紗那の憂鬱
紗那の憂鬱
静岡新エネルギー研究所、白羽財団、遠州電力、合同開発事業千浜研究所内、第一ラボ。
神奈川の白羽産業から、開発研究員として、この施設に赴任した紗那。
白波が立つ海岸線、静かな足取りで此の砂浜を歩いている。
夕暮れに染まる水平線から波打ち際にさざめく波模様が、まるでオレンジジュースを絞ったように、夕日と海とが企んでいるかの如く輝いていた。
「気持ちいいな・・・」呟いた。
風に揺れる黒髪を両の手で押さえながら、波打ち際から沖へと目線を移した。
「うさぎが・・跳んでる」
強めの風が波がしらを白く染め、それが幾つにも波間に見え隠れしている。
細かに揺れながら、勢いよく飛び跳ねる白兎の群れの様・・・。
サンダルを草の上に置き、素足にまとわりつく砂を片足を上げなら片方づつ掃った。
「さあ、お仕事、お仕事・・・」
独り言を言いながらラボに戻ると、数人の男達が何やら騒いでいた。
「やったじゃないか!やっぱり、紗那さんの理論は間違ってなかったんだ。しかし、凄いな・・・こんな事が現実に起こるなんて」
その場に居る若い研究員達の興奮が体の震えとなって、異様な光景を見せていた。
「ああ、とんでもない事だよ、まさか光速で走り出すなんて・・・質量が無かったんだ、
グラビトン(重力子)もやっぱり・・・」
その様子を見ながら、紗那が近づいた。
「あ、紗那さん!理論通りでした!紗那さんの波動方程式からの即場のデザインは、本物だったようです」
真っ赤に高揚した顔を向けながら、若い研究員の一人が、紗那を見つけるなり興奮した口調で言った。
「えっ、では、例の実験、早々にやってみたんですか?・・・」
おどけた仕草でひょこっと肩をすぼめ、取り囲む若い研究員達を見回しながら、紗那が
尋ねた。
「はい、昼の休憩中に所長の方から連絡が来て、重量子磁場発生装置の使用が許可されたんです、どうやら、千浜原発からのエネルギー供給が始まったみたいで」
(思ったより・・・早いな・・・)
心の中で呟いた。
この研究施設には、三つのラボがある。今現在、遮那が在籍している第一ラボ、そして、
第二、第三ラボの三つだ。
これらの他に二種類の実験棟と、特別なラボが一つ有り、所内ではSラボと呼ばれている。第一ラボでの研究内容はと云うと、現在この施設で行われているメインステージである、波動理論の構築(即場デザイン)。第二ラボに関しては、構築されたデザインの視覚化の研究。それらを纏め、実用化するのが、第三ラボである。
そして、今回、結果を出した第一ラボからの即場デザインを元に、第三ラボで行われた実験結果が、所内に伝えられたのであった。
興奮冷めやらぬ事態の中、研究施設前のワーキングオアシスに、第一ラボの主任研究員、
野島の姿があった。
「よう、野島、良くやったじゃないか」
一人の男が近づき笑みを浮かべ、コーヒーを飲んでいる野島に声を掛けた。
「あ、第三ラボの望月室長・・・有難う御座います、今回は早々に実験して頂いて」
飲みかけたコーヒーカップをテーブルに置くと、深々と頭を下げ、野島が礼を言った。
「大変だったんだぞ、第二ラボを飛ばしての実験だったからな、噛みつかれたよ、第二室長にこれでもかってな、まあ、何とか宥めたけど」
立ち上がろうとした野島の肩に右手を掛け、そのままでいいと云うような仕草をすると、
テーブルを挟んで腰を下ろした望月が、続けて言った。
「そこでだ野島、来ないか、こっちに」
「えっ、第三に・・・ですか?」
「ああ、実は今回の結果に上層部が色めき立っている・・・すぐにでも実用化して
Sラボに渡せってな・・・それで、お前の力が必要って訳だ」
そう言うと、スーツの内ポケットから、止め金具のついたパスケースを出し、きょとんとしている野島の前に置いた。
「こ、これは・・・フリーのパスじゃないですか・・・ふたつ?」
