雨中夢
雨中夢
「う、うわぁ~!・・・」
「な、何なのぉ~!もう、びっくりしたぁ~」
いきなり大声を上げて飛び起きた若者、その傍でおどけた女性が呆れている。
「もう、何・・・寝ぼけてるんですか?ほんとにびっくりしたじゃないのぉ~」
女性の目線が目の前で寝惚けている若者を睨みつけた。
「あああ・・・ごめんなさい、でも、夢で良かったぁ~、夢だよね?」
泣きそうな顔で、睨みつけている女性に、訴えた。
「全くもう・・・大体、朝から逆上せまくってあちこち走り回ってるから、可笑しな夢、見るんでしょうが・・・今回の取材は、先生が言い出した事なんですからね」
響 一馬、(ひびき かずま)女性から、先生と呼ばれた若者の名だ。
若くしてミステリー作家となり、今や、押しも押されぬ、ベストセラー作家。
その横であきれ顔をして睨みつけている女性は、この若い作家の専属編集者。
高梨暮葉と云うこの女性は、早くから彼の才能を見出し、二人三脚でここまでになった。
「あらあら、どうしたの?大きな声で」
聞きつけたのだろう、一人の女性が割烹着の前で両の手を拭きながら、二人の目に現れた。
「ああ、静香、ごめんね、大声出しちゃって」
直ぐに気付いた高梨暮葉が、目の前まで来た女性に言った。
「あっははは、先生、どうしたんですか?よだれが・・・はははは」
大声で笑うこの女性、高梨暮葉とは大学時代からの親友で、卒業後も何かと事あるごとに、連絡を取り合う、気の置けない中なのである。
今回も、この二人の女性の前で、よだれだらけの口を半開きにして、阿呆面している作家先生の為に、取材を申し込み、滞在させてもらっているこの寺の主なのだ。
その主の名は、山脇静香と云う。
そして、この寺の名は・・・薙ぎの院・・・。
「お客さん、お客さん!」
どんどんと叩かれた窓ガラスの音で、目が覚めた。
「うううぅ~!・・・何だ?此処は何処だ?」
「お客さん、大丈夫ですか?」
強引に開けられた運転席側のドアから、心配そうにスタンドの店員が覗き込んだ。
(ああ・・・夢?・・・夢だったのか?)
「ええ、大丈夫ですよ・・・ちょっと、寝てしまったようで」
(とんでもない夢を見たもんだ・・・死を覚悟するって,ああ云うことか)
未だ震える両手を見ながら、
(良かった、くっついてる、心臓?・・・ちゃんと中に入ってるし)
「お客さん、ほんとにこの量でいいんですか?満タンじゃなくて」
店員が、あまりにも少ないガソリンの量を、気に掛けてくれるのだが・・・。
「ええ、そんな遠くには行かないんで、十分ですよ」
まさか、三千五百円しか無いからとは・・・言えなかった。
エンジンを掛けフューエルメーターを確認する・・・あまりにも上がって行かないメーターの針を見て、愕然とする京助だった。
「いったい、何処まで行けんのかなぁ~?」
激しくなる雨に、切れの悪いワイパーが、キィーキィーと可笑しな音を立てながら、右へ左へと行ったり来たり・・・まるで俺の人生の様だなと思った京助であった。
いっそう激しくなる雨の中、一台の車が、京助の居るこのスタンドに入って来た。
そのワゴン車は、ガソリンを入れるわけでもなく、店内近くに侵入してくると、
入り口の右側直ぐに止めた。
「いやぁ~ 参ったね、この雨・・・」
そう言いながら、運転席のドアを開け、男が降りてきた。
すぐに助手席の ドアも開き、もう一人、男が降りてくる。
二人の男達が店内に入るや否や
「申し訳ない、後でガソリン入れるから少し休ませてもらえないかな」
屈託のない笑顔でそう言うと、近くの椅子に腰を下ろした。
「ええ、勿論いいですよ、ゆっくりしていって下さい、雨も今がピークみたいだから」
レジのカウンターに軽く腰を預け、男たちの頼みを快く承諾した店員が、京助の方を見ながら、にっこりと笑った。
会計を済ませ、店を出ようとした京助に、目くばせをすると
「お客さんも少しここに居たらいいですよ、もう直ぐ雨も止むんじゃないかな」
ドア越しに見る外の景色は、まるでスモークを焚いたように真っ白だ、それ程、雨の激しさがうかがい知れる。
「こりゃあ~今出ても前なんかろくに見えないだろうね」
京助がそう呟くと、首を縦に振りながら、店員が椅子に座るよう手招きした。
「じゃあ、お言葉に甘えて・・・」
