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3.アーサーの愛

アーサーの運転で彼の屋敷へ到着するとその入り口ではマーサが笑顔で出迎えてくれた。


「ミス・トランド、ようこそ起こしくださいました。首を長くしてお待ちしてましたんですよ」


少しなまりのある物言いでマーサが歓迎の言葉を口にし、フェリシティはそれに笑顔で応じた。


「ごめんなさいね、いろいろ立て込んでいたものだから」

「アーサー様は看護師を連れてくることはありますけど、ミス・トランドをお招きしてはくださいませんからわたしからお願いしたんです」


マーサのセリフにフェリシティは、おや?と思った。


原作軸では今はふたりを称賛するパーティの直後だ。ステラがアーサーの屋敷に出入りするようになるのはお互いが好意を持っていることに気づいてからのことで、それはもう少しあとのタイミングだったはず。


この世界は既に原作通りには進んでいないのかもしれない。


「僕も忙しかったんだ、許してくれよ、マーサ」


おどけた口調でマーサに謝罪をしているアーサーの心は今、誰にあるのか、フェリシティにはよくわからなかった。





マーサの用意してくれた素晴らしい夕食をお腹いっぱい食べてフェリシティは夢心地でサロンのソファに身を沈めていた。


「シェリー酒を持ってきたよ」

「ありがとう」


アーサーからグラスを受け取ったフェリシティは少しだけ口をつけた、甘い味わいをもったこの酒は食後の語らいにぴったりである。


「マーサは本当に料理が上手ね。一流シェフの味も嫌いじゃないけど、わたしは彼女の手料理ほうが好みだわ」

「僕たちが結婚したら毎日食べられるよ」

「そうね」


アーサーの甘い視線とセリフに対してフェリシティが気のない返事をしたのは原作を思い出していたからだった。



マーサの家は代々とある貴族に仕えてきた、時代の流れで主が爵位を返上した後も使用人として働いていたが、彼が亡くなったのを機に専属契約は打ち切りとなった。


長年、貴族に仕えてきたことはマーサ一家の誇りであり、彼女は将来、自身の主人となるフェリシティに貴族の血が流れていることをひそかに歓迎していたのだ。


そんなマーサだから当然、平民のステラとは相性が悪く、ステラがアーサーと結婚することが決まったタイミングで彼女が退職することを読者に知らせる一文があったはずだ。


「マーサがここを辞めることになったらわたしの屋敷に来てもらおうかしら」


彼女を失うには惜しいと思ったフェリシティは何気なくそう言ったのだがアーサーはひどく驚いた。


「どうしてマーサが辞めると思うんだ?彼女の側になにか事情があるならともかく、僕は絶対にマーサをクビにはしないし、君もそうだろう?」

「もちろんよ、マーサにはずっといて欲しいわ」


でもマーサはステラと合わない。アーサーがステラと結婚するならマーサは退職を申し出るだろうし、アーサーも引きとめることはしないだろう。


その未来をどう説明したものか、フェリシティは迷った末、なにも言わないことにした。まだ起こってもない未来なのだ、いたずらに口にしていいことではない。


「ごめんなさい、いつでもマーサの手料理が食べられるあなたがうらやましくて」


フェリシティの下手な言い訳にもアーサーは微笑んだ。


「それなら今すぐにでも一緒に住もう、僕は前からそう言ってる」

「同棲はダメ、ケジメはつけなくちゃ」


これは転生前のフェリシティの考えだが基本的には賛成だ、古い考えだと思われるかもしれないが婚姻前に一緒に住むなど容認できない。


だいたいアーサーはステラと結ばれるのに別の相手と同棲などしていたら、彼はもちろんフェリシティにも悪評が立ってしまう。


フェリシティのきっぱりとした口調にアーサーは苦笑しつつもその頬にキスをし耳元で囁いた。


「もどかしいけど君のそういうところが好きだよ」

「そう?それはどうもありがとう」


急に思いを告げられ心構えのなかったフェリシティは気の利いた返答が見つからず、今どきの女学生でも言わないような陳腐なセリフを吐いた。


「リティ」


そうささやいたアーサーの口調は甘く、彼はフェリシティの耳に唇を寄せて彼女を特別な名前で呼んだ。


それはベッドの中で彼がフェリシティに愛をささやくときに使う呼び名で『お誘い』の合図でもあった。


アーサーの気持ちはまだフェリシティにあるのだろうか、と一瞬考えたフェリシティだったがすぐさまその思考を打ち切った。


いや、そんなことはどうでもいい。いずれ別れると決まっている相手に抱かれるなど冗談ではない。


「あの、わたし、明日も早いの」

「午後から打ち合わせがひとつだったかな?」

「それは」


