8.突然の求婚
「ようこそお越しくださいました」
満面の笑みで第一王子に握手の手を差し伸べているのはアーサーの病院の院長だ。
あの日のランチでは結局、フェリシティはなにも言い出すことができず、アーサーもなにも言わなかったことから婚約解消への進展はなかった。
今は王族来訪前の大事な時、プライベートなことは全て終わってからにしましょう。
つまりは逃げの一手、フェリシティは問題を先送りにすることを選択した。
今回の王族による訪問は王弟主体で勧められてきたが、公務の練習をさせたいという意向を受け、幼い第一王子も同行することになった。
王位継承の序列は彼が第一位、そのため、この一団の代表は第一王子ということになり、十歳という年齢にもかかわらず彼が院長の歓迎の挨拶を受ける立場となる。
「ブライトン医師の提唱に感銘を受けまして、ご多忙とは思いましたがこうして訪問させていただきました。よろしくお願いします」
大人顔負けの口上に、やはり王族は違うのだ、と院長をはじめとする病院側の人間はそう思った。
殿下の言葉を受け、アーサーが前に進み出る。
「アーサー・ブライトンです、わたしのレポートが殿下のお目に留まるとは光栄です」
「あなたがドクター・ブライトンですね?お会いできてうれしく思います」
ふたりが握手を交わしたところでフェリシティは言った。
「早速ですが、病院内をご案内いたしたく思います。院長、どうぞよろしくお願いいたします」
「殿下、こちらへ」
院長の声掛けで王弟殿下とそのご一行がぞろぞろと移動したところでフェリシティは腕時計を確認した。
「院内を見学したあとはカフェテリアだな」
フェリシティに声をかけたのは王弟のリカルドだ。彼は第一王子の保護者として今回の訪問に参加している。
王子が公務を始めるのに十歳という年齢ではまだ早いのだが、陛下の健康状態が芳しくないようで、王宮では予定を早める動きを見せている。
まずは国内の小さな公務から慣れさせていこうということで、今回の慰労訪問はちょうどいい練習台になったというわけだ。
フェリシティは早朝、彼らがこの町に到着した時点ですでに挨拶をすませてある。
その際に改めて、今回は王子の練習の場であることを念押しされ、リカルドは彼をフォローする立場で参加するという説明を受けた。
王弟であるリカルドがホステス役のフェリシティに気安く話しかけるのにはこういうわけがあった。
「殿下が予定通り到着されたことを伝えてまいります」
「俺も行くよ、様子を見たい」
ふたりは並んでエレベーターへと向かい、扉が開いたところで中に乗り込んだ。
「王子殿下とご一緒されなくてもよろしいのですか?」
「俺以外にもお付きの者は大勢いるからな」
フェリシティの問いにリカルドは笑った。
四階に到着したところでエレベーターが開き、看護師が乗り込もうとした。
「まぁ、ミス・トランド」
それはステラだった。今日のフェリシティが王族の世話係であることは病院内のスタッフに通達が出されている。
となるとフェリシティと一緒にいる人間はその関係者であり、平民が近づいていい相手でないことになる。
ちらりとリカルドに視線を走らせ、同乗してはならないことを悟ったステラは、
「どうぞ、行ってください」
と遠慮した。
しかしそれをリカルドが止めた。
「仕事の邪魔をするつもりはないよ、さぁ乗って」
驚いた顔をしたステラだったがフェリシティが小さくうなずいたのを見て、エレベーターに乗り込んだ。
「すみません、ありがとうございます」
間もなく扉が閉まり、エレベーターは上階へと向かって動き始めた。
「君がドクター・ブライトンの右腕の看護師か」
突然のリカルドの言葉にステラはもちろん、フェリシティも驚いた。
「わたしのこと、ご存じなのですか?」
「もちろんさ。美しい白衣の天使と優秀な医師のコンビネーションは群を抜いているって、界隈じゃ有名だよ」
リカルドの言葉にステラは少し頬を染めつつも、
「そんな。わたしの力なんて大したことありませんわ」
と謙遜してみせた。
「そんなことはない。ブライトン医師には君のような女性が必要だってもっぱらの評判さ。もっと自信を持つといい」
「ありがとうございます」
ステラは嬉しそうに微笑んでアーサーの診療室がある八階で降りていった。
扉が閉まり、再びふたりきりになったところでフェリシティはリカルドに聞いた。
「どういうおつもりですか?」
「なにが?」
「とぼけないでください、アーサーの何が知りたくてお調べになりましたの?」
学会で素晴らしいレポートを提出した医師が有名になり、注目を浴びることはよくあることだ。
だが、その助手が誰かなんて広まったりはしない。つまり調べないとわからないことだ。それを知っていたリカルドはアーサーを調べたのだ。
