第4話「素足」
始業式から1週間余りがたって、2学期最初のプールの授業がある日。僕はいつもと同じようにワクワクしながら登校していた。朝から素足のまま登校するのを,佐藤さんは2~3日に1回くらいのペースでしてくれていた。てっきり毎日かと思ったけれど、残念ながらそういうわけではなかったらしい。そのペースもまちまちで、天気や服装と関係があるのか、気分次第なのか、僕にはよくわからなかった。授業の内容で変えているというわけでもなさそう…。でも今日に限っては、その可能性も高いはずだ。校門のあたりから佐藤さんの姿を探しているけれど、なかなか見つからず、とうとう教室まで来てしまった。ドキドキしながら僕の席へ行くと、その斜め前の席に、ショートの髪にカチューシャをつけた女の子が座っていた。今日の服は、水色の半そでTシャツに、ひざくらいまでのスカート、そして足元は、やはり素足のようだった。まだ上履きを脱いだ所を見ていないが、連日の傾向から考えてきっとそうだろう。スカートから上履きに伸びる足に靴下のようなものはなかった。よっしゃ、きた!僕は静かにガッツポーズをした。
プールの授業は3時間目で、最初の2時間は教室での授業だった。休み時間など、授業じゃない時間は足グセが悪くなる佐藤さん。けれど授業中は鉄壁の足元で、なかなか上履きを脱いではくれない。今日はどうかな今日はどうかなといつも観察しているが、なかなかその時は訪れなかった。
この日は夏真っ盛りのように暑かった。教室内には冷房が弱く入っているものの,座っているだけでも体全体に汗をかいてくる。佐藤さんは1時間目の授業中,上履きを履いた足を床にぴたりとつけて、まじめに算数の問題を解いていた。足元はほとんど動くことはなく、授業の終わりころ、ようやく椅子の下で組むような姿勢になったくらいだった。
けれどようやく、待ちわびたその時がやってくる。2時間目は社会の授業。教科書を読んで、黒板をノートに写して、という感じで授業は進んでいく。社会の授業が始まる前の休み時間、佐藤さんの様子を見ていると、少し目を離していたスキに、いつの間にか上履きからかかとが浮いているのを発見した。フットカバーとかは何もない、完全な素足だった。友達と話す佐藤さんんはテンションが上がっている様子で、足をたくさん動かしていた。上履きから素足を抜いたり入れたり。そうしているうちに次の授業が始まるチャイムが鳴って、先生が入ってくる。日直の号令があって、席を立つ。佐藤さんは上履きをきちんと履きなおす時間がなかったようで、上履きのかかとを素足のまま完全につぶして立っていた。そして座りなおすと、イスを引いて、上履きを履きなおすことなく教科書を開いたではないか。これは…?初めてのことだった。いつなら始ま手すぐに上履きを履きなおすはずなのに、今日は5分経っても、10分経っても、足元はそのままで、左足のつまさきだけは上履きにつけて、足の裏は完全にこちらを向いているのだった。暑いのか、赤くなった足の裏、組まれて完全に上履きから離れてしまった右足の足指は、柔らかそうにくね、くね、と先生の声に合わせて動いていた。そして休み時間と同じように、佐藤さんは両方の足を上履きから離してしまうと、机の前の方に素足をグイッと伸ばしてしまった。足先が床についているけれど、それも気にしていない様子。そして伸びが終わると、足を机の前についた棒に載せてしまう。そこから先の、佐藤さんの足使いも素晴らしかった。両方の足の指でその棒をにぎにぎとしてみたり、親指とその隣の指で棒を挟んでみたり、そしてまたにぎにぎしてみたり。そして一度上履きに足を戻すのかと思ったら、そのまま足先を床につけてしまったり。とにかく忙しそうに足を動かしているのだった。佐藤さんの中で何かがはじけてしまったような、そんな変わりようだったように思う。