おどけている野島に、望月が尚も言った。
「これが在れば此の施設、何処も出入り自由だ、まあ、Sラボにだけは入れないがな」
「二つ在りますが・・・」
「お前が必要とする人間に渡せばいい」
立ち上がった望月が、野島の顔を見ながら、にっこりと笑った。
「えっ、じゃあ・・・誰でもいいんですね」
「お前の判断で決めればいい」
「いつからそちらに行けば・・・いいですか」
「早いほうがいいな、三日後には、実験スケジュールの発表をしなくちゃあならんからな」
「わかりました、では、早急に準備します」
カシミール
次の日、第三ラボの中、真新しい白衣を着た二人の姿があった。
「本日付でこちらにお世話になります、野島です」
数十名の研究員と開発工務スタッフの見守る中、最初に野島が挨拶をした。
「遮那オーフィスと云います、お役に立てれば嬉しいです、宜しくお願いします」
ラボ内が軽く騒めいた。
(彼女だ・・・)
(ああ、今回のエースだ)
「さて、歓迎会は後日あらためてと云う事で、案件の発案者が来てくれた、全面協力で完成に以っていってほしい、時間も無いことだし早速取り掛かってくれ」
室長の望月が檄を飛ばす。そして、各人、所定の位置へと就いた。
六十代位だろうか、ひとりの老齢な研究員が二人に声を掛けてきた。
「野島さんに、えぇ~っと、遮那・・・さん、で宣かったかな?」
白髪交じりの少し長めの髪と、ツクツクと生えている髭が、如何にも博士と云う感じだ。
「ああ、申し遅れた、アドバイザーの中村です・・・」
「野島です」
「遮那オーフィスです」
「さて、挨拶はこれくらいにして、君たちに見てもらいたい物がある」
彼らを背に、中村がついてくるようにと促した。
第三ラボの中程に、左右を仕切ったパーテーションがある。その右側に取り付けられたドアを潜り、先に進むと、今度は分厚い扉があった。中村が胸ポケットから取り出したガラス版のようなパスケースを、その扉に近づけただけでガチャっと開いた。
「さ、中へ入って」
急かされるまま、二人が入ったことを確認すると、両手で思い切り扉を閉めた。
一瞬真っ暗闇となったが、直ぐにLEDライトが眩しく室内を照らした。
すると、まるで何かのコントロールルームのような様式が二人の目に飛び込んできた。
その横長に伸びたコントロールデスク、その右側から階段状に下へと降りるルートが設けられている。二メートル程降りると、広がりを見せるステージに、長さ一メートル程で、直径三十センチ位の円筒状のものに、チタンとわかる線状のものがびっしりと巻かれているコイルが、まるでピラミットのような物体の四面に幾つも取り付けられていた。
初めて見る異様な装置に、野島と遮那は困惑した。
「こ、これは・・・一体・・・」
少し落ち着いてきた頃、野島が中村に尋ねた。
「カシミール・・・」
その物を見ながら、中村が言葉にした。
「カシ・・・ミール・・・?」
遮那が確認するように、中村の顔を見つめ、聞き直すのだった。
「そう、カシミール・・・私が名付けた」
「何をする装置なんですか?」
更に野島が訪ねる
「カシミール効果・・・ご存知ですよね」
静かな口調で中村が聞いてきた。
「真空状態となった空間域に置かれた二枚の金属プレート間に現れる仮想光子、
そして、この領域に現れた光子エネルギーは、限りなく負に近い・・・なのでは」
さらりと言ってのけた遮那に、驚きながら中村が感心した。
「まあ、付け加えるなら、ハイゼンベルクの不確定原理である空間内がゼロとの仮定をした場合、同プレート内を動き回る仮想光子が作り出さすマイナスエネルギー、と、云ったところかな・・・いや、見事、流石だね、君達のおかげで重量子の高速移動が確実のものとなった。これで、このカシミールが実用段階へと入れる」
(えっ、じゃあ、これは・・・量子コンピューター・・・では無い?)
