影を狩る者
襲
「襲様、準備が整うて御座います、いつでも出発出来まするゆえ、ご命令を」
開け放たれたドアから入った一人の男が、目の先のデスク越しに座る襲に言った。
「ご苦労でした、では、先行隊を今すぐに出して下さい」
静かな口調で襲が言った、その時だった。
「ちょ、ちょっと!困ります、此処への出入りは禁じられておりますので」
室内にまで響く女の声がしたと思うと、男が一人、止めようとしている女を振り切り、強引にも襲達の居る部屋へと入って来た。
「ま、真鍋さん、どうして此処が?」
おどけた仕草を隠しきれずに、襲が困惑した表情で言った。
すぐさま男が襲の前に立ち、防御の姿勢を取る。
「何者か!直ぐに出ねば、容赦はせぬぞ!」
かばった男が叫んだ。
「いやぁ~、すまないママ、事情が事情なだけに、ちょっと強引だったかな」
部屋に入るなり後ろ手でドアを閉めると、襲達の目の前に立った真鍋が言った。
「大丈夫ですよ」
襲に言われた男が速やかに横へと移動した、が、明らかに防御の姿勢は崩してはいない。
「どうして真鍋さんが此処に?・・・事情とは何です?」
「白羽財団、白羽 菫・・・、否、白蓮と言った方が早いかな」
「何とおっしゃった!何故その名を!」
明らかに襲が動揺している。
「時間がない、単刀直入に言おう、静岡の新エネルギー研究所、内定調査のために潜入させていた男が、今朝、御前崎沖で水死体となって発見された、そして、最後となった調査報告によると、完成したらしいんだよな、ヤバイ奴が、確か、量子エネルギー発生装置」
「真鍋さん、あなた、一体何者なんです?只の国交省のエリート次官ではなさそうですね、我々の事、何処までご存知?」
冷静さを取り戻した襲が、静かな口調で問うた。
その間、いつでも仕掛けられるよう、襲の横にピタリと付いた男が構えている。
「カシミール計画、聞いてはいると思うが・・・、そのプロジェクトチームに、此方の女性が参加していると、そして、完成に一役担ったと・・・」
そう言った此の男、侮れない・・・襲は思った。そして、真鍋は尚も言った。
「ここまできたら、もう、正直に言おう、ここ五年通い詰めてママの気質も分かっている、何らかの事情があるとは思っていた」
「まさか・・・うちのクラブも内定していたと?」
「そう云う事になるかな、そう、ママの言う通り、俺は只の次官じゃあない、国家公安部、特殊班、総理直属の組織を任せられている」
真鍋は正直に言った、そう言わない限り、此のママには駆け引きなど通じないと分かっていたからだ。
「すると、あなたは、私達が白羽財団に協力していると・・・」
「否、その反対と見ている、むしろ、敵対しているんじゃあないかと・・・ね」
「では、何故・・・此処に?」
「止めに来た、やるんだろ?奴らと、一戦交える気でいるんだろ」
「どうして・・・それを・・・」
明らかに襲が動揺している。
「やっぱりな、それでだ、ママ、少し待ってくれないかな、実は今、特殊班の精鋭を向かわせているところなんだよ、確実な情報集めに・・・現実、そこで一体何が行われようとしているのか、今ここでママ達のお仲間さん達が事を起こしてしまったら、もう、収集が付かなくなるしな、だから、止めに来た・・・わかってくれ」
「襲様、このようなスパイ擬きの言う事など聞いてはなりませぬ、それに事は一刻を争う事態、ここで躊躇なされては取り返しがつきませぬぞ」
目の前の真鍋を睨みつけながら、襲の横に付いている男が言った。
それを聞きながら、暫し沈黙する襲を見て。
「ママ、全てを話すから、今回は俺を信じてくれ」
真鍋が懇願した。
海岸線
東名高速は吉田インターチェンジを降りた車は南に走り、国道150号線へと出た。
「おおっ!警部、海ですよ、海!」
大柄な男の指差した先を見て、運転席から覗き込んだ海が、キラキラと陽光に揺れていた。
「全く、大きな声出すんじゃないですよ、分かってますから言われなくてもね」
細身の顔立ちからは想像できないような低い声がした。
「安城警部、相変わらずの感情無しですねぇ」
帰ってきた返事を聞いて、大柄な男、松永がぼやく。
「まあまあ、ここから先、海岸線が続きますから、十分堪能すれば宜し・・・ね」
そう窘めた安城が、ルームミラーを覗き込んだ。
(大丈夫そうだな、尾行はされてないようだ)
「へぇ~、警部は此方に来た事あるんすか?」
「何で…です?」
「いえ、此処から先、海岸線が続くって」
外の景色を眺めながら、松永が言った。
