憧れと決別
決別。
憧れていた何かと、私の現実が今、大きく離れようとしていた。
ブランド物で身をかためて、優雅に笑う友人と食事をしている時、私は彼女の言う人生を輝かせる為の秘訣とやらに、眉を顰めていた。
「とにかく輝くものを身に纏うことなのよ。そうすれば、それに似合う自分になって、自然と輝けるようになる。自分が輝けば、自分を輝かせてくれるものが自然とよってくるから、人生が輝きでしかなくなる」
ワイングラスを片手に悦に入って喋る彼女の言葉を私は無意識に鼻で笑った。
私の嘲笑を彼女は見逃さず、表情を強ばらせると、何?と一言、私を睨みながら、訊いてきた。
私は皮肉な笑みを浮かべながら、彼女から視線を外して窓の外の夜景を眺めた。
「だって、モノの方が自分より輝いてるなんて、どれだけ自分を卑下してるんだろって」
「ああ、貧乏性の僻みね。魂の輝きの方が大切だとか、そういうことが言いたいの?」
彼女はそう言うと、ワインを口に運び、飲み終えると露骨にため息を吐いた。
「それが人生の輝きなら、お金で手に入るだけのことでさ、それをまるですべてを悟ったみたいに語るから」
「あなた、まだ根に持ってるの?」
「別に。あんなこと、よくあるんでしょ?こういう業界では」
彼女に誘われて始めた、オーガニック化粧品のマルチビジネスで、彼女は私の顧客を横取りし、その顧客が業績を伸ばしたので、自動的に彼女は成功者と呼べるほどの収入を得るに至った。
私ではその顧客をそこまで導くことは出来なかっただろうから、彼女を妬んだりはしていない。
ただ、彼女を友人として見れなくなっただけの話だった。
良い家で育ち、元から優雅だった彼女に憧れて、拒絶感しかなかったマルチビジネスに足を踏み入れたが、自分の為に顧客に商品を売りつけることが私には出来ず、押しの弱い私に顧客の方が困り果てる始末だった。
顧客のその女性は、いわゆるカリスマ性のある販売員に貢ぎたいタイプの人間だった。
私が話す商品説明など、どうでもよかったのだ。私自身に、お金を払う価値があるのか、ないのか。見ているのは、その一点だけだった。
しばらくは私に付き合っていた女性が、いつまでもうだつのあがらない私に見切りをつけて、会員から退会することを私に仄めかせたので、私は友人に助けを求めた。
経験値が上の彼女なら、私にない切口の商品説明か何かで、女性を引き止めれられるのではないかと思っただけだった。
結果、女性は友人の優雅さとカリスマ性に一気に惚れ込み、ほとんど私と変わらない商品説明をした友人の虜になって、私の傘下から抜けて、友人に鞍替えした。
憧れ。
私はそれに自分のモノを奪われた。
傘下の人間をモノと言うのは違う。
でもその女性は、友人ほどではなくても、私にお金を生み出す人間であった筈で、友人が持つ優雅さを私が得る為の糧となる筈の存在だった。
友人のようになりたかった私が、友人にされたことは、ただ、私の下からお金の流れを奪っていっただけで、私をその優雅さに導いてはくれなかった。
でもそれは、何も友人だけではない。
恋人も、ミュージシャンも、好きな俳優も、声優も、憧れさせてはくれる。貢ぐことで、幸せを錯覚させてくれもする。
でも私はいつも私のままで、何も変わらずに、ただ彼彼女にお金を流して、そしていつしか、そこには何もなかったことに気づかされる。
憧れていれば、幸せだった。
憧れの存在が現実には自分の存在など、気にもとめていないことに目を瞑って盲目になってさえいれば。
友人は、私のことなど気にもとめていなかった。
あなただって、きっとこの世界でなら輝けるから。
彼女はそう言って微笑み、私の右手を両手で包んだ。
優しさと温かさを感じてしまったのだ。彼女お決まりの営業トークに。
憧れが、何もかもを盲目にしていた。
「あなたに輝きがなかっただけの話を、私のせいにしないでね」
「別にそんなこと思ってないし、そんな中身がスッカラカンの輝きなんて私、別に欲しくないから」
「そんなんじゃ、幸せになれないわよ」
「お金があるだけでしょ?お金があるから、満たされてるような錯覚してるだけじゃん。幸せな人がさ、人のもの奪ったりしないよね?」
「何?根に持ってるじゃない。気にしてないような良い人のフリして」
「根に持ってなんかない!私はただ、自分の憧れと決別することに苛立ってるだけ」
「憧れと決別?要するに拗ねてるの?この業界や私に。描いてたものが違ったの?」
「違う。私はもう、私で生きていきたいの。私が幸せを感じるものだけで、生きていきたい。憧れとか、もうやめたいの」
「憧れだって、幸せじゃない。それに近づく為に自分を高めて、成長も出来る。成長も幸せのひとつでしょ?」
「憧れは憧れのままで、何も生まない。自分にないものをいつまでも求めたって、幸せにはなれない」
「まぁ、それは確かにそうかもね。いつまでも輝けないあなたを見てると、確かに不幸にしか見えないわ。ならいっそありのまま、輝かない人生を受け入れて生きる方が楽でいいわよね」
「自分の人生を生きるってだけ。輝きなんて結局、お金で買えるものでしかないじゃん」
「それの何がいけないの?」
「悪いなんて言ってない。ただ、私はそんな輝きはいらない。自分の幸せも価値も、お金なんかで計られたくない」
「魂の輝きにはお金もついてくるものよ?」
「だったら詐欺師の魂は眩しいくらいに輝いてるんだね」
私が皮肉に言うと、友人は鼻で笑ってワインを飲み干して、立ち上がった。
「もう払ってるから、出さなくていいわよ。輝きがお金でしかないなら、輝けないあなたには苦痛でしかないでしょ?お金を扱うことは」
私は黙ったまま、夜景を見つめた。
窓に去っていく友人の後ろ姿が映る。
憧れだの、何だのをやめて、ただ対等に平等に、私は人を、世界を見て、付き合って関わっていきたい。
自分を卑下だけはしたくない。
憧れに届かないから不幸だなんて思いたくない。
私は私で、たとえ何も持たなくても幸せだと声を大にして言える人間でいたい。
お金で買えるもので輝きだとか、幸せが手に入るなんて思いたくもない。
そんな人間に、なってたまるか。