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続・お祓い屋 京助 報復の城  作者: 浮子 京
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闇戯れ

(ひびき) 一馬(かずま)先生。こう見えても、ベストセラー作家なのだ。

彼の描く恋愛観が、今時の若者だけに留まらず、幅広い世代に感動と共感を与え、認知されるや否や、押しも押されぬ人気作家となった。

特に、代表作の(牛小屋のカマキリ)と云う恋愛小説は、団塊の世代を中心とするオジサン達の間でも、郷愁を誘う最高傑作だと、すこぶる評判がいい。

高梨暮葉女史にとっては、それを越え、更なる最高傑作を世に出してほしいと願うのは、当然のことなのだろう。


「たかが月刊誌の特集だからといって、高を括っていたんでしょ」


「いいえ・・・とんでもない。只、ちょっと寄り道しちゃったものですから」


「ちゃっちゃと終えて、次の小説の構想を考えて下さい」


「あ、はい。では、ちゃっちゃと」


 困惑しながらも、キーボードの上では指先バレリーナが踊っている。

 暫くして、書き終えた文章をUSBメモリーに落とすと、室内ベンチに深く腰かけ、待ちくたびれて痺れを切らしている彼女に、ペコリと頭を下げ渡した。

 襟元を直しながら立ち上がった彼女の着るダークグレー色をした上下のスーツは、おしゃれには無頓着な一馬が見ても、仕立ての良さが何となく分かった。

 少しだけ茶色に染まった長い髪は後ろでアップ気味にまとめられ、後れ毛が浮かぶ白いうなじが、妙に色っぽかったりもする。


「はい、頂きました。先生、ご苦労様でした。早く直した方がいいですよ、エアコン」


 そう言うと、大事そうに手渡されたメモリーをバッグに仕舞、片手を上げたかと思うと、一目散に部屋から飛び出して行った。


「忙しい人だな。あ、僕のせいか」


 申し訳なさそうに頭を掻きながら、大きく両手を伸ばすと、思いっきり背も伸ばし、息を吸い込んだ。

 ふと、プリンターの置かれているテーブルに目を向けると、いつの間にかそこの隅に缶コーヒーが一本置いてある。一馬の好きな銘柄だ。多分、暮葉女史が置いて行ってくれたのだろう、そういう人なのだ。

プルトップを引き上げ、遠慮なく頂く事にした。

開け放たれた窓の外から虚脱した空気がはびこる此の部屋の中へと、明日も嫌になる位い暑くなることを予感させながら、一日の終わりを告げる様に夕焼けが差し込んでいる。

二か所の窓を閉めると、スリープをクリックし、パソコンを閉じた。


「さてと、君は何を食べたいかな? 晩飯」


 昼飯も食べさせて貰えなかった空っぽの胃袋に、コーヒーを流し込みながら尋ねた。

 ギュルル・・・腹の底から返事が返って来た。


「あっははは、何でもいいか」


 ソファーに投げ掛けてある緑色のジャッケットを半袖の白いTシャツの上から羽織ると、程良くヤレたディーゼルの黒い財布をジーパンの後ろポケットに押し込み、玄関へと向かった。

 左手首にはめたゾンネの腕時計が七時を指している。その割には何と明るい事か、昼の奴が、まだまだ夜には譲らないぞと頑張っているようにも思えた。


「往生際の悪さは、まるで僕のようだな」


 少しだけ開いた口元、右側に小さな八重歯が覗いた。年の割に若く見える童顔は多分、これのせいだと思う。

 玄関のドアを閉め、カラビナに(くく)られた部屋の鍵を差し込み回した。

 三年前に越して来たこの小さなマンションは、四階建で全室日当たりの良い南を向いている。その二階の一番隅西側の部屋が、一馬の仕事場兼住居である。

 1DKと少し狭いが、一人暮らしには特別問題はなかった。

 部屋の鍵が括られたカラビナを、ジーパンのループに引っ掛けると、リズム良く階段を降りてゆく。

 下まで降りきった体を半分捻りながら、今いた部屋を眺める。もう一度、閉めた筈の窓を確認すると、よれたジャッケットの襟を直しながら、空腹を満たしてくれるであろう商店街へと向かった。