叫びたくなる程の落胆が、心の中で破裂しそうだった・・・遮那は俯いたまま、黙った。
「では、この装置のポテンシャルと・・・目的と云うのは?」
声が上ずっている野島が問い詰めた、明らかに高揚している。
「まあ、簡単に言ってしまえば、常空間でのブラックホール出現、ってとこかな」
「まさか、そんな事・・・いくら何でもそれは・・・それには、膨大なエネルギーが必要でしょ、そんなエネルギーは・・・此処の千浜原発からの供給量だけでは無理が」
困惑しながら野島が呟いた。
「はっははは、だから、君たちに感謝してるんじゃないか」
「重量子の高速化・・・ですか?」
すかさず遮那が問うた。
「その通り、それが原子力エネルギーを、何十倍ものパワーに押し上げてくれる」
(何て事!私は・・・とんでもない物に・・・力を貸してしまった)
」
遮那の瞳に、絶望の色が広がっていった。
(直ぐに・・・襲様に・・・知らせなくては)
「では、二人とも、そこの波動制御ポジションで、重量子のモニターをしてくれないかな」
数あるモニターの一つを指差され、そこのポジションについた。
「そこのケースにマニュアルと波動方程式の即場デザインが入っているから、なるべく早くに頭に入れて置いて下さいね、そうそう、ロックキーはこれだから」
そう言うと中村は、徐に胸ポケットからプラスティック製のパスキーを出し、野島に渡した。
「じゃあ、頼んだよ、あ、それから、此処から出るときは、そこの扉に付いている星型のマークを押してくれ、内側からは開かないからね、随時向こう側に監視員がいるから、出るときは星型押してね」
その星型を押し、中村が出て行った。コントロールルームに残された野島と遮那は,預かったパスキーでロックを外すと、コンピューター上の画面に映し出されたマニュアルと称する物を見つめるのだった。
「どうですか?あの二人は、アドバイザー」
「ああ、室長、大丈夫ですよ、特に野島君は、食い付きがいい」
「彼女は、どうですか?」
「遮那・・・さんね、彼女は抜群ですよ、いい拾い物をしましたね、いずれは此のラボを仕切る位の人物でしょうな」
「やはり、中村アドバイザーのお墨付きは貰えるかと思ってましたけどね」
「ハハハハ・・・楽しみですな、彼女」
「さて、では、いつ頃動き出せますか、カシミールは?」
「二人の教育が終わり次第、GOサインてとこでしょうかねえ、多分呑み込みの早い二人ですから、ここ一週間以内には・・・ね」
「中村アドバイザー、わかりました、では、上にはそのように伝えておきます」
「十年ですか・・・長かったような、アッと云う間のような・・・これで、苦労が報われますな室長」
「はい」
進んでゆくマニュアルを見ながら、遮那が驚愕した。
(ま、間違いない、これは・・・時空間に穴を開け、別次元に干渉する装置・・・何の為に)
「遮那さん、これって、とんでもない装置ですよ、まさか現実にこんな物が出来るなんて、此のまま行けば、タイムマシーンだって夢じゃない」
興奮しながら野島が言った。
(この人は何もわかっていない、このパワーを以ってすれば、太陽からの光さえ歪めてしまう・・・そんなことになれば、今の世界は・・・闇に包まれる)
次の日の朝、掛川駅の新幹線ホームに、遮那の姿があった。
発動
「ちっ!何処までやられた?」
第三ラボ内コントロールルーム、数人の男達が慌てふためいている。
「ウイルスの特定には少し時間が・・・な、なんてこった!即場デザインの殆どが・・・
畜生!やられた!」
「バックアップを切り離せ!」
「フィードバック回路が・・・勝手に・・・暴走してます!」
「急ぐに破壊しろ!其処のポジショニングコンピューターを破壊しろ!早く」
自死装置が働き、一つのコントロールボックスが完全に停止した。
「最後に出たのは誰だ?」
「あ、中村アドバイザー、先ほど確認が取れました、遮那オーフィス研究員のようです」
若い研究員が答えた。
「何て・・・ことだ・・・それで、野島はどうした?」
