第2話「図書室」
けれど僕は、これをきっかけにプールの授業、とくにその後がとても楽しみになっていた。翌週のプールの授業、着替えを終えてワクワクしながら自分の教室に戻ると、期待した通り、今日も佐藤さんは素足のままで上履きを履いていたのだ。服装は、この前と違うTシャツに、7分丈のジーンズ。濃紺のジーンズから伸びる素足が白くてまぶしい。この日のプールは4時間目で、そのまま給食の時間、そして昼休みになった。僕は先日の一件から学んで、この日は教室にいようと決めていた。いつも外で一緒に遊んでいる男子たちには、宿題があるといって断って、教室の自分の席で塾の問題集を開く。宿題なんて10分くらいで終わってしまうんだけれど、怪しまれないように適当なページを開いてそこを読むふりをしている。
隣に座る佐藤さんとその友達は、いつも教室でおしゃべりをして過ごしているらしかった。すぐそこにいるので、彼女たちの会話が聞こえてくる。佐藤さんは自分の席に座って、他の女子3人がその周りの席に座っている、という状況。ちなみに、佐藤さん以外の女子たちはみんなそれぞれソックスを履いていた。一人はカバーソックスのような、甲の部分がないソックスで一瞬だまされるところだった。しばらくは何でもない内容だったけれど、昼休みが半分を過ぎたころ、佐藤さんに動きがあった。ごくごく自然な動作で、何の脈絡もなく、上履きを履いた足を椅子の下に持ってきたかと思うと、カパカパと、両足のかかとを上履きから浮かせた。ソックスを履いていない分、いつもより空間があったのか、手を使うでもなく、足同士を使うでもなく、いとも簡単にかかとを浮かせ、そしてそのままとても静かに滑らかな動きで、床にそろえておかれた上履きから素足を開放してしまったではないか。机の上では姿勢よく座って、友達の話を聞く佐藤さん。けれど椅子の下では、上履きから解放された素足の指が、せわしなく、くねくね、くねくねと動いているのだ。ほかの女子たちは足元が見えない位置にいるせいか、佐藤さんの突然のプレイに気づくことはなかった。通路を挟んで少し距離のある僕にしか見えないその光景に、僕は思わず息をのんだ。
あまりじっと見ていると佐藤さんに怪しまれてしまうので、僕はあくまで問題集を解いているという姿勢を崩さずに、佐藤さんの机の下をちらちらと見ていた。少しの間、上履きから浮いていた素足は、再びその中に戻ることはなく、上履きの上にむぎゅっとおかれてしまった。上履きはいま、履くものではなく足が置かれるものになってしまっている。佐藤さんの素足はとてもきれいで白くって、靴下焼けなども全然なかった。キズも見当たらない。外で遊んだりしないのかな。そしてしばらくは、素足を上履きの上に置いたままおしゃべりを続けて、昼休みがもうすぐ終わるという頃、また上履きの中へ戻してしまった。昼休みのどこかのタイミングでソックスを履くのだろうと思っていたけれど、どうやらそうではないらしい。昼休みが終わるチャイムが鳴ると、佐藤さんは素足に上履きを履いたまま、教室の掃除の準備に取り掛かった。あれ、じゃあいつソックスを履くんだろう。僕は疑問を解消したかったけれど、担任の先生が来てしまったので、泣く泣く自分の掃除場所へと行かざるを得なかった。
掃除を終えてまた教室に戻る。気持ち急ぎ足で戻ってみると、佐藤さんはすでに自分の席に着いていた。ドキドキしつつ足元を見てみると、どうやら今日はまだソックスを履いていないようだった。確か朝の段階で、佐藤さんは黒いくるぶしソックスを履いていたように思う。それが見当たらなかった。これはどういうことだろう。そのまま5時間目の授業が始まっても、佐藤さんはソックスを履きなおすことはなかったのだ。
昼休みはなかなか刺激的な様子を見せてくれた佐藤さんだけれど、授業中はまじめな佐藤さんのようで、相変わらず上履きを履いた足元はよく動くけれど、それを脱ぐことは一度もなかった。これがなかなかもどかしくって、またしても僕は授業への集中度はいつもよりかなり落ちてしまっていた。家に帰って、しっかり復習しておこう…。