 夕飯の買い物が既に終わっているアーケードの中は、まばらな人影がちらほら見えるだけで、人通りは少ない。

 揚がった衣の美味しそうな匂いに誘われ、迷うことなく行きつけのトンカツ屋へと入ってゆく。

 豚兵衛と店名の書かれたのれんを押し、引き戸を開けると、威勢の良い掛け声が響いた。


「いらっしゃい! お、先生。昨日から連チャンだねえ」


 そうなのだ。昨日の昼もここのトンカツを食べたのだ。


「ははーん、煮詰まっちまったかい? いいんだ いいんだ。無理やり書いてると、ハゲ上がっちまうからねえ。カツ丼だって煮過ぎたら只、しょっぱいだけだから、あっはっは」


笑った。


「じゃあ、カツ丼を下さい。煮すぎて無い奴」


「お、ポジティブだねえ。はいよ」


 主人の手際よい仕事ぶりを見ながら、いつも座るカウンターの隅へと腰を下した。

 店の中に最初から居る客の視線が少々気になったが、無視して手元にあった新聞を広げ、事件事故の記事を目で追ってゆく。


「おい、見たかニュース?」


 入口近くに座った二人連れの客の一人が、いきなり神妙な顔で、もう一人の男に話掛けた。


「え、何だよ。いつのニュース?」


「見てないのか、今日の朝刊にも載ってたぞ。秋川公園であった事件」


 言い出した男の顔が少し高揚している。


「おいおい、秋川っていったら、ここの商店街から直ぐじゃないか」


 もう一人の男が目を丸くして声を高めた。

 厨房で、トンカツのジュウーッと揚がる音の間隙をぬって、ここの主人がその話に口を挟む。


「そうなんだ。昨日の夜中だってよ。殺されたんだろうなぁ、まだ若い娘って云うじゃないか。気の毒に、しかし、物騒なこった。あー、おっかないねえ」

 

一馬はすかさず、今広げている新聞の記事を注意深く探っていった。

(あった)

 決して大きくない記事として載っている。

 九日午前一時半頃、川崎区三ツ谷中町の秋川公園内トイレ前で、巡回中だった三ツ谷中町交番の巡査が、倒れている若い女性を発見したが、既に死亡していた。所持品などは無く、現在、身元の確認を急いでいる・・・


「それでさあ、俺、聞いちゃったんだけど」


客の男が言った。


「何をだよ?」


「ほら、この商店街の入り口に交番があるだろ。さっき、ここに来る途中そこを通ったら、

お巡りさん二人が話してるのを聞いちゃった」


「何を聞いたんだ。その事件のことかぁ?」

 

興味深そうにもう一人が尋ねた。すると、先程まで張り上げていた声のトーンをぐっと抑え、耳元で囁くように言うのだった。


「ああ、死んだ娘は・・・無かったんだってよ」


「え、何? 何が無かったんだって?」


聞いている男もつられて小声になる。


「舌・・・舌が無かったんだって」


「まじかよ! 舌って、この舌かよ」


そう言うと、それを聞いた男が、右手の人差し指と親指で、自分の舌を摘まみ出した。

 一馬の眉間にしわが寄る。


「お待ちどうさま。どうしたよ先生! おっかない顔して」

 出来上がったカツ丼のどんぶりを一馬の前に置くと、おどけた仕草をしながら主人が言った。


「あ、いえ・・・あまりにもお腹がすいたものですから」


「少し待たせちまったからなぁ、まあ、ゆっくり食ってけや」


 にっこり笑い味噌汁と漬物を脇に置き、すぐに厨房へと戻っていった。

 添えられた箸を掴みながら、左手でどんぶりのフタを開けると、半熟に絡んだ玉子の黄身が、これ見よがしにトンカツを抱きしめている。

 空腹を再認識させられた胃袋は、容赦なく胃液を放出するのだった。

 ゆっくりと、気持ちを押さえながら一切れ引き離し、口へと運んだ。


「ごちそうさん」

 

先程の客二人が帰っていった。


「ありがとさんよ」


客から受け取った勘定を白い前掛けのポケットに入れると、テーブルの上を

かたずけ始めた。少々デリカシーの無い主人の両手が、皿やらどんぶりやらを重ねながら、ガチャガチャと音をたて、洗い場まで運んでゆく。


「お、これだこれだ!」


 全国の天気予報が終り、ローカルニュースが始まった店内のテレビを、洗い

場から覗き込みながら主人が叫んだ。それに連られた客数人がテレビに見入っ

た。勿論、一馬もその一人だ。


「九日、午前一時半頃、三ツ谷中町の秋川公園で発見された若い女性の遺体は、

司法解剖の結果、頚部圧迫による窒息死と判明しました。これにより川崎署は

殺人事件と断定。未だ身元が分からない女性の年齢は二十代前半で、この女性

の足取りを確認すると共に、目撃者がいないか聞き込みを強化するとのことで

す。次のニュースです。国会は週明け早々」


「ほら見ろ! やっぱり殺されたんだ・・・かわいそうになぁ」


 洗い場の手を止め、そのニュースに見入っていた店の主人が、苦い顔をしな

がら客の方を向き、少し得意げに言った。


「えー、てことは、まだ犯人がその辺にいるかも知れないってこと? もしかしたら、この店にも来たんじゃあないのぉ。ねえ、御主人」

 