「先程、第一ラボの室長が連れて行ったようです、多分、実験棟の方かと」
実験棟の大きな扉の横でうずくまっている一人の男を、背広姿の男達数人が取り囲んでいた。
「野島だね、君の身柄を拘束する、いいね」
そう言うと、野島の両脇を抱え込み、無理やり立たせ連れ去って行った。
破壊工作が行われた第三ラボでは、被害状況が刻一刻と報告される中、室長の望月が
忙しなくタブレットを叩いている。受けた報告を何処かに知らせているようだった。
その後、胸ポケットに入れた携帯が鳴った。
「そう云う事です、はい、田島常務にはそのようにお伝え下さい、レベル3で」
神妙な顔つきで電話を切ると、打ち終えたタブレットを小脇に抱えた。
「急がねばならんな、第三ラボをダミーにして置いて良かった・・・流石、白蓮様」
報告の後、望月の姿がSラボにあった。
「諸君、もう既に聞いてはいると思うが、スパイが入った。よって、来月の予定だったコンタクトは、五日後に変更!各人、シュミレーション通り本番に備えよ、これは訓練ではない、もう一度言う、五日後に変更、本番に備えよ」
アタック
「まいったな、予定が完全に狂った、何か月ぶりかで連休が取れると思ったんだけどな」
「そんなもんだ、こっちだって、明日お袋が来るはずだったんだぜ、宥めるのに大変だったんだから」
新エネルギー研究所から西へ二十キロ、同じ海岸線にある広大な中之島砂丘、その一か所に、あまり高さのない松林に囲まれた二階建ての建物が、ポツンと建っていた。
その屋上から空に向かって、真っ直ぐに伸びたアンテナのタワーが見えている。
トップに取り付いている少し変わったパラボラに、一人の男が作業をしていた。
「おーい、どうだ、この位置でいいかぁ~?」
襟元についた無線のマイクで、建物の中にいるであろう人物と連絡を取りながら作業を進めているようだった。
「ああ、その辺でいいだろう、微調整はこっちでやるから早く降りて来い、風が強くなりそうだ」
「了解!ほんとにいいんだな、後でもう少し右だった何て、言わないでくれよ」
「はっはは、いいから、早く降りて来い」
分厚い鉄筋コンクリートで出来上がっている建物の二階でオペレーションをしている人物が一人心配そうに、パラボラの調整でアンテナに上がっている男の姿をモニター越しに見ていた。
そのアンテナから、腕回りほどの同軸管が何本もこの室内に侵入している。それは、一度この二階を素通りし、一階の機械室へと入り、室内いっぱいに据え付けられた幾つもの機械に接続されていた。
その機械群から、巨大に束ねられたハーネスが、今度は二階のコントロールルームへと入り込んでいる。
そして、数々の計測器が立ち並ぶオペレーションユニットが、只ならぬ様相で幾つかあるモニターの画面に、奇妙な文様を写し出させていた。
「おいおい、ほんとに風が強くなってきたな、早めに切り上げて正解だったよ」
アンテナ調整でタワーに上がっていた男が、外階段から二階の部屋へと入ってきた。
「ああ、しかし、何でこんなに急ぐんだろうな、まあ、先行してたから良かったけど」
スライドスイッチを幾つか操作しながら、室内にいた男が言った。
「で、確認できたのか、座標は」
「ばっちりだ、研究所から送ってきた座標は、ここのカウンターにドンピシャだった」
「なら良かった、後は、此処にある受容体の許容を超えなきゃいいが・・・しかし、まさか今夜って・・・先に晩飯食っとくか?」
その頃、新エネルギー研究所内Sラボでは、実験開始六十分前のカウントが始まっていた。
「どうだ、安定しそうか?」
室長であり此処の全責任者である望月が、コントロールパネルで忙しなく作業をしているオペレーターに聞いている。
「はい、今、最終シュミレーションをカシミールにやらせてますが・・・ちょっと・・・」
「ん、どうした?」
「ステージ1で通過するニオブ酸リチュームのZ値が・・・少し低いような・・・」
「で、どうしたらいい?」
望月の眉間にしわが寄る。
