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全ては推測の域を出ない話だった。
公平の妹・麻耶の交通事故が本当に自ら死を選んだ結果なのか、彼女の許嫁だった男の真意すら、今更、確かめる術は無い。
麻耶の病についても、原因はわからないままだ。敢えて深く詮索しない姿勢が行政の側にある限り、永遠に判明する事は無いだろう。
そんな曖昧さが、13年間、この地方に住む人々の毎日を覆い、時に残酷な形で心を蝕んでいく。
声を潜め、誰かが待っている。
誰もが疲れ果て、誰もが抗う意欲を失い、甘い忘却の奥底へ逃げ込んでしまう時の訪れを。
「それでも、尚、記憶の棘は不意に蘇ります。大抵は一番厄介な形でね」
休憩室の簡素なスツールの上で体を丸めていた公平が、ふと大きく肩を竦めて見せた。
「お偉いさんがどう言おうと、科学的見解がどうだろうと、甲状腺異常と事故の関わり、その可能性を世間は忘れてくれません。避難区域に留まる間、妹が被曝していたリスクを彼の親は恐れたのでしょう」
「おい、そんな馬鹿な話は無ぇぞ!」
憤りを抑えきれず、常田は話に割り込む。
「富武の人間が、どれだけ放射線へ注意を払って来たか!? その苦労を知りもしねぇで、よぉ」
「それなりにわかってるんじゃないですか? 明るく、前向きなドキュメントが、毎年、流されてますからね、テレビで」
「それなら……」
「よそ事で済むなら、幾らでも綺麗事は言える。美談で片付けられますよ。でも、いつか産まれる孫が被爆の影響を受ける可能性は決して無視できない」
「そんなもん、ゼロに等しいだろうが!」
「理性的にどうこう、では、ないんです。全て曖昧だからこそ、厄介。恐怖は理不尽で残酷な感情ですから」
公平は苦そうに麦茶を舐め、尚、静かに言葉を継ぐ。
「交通事故に遭う前の日……僕の前で妹は呟いたんです。まるで何も無かったみたい、って」
「何も、ない?」
「恋人もその両親も、ひとしきり同情した後、さり気なく身を引いた。復興を旗印にする優しい時の流れの中で、不都合な真実が色褪せ、忘却を受け入れてしまいそうな自分が怖い、と」
気持ちを抑えられなくなったのだろう。
ポーカーフェイスの仮面が割れた。
公平は表情を大きく歪め、天を仰いで絶句する。握り絞められた右手の紙コップがひしゃげ、散らばった麦茶の滴で床が濡れていく。
「あいつ、ひどく泣き虫なのに、涙一つこぼさず……枯れていたんだ、あの時はもう」
前向きなメッセージのポスターが壁を覆う只中、エアコンの音だけ、妙に響いて聞こえる。
二人が沈黙する間、テーブルに置かれたノートパソコンの画面から、アバターの少女がこちらを見つめていた。
忘却が怖い……
忘れ去られていく冥王星の名をロボットに付けたのは、麻耶の想いを継ぐ為だろうか?
建屋にいる機体を電子機器で追尾できるのと同様、こちらの音をAIの側から拾えるのかもしれない。
サブウィンドウの中で、少女が唇を噛んでいる。
作り主の怒り、哀しみを共有し、その心情を思いやっている様にしか、常田には思えなかった。
「交通事故の後、あいつの気持ちをもっと知りたいと思いました。震災時、東北にいなかった僕が、安全な東京で、半端に判った顔をするのは酷い偽善に思えた」
「だから……お前は今、ここにいるのか」
「来て、良かったです」
多少は落ち着いたらしい。
潰れた紙コップを無造作にゴミ箱へ投げ、公平はアバターの少女へ微笑みかけた。
「常田さんの様に、富武の現実と戦い、共に生きる途を模索する人達もいる」
「ああ」
「その姿を知ろうとせず、あやふやな恨みだけ募らせるのは、見たいものしか見ない偽善とさして違いはありませんから」
言葉はそこで途切れ、常田も口を閉ざす。
何を言って良いか、わからなかった。
この時の公平は、俯いたまま歯を食いしばり、近寄りがたい頑なささえ漂わせていたのだ。
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