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 免震棟の隣に設けられた休憩所のドアを開けると、まず強い空気が全身へ吹き付けられる。


 エアコンを使って屋内と屋外の空気圧を変え、外気の侵入を阻む仕組みである。防護服も入口で着替えねばならない。

 

 同時に身に付けたAPD(電子式線量計)の値をチェック。作業時間中、どの程度の放射線を浴びたか確認する。

 

「あの大地震から十年以上経ってるのに、随分と手間を掛けるもんですね」


「まぁな。ここの基本的なルールはあれから、ずっと同じ。大きく変わってねぇ」


 どっこいしょと休憩所のベンチに腰かける常田へ、軽装になった公平は疲労の滲む顔を向けた。


「俺、被曝量のチェックは、特に気にならねェけど……」


 常田は少し口ごもり、コンビニのレシートにも似た合計被曝量のチェックシートを手の上で弄ぶ。

 

「受けた放射線の量ってのは、作業員ごとに集計されて、毎日足されていく。んで、ある量に達したら最後、もうここじゃ働けなくなるのよ」


「クビ、ですか?」


「ウチの会社はそこまで薄情じゃない。俺の場合、一応、正社員だからなぁ。配置転換じゃねぇかな」


 話す内、威勢の良い常田の口調は沈み、伏目がちになった。


「本音は何処にも行きたくねぇ。ここで頑張りてぇよ」


「特別手当が付きますもんね」


「……バカ、それだけじゃねぇ。それなりの覚悟があンだ」


「被曝、怖くないんですか?」


「う~ん、怖ぇは怖ぇ」


「ですよね?」


「けど、偉い学者さんの意見だって分かれてるそうじゃねぇか。放射線は人体のDNAを活性化するから、前より元気になるって人もいるンだろ」


「良く御存じで」


「ま、こんな仕事してっから」


「ソレ、ミズーリ大の教授によるホルミシス効果の話です。低線量の場合に限り……確か毎月100ミリシーベルト前後の放射線を被曝するのが、人体にはベストとする学説だった」


「ほぉ」


「温泉に含まれるラドン等の影響ならともかく、原発の放射線には到底当てはまりませんよ。毒は少量なら薬になる、的な理屈から発しているし」


「眉唾って事?」


「この場合は」


「ちぇっ、なんでぇ。俺も、ちっとはガクがあるとこ、見せたかったのによ」


「そもそも、天然の放射線を浴びる事と、原発事故から生じた放射線の被爆を混同する事が無理なんです。初めから」


 むくれて頬を膨らませる中年男に呆れたか、肩をすくめる公平の唇に微かな苦笑が浮かぶ。


「何しろ俺、ウチの会社、信じてぇしな。故郷も必ず蘇るって心底思う……いや、思いてぇのよ。目に見えねぇ放射線の影響なんざ、五年後か十年後、元通りになった町で笑い飛ばしてるに違いねぇ!」


 常田は一気に思いを吐露し、休憩所に置かれた魔法瓶の麦茶を、コップに注いで飲み干した。

 

 公平も飲んで、ふっと溜息を漏らす。

 

「僕……ここへ来て良かったです」


「え?」


「ここで毎日闘っている人の間にも様々な立場があり、思惑があるんですね。現実に打ちのめされ、被害者として苦しみに沈むばかりじゃない」


「そりゃそうよ」


「この仕事が終わる頃、僕……あいつの気持ちも判るかな」


「あいつ? この辺の住民に知り合いでも?」


 その質問に公平は唇を噛んだ。

 

 気持ちの中を整理しきれていないのか、躊躇や苛立ちが表情に浮かんでは消える。

 

 妹、と公平が呟くまで、およそ一分近い時が必要だった。

 

「妹って、つまり、その……交通事故で怪我したっていう」


「地震が起きた十三年前、僕達の祖母は富武市郷間村で一人暮らしをしていました。郷間はいわゆる過疎村。それに若干ながら痴呆の兆しも出ていたんです」


 公平はポケットの札入れから一枚の写真を取り出し、常田に手渡す。






 それは地震が来る少し前に撮影された物なのだろう。


 野草の目立つ質素な庭に、腰の曲がった老婆が佇み、初春の淡い日差しを浴びたコブシの花を見上げている。

 

 常田は、公平の妹が撮影したのだろうと思った。


 何故なら、老婆の横顔が安心しきった笑みを湛え、真っ白い花を一心に愛でていたからだ。

 

 背後には新緑萌える山々が連なり、旺盛な命の躍動を示す。


 今は何処にも無い寒村の景色が、過去の断片として尚、写真の中で鮮やかに息づいていると思えた。

読んで頂き、ありがとうございます。

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