一人の客が冷やかすと、笑いながら聞き流した店の主人が、目の前で山になっているどんぶり達を黙って洗い始めた。

 一馬はそれを横目で見ながら、未だ湯気の治まらないどんぶりの中身に手を焼いていた。極端な猫舌のせいで、中々、口の中へと大好きなカツ丼が入ってゆけないのだ。まあ、いつもの事なのだが。

 それでも、継ぎ足しながら飲み干してゆくコップの水に助けられながら、少しずつだが、どんぶりの中身が減っていった。

 ようやく食べ終わった頃には、店の中にいる客は一馬一人になっている。

 黄ばんだ壁に掛る店の時計を眺めながら、相変わらず五分だけ進んでいる針を気にすると、自分の腕時計で再確認する。


「八時半。さて、帰りますか。御主人、御馳走様でした。ここ置いときます」


言うと、いつもの八百五十円をカウンターに置いた。


「毎度! あんまり考え過ぎちゃ駄目だよ。先生! 気を付けてよ」

 

本気で心配してくれているのかは定かでないが、取り合えず頷くと、所々明かりが消え始めた商店街の中へと出て行った。

 真夏の夜風は、着ているジャケットを脱がせようと、そこかしこと置かれているエアコンの室外機を子分にしながら、膨張した熱い息を一馬目掛けて吹き掛けている。


「暑いな。とっても」


ジーパンの前ポケットからハンカチを取り出し、首に滴る汗を拭った。

真夏の夜風に見事降参してしまったジャケットを左腕に絡ませると、額に置いたハンカチがずれ落ちないように少し上を向きながら、ゆっくりと歩き始めた。この頃には、もう、商店街の明かりも探すほどになっている。

 暗くなったアーケードが終わりに近づくと、暗闇の天空に月だけが出ていた。

 満月だろうが、三日月だろうが、一馬の目に映る月は全て・・・蒼い。


「帰っても部屋の中は蒸し風呂だろうなぁ。もう少し歩きますか」

 

一人呟くと、商店街を抜け、そのまま先へと進んで行った。

どれ位歩いただろうか、見慣れた公園が目の前に現れた。別に意識した訳ではないが、先程のニュースは少しだけ気にはなっていた。


「へぇー さすがに今日は誰もいないか」

 

いつもだったら仕事帰りのサラリーマン達が、何処ぞに呑みに行こうかと算段している場所で有り、時間だ。

 車止めを避け公園の中へと入ってゆく。丁度いい感じで伸びている木々達を視界の隅に捕えながら、少しだけ明るくなっている幾つかのベンチに目をやると、毎晩のように繰り広げられているであろう男女の囁きも、今夜はだけは影すら見当たらないことに気付かされた。当然だろう、事件真っ只中の秋川公園なのだから。

 暫く歩いてゆくと、一際明りが灯る場所に出た。例のトイレがある広場だ。


「ここか・・・やはりいつもとは感じが違うな」

 

妙な違和感は、ずばり、一馬を刺激する。KEEP OUT と書かれた幅広のテープが、トイレの横にある水銀灯の柱から伸び、その先に置かれた赤いパイロン二つへと巻き付かれ、誰も立ち入らぬ小さな空間を作っている。

 ドラマに出てくる殺人現場より、リアル感が無いのは何故だろうかと、不思議な感覚を覚え、首を傾げた時だった。


「ねえ、あんた。関係者? こんな所で」

 

いきなり後ろから声を掛けて来た人物がいた。気付いてはいたが・・・


「うわぁ! びっくりしたぁ」・・・嘘だ。

 

大げさな素振りで振り向くと、そこにはひとりの女性が立っている。


「な、何ですか・・・いきなり」


おどけた仕草を演出しながら、目の前にいる人物を眺めた。


「あらあら、ごめんなさい。びっくりさせちゃったかな。あ、あたし、あやしいもんじゃあないから」

 