「大丈夫です、許容範囲には入っているので・・・いけると思います、否、大丈夫いけます」
「わかった、このまま秒読み続行でいいな?」
「はい」
「レーザービーム照射角度は大丈夫か?」
「はい、飛び込みはオールクリア!いつでも先行パルス、撃てます」
「ステージ2の状態は?」
「バイブミラーの振動数値に変化なし、このまま行けます」
「よし、いよいよだな・・・中之島に連絡してくれ」
「了解!」
「望月室長、いい感じで、きてるじゃないですか」
いつのまに入ったのか、森田と云う男が望月の背後に立った。この男、先の白蓮から仕事の依頼を受けた人物。
「森田か、珍しいな、此処に来るのは嫌だったんじゃあなかったか」
「くくく、最終仕上げってやつを見たくってね、やっとの思いで持ち帰った資料だからな、少しは感謝してくれよ」
「ああ、わかってるさ、あの研究資料がなかったら、この計画は絵に描いた餅だったからな、しかし、良く手に入ったもんだ」
「なぁ~に、其処彼処の研究所ってところには、大学のそれも含めてな、俺たちの目となり耳となる奴らが入り込んでいるのさ、だが、こいつに関してはヤバかったんだぜ、まさか、研究者が言霊を使うなんてなぁ~」
「おいおい森田、まさかお前の口からヤバかったなんてセリフを聞くとはな」
フォトン
十年前、横浜にある某大学の一研究室、白衣姿の一人の男が忙しなく動き回っている。
「やった!思った通りだ、振動数がカギだったんだ。物質変化における反応速度、それに伴う構造論的理論の構築、只、早くすればいいってもんじゃあなかったんだ。活性化エンタルピーとエントロピー、一見、乱雑に見えるエントロピーも反応環境によっては規則正しい溶媒和となって整列するんだ。そうだったんだ、そう云う事だったんだ」
肩を震わせながらパソコンに向かうと、己の構築した理論に酔いながら、キーを打ち始めた。
どれ位の時間が経っただろう、気が付くと窓の外がうっすらと明るくなり始めていた。
「よし、最終課題クリアー!」
大きく背伸びをした後、バックアップを取り、全ての研究内容をメモリーに落とした・
「まじかぁ~、ノーベル賞もんだぞ、これで俺も教授だな、否、それ以上か」
「くくく、おめでとさんよ・・・でもな、教授にはなれないんだなぁ~、これが」
何処から入ったのか、気配が全くなかった。研究室のドアは内側から強固なカギが二重に掛かっている。
「い、いつの間に!誰だ!」
「ん、誰だ?って、お前が知ってどうするよ、それより、そのメモリー、渡してもらおうか、ん、まあ、すんなりとは渡せないよな、先生」
「な、何だぁ~・・・感じる波動が常人を超えてる?・・・お前、人じゃないな」
身構えた。
それを聞いた森田が言う。
「お前達フォス(日の民)には、我らスキア(影の民)の存在はわからない筈、それが・・・分かると?」
その間にも身構えたまま、口元に添えた小指に練った言霊を絡みつかせた、そして、目の前にいる不審な男目掛けて、放った。
油断していたのだろう、まともに食らった体がのけ反りながら後ろへと吹っ飛ぶ。
「ぐげぇ~!」
倒れ込んだ男の体を、尚も螺旋状に巡る言霊の帯が締めこんでいる。
「な、何だ!こいつ、消えてゆく!」
もがきながらも、男の体が僅かな影の中に消えた。
そして、今度は窓際の暗がりから姿を現した。
「危ない危ない、もう少しで黄泉送りになるところだった・・・凄まじいな、お前」
右に左にと首を振り、体制を整えた男が今度は仕掛けた。影に入った右手から、筋状の闇が相手の首に絡みつき、その闇は侵入するや否や、心臓を締め上げた
即死した体は静かに床へと倒れ込む。
雨宮恭二・・・此処に、死す。
暴走の波動
「こちら中之島、了解した。カウントダウンのシンクロ続行で宜しいか?」
中之島の受容棟に、研究施設Sラボから連絡が入った。
「さあ、いよいよだな、上手く道案内してくれよな、さて、衝撃吸収ワークはどうなっている?」
「大丈夫だ、活性化パラメーターにノイズは無い、オールクリアー」
