れることが出来なかった。
ああ、ソニア様。ソニア様。ソニア様。
体格のいい、騎士達に馬車に乗せられる。
アルトは騎士達に確認した。
「ミレンシア様は無事にお戻りになられたのか?」
「ああ、公爵家に戻ったが、修道院へ行ったぞ。あの女、屑だな。こう言っていたらしいぞ。アルトとの生活が苦しくて。こんなに市井の生活が大変だなんて思わなかったわ。いつも食べていた食事も、市井の者の食事って美味しくなくて。それにわたくし、洗濯掃除なんて、出来なくて。こんな生活嫌。いくら愛しいアルトが一緒だからって、だから戻って来たの。ねぇ、わたくしが、婚約者に戻ってあげるわ。だから再び婚約致しましょう。だと。酷い女だ。第二王子殿下はリアーテ様と婚約したぞ。あの女は修道院行きが当然だろう。お前も愚かだな」
「ハハハハハ」
思わず笑えた。自分がミレンシアを破滅に追い込んだのだ。
そして、涙が出た。
どうしても離れられなかったから、彼女を修道院行きにさせてしまった。
本当に守ることが出来なかったのだ。
両側を囲まれて馬車の椅子に座る。
自分に待っているのはろくでもない人生だろう。
それでも……
窓の外を眺めれば、あの夏の日に見た白い花。
まるで好きだったあの人のような。
ソニア様のいなくなった時から、自分の人生は終わっていたのだろう。
白い花の元、泣く自分を抱き締めてくれたソニア。
ソニアとの思い出さえあれば、もう、何もいらない。
夏雲の下、馬車はアルトを乗せて辺境騎士団へ向かうのだった。