そう言うと、黒いスーツの胸ポケットから一枚の名刺を取り出し、乱暴に一馬の胸元に突き出すのだった。

 受け取った名刺を僅かな明かりに照らして見ると、女性の職業が分かった。


「ルポライター・・・さんですか?」


「そ、ルポライター。フリーだけどね」


「やっぱり・・・ここの事件で?」


「そうよ。ねえ、ところであんたさあ、知ってるみたいだけど、こんな時に良く通るねぇ、この場所」

 

首を斜めにしながら、一馬の顔を覗き込んでいる。


「え! いえ、たまたま・・・です」


「そうかなぁ。あやしいなぁ、あんた何してる人。職業は何?」

 

遠慮もなく、ずけずけと質問してくるこの女性に、ほとほと参ってしまった一馬が仕方なく名乗った。


「響と言います・・・職業は・・・物書きで・・・」


「なーんだ。同業者かぁ。で、新しいネタでも掴んだの?」

 

スクープ狙いの記者と彼女は勘違いしたらしい。


「あ、いえ・・・その」


「言えないよねぇ。まあいいか。じゃあさ、また会うと思うから何か掴んだら情報交換と云うことで。頼んだわよ」


 言うなり、彼女はくるりと向きを変え、そそくさと公園の出口に向かって歩いて行ってしまった。


「何て人だ」


呆れつつも、受け取った名刺を改めて見た。


「葛城圭子・・・本名かな?」

 

少しだけ不愉快さが残る空気の中で、近くにあったベンチに腰掛けると、小さく溜息を吐いた。相変わらず天空には針金を曲げたような蒼い月が、一馬を照らしている。


「三日月かぁ・・・」


顎を突き上げ、天を仰ぐと呟いた。

 貧弱な月明かりは、所々広がる闇の一つも照らすことなく、一馬の真上で無頓着に横たわっている。

 蒸し暑い湿気の塊を放出し続ける足元のアスファルトが、まるで湯気を立てているかの様に前方の景色を曇らせると、一馬が掛ける黒縁のメガネも、白く濁っていった。


 左腕に抱えたジャケットのポケットからティッシュを取り出すと、外したメガネのレンズを、慣れた手付きで拭き始めた。すると・・・ ぼんやりと滲む先の景色、こちらに近づく影が一つ有る。ゆっくりだが、確実に近づいて来るその影は、ベンチに腰掛けた一馬を認めるなり立ち止まったようだ。


 すかさず拭き上げたメガネを掛けると、立ち止まった影に目を見張った。

 薄暗い闇に半分溶け流れているように、黒い背広だろうか左肩あたりから始まるテーラー襟だけが、不自然さを伴なって見えている・・・男のようだ。

 これでもかと目を凝らす視線の左側にある暗闇が、そこに居る男の右半身を隠し、全身を見つけることが出来ない。

 危険な匂いが、一馬の鼻を突いた。


 闇を睨む視線を外さず、ゆっくりと立ち上がると、辺りの気配に神経を集中させる。どうやら此の場所には、一馬と闇に半分隠れる男、二人だけのようだ。

 緊迫する空間の中、時だけが静かに進んでゆく。二人の間合いは先程から変わることなく、その場に淀んでいた。

 均衡が崩れたのは、そんな時だった。突然目の前の影が瞬く間も無く、消えた。とっさに身構えた一馬の耳に、闇より聞こえる声がする。


「蒼いのか? お前の目に映る月は・・・蒼いのか?」


「な、何と! 誰?」


一馬の渇いた声が響く。


「お前は呼んだ・・・俺を呼んだではないか。忌な言葉で、呼んだではないか・・・闇戯(やみざれ)・・・と、なあ、(きょう)()よ」


「闇・・・戯、(かさね)さんの使いですか?」

 

一馬は肩に張り詰めた力を緩めた。知っている男の様だ。


「様を付けろ、襲様と」


「用件は?」


「チィッ! 相変わらずだな・・・まあいい、伝えるぞ。襲様よりの伝言だ。

白蓮より放たれし者、その地に入り込んだ。と、云うことだ」


「で、僕に何をしろと?」

 

ジャケットの袖に右手を通しながら、闇の中へと問いかけた。


「伝えたぞ・・・響馬」


闇より深い漆黒が、僅かな蒼い月明りによって一瞬キラリと耀、消えた。

「そんな事・・・僕には関係ない」

 

闇戯なる者が消えた暗闇を睨みながら、一人呟いた。

 見上げた月が、紫色に染まる天空で、まるで大口を開け笑っているかのように一馬には映り見えた。何かが予感として頭の隅を走った。


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