【短編】破綻寸前の結婚生活、妻が庭園に花を植える理由。
拙作、【聖女の妹の尻拭いを仰せつかった、ただの侍女でございます〜謝罪先の獣人国で何故か冷酷黒狼陛下に見初められました!?1〜】が、10/2に発売しました!
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「この庭園のお花は、お母様が育ててるんだよね?」
「ええ、そうよ。レイン」
「うーん。……なんでかなぁ?」
「?」
──ギブイン伯爵邸の庭園。
朝食後、色とりどりの花が咲き誇る庭園を歩きながら、ぽつりと疑問を唱えたのは四歳を迎えた息子のレインだ。
そんなレインの発言にシェーラは目を瞬かせた。
「僕にはね、お花たちが泣いてるように見えるんだ……」
「………!」
レインの思わぬ発言に、シェーラは息を呑む。
夫であり、レインの父であるマティアスも昔、似たようなことを言ってのけたからだ。
「あはは、どうしてかしらね……」
誤魔化すように笑ったシェーラの顔を、レインはじっと見つめていた。
──シェーラが、ここギブイン伯爵家に嫁いできたのは、もうかれこれ五年ほど前になる。
蜂蜜色のふわふわとした髪に、エメラルドのような瞳を持った元伯爵令嬢のシェーラは、見た目が美しく、多くの縁談の話があがった。
その中には、公爵家や侯爵家などの格上の貴族からの縁談もあった。
だが、シェーラがどうしても嫁ぎたいと言ったのはギブイン伯爵家──現当主の、マティアス・ギブインのもとであった。
というのも、マティアスはシェーラの兄の友人だった。
そのためシェーラの家にときおり来ることがあったのだが、その時に花壇に花を植えているシェーラを見て、マティアスはこう言ったのだ。
『君が育てた花は、とても幸せそうに笑っているように見える』
無口、無愛想、堅物。そんな評判のマティアスがその時、不思議な発言をして、ほんの少しだけ微笑んだ。
(……好き)
イメージと発言のギャップと、その表情に、シェーラは直ぐに恋に落ちた。
けれど、思い描いていた幸せな結婚生活が訪れることはなかった。
「──シェーラ、ここに居たのか」
レインが勉強のために屋敷内に戻ってから、およそ一時間が経った頃だろうか。
メイドを下がらせ、一人でベンチに座って庭園の花たちを眺めていたシェーラに声を掛けたのは、無口で無愛想で堅物だと有名な、夫のマティアスだった。
「旦那様。お仕事お疲れ様です」
「シェーラもな」
マティアスはそれだけ言うと、おもむろにシェーラの隣に腰を下ろした。
(いつもはお忙しそうで、会っても少し挨拶をして終わりなのに、留まるなんて珍しい……)
漆黒の髪に、切れ長の青い瞳。凛々しい顔つきに似合う、さっぱりとした襟足。しっかり閉じた唇は、彼が無口であることを体現しているようだ。
シェーラよりも二倍はありそうなほど広い肩幅と、自身の膝の位置よりもかなり飛び出しているマティアスの長い脚。
いつもならば見下されるはずの身長差が、隣りに座ったことで少し埋まるのは、夫婦だというのに不思議な感覚だった。
(こんなに近くに居るのはいつぶりだろう。食事の時は向かい合っているし、ベッドではレインを挟んで居るから、離れているし)
結婚してから、比較的直ぐにシェーラは懐妊した。つわりが出産するまで続いたので、妊娠中にマティアスと精神的な距離を詰めることは難しく、更に産後も肥立ちが悪かったので、しばらくはずっとベッドの上だった。
とはいえ、シェーラの体調が戻っても、マティアスの仕事が減るわけではない。
しかも、シェーラも今日はゆっくりしていたとはいえ、普段は屋敷の女主人として多忙だ。社交界やレインの子育てもある。
だから、シェーラが意図的にマティアスの時間に合わせるか、起床直後か就寝前かのほんの少しの合間しか、二人には会話をする時間はなかった。
そんな僅かな時間でも、シェーラはできるだけマティアスに話しかけたり、何度か愛の言葉を囁いたりした。
けれど、決まってマティアスから返ってくるのは『ああ』という言葉。無口で無愛想だと分かっていたものの、あんまりだ。
シェーラのことを嫌っている様子はないものの、好いてくれている感じはしなかった。
今日だってそうだ。朝目覚めた時に、レインが眠っているのを確認したシェーラはマティアスが好きだと告げたけれど、彼は少し固まってから、『ああ』と返すだけだった。
レインを産んでから、夜のお誘いも一度もない。跡継ぎが生まれたためだろうか。
(なんだか虚しくなってきたわ……)
なにが一番辛いって、それでもマティアスへの思いが断ち切れないことだ。
貴族の家に生まれた者として、好きな相手と結婚できるだなんて奇跡に近い。その上、相手からの愛情も求めるなんておこがましいのだと、きっと周りは思うのだろう。
(でも、好きなんだもの。どうしても、好きなんだもの。……けれど、もうこんな関係を五年。そろそろ旦那様への気持ちは諦めなければいけないわよね)
……それなら、せめて──。
シェーラはマティアスに一瞥をくれてから、庭園を見つめて口を開いた。
「旦那様、最近やっと秋の花々が咲いたんですよ。キンモクセイにクレマチス!」
ふわりと吹く風に乗って、鼻を掠めるキンモクセイの香り。揺れる、色鮮やかなクレマチス。
