消えた女優魂
ピッピッピ……
聞き慣れた機械音が一定のリズムを刻む。
目を開けると、見慣れた白い天井。
「気が付いたか!?」
共演者の男が言う。
名前は…なんだったけ。忘れた。
まあ、今話題の俳優ではあるらしい。私は知らない。
顔だけで売れたんだろう、素人である私から見ても演技力というものは皆無に近い。
そう、何を隠そう私は素人なのである。
女優なんて大層な職業を生業とはしていない。
では何故、カメラを前に話題の俳優と
余命宣告を受けた彼女とそれを献身的に支える彼氏とかいう
こんな見飽きた設定の恋愛ドラマ撮影をしているのか。
正直私も疑問である。
突然の病に倒れ、目が覚めたらあと数年も生きられないと言われ、
この病室が家のような存在になってしまった私が、何故こんな状況に置かれているのか。
なんでも、たまたまこの病院で撮影された医療ドラマに私が映り込んでいたらしい。
それを女優の卵だと勘違いした連中どもが
「この子は誰だ?逸材だ!!」とかなんとかネットで騒ぎ立て、
一躍時の人となってしまい、今に至る。私からしたら飛んだ災難だ。
女優の卵でもなければ、
調子が悪い演技をするのが得意なエキストラなんてものでもない。
ただただほんとに調子が悪かっただけの一般人だ。それをこうも話題にされるとは。
某動画サイトに視聴者を奪われ続けるテレビ業界も必死なのだろう。
話題になった女が私だと分かった瞬間、秋の特番ドラマに出演しないかと声をかけてきた。
もちろんのこと、私は乗り気なわけがない。断る気しかなかった。
なのにあのふざけた担当医は
「いいじゃん、せっかくだし!病院でやることなんてないんだからやろうよ!!」と
私の意思をガン無視して二つ返事で撮影を承諾した。
と、そんなこんなで私に決定権なく始まった撮影も数か月が経ち、
ついに彼女の命が尽きるというクライマックスを撮ることになったのが今日。
運が良いのか悪いのか、今日の私はすこぶる調子が悪い。
いつもの少し顔色を悪く見せるためというメイクもしなくて済んだくらいに。
俳優の男が演技の一環として心配そうに私の顔を覗き込む。
そうだ、次は私のセリフだ。
大根芝居にもほどがあると呆れられても仕方がないような棒読みで
窓から見える冬支度を終えつつある木をボーっと眺めながら、私はつまらない言葉を呟く。
「あの木の葉最後の1枚が落ちると同時に私も死ぬのかな。」
死ぬ予定の私よりもつらそうな顔をして私の手を握りながら、男が言った。
「そんなこと言うなよ!まだ2人で行くって約束した遊園地も旅行も行ってないだろ、
ちゃんと病気治して一緒に行くんだろ!」
なるほど、セリフは置いといてこの男、表情の作り方は上手いのかもしれない。
ここで私の意識が遠のいていく設定だ。
そんなことを考えながら、私はゆっくり目を閉じようとする。
外の風が強く吹き、窓をガタガタと鳴らした。
横目でさっきの木を見ると、最後の1枚だった木の葉が風に揺られて落ちていった。
なんというタイミング。もしかしたら撮影スタッフが人工風でも吹かせたのかもしれない。
ええと。次はなんて言うんだっけ。
ああ、そうだ。
おかしい。身体には力が入らない。
役に感情移入した感情的な涙なのか、
上手く呼吸が出来なくて苦しくて出てきた生理的な涙なのか。
どちらかも分からない涙を流しながらどうにか声を絞り出し、掠れた声で私は言う。
「ありがとう。」
ピーーーーーーーーーー。
無機質な機械音が病室に響く。
彼女の担当医が血相を変えて病室に駆け込んできたのは、
「あっ!心電図モニターの音の細工するの忘れて…え……?」
という撮影監督の呟きの直後だった。