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4.シンポジウムにて

アーサーの屋敷で熱い夜を過ごして以降、彼からの連絡の回数が圧倒的に増えた。

それまではどちらかと言えば冷めた関係で用がなければ連絡しないというのがふたりの間にあった不文律だったのだ。


だから最初のうちはいちいち折り返しの電話をしていたが、ヒーロー役らしからぬ締まりのない顔で自身への愛を囁いていることが受話器越しにも伝わってきて、喜ばしくもあり恥ずかしくもありで複雑な感情に追い込まれたフェリシティはそれが伝染しないよう早々に電話を切るようになった。


その日も外出先から戻ったフェリシティにアーサーから電話があったことが告げられた。


「何の用事か言っていた?」

「いいえ。お戻りになられたら連絡が欲しいとだけ」

「そう、ありがとう」


フェリシティは急ぎの仕事を片付けてから、今日も満を持して彼に電話をかけるのである。


「ハロー?フェリシティよ、なにかあって?」

「やぁ、ハニー。君の声が聞きたくて電話したんだ」

「あなた、もうすぐ学会でしょう?論文は仕上がってるの?」


フェリシティの指摘にアーサーは笑った。


「学生じゃあるまいし、締め切りギリギリなんてみっともない真似はしないさ」

「用がないのなら切るわ、少し立て込んでるのよ」

「君に立て込んでないときなんてあるのかい?オーバーワークだよ、少し仕事をセーブしなさい。これは医師としての忠告だ」


甘い言葉を吐いていたかと思えば凛とした医師の顔を覗かせる。これもあの夜以降、彼に加わった魅力のひとつだった。


「分かってるわ、でも来週から始まるシンポジウムに出席しなくてはならないから予定を前倒しして進めているの」

「シンポジウムだって?聞いてないぞ」

「言ってないもの。今までだっていちいちスケジュールは伝えてないでしょう?」


フェリシティの言い訳めいた言葉にアーサーは電話口でため息をついた。


「リティ、そんな寂しいことは言わないでくれ。僕たちは愛し合ってるんじゃなかったのか?」


こんなときに特別な呼び名を持ち出すのはずるいと思う。嫌でも彼との夜を思い出し言葉に詰まってしまう。



アーサーはヒーローらしく夜も完璧だった。彼の与える快楽に飲み込まれたフェリシティは為す術もなく翻弄されてしまった。最後のほうはなにか口走っていたように思うが記憶があいまいでよくわからない。

もしアーサーに聞いたのなら彼は喜んで教えてくれただろう、アーサーを求めて自らその最奥に彼を導いていた、と。そしてその瞬間からまた甘い時間に突入させられてしまうだろう。


ふたりは婚約をしており、いずれ結婚をするのだから体を重ねたところでなにもおかしなことではないのだが、フェリシティの中ではアーサーはステラと結ばれるという大前提があるため、それを覆す行動はとりたくなかった。


こうしてアーサーがフェリシティに興味を示しているのも一時の気の迷いであり、最終的に彼はステラの隣に落ち着くのだ。本来なら捨てる相手の気の迷いに付き合ってやる義理などない。


しかしアーサーにヒーロー役を与えられているようにフェリシティにはヒロインの当て馬役が与えられている。それらしい振る舞いをしなければ原作とかけ離れた物語になってしまう。



「聞いてる?リティ」


アーサーに声をかけられたフェリシティは思考に沈んでいた意識を現実へと引き戻した。


「えぇ、聞いているわ。わたしもあなたを愛してる、言わなかったのは悪かったわ。これからはきちんと話をするわね」

「そうしてくれ。僕たちはいずれ結婚するのだから隠し事は無しだよ」


甘い響きを持ったそのセリフにフェリシティは本当にそうなったらいいのにねと自嘲めいた笑みを浮かべつつも了承を伝えたのであった。







フェリシティは毎年開かれる国際的なシンポジウムに参加している。それは教育関係者を対象とした集まりで、今年のテーマは『未来を担う人材を育成する為の教育』である。


様々な分野の専門家が自身の考えを披露する場であり、フェリシティは彼らの考えはともかく、調査から得られる数値には興味があった。


今のフェリシティは数値至上主義者である。特にこの世界は小説の中の世界であることも手伝ってかあいまいな判定も多く、そうなると数値に頼るのが一番確かになってくる。


専門家が事実に基づいてまとめ上げた資料は一見の価値があるもので、多くの情報から必要なものを選び取ることは転生前のフェリシティの得意分野であった。



大きな会場を貸し切っての催しで、連日、大小さまざまなホールで専門家のスピーチが開かれている。


フェリシティはあらかじめどのスピーチを聞くかを決めてあり、時間がかぶっていて聞けないものは資料だけでも入手するよう秘書に依頼してあった。


「じゃぁ頼んだわね」

「お任せください」


フェリシティは会場の入り口で秘書と別れ、お目当てのホールへと向かった。


その専門家の視点は近年、注目を集めており、ホールの広さはもっとも大きなサイズであった。


前のほうから席は順に埋まっており、場所を求めて視線を走らせるフェリシティにひとりの男性が話しかけた。


「ミス・トランド、こちらが空いていますよ」

「まぁ、ミスター・ディゼル。お久しぶりです」


フェリシティは彼と礼儀正しく握手をしてから隣に腰かけた。


「一年ぶりですね、相変わらずお美しい」

「まぁお上手ですこと」


フェリシティより五歳ほど年上の彼はフェリシティと同じく若くして学園を運営している経営者であった。若さ故の苦労を知っている彼はフェシリティの良き戦友だと言える。


「お声をかけてくださって助かりました、こんなに早く席が埋まってしまうとは思っていなかったわ」

「彼の研究は斬新ですからね、学ぶべき点も多い」

「去年、掲示されていた方法を早速取り入れてみましたのよ」

「さすがはミス・トランド、素早い対応ですね」

「うちはミスター・ディゼルほど大きな規模で経営していませんもの。よろしければ成果の資料をお送りしましょうか?」


ディゼルは歴史ある学園をいくつかを所有している。フェリシティはひとつの学園しか経営していないが、その改革ですら多くの根回しが必要となるのに、それらすべてを相手にするとなるとその苦労はいかほどのものだろうか。