その他にも庭園に植わっている沢山の花々は、全てシェーラが植えたものだ。
「綺麗でしょう?」
薄っすらと目を細めて微笑みながら、シェーラはマティアスにそう尋ねたのだが、マティアスの言葉はシェーラが望むものではなかった。
「……シェーラ。悪いが今は、そんなことよりも大切な話がある」
凛々しい顔付きと立派な体躯によく合う、マティアスの低い声。
マティアスのそんな声がシェーラは大好きだ。
けれど、今はその声から発せられる言葉が、どうしようもなく切なかった。
「そんなことって、なんですか……」
「……!」
ポツリと紡いだシェーラの言葉は、震えている。
──伯爵という立場のマティアスにとって、花よりも大切なことが五万とあるのは知っているつもりだ。
俯いたシェーラの顔を、マティアスは心配そうな面持ちで覗き込んだ、その時だった。
「シェーラ……?」
シェーラの頬からツゥ……と顎に伝った雫が、彼女の太ももの上にある小さな手に、ぽたぽたと落ちる。
(……っ、分かっている、けれど……)
マティアスがただただ瞠目していると、シェーラが堪らず唇を震わせた。
「昔、私が育てた花を見て、旦那様が微笑んでくれたから……っ」
「……!」
そして、シェーラは顔を上げると、涙でぐちゃぐちゃになった顔をマティアスの方に向けた。
「旦那様が私を好きになってくれなくても、せめて大好きな旦那様の笑ったお顔くらいは、見たくて……っ、それなのに……そんな言い草は酷いです……!!」
「……!?」
悲しみと怒り。どちらも混じり合ったような表情で、シェーラは涙をぼろぼろと流し続ける。
その一方で、マティアスはピシャリと固まっていた。
その姿は、今朝マティアスに好きだと告げた時とよく似ている。
また「ああ」という言葉が戻ってくるのだろうと、シェーラはそう思っていた、のだけれど。
「誤解、だ」
「え?」
「だから、誤解、なんだ」
眉尻を下げて、慌てた様子のマティアス。
そんな彼の様子を今までに見たことがなかったシェーラの涙はひゅんっと引っ込んだ。
直後、マティアスは体ごとシェーラの方に向けて、彼女の華奢な肩を両手でガシッと掴んだ。
「しゅ、しゅきだ!」
「……えっ、しゅき?」
えらく可愛らしい言葉の響きだ。シェーラはきょとんとしてしまう。
「ち、違う! 今のは噛んだだけで……俺は、シェーラのことが好きだ! 縁談の話を持ちかけられる前から、好きだったんだ!」
「えっ……。えええええ!?」
(何をしても「ああ」しか言わなかったのに!? 今の今まで好きだなんて言ったことがないのに!?)
過去のことに思いを馳せると、いきなり告白されても信じがたい。
しかし、あのマティアスが焦り、大きな声を出し、しゅきと噛んでしまいほど緊張した様で愛の言葉を吐き出した姿は、どうも嘘には見えない。
「えっと、詳しく伺っても……?」
だから、シェーラはマティアスに問うことにした。このままでは、訳が分からない。
すると、マティアスはシェーラの肩に手を置いたまま、頬を染めて話し始めた。
「まず、俺はさっき話があると言っただろう」
「は、はい」
「実はその話というのは、シェーラに告白をしようと思ってのものだったんだ」
「へっ!?」
そりゃあ、五年間好きの一言も告げていない妻に愛の告白をするのならば、花の話を聞いている余裕はないだろう。
そこは理解できたシェーラだったが、問題は何故このタイミングでそのような考えに至ったのか、ということだ。
疑問の表情を浮かべるシェーラに、マティアスは言葉を続ける。
「実は今朝、シェーラが俺に好きだと言って、俺が『ああ』とだけ答えた会話を、レインが聞いていたみたいなんだ」
「……っ!? だ、だって、寝てて……!」
「寝たふりをしていたらしい。……で、その後、支度をすると言って隣の部屋に行ったシェーラを見送って、レインと二人きりになった時に言われたんだ」
──『お父様はお母様のこと大好きでしょう? 僕、見てたら分かるよ。それなのになんで、「ああ」しか言わないの? お母様きっと悲しんでるよ』
「……レインが、そんなことを……」
「ああ。こうはっきりと言われて、俺はようやくどれだけ君を傷付けてきたんだろうと猛省した」
レインは聡い子だ。感受性も豊かで、シェーラが悲しんでいることに気付いていたのだろう。
「言い訳になるが、俺はシェーラが大好き過ぎて、好きだと言われたり、可愛いことをされたりすると、頭が回らなくなるんだ。だから、つい固まってしまって、『ああ』しか言えなくなる……」
「……な、なななっ」
「自分から好きだと言おうにも、その、今日みたいに醜態を晒すのが恥ずかしくて、だな……」
『しゅ、しゅきだ!』
つい数分前のマティアスの言葉を思い出し、シェーラはつい、ふふっと笑ってしまいそうになる。
しかし、まだ疑問があるのでシェーラは和んでいてはだめだと言わんばかりに、少し鋭い目つきでマティアスを見つめた。
「で、では、レインを産んでからというもの、夜のお誘いが無くなったのはどうしてなのですか! 通常この国では、子供は歩けるようになったら夫婦とは別室で寝る決まりがありますのに、その決まりに従わず、三人で寝続けようと仰ったのもマティアス様ですし……!」
(いや、もちろんレインのことは大好きだし、一緒に眠るのは幸せでしかないんだけどね!?)