近くにあった二人掛けの古びたソファーに腰を下ろすと、先程入って来た二人の男達に目線を向け、早速人間観察が始まるのだった。
上下お揃いの黒いジャージを着た二人の男は、京助の視線にはお構いなく、何やら難しい顔で話し込んでいる。
(年の頃は三十台前半か・・・身長は座っちまったからわからないが、百八十位かな)
京助の人間観察が進む中、二人の男達の一人が年季の入った手帳を広げると、
もう一人の男に内容を見せ、大きなため息をついた。
「さっきの電話、専務からだろ」
手帳を見せられ覗き込んでいた男が、目の前で頬杖をついている男に聞いている。
「ああ・・・専務からだった、参ったな、この雨で土砂崩れがあったようで、下りてくる道が通せんぼだってさ・・・結構奥だからなぁ~、社長の実家・・・まあ、重機類はあるから土砂位だったら何とかなるけど・・・」
(へぇ~、こいつら地元の建設関係の仕事かもな⁈)
激しい雨音でついつい声高になっている男達の会話が、嫌でも京助の耳に聞こえてくる。
「じゃあ・・・どうすんだ?専務が来れないとなると、人手が足りなくなっちゃったな」
「ああ、明日の立ち合いにはクライアントも来るって言ってたしな、せめて後一人いないと、
仕事、出来ないよ」
頬杖を付いていた両手が、今度は頭を抱えている。
「あっ!そうだ、お兄さん、明日、一日でいいからさ、バイトしない?」
抱えていた両手がガソリンスタンドの店員に向けられ、とんでもない事を言った。
突然のお誘いにびっくりしたのか、若い店員の目が点になっている。
「えっ、ちょちょっと待ってください、そう言われても、困りますよ、明日もここの仕事だし、それに、怒られちゃいますから・・・」
「そりゃそうだよねぇ~・・・いや、悪かった、でもさ、バイト代はずむから、それでも
駄目かな?お休み取れない?」
諦めきれない気持ちが、ついと、金銭提示までになった。
「無理です、無理」
(な、何ぃ~・・・バイト代・・・だと)
$の模様になった京助の目が、人間観察から現実に引き戻された。
「あの、あのさ、俺、暇だけどね・・・明日・・・」
事もあろうに、突然立ち上がった京助が、男達二人の前まで行き、言い放った。
この場にいる全員が、突然の参加希望者に驚いた。
「お、おじさん・・・が・・・」
(お、おじさんだとぉ~・・・まあ、こいつらから見たら、おじさんか)
「どんな内容の仕事か分からないけど・・・俺に出来そうなら・・・手伝うが」
「ほんとに・・・いいの?いいんだったら、有難いんだけど」
困惑しながらも、この参加希望者の挙手に喜んだ男達だった。
「それで・・・それでさ、バイト・・・代・・・何だけど?」
恐る恐る京助が、恥ずかしそうに聞いた。
「え~と、明日は朝早いから、それと、多分日没迄は掛かっちゃいそうだから、
一万、いや、一万五千円で・・・どうかな?」
「ま、まあ、突然だったからな、いいよ、それで・・・」
(よし、やったぜ・・・それだけありゃあ、横浜まで帰れるな・・・ふっふふ)
帰りのパスポートが、向こうからやって来た。
すると、ワゴン車を運転してきた男の一人が
「俺、渡辺って言います、宜しく」
「ああ、俺は、近藤って言うんだけど」
二人の男達が、行儀よく名乗った。
「近藤さんに、渡辺さんか・・・俺は、雨宮って言います、宜しく」
「雨宮・・・さん、ですね、分かりました、じゃあ、お願いしますね」
最初に声をかけた渡辺が照れ臭そうに言った。
「それで、朝早くからって言ってたけど、何処に行けばいいかな?」
京助が尋ねると、近藤と名乗った男が、テーブルに置いてあったチラシの裏に
店員から借りたボールペンで地図を描き始めた。
「此処からだったら、近いんで、直ぐわかると思いますよ、大きな寺だから、この道まっすぐ行くと」
そう言いながら、描き終えた地図をなぞり、現場となるのであろう寺までの行き方を教え始めた。
「着いたら、左手に結構広い駐車場が有るんで、そこで待ってて下さい、一応、何にも無かったら、6時半には、俺達も着くようには行きますんで」
そう云うと、チラシの裏に書いた漫画のような地図?を京助に渡した。
「もし良かったら、朝、迎えに行きましょうか、俺達、此の近くの宿に泊まってるんで、
それの方が硬いでしょ」