3時間目のプールの授業を終えて、いつものように別々のクラスで着替えて教室に戻ると、佐藤さんは窓側の壁にもたれて、開いた窓から風に吹かれているようだった。頬はやや赤くなって、まだ髪は濡れていた。タオルを首にかけて、他の女子たちとおしゃべりをしている。あまりじいっと見ていると目があったときに気まずいので、僕は次の授業の準備をしながら、横目で佐藤さんの様子を見ていた。そしてまた僕は息をのむ。てっきり上履きを履いて立っているものと思ったけれど、佐藤さんの上履きは机の下に脱ぎ置かれたままで、佐藤さんは裸足のままで立っているのだった。両足を完全に床にくっつけてしまっている。ほかの女子は上履きに、靴下まで履いているのに。もっと眺めていたいと思ったけれど、次の授業のチャイムが鳴ってしまって、佐藤さんは席に着いてしまう。けれど足元は2時間目と同じように、上履きに戻ることはなく、また机の棒のところに置かれているのだった。
この日の昼休み、僕はまた外遊びに誘われたけれど教室に残る方を選んで、塾の教材の適当なページを開いて、習ったことのない問題をとくフリをしながら佐藤さんの観察をすることにした。給食の時間、机を合わせて食べる間は残念ながら足元は見えなくなったけれど、昼休みはまた机を前に戻していたから、僕の席からも佐藤さんの様子はよく見えていた。相変わらず、上履きは机の下に置いて、足を椅子の下で組んでいる。赤くなった足の裏が、僕の方に向けられている。昼休みが半分くらい過ぎたころ、廊下から一人の女子が顔を出した。
「ねえねえ、ネコがいるよ!」
「え、ホント!?」
「どこどこ!?」
即座に反応したのは佐藤さんで、立ち上がろうと足の裏をベタっと床につけた。そして一度机の下の上履きを足で探るそぶりをしたけれど、
「はやくはやく!どっかいっちゃう!」
「まってまって!」
廊下の女子の声に焦ったのか、上履きを諦めてなんと裸足のままペタペタと廊下へ出ていってしまった。廊下の窓から猫を楽しそうに見る佐藤さん、そして机の下には片方がひっくり返った上履きが残されていた。
「もう、リンちゃんってばー」
「だってー、急いでたんだもん!」
「でも、ハダシって!面白いね!」
数分後、席に戻ってきた佐藤さんは、友達から裸足で出ていったことを言われていたようで、少しだけ顔が赤くなっているように見えた。席に着いて、ひっくり返った上履きを足を使って元に戻していたけれど、足をそこに入れることはなかった。上履きを脱いだことで、裸足の気持ちよさに目覚めてしまったのかな…?僕としては一日中もうドキドキしっぱなしだった。
5時間目の国語が始まって、佐藤さんの足はいまだ机の棒に置かれたままだった。国語の授業ははじめ、一人ずつ音読をしていく。佐藤さんの列が当たって、一人ずつ、立って音読していく。佐藤さんの番になると、佐藤さんは上履きを履くことなく、裸足のまますっと立ち上がって、いつものようにきれいな声で、つまづくことなく読んでいった。リズムをとるように、右足をぺし、ぺし、と小さく足踏みをしていたのが印象深い。
帰りの会のまえ、教室の後ろに置かれたランドセルを取りに行く。このタイミングでようやく佐藤さんは、上履きに足を戻した。立ち上がって、手を使ってしっかりかかとまで履いてしまう。流石にここに上履きを置いたまま帰ることはしないかな。そして佐藤さんはこの日からプールの授業期間が終わるまでの約2週間、毎日を素足履きで登校してきてくれたのだ。僕にとっては絶対忘れられないような時期だと、断言できる。いろいろなことがあったけれど、また機会を見て回想していこうと思う。
身体測定の時間、体操服に裸足という格好の佐藤さんを見て、僕はようやくこの記憶を思いだした、佐藤さんと過ごした小学校での1年間。確か佐藤さんとは、4年生で1年間だけ同じクラスになったのだ。5年生になってクラスが離れてしまって非常に悔しかったのを思い出す。4年生の1学期中,プールの後はほぼ確実に素足のまま過ごしていた佐藤さん。そして2学期になったら,朝から靴下を履かずに登校してくるときもあった。授業中の様子もかなりドキドキするものだった。極めつけは、毎日素足で登校してきた2週間。毎日がとても楽しみだった。確か、その期間が終わって、朝から素足で来ることがなくなっても、佐藤さんはことあるごとに靴下を脱いでしまっていた気がする。雨が降ったときや、体育で靴下を脱いだあとなどなど。高校生になった佐藤さんは、果たしてその時のことを覚えているのだろうか。もしあの時のクセが残っていたら…。過度に期待してはがっかりしてしまうし、けれど期待せずにはいられない。いろいろ考えを巡らせていると、いつの間にか身体測定の時間は終わっていた。
つづく