「願ってもないことです、感謝します」


フェリシティの申し出にディゼルは素直に感謝を述べている。フェリシティのまとめた数値は彼の学園の重鎮を説得する良い材料になるだろう。


それから近況を報告しあっていると、間もなく教壇に主役の専門家が立ち、ふたりはそれを合図に会話を終わらせた。



一通りのスピーチを終えたところで司会役が質問を募った。


「これで教授のスピーチは終わりとなりますが、なにかご質問やご意見がある方、いらっしゃいますか?」


何人かが挙手をし、質疑応答が進む中でひとつの質問が話題となった。


「わたしの国はもう肌寒い季節に入っているのですが、既に流感が流行り始めています。学び舎という狭い空間ではあっという間に感染が広がってしまい、その対応に苦慮しているのですが、みなさんはどのように対策されていますでしょうか」


その問いかけにフェリシティは、今年の流感は質が悪そうだ、とアーサーが言っていたことを思い出した。


その波はやがてフェリシティの住む国にも及ぶだろう。こういう情報共有ができるのは世界規模のシンポジウムならではのことで、この情報が得られただけでも出席した価値があると思えた。


それぞれの雑談の中からいくつかの実績や提案が出されたが、どれも決定的な対策とは言えなかった。


そのときディゼルがフェリシティに話しかけた。


「ミス・トランドの婚約者は医学博士ではなかったかな?」

「えぇ、そうですわ。ドクター・ブライトンです」


フェリシティの返事に他の出席者が反応を示す。


「ドクター・ブライトンは免疫学に携わっていらっしゃる方ですよね?」

「免疫学に明るいなら流感への対策案も持っておられるのでは?」


自身を中心に起こったざわめきを無視することができなかったフェリシティは周囲の期待に答えるように、マイクをオンにして、会場にいる全員に聞こえるように宣言した。


「ドクター・ブライトンに流感に対する予防策の提案を依頼してみます。多忙な方なのですぐに回答は得られないかもしれません、少しばかりのお時間をください」


フェリシティの発言に拍手が起こった。それに追随するように司会役の男性が言った。


「国際スクール協会からの依頼ということで正式な契約書を用意しましょう。それに先だってミス・トランドからドクターに話を通しておいて頂けると助かります」

「わかりました」


この決定がフィナーレを飾った形でこの会場での会議は解散となった。




フェリシティはディゼルに別れを告げると、ひとまず総合案内所の電話を借りてアーサーの病院に連絡を入れた。


交換係にアーサーの診察室へ回すように告げると、聞きなれた声が電話に出た。


「こちらはドクター・ブライトンの診療室です」

「こんにちは、フェリシティです、アーサーに依頼があって連絡をしました」


個人的な用事ではなく仕事であることを告げたフェリシティに秘書は快く応じてくれる。


「まぁ、ミス・トランド。外国に行っていらっしゃるとお聞きしてましたが」

「そうよ、教育関連のシンポジウムに参加しているの。まだ会場にいるのだけど、早めに伝えておいたほうがいいと思って連絡したのよ」

「そうでしたか、ドクターは今、手術中です。差し支えなければわたしが内容をお伺いしてお伝えしましょうか?」

「そうして頂けると助かります」

「かしこまりました、どうぞおっしゃってください」


メモを取る準備ができたのであろう秘書が了承の旨を伝えてきたので、フェリシティは他国では既に流感が流行っていること、その対策案を出してほしいことを伝えた。


「必ずお伝えします、折り返し先はご滞在中のホテルでよろしいでしょうか」

「こちらからの依頼ですもの、わたしのほうから再度お電話しますわ」


今夜は交流会という名の夜会があって、ホテルに戻れるのは何時になるかわからない。アーサーと話をするのは明日以降が無難だ。


「明日は何時ならアーサーと話しができるかしら」

「ドクターは、明日は出勤なさいません。ご自宅のほうへ連絡されてみてはいかがしょうか」


仕事の用事なのに自宅に電話をするのは気が引けるが、どのくらいで原稿が仕上がるのかを確認はしておきたい。


「わかったわ、そうします」

「ドクターに、明日、ミス・トランドからのお電話があることもお伝えしておきますね」

「ありがとう、お願いします」


フェリシティは秘書に礼を言って受話器を置いた。


アーサーはとても多忙だ。フェリシティが知っているだけでも彼の肩書は五つはあってそれだけの職務をこなしているということだ。


そんな彼に流感対策案を依頼すること自体難しいのだが、婚約者の立場を利用してねじ込んだ。いずれ婚約破棄になるとしても今の婚約者はフェリシティだ。浮気された挙句、捨てられるのはフェリシティなのだから少しくらい彼を利用しても罰は当たらないだろう。


アーサーへの連絡を終えたフェリシティは休憩ルームへと向かい、自身の秘書と落ち合ったあと、慌ただしくランチを済ませ午後の会議へと出席した。

お読みいただきありがとうございます

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