有難い渡辺の提案を丁寧いに断ると再度、場所と時間と・・・バイト代を確認して
契約成立となった。
その頃になると、外も静かにそぼ降る雨となっていた。
「お客さん、大丈夫ですか?初めて会った人達でしょ」
心配そうな顔つきで、店員が京助の顔をのぞき込んだ。
テーブルの上に置かれた名刺を眺めながら、ため息をつく京助の横に付いた店員が
静かに言った。
「初めて来たお客さんですよ、その名刺の住所って、東京ですよね」
テーブルに突いた両手を一度離すと、今度は腕組みをしながら京助の方に向き直った。
そのしぐさを横目で見ながら、京助がぼそっと言う
「ああ、てっきり地元の土建屋の兄ちゃんかと思った」
渡辺と名乗った男が置いて行った四角い名刺には、東京都港区の住所が記されている。
リーゼルと書かれた会社名の下に営業内容が小さく記載されていた。
「へぇ~、地質調査の会社か、って事は・・・明日行く現場の寺の何処かを調査って事なんだろうな、どれ位の規模でやんのかな?まあ、俺を入れて三人みたいだから、大した範囲じゃあなさそうだけど」
置かれた名刺を指で弾きながら、ぶつぶつと言っている京助を見ながら、店員が今一度、心配そうな顔つきそのままに、此の頼りなさそうなおじさんに言った。
「ホントに大丈夫ですか?もし、行ってみてヤバそうだったら、直ぐに逃げちゃった方がいいですよ、どんな連中か分からないし」
不安な心中に追い打ちをかけるような店員の言葉に、静かに頷くと、もう一度、漫画のような地図を広げ、横に突っ立てる店員に見てもらうことにした。
「ああ、此処のお寺さんなら知ってますよ、薙ぎの院て云って、結構有名なお寺さんですからね、確か戦国時代に創建されたんじゃなかったかな、あ、そうそう、徳川家康が建立したって事になってたなぁ~、うん、確かそうだ・・・そこの住職さん、女の人ですよ、静雀院さんて云うんだったなぁ~、かなりの美人さんですよ」
店員の話す詳しい内容に、感心しながら、その美人さんてのが、気になった京助だった。
「へぇ~、そうなんだ、で、その住職さんて、幾つぐらいの人なの?」
「ああ、確か・・・三十・・・う~ん、四十までは行ってないと思うけど」
明日には、はっきりするだろうけど、まあ、逢えたらの話だなと思った京助だった。
それよりも、今からどうするかだ、宿に泊まる費用は無いし、勿論、晩飯も朝飯も抜きだ、寝る所は車の中に決まってるけど、その場所だなと考える。
どうせ、明日にはそこの寺に行くんだから、今のうちに行って、言われた駐車場で寝てればいい、そうしようそれが一番、決めたら行動が早い京助だ。
「お世話になったね、じゃあ、もう行くわ、雨もすっかり上がったみたいだし」
そう言うと、心配そうに見つめる店員に背を向け、軽く右手を上て事務所のドアを開け
外に出た。
落ち始めた夕日が彼方此方に夕焼けをばらまいている。
スタンドの敷地の隅に、静かに止まっているアルピナに乗り込むと、重めのクランキングに反応したV8エンジンが、ゆっくりと目を覚ますのだった。
シートに預けた背が、心なしか軽く感じる。
「はらへったなぁ~」
一言口にすると、静かにハンドルを切り、目的地である薙ぎの院へと向かった。
国道から数本北側に外れた田舎道を走っていると、何処そことなく漂う匂いが開け放たれた窓から侵入してくる。
「いい匂いだなぁ~、今頃は家族そろって晩飯なんだろうな・・・」
みそ汁の匂いだろうか、晩飯の支度が整った食卓が目の前に見えるようだった。
幾つかのコンビニを恨めしそうに横眼で眺め通り過ぎる。
我慢を強いられた胃袋が、反撃の胃酸を出しまくり、主の欲求を攻撃し始めた。
いつも、ぎゃあぎゃあと言いながらも、自分の為に作ってくれる美代さんの料理が、これ程有難いとつくづく思う京助だった。
「着いたら直ぐに寝てしまえばいい、でも、この状態で眠れるかなぁ~?即、気を失う法って、ないのかなぁ~?・・・兄貴のマニュアル、しっかり読んどきゃよかった」
バカなことを考えているうちに、漫画の地図通り、腰高の積み石に囲まれた広い駐車場が進行方向左手に見えてきた。
開け離たれた入り口らしき門は、その右側にくぐり戸が設けられ、普段は閉め切られている門なのだと感じさせた。
「あった、薙ぎの院・・・」