この日は6時間授業で、最後は図書室に行って本を読むという素晴らしい授業だった。調べものとか、これを読めとかいうわけではなく、ただ単純に好きな本を読んでいいよという時間。読んだ後にナゾの感想文を書く必要もない。1週間の中で火曜のこの時間がいちばん好きだった。僕は5時間目が終わると、先週借りていた本をもって図書室へ直行した。この時ばかりは一瞬、佐藤さんのことも忘れてしまっていた。図書室は上履きを脱いで入るようになっている。僕が図書室前の棚に上履きを入れたところで、背後から佐藤さんっぽい声を聞いて、思い出した。入るところで振り替えると、ほかの女子と一緒にこそこそと楽しげに話しをしながら、佐藤さんが来たところだった。見たところ、まだソックスを履いているわけではなさそうで、素足が上履きから見て取れた。一緒に来たほかの女子たちは、みんななにかしらのソックスを履いている。ここで上履きを脱がなければいけないのに、大丈夫かなと思っていると、佐藤さんはごくごく自然なしぐさで上履きを脱いで、素足のままでこちらへ向かってきた。僕はあわてて図書室の中へ入り、一番近くの新刊が並ぶ棚のところで立ち止まる。その横を、素足の佐藤さんやほかの女子たちが通り過ぎていった。図書室の床はカーペットが敷かれていて、足音はならないけれど、佐藤さんの素足のかかとは赤くなっているのがわかった。
座る席は自由で、読む本も自由。ただ図書室なので、静かに過ごさねばならない。僕はいつも決まった書棚の近くの席ではなく、今日ばかりは佐藤さんの様子が見られるような場所を探して座ることにした。幸い、この時間はいつも一人でいるから、ほかの男子に誘われることもなかった。佐藤さんたちは窓際のテーブル席に座って、それぞれイラストのついた本を読んでいた。小学生向けの児童書だ。僕は新刊の棚から好きなミステリー小説(どちらかというと中学生向けの)を持ち出して、佐藤さんが見えるような、それでいてそこそこ距離の離れた席に座った。ちょうど佐藤さんの後ろ姿が見えていて、はじめは姿勢よく、裸足の足をテーブルの下にそろえて置いていた。みんながソックスを履いているのに、かわいくて真面目な佐藤さんだけが裸足。そんな状況に僕のドキドキは止まらなかった。やがて佐藤さんは足を後ろに引き、椅子の下で足の裏をこちらに向けて組んでくれた。先ほどより赤さは引いたものの、汚れはなく、まだ足の裏全体がほんのり赤くなっている。そしてなによりドキドキするのは、足の指がくねくねと動く様子を見た時だった。柔らかそうな足の裏と、ぷにぷにとした足の指。僕の席からは遠いけれど、机の下にあるそれらがよく見えた。僕は本の内容なんて全然頭に入ってこなくなって、佐藤さんの足の動きを凝視していた。
やがてチャイムが鳴って、その日の授業はすべて終わる。結局僕は本に集中することができず、2ページほどしか読み進めることはできなかった。その本の貸し出し処理をしてもらうことにして、図書室の先生の処理が終わって振り向くと、すぐそこに佐藤さんが立っていた。同じく本を借りるらしい。
「あ、ごめんね」
「あ、うん」
危うくぶつかりそうになって、あわてて僕は横によける。佐藤さんは後ろ手に持っていた本を、カウンターに差し出していた。ほかのクラスメイト達は借りないのか、先に図書室の外に出ていた。僕も、いつもよりゆっくりした動作で図書室の外にでる。その後ろから、声をかけられた。
「その本、面白い?」
びっくりして振り向くと、本を体の前でぎゅっと抱きしめた佐藤さんが立っていた。上履きをまだ履いていないので、裸足のままだ。
「う、うん、面白い、よ」
「そうなんだ。どんな内容なの?」
佐藤さんは上履きを取り出して、素足をそこに突っ込みながら、重ねて聞いてくる。まさか佐藤さんの方から声を掛けられるなんて思わなくって、僕はどこに視線を向けていいかわからないまま、けれど足元を見てしまうといけないと思いつつ、結局は明後日の方を向いて答えた。
「えっと、ミステリー、かな」
「ミステリー!甲斐くん、難しい本、読むんだね」
確かに、僕が持っていたのは、小学生向けの文庫ではない、やや小さめの本だった。
「そんなに難しくないよ」
「そうなんだあ。今度、内容教えてよ!」
そう言って、佐藤さんは素足で上履きを履いて、手を使ってかかとまでしっかりと履きなおすと、先を歩いていたクラスメイトのもとへパタパタと足音を鳴らして歩いていった。ジーンズから伸びる素足。それがそのまま上履きに突っ込まれている後ろ姿を見て、僕は最高にドキドキしてしまった。
つづく