オペレーションに就いている男の指が、休む間もなくパネルスイッチの上で飛び跳ねている。
「よし、軌道相関の電子吸引基係数の最終呼び込み開始!」
「ハメットプロット値、百パーセント!」
「さあて、乗ってくれよ、直線軌道に」
そして、秒読み最終十カウントになったSラボ内。
五秒前・・・。
「第一ステージ、ロック解除!トリガー、オープン」
秒読み、三、二、一、ゼロ
「カシミール、発動!」
望月の号令で、Sラボ内に緊張が走った。
「トリガー、ON!、レーザーパルス、ステージ1通過!気相反応良好」
「ニオブ酸リチュームA、安定」
「第二ステージ侵入確認!パルス、ロック解除、ビーム出力に切り替え」
「重量子モニターON!室長、視覚確認出来ます」
レーザー軌道を食い入るように見つめていた望月が、言われたモニターへと目線を移した。
「よーっし!いいじゃないか!供給エネルギーは安定してるな、上下変動も無い」
「第三ステージ侵入!」
「反応方向に注意しろ!十分貯め込んでから撃て」
規則正しく巻かれた数本のコイルから、パリパリと音を立てながら、青白く輝く小さな稲妻が走り始めた。
「さあ、行くぞ」
望月の声も、さすがに上ずっているように聞こえた。
その間にも、貯め込んだ強力なエネルギー値が、ゾーン・マックスへと入っていった。
「充填率百パーセント!バイブミラーへの反応速度良好!振動数、テスラ値マックス!」
「撃て!」
「量子レーザー砲、発射!」
ずずーんと腹に響く音が、Sラボ内に木霊している。
「来たぞ!」
中之島受容棟に緊張が走った。
「よし!捕まえた、ロックだ!早くロックしろ!」
一瞬、沈黙が支配した。
「お、おい!どうした!早くロックを!」
「駄目だ!ロック出来ない!な、何なんだぁ!引っ張られてるぞ!うわ、モースモニターにFが出た!直線が崩れる!」
「な、ブレ始めたってことか!曲率が・・・放物線になったって事か」
パニックになった頭は、経験以上の答えを出してくれない。
「ラボに連絡!」
モニターを監視していた一人が叫んだ。
「こちら、中之島受容基地!緊急通報、Sラボ応答せよ!」
その間、室内には緊急警報が鳴り響き、パニックに拍車をかけた。
「駄目だ!ノイズが酷くて・・・こちら中之島、ラボ!聞こえるか!」
「繋がらないのか?畜生・・・よし、有線で行く」
そう言うと、壁に掛かっている受話器を外し、ラボを呼び出すのだが・・・。
「こいつも駄目か!ノイズで鼓膜が破れそうだ」
新エネルギー研究所、Sラボ内。直線を保てなくなった量子ビームが、大きく弧を描き始めた。それを確認したオペレーターから悲鳴が上がる。
「室長!光子エネルギーが・・・ああ・・・駄目だ!引っ張られてゆく!」
「パルス!もう一度パルスを打て!」
望月が叫んだ。
「パルス発射!」
間髪入れず、コントローデスクに座っていた若い研究員がトリガーを引いた。
「そ、そんな!パルスが・・・消滅しました」
「一体何処に以って行かれてるんだ」
冷静さを取り戻した望月が誰に言うでもなく呟いた。
「最終現着地点を確認しろ」
「室長、止まってます!光子ビーム、ある地点で止まってます」
「わかった、座標を取れ、直ぐに」
「あぁー、このままでは・・・暴走します!」
「仕方ない、実験中止!繰り返す、実験は中止!」
制御カウンターにいる研究者達が、パワーコントロールのスライドスイッチを
下げてゆく。
「第三ステージ、パワーオフ」
「第二ステージ、下げいっぱい!停止」
「おい、どうした!初号制御!早く止めろ」
落ちていかないステージ1のオペレーターに、望月が叫んだ。
「だ、駄目です!パワー、コントロール出来ません!ああ・・・吸い込んでます!エネルギーホールが・・・ゼロ一,五ジュール!・・・一、八!二、六!」
「メイン電源をカットしろ!コイルからの暴走波に注意!」
カシミールと呼ばれた装置が青白く輝くと、ラボ内に緊張が走る。
「まずいな・・・。」
