10.原作とは違う展開
王族歓迎のパーティの中、原作ではたったの一文でアーサーとフェリシティの婚約は解消されていた。
アーサーから愛を告白されたステラが、
「でもあなたはミス・トランドと婚約中でしょう?」
と言い、
「夜会が始まる前に彼女と話をして婚約は解消したんだ」
とアーサーが説明をした。
そのセリフのあと、彼はステラに情熱的な求婚し、ふたりがベッドで愛を確かめ合うシーンを経て物語は終わる。
の、だが。
「やぁ、リティ。待ちくたびれて押しかけてしまったよ」
医師という仕事上、いつ緊急事態が起こるかもわからない彼をおもんばかって、フェリシティのほうから彼の病院に会いに行くようにしていた。
しかしあの夜会以降、アーサーは頻繁にフェリシティの学園を訪れている。
見目麗しいアーサーが学園に通う女生徒たちの注目を集めるのは当然で、彼の登場に歓声をあげている者もいる。
「急患対応は大丈夫なの?」
「病院の医師は僕だけじゃないんだ。残っているスタッフでじゅうぶん対処できるし、専門医の助言が必要な場面なら必ずこちらに連絡が来る」
僕だっていつもそうしてるよ、と付け加えたアーサーはフェリシティの肩を抱くと彼女の髪に口づけをした。
「キャー」
それを見ていた生徒たちから黄色い歓声があがる。
「ミス・トランドの恋人ですか?」
「とってもお似合いです」
離れたところから大声で賛辞の言葉をよこす生徒たちにアーサーは、ありがとう、と手を振って応じ、それにまた歓声があがった。
「いい加減にして、アーサー。教育現場に浮かれた気分を持ち込むなんて厳禁よ」
「真面目に机に向かっているだけが教育じゃないって君は常々言ってるじゃないか。君は彼女らにとって憧れの存在なんだ、君のように頑張っていれば良縁に恵まれることを見せるのもいいだろう?」
自分で良縁と言うのか、と問いただしたいフェリシティではあったが、生徒たちの前で痴話げんかをするのは良くない。
「応接室にどうぞ、いくつか書類に目を通したら出られるわ」
「理事長室で待つのはダメかい?」
「ダメよ」
婚約中とは言え、未婚の男女がひとつの部屋に入っていく姿を生徒たちに見せるわけにはいかない。
間髪入れずに反論したフェリシティにアーサーは苦笑しながらも、わかった、と承知して、理事長室の隣に設置された応接スペース兼事務室へと入っていった。
部屋の中には事務員が何人かいるはずだ、彼女らはアーサーとは顔見知りだからフェリシティがいちいち声を掛けなくても、彼にお茶くらいは出してくれるだろう。
アーサーを見送ったフェリシティは理事長室へと入り、仕事にとりかかった。
今夜はアーサーとオペラを見に行く約束をしている。待ち合わせ時間を決めたわけではないが、今までは仕事を終えたフェリシティがアーサーの病院に行って合流していた。
しかしここ最近はアーサーがフェリシティを迎えに来る。自然、集合時間が早くなり、早まった分、どこかへ寄り道をする。
この前は高級ブティックに行き、フェリシティの仕事用のスーツを買った。宝石店に寄って大粒のダイヤが使われた指輪とイヤリングをプレゼントされたこともある。
そうかと思えば彼のお気に入りのカフェバーに行き、愛の歌を聴きながら、彼にうっとりと見つめられ、愛を囁かれる夜もあった。
彼が用意した今夜のチケットはセヴィリアの理髪師。ロジーナに恋をした伯爵が彼女を手に入れるため、何でも屋の力を借りて奮闘し、最後にはハッピーエンドとなるオペラだ。
悲劇の多いオペラの中であえて喜劇を選んだアーサーの気持ちが透けて見えるようで、フェリシティは届けられたチケットに思わず微笑んだものだ。
たくさんのプレゼントに甘くとろけるような愛のささやき、そして夜ごと与えられる彼の情熱。
原作という色眼鏡をとって彼と向き合ったフェリシティは彼の愛を認めざる得なかったし、彼に惹かれていく気持ちを押しとどめることはできなかった。
そもそもアーサーはヒーローなのだ。地位も名誉もあり、そのうえ完璧なルックスの男性に愛を乞われて、それを断ることができる女性など、いるとは思えない。
フェリシティとアーサーは既に婚約している。その期間は一年をゆうに超えており、すぐに結婚に踏み切ってもおかしくはない状態だ。
アーサーはなにも言わないでいてくれるが、ミセス・ブラウンや彼の家政婦のマーサがそれを心待ちにしていることはわかっている。
フェリシティはアーサーがステラと結ばれるものと思っていたから、転生して以降、ずっと仕事にかじを切ってきた。
『覚悟をしてくれ』
アーサーの言葉が胸によみがえる。
そろそろフェリシティ・トランドではなく、フェリシティ・ブラウンになる覚悟をするときがきたのかもしれない。
オペラは伯爵とロジーナが愛を確かめ合うシーンに入った。
繋いでいたアーサーの手に力が入り、彼を見ると、彼もフェリシティを見ていた。
その瞳には誰が見ても明らかなほどフェリシティへの愛が溢れており、その唇が音を発することなく動いた。
『リティ、愛してる』
だからフェリシティも同じように口の動きだけで伝えた。
『わたしもあなたを愛してるわ』
ふたりの体は自然と近づいていき、そして口づけを交わした。
甘く深い、大人の恋人同士のキス。
ここはボックス席で人目がないわけではない。
でも観客はオペラに夢中でわたしたちのことなんて見てないわ。
フェリシティは自身に言い訳をしながら、アーサーの情熱を余すことなく受け入れるのだった。
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