「あ~それ、ほら、カーナビ・・・ね」
「あぁー、なぁ~んだ、カーナビね、なる程」
「僕も初めてだよ、こっちはね、まあ、此処まで来たら着いたも同然だね」
「しかし、警部、何で覆面Pで来なかったんです?この車、窮屈で」
松永がぼやく。
「はっはは、だって有給休暇取って来てんだよ、私用で使っちゃまずいでしょ、覆面」
「そりゃあ、そうですけど、ボスに頼めば、もうちょっと大きな車、出せたんじゃあ」
「まあ、ボスの真鍋さんに言えば確かに。でもね、折角だからねぇ、買ったばっかりだから、乗って来たいじゃあない、こいつ、ミニクーパー・・・ね」
神奈川県警川崎署捜査一課、安城警部、同じく松永警部補、あくまでも表向き、実のところは、真鍋率いる、公安部特殊班所属、特別捜査官である。
一五〇号線に出た車は海岸沿いに西部方面へと走る、暫く行くと、分岐に差し掛かった。
「警部、あれは…一体…」
窮屈そうに助手席に座っていた松永が、前方を見つめ呟いた。
家財道具らしき物を荷台に積み込んだ大型を含めたトラックの群れが、対向車線から迫って来るのが見えた。安城と松永を乗せた車の横を勢いよく通り過ぎると、その後ろから今度は乗用車の車列が続いて擦れ違ってゆく。
「な、何だぁ~?おいおい、まるで町ひとつ引っ越す勢いじゃないか」
松永が叫んだ。
「この先で戦争でも始まる勢いだよね、何が在ったんだろうね?」
普段は冷静な安城も、流石に此の光景は予想外だったのだろう、驚きを隠せないでいた。
「とにかく、宿まで行けば、何が起こっているのか分かるんじゃあないですかね」
大移動の群れを見送ると、未だその目を疑う光景に、松永が呟いた。
「えーっと、これを右方向ですね、海岸線沿いに左へ行くと、御前崎灯台の方ですよ」
ナビと睨めっこしていた松永が安城に言った。
「松永ちゃん、どうも、このまますんなりとは、行かせては貰えそうもないみたいだね」
分岐の手前に簡易検問所が設けられていた。此方に気付いた警備員風の男達三人が、安城の運転するミニクーパーを停止させた。
「何かあったんですか?」
運転席に近づいた警備員を確認すると、徐に窓を開けた安城が尋ねた。
「申し訳ありませんが、此の先は通行規制が掛かって折ります、このまま、向きを変えてお戻り下さい」
窓越しに屈んだ警備員が、丁寧な口調で言うのだった。
「それは困った、今夜泊まる宿が此の先に在るんですがねぇ」
少し下がった銀縁の眼鏡を人差し指で押し上げながら、安城が言った。
「残念ですが、此処からは住民全員に避難勧告が出てまして、もう殆んどが町から非難されてます、ですから、お戻り下さい」
そう言った警備員に松永が突っ掛かった。
「おい!何で行けねぇんだよ、此の先によう、それに避難勧告って、理由も聞けずに向きは変えられねぇなぁ」
「おい、何をしている、早く返せ」
もう一人の警備員が近づき、威圧するように言った。
「だから!何で行けねぇんだって聞いてるんだよ!」
今にもドアを開け飛び出しそうになった松永を、瞬時に安城の左手が止めた。
「あんたら、放射線で被爆したいのなら勝手に行けばいい、ニュース見てないのか」
「な、何だって!・・・じゃあ、此の先にある原発からの放射能漏れ!」
松永の青ざめた顔色が、フロントガラスに映った。
「なる程ね、それで先程の群れ…そう云う事なら・・・松永ちゃん、向き変えるよ」
Uターンしたミニクーパーが、素早く其の場を離れた。
数百メートル走ると、左手に広がったバス停に車を止めた
。
「しかし、驚いたな、放射能漏れって・・・でも、何で警備員なんだ?」
未だ半信半疑の松永が呟いた。
「見なかったのかい、松永ちゃん、奴らの胸のマーク、SAセキュリティーって、書いてあったでしょ」
エンジンを止めた安城が、不安を隠せない松永に言った。
「はあ、見なかった・・・です」
「全く、直ぐに血が昇っちゃうんだよねぇ頭に、もっと冷静にね」
松永を窘めた安城が、にやりと笑った。
「その、S・・・Aって?」
「SAってのは、白羽の略ですよ、白羽財団お抱えの私設警備なんだよね」
安城の説明が終わらないうちに、待ちきれない松永の口が動いた。
「でも、普通は警察か、否、この場合、自衛隊が動いたって不思議じゃあない、それなのに、警備員て…政府機関だって即座に動く筈なんじゃあ?」
「そうだよねぇ~、場所が場所なだけにね・・・、ちょっとボスに連絡とってみようか」
そう言った安城が携帯を開いた。