苦い顔になった望月の歯ぎしりが聞こえた。そして、制御室の一デスクのパネル隅から小型の無線機らしき物を取り出すと、電源スイッチを入れ、プレストークボタンを押した。
「千浜原発、第一炉指令室聞こえるか、Sラボの望月だ」
「ホットライン確認、こちら千浜第一!Sラボどうした?」
「エネルギー供給を停止してくれ」
「了解した。十五秒後に供給率0となる」
「すまない・・・後、説明する、以上」
「千浜、了解」
落ち着きを取り戻し始めたSラボ内、原因を探るべく所員全員が血眼になって作業をしていた。
「中之島とは連絡がついたのか?」
「はい、先程向こうから連絡が来ました」
尋ねた望月に、モニターを凝視していたオペレーターが、振り向き言った。
「そうか・・・ところで、最終座標は確認できたのか」
「あ、はい、ピンポイントで把握できたんですが・・・」
口ごもったオペレーターの表情から血の気が引いている。
「おいおい、どうした?何かあったのか」
「は、はい・・・実は・・・いえ、何回も確認したんです、何回も、他の人間にも確認してもらったんですが・・・」
「どうした、はっきり言わなきゃわからんぞ」
「実は・・・現着地点に・・・生体反応が幾つか」
「な、何だって!それで、物は・・・」
「一瞬だったものですから・・・モニターを再チェックするまでわからなかったんです」
「猪か鹿とかじゃないのか?」
「それは、まだ何とも・・・」
やり取りの中、もう一人の研究員が二人の話に割り込んだ。
「室長、ちょっと・・・こちらのモニター見て頂けませんか」
そう言いながら、自分の受け持ちだったコントロールデスクまで望月を呼んだ。
「こ、これは・・・・」
望月の表情が険しくなった。
「そうなんです、この場所で発現したようです、グラビトン・・・が」
「それで?」
「はい、詳しく分析した結果、パチンコ玉ほどの穴が数か所、開いたようです」
「何だと、時空間に穴が・・・か・・・まあ、パチンコ玉位なら・・・」
「いえ、もう一つ、・・・少し大きい奴が」
「どれ位だ」
「直径四百ミリ位・・・一瞬ですが・・・」
「くっ!シャレにならんな・・・ん、何だこの白っぽい光は」
「それが・・・生体反応のあった何かです、直ぐに消えましたが」
モニターを指差しながら、望月の顔色を伺った研究員が別の波形をモニターに移した。
「時間軸の波形です。分析の結果、パラメーターがマイナスへと・・・振れてます」
「これは面白い、すると何だ、この穴に吸い込まれた生命体は、過去に飛ばされたと」
「はい、数時間前なのか数日か、数か月前か、その辺りに」
申し訳なさそうに話した研究員に、望月が・・・
「はっははは!がっかりするな、ある意味これが欲しかった。二段階も三段階も飛び越えたが、結果オーライってか。くくく、成功だよ、成功したんだ」
それを聞いていた所員達が、安堵の表情へと変わっていった。
「今回の事象、分析結果を大至急まとめてくれ、総がかりでな、事細かく頼む」
にわかにSラボ内が騒がしくなった。
ラボ内の隅で一人ソファーに座り、事の成り行きを見守っていた森田に、望月が近づいて行った。
「頼みがある」
「くくく、そら来た、今回は御免被る、他の者に言ってくれ」
座り直した森田の両手が左右に振れ、お断りの合図をした。
「事が事だけに一部始終を見たお前でなけりゃ頼めやしないよ、理事長には報告がてら、その旨伝えておくから・・・頼む森田、お前のチームで・・・な」
「言い出したら聞かない奴だからな、俺よりも頑固だし、仕方ないか、前の案件、上手く処理出来なかったからな」
「そう来なくっちゃ、・・・あ、君、例の座標、メモしてくれ」
一人の研究員が手早くメモに書き写すと、催促している望月の右手に渡した。
「これが現着点の座標だ、調査内容は今聞いた通りだ。宜しく頼む」
「めんどくせえな、ま、ちょっくら行ってくるかね。望月、今回の貸しは、高くつくぜ」
手渡されたメモをポケットに押し込み、くるりと向きを変えた森田が開いた扉から出て行った。