王弟の彼がなんの企みもなくアーサーを調査したとは思えない。
フェリシティはアーサーの身を案じて質問をしたのだが、その答えは予想外過ぎた。
「俺の興味は君にある」
「なんですって?」
「トランド家は古くから王家に仕える重鎮だった。惜しくも爵位を返上してしまったが、今もトランドは多くの貴族とつながりを持っていて、社交界への参加権がないというだけで常に話題の中心だ。
そのご令嬢が婚約者とうまくいっていないという噂が出回れば、取り込もうとする勢力が現れるのは当然じゃないか?」
「おっしゃられている意味がわかりませんわ」
王族を前にしているからか、フェリシティの口調が令嬢のそれに戻っていることに気づけないほど、彼女は動揺していた。
「君の恋人のアーサー君はステラに乗り換えようとしてるとか?君が捨てられたらそれもまた社交界の噂になるだろうね」
「その前に婚約関係は解消します」
「知ってるよ、君の弁護士がそのための準備を進めているということも」
王族というのはどこまで調べているのか。フェリシティの恐れを意に介さず、リカルドは続けた。
「フェリシティ、君は君が思っている以上に価値のある女性だ。マダム・フェロウは君の行く末をひどく心配しておられる」
マダム・フェロウ。
それは未だに社交界を牛耳っている女帝であり、原作ではフェリシティの天敵として描かれている女性だ。
彼女は、フェリシティのような第一線で働く女性をはしたない存在だと考えており、女性は良妻賢母であることが望ましいと声高に主張するひとだった。
貴族令嬢だった頃、何度か彼女の開くお茶会に出席したことがあるが、マダムは、金髪碧眼という高位貴族が好む容姿を持つフェリシティをいたく気に入っており、勝手にリトル・プリンセスと呼んでいた。
「貴女はいつか本物のプリンセスになるのよ」
マダムは幾度となくフェリシティにそう言っていた。トランドが爵位を返上したとき、誰よりも早く糾弾の為にトランドの新しい住まいに押し掛けたのも彼女だ。
「リトル・プリンセスの将来を踏みにじるおつもり?!」
そう叫ぶマダムに両親は静かに、
「フェリシティの幸せはプリンセスになることだけとは思えません、彼女には無限の可能性が秘められています」
と反論した。
社交界のメンバーならばマダムの考えに反対することはマナー違反と同義であったが、トランドはもう貴族ではない。
堂々と自分の考えを述べた両親に言葉を失うほどの怒りを見せたマダムであったが、それ以降、彼女とフェリシティの道が交差することはなかった。
そのマダムが今になって現れるとは、まるで亡霊のようだとフェリシティは思った。
「あなたもわたくしにプリンセスになれとおっしゃるの?」
「その通り、だが、俺の欲しているのは美しいだけの姫じゃない。自分の力で人生を勝ち取る次世代のプリンセスだ」
「次世代の」
「そうだ、男性にかしづくことで評価される女性の時代はもう終わった。これからの女性はもっと社会に進出していくべきだ。
その広告塔にわたしは君を据えたいと思っている。学び舎を経営し、国際的な場にも積極的に参加している君はまさに新時代を生きる女性だ。
そこにプリンセスの称号が付随すれば説得力につながる。これは君にとっても悪い話ではないと思うが?」
突然の提案に驚いたフェリシティではあったが、彼の示した貴族的な考えに思考を巡らせた。
確かに彼の言う通りかもしれない。アーサーとの婚約を解消するだけでなく、王族に望まれた故の解消なら箔がつく。
それにフェリシティが王族に連なる身分を持つことは亡き祖母の供養にもなると思う。
転生する前はごく普通の一般人だったフェリシティは選民思想の強い彼女の祖母をよく思ってはいない。
でもこの体の持ち主だったフェリシティは祖母を嫌ってはいなかったと思う、その証拠に彼女が病みついてからは忙しい中でもなんとか時間を捻出し、彼女の住む屋敷に顔を出していた。
あの祖母を喜ばせることにつながるのなら、たぶんフェリシティも歓迎すると思う。消えてしまったフェリシティを思えば、リカルドの提案は悪くない気がする。
とはいえ、相手は王族だ。一度、是と返事をしてしまえばそれを覆すことは容易ではないだろう。
「それは、そうかもしれませんが」
それ以上の言葉を告げようとしないフェリシティにリカルドはそっと近づき、彼女の髪をひと房すくうと言った。
「もちろんわたしは君だけを愛すると誓う、美しく気高い君を前にして他の女性に目移りするなんて愚か者のやることだ」
彼が美しい金髪にそっと口づけを落としたところでエレベーターは目的の最上階に着き、フェリシティは極上の作り物の笑顔で告げた。
「着きましたわ。どうぞお降りください」
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