それでも、たまには真ん中にレインを挟まず、マティアスとくっついて眠りたかった。
言葉がないなら、せめて愛情を体に刻みつけてほしかった。
羞恥を含んだそんなシェーラの言葉に、マティアスは熟した苺のように顔を真っ赤に染めた。
「シェーラは、産後の肥立ちがあまり良くなかっただろう……。だから、あまり無理は……」
「それは分かりますが、もう何年経っていると思っているのですか! レインはもう四歳ですよ!?」
「……っ、し、仕方がないだろう……! 久しぶりにシェーラに触れたら、気が昂ぶりすぎて、壊しかねないと思ったんだ……」
「は、はい……!?」
聞いたのは自分だが、こんな話を庭園でするべきではなかった。
シェーラは頬を真っ赤に染めて、「もう分かりました!」とマティアスの言葉に待ったをかける。
しかし、マティアスは首をブンブンと横に振った。
「いや、だめだ。もうこの際だから全て話す。俺は、シェーラが俺を好きになってくれる前から、君がしゅ……好きだ。大好きだ。それなのに、今まで辛い思いをさせてすまなかった。今回の件でシェーラがどれだけ傷付いていたのか身に沁みて分かったから、これからは全て話す。固まろうが、噛もうが、ちゃんと気持ちを伝える」
「〜〜っ、そ、それは大変ありがたいのですが、やっぱり部屋に入りませんか!?」
「だめだ! 今密室に入ったらシェーラをこわ──」
「いいい、言わないでください! 察しました! 察しましたから!」
無口で無愛想で堅物だなんて、一体誰が言い始めたのだろう。
まるで誰かが乗り移ったかのように性格が変わったマティアスに対してシェーラは、なんだかおかしいとクスクスと笑みを溢す。
その時シェーラは、怒りも悲しみもなくて、今胸にあるのは溢れんばかりの幸福感だけだと気が付いた。
「じゃあ、旦那様……。いえ、マティアス様、一旦手を離してくださいませ」
シェーラがそう頼むと、「分かった」と言って離してくれたマティアスの手に、自らの手を伸ばす。
彼の片手を自身の両手でギュッと握り締めれば、マティアスは眉尻をこれでもかと下げて、かあっと顔を赤らめさせた。
そんな中で、シェーラはマティアスの目をじっと見つめて、口を開いた。
「今度、その、マティアス様から……お誘いくださいね。それと、好きと言ったら、きちんと言葉を返してください。最後に、たまにはマティアス様から好きだって言われたら、とっても嬉しいです」
「……っ、もちろんだ、好きだ、シェーラ」
恥ずかしがりながらも、笑みを浮かべて好きだと言ってくれたマティアス。
シェーラは満足げに微笑んで「私も大好きですよ」と言ってみせた。
──「お父様もお母様も、幸せいっぱいのお顔をしてる! あ、お花も一緒のお顔だ。……ふふ、僕、嬉しいなぁ」
そんな二人を、勉強の休憩中に、屋敷の二階の窓から見ていたレインは、誰よりも幸せそうに顔を綻ばせた。
読了ありがとうございました!
◆お願い◆
楽しかった、面白かった、レイン、ナイスだ!
「しゅ、しゅきだ!」(〃ω〃)
と思っていただけたら、読了のしるしにブクマや、↓の☆☆☆☆☆から(最大★5)評価をいただけると嬉しいです。沢山の方に読んでいただきたいので、なにとぞよろしくお願いします……!
◆ご報告◆
アース・スタールナ様から、10/2に
『聖女の妹の尻拭いを仰せつかった、ただの侍女でございます〜謝罪先の獣人国で何故か冷酷黒狼陛下に見初められました!?〜』
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