いつの間に調べたのかアーサーはフェリシティのスケジュールを知っていた。情報源はもちろんフェリシティの秘書だろう。


勝手に教えるなと言いたいところだが今のところアーサーはフェリシティの婚約者であり、険悪な関係になってもいない。


アーサーから聞かれたら秘書の彼がそれに答えることは自然な流れで、それをいちいち機密漏洩違反だとなじるほうがどうかしている。


「美容院に行こうかと」

「先週行ったばかりだろう?」


アーサーはこの作品のヒーロー役だけあって非常に賢い人物だ。付け焼刃の言い逃れなど一蹴されて当たり前、彼を撃退するにはきちんとした対応策を練らねばならないのだ。


それでもなんとか彼の誘いから逃れようと必死で考えるフェリシティだったが、彼は器用にフェリシティの持っていたグラスを受け取りつつ、彼女に口づけをした。


徐々に甘く深くなっていくそれにフェリシティは翻弄され、気が付いたらその身はベッドの上に投げ出されていた。


「アーサー、待って」

「ダメだ、待てない」


いつもの紳士的な彼とは違う余裕のないその返答にフェリシティはあっけにとられ、アーサーはその隙をついて本気で挑みかかってきた。


こうなるともうフェリシティに抗う術はなく、結局、快楽の果てに疲れ切って眠ってしまうという失態を犯したのであった。





目を覚ますと周囲はしっかり明るい時間になっていた。

多忙なフェリシティはまだ暗いうちに起きだして私室で仕事をこなすことがほとんどだった。


こんなにゆっくりと眠ったのはいつくらいぶりだろうと思いながら身じろぎすると、


「おはよう」


と声がかけられた。


それは他でもないアーサーで昨晩、彼と夜を共にしたことを否が応でも思い出させられたフェリシティはその痴態に思わず赤面した。


「おはよう」


ついっと視線を外して返事をしたフェリシティをくすりと笑ったアーサーは起き上がるとベッドサイドに用意してあったポットからカップに紅茶を注ぎ、フェリシティに差し出した。


「どうぞ」

「ありがとう」


フェリシティはシーツで素肌を隠しつつアーサーから紅茶を受け取ったが、モーニングティーなどまるで新婚のようだと思った。


アーサーは、適温よりややぬるくなった紅茶を気恥ずかしそうに飲むフェリシティを見つめていたが、昨夜の記憶がはっきりしない彼女は彼と目を合わせる勇気がなかった。


もしここでフェリシティが彼の表情を少しでも見ていたなら、もうステラなど気にしなくてもよくなったのだと気づけただろう。


彼はフェリシティへの愛を隠そうともせず甘い微笑みで彼女を見つめていた。


実際、アーサーの心はすっかりフェリシティに奪われてしまい、彼の中のステラの存在は路傍の石以下となっていた。


それほどに昨夜のフェリシティは素晴らしかったのだ。





転生者のフェリシティが物語の完璧なヒーローの愛を前に我が身を取り繕うことなどできるわけもなく、悦びを全身で表す結果となった。


今までになく素直な反応を示すフェリシティにアーサーのほうも熱が入り、彼女を何度も突き上げ、引き上げ、寸前にまで追い詰め、それでも許しはしなかった。


最後にはフェリシティ自らアーサーを導き嬌声をあげ、それに触発された彼も我を忘れて杭を打ち付け、その最奥に愛を注いだ。


何度目かの解放を経てようやくアーサーの熱は収まり、その全力の熱を受け止め続けたフェリシティは切なげに彼の名を呼び、彼からの口づけを求めながら眠りに落ちていったのであった。


アーサーが目覚めたとき、フェリシティは彼の隣ですやすやと眠っていた。彼女の寝顔は何度も見たことがあるが今朝はより愛らしく見え、やはりフェリシティは決して逃してはならない素晴らしい女性なのだと改めて認識したアーサーであった。



眠る彼女にそっと触れるだけの口づけをしてベッドを滑り降りたアーサーはローブを羽織るとキッチンへ向かった。


「おはよう、マーサ」

「おはようございます、アーサー様。フェリシティ様はまだお休みでございますか?」

「まだ眠ってる。紅茶を頼めるかな、フェリシティが起きたら用意してあげたいんだ」


それが新婚夫婦の間で交わされるモーニングティーであることに感づいたマーサは、ふたりの結婚が近いことを察しつつ、


「部屋の前にお持ちしておきます」


と笑顔で応じた。


アーサーは寝室に戻って再びベッドの中に潜り込み、眠るフェリシティを飽きもせずにずっと見つめていた。


やがてフェリシティが寝返りを打ち始め、もう間もなく起きることを察し、寝室の前に置かれた紅茶をベッドサイドへと移動させ、最愛の姫が目覚めるのを待っていたのであった。

お読みいただきありがとうございます

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