先程の検問所では、三人の警備員が何やら話し込んでいた。
「おい、さっきの連中、何か怪しくなかったか?」
安城達を止め、最初に話し掛けた男が言った。
「ああ、奴ら只もんじゃあなさそうだったな」
あとの二人も同調した。
「特に運転してた奴、妙に冷静だったし、場慣れしてるって云うか、普通こんな事聞けば慌てふためくよな…とにかく、施設に連絡を入れておいた方が良さそうだな」
そう言った一人が、左肩に着けた無線機用マイクのプレストークボタンを押した。
携帯を切り胸ポケットに仕舞った安城が、深くシートに背を預けた。
「で、ボスは何て?」
松永が尋ねた。
「今の所、政府機関には入ってないそうだ、放射能漏れって奴はね」
大きく背伸びをしながら松永の方を向き、安城がにたりと笑った。
「やっぱりか!あいつら」
松永の歯ぎしりを聞きながら、安城の両肩がひょこっと上がった。
「まあまあ…落ち着いて、他の案件が千浜原発より申請されてるそうだよ」
「えっ、他のって?」
「一号炉の緊急点検てやつだそうだ」
「点検て…それだけじゃあ近辺閉鎖にはならんでしょ」
松永が詰め寄ると、ハンドルに手を添えた安城がキーを回しエンジンを掛けた。
小気味よく回るミニクーパーのエンジン音を聞きながら、Dレンジに入ったシフトを確認すると、止めてあったバス停から、素早く離脱した。
「警部、これからどうするんです?あいつらが言ったように宿替えですか」
「少し遠回りになるけど、北側から入ってみようか、松永ちゃん」
「了解!そうこなくっちゃ」
150号線を東へと戻り、ナビゲーションの画面を見ながら次の交差点を左に曲がると、ミニクーパーの鼻先を、海岸線とは反対方向の北へと向けた。
シャドー
「先行隊の指揮は?」
「はっ、小野寺が」
「では、そのまま待機させて下さい。レベル3に戻すと云う事で連絡を」
「本当に宜しいのですね、一つの判断で事は大きく変わります故」
襲から言われた男が静かに下がると、胸ポケットから取り出した携帯を開いた。
「これで、宜しいですか、真鍋さん」
その様子をじっと見ていた真鍋が、ゆっくりとソファーに腰を下ろすと、大きくため息をついた。
「感謝するよ、ママ」
「では、約束通り、全てを話して頂けますか」
襲に言われた真鍋が、ソファーの背もたれに預けていた上半身をむくっと起こした。
そして、襲の後ろへと下がり電話中の男を気にしながら、話し始めた。
「事の始まりは、十年前に遡るんだけどね…、まあ、俺にとっては昨日の事のように思えてる…」
組んだ足の上に両手を乗せ、上げた目線が目の前の襲を見据えていた。
「ある大学の研究室で一人の男が死んだ。死因は心臓麻痺ってとこなんだけど、俺にはどうしても腑に落ちなかった、何故かと云うと、そいつの事、俺はよく知っている。前の日に届いた健康診断結果、何処も異常は見られなかったんだ。だから俺は、とことん調べた」
訃報が届いたのは、真鍋が昼飯を食べ終え、常連となっていた店を出た時だった。
直ぐに現場となった研究室を封鎖させ、自分が到着するまで、誰も入ることを許さなかった。そう、自分の持っている特権を目いっぱい使ったのだ。そして、現場に着くなり組織の一部であるラボへと、遺体を搬送させた。
その後、研究室に取り付けられている数台の防犯カメラの映像を見て、驚愕する。
そこに映し出されていたものは、俄かには信じがたい内容だったからだ。
暗がりから突然現れた黒い影…人のようにも見えるその影が、かなりの距離がある中、白衣を着た男の首に何かを投げつけ、絡ませている。その瞬間、絶命したのだろう、倒れたまま白衣の男はピクリとも動かなかった。
その映像を何度も見直した真鍋は確信した。こいつは…人間じゃあない…と。
直ぐにこれと似た事象の事件を全て取り寄せ、徹底的に調べ上げたのだった。
その為だけに立ち上げた組織が、現在の総理直属となった研究機関を擁する特殊班だ。
「本当に信じられない事ばかりだったよ、調べれば調べる程にね。そして、行き着いた処が、謎の組織二つだった。中々尻尾出さなくってね、だから、何を目的としているかさっぱりわからなかったんだ。只、この二つは…我々とは違う体質?って事にしておこうか、そう、違ってた」
一人の男が、激しく切らした息をもう一度吸い込もうと、大きく肩を揺らした。先程から何かに追われているのだろう、しかし、少しづつだが確実に足の回転が鈍くなってきている。ようやく見つけた路地裏に、迷うことなく体を滑り込ませた。
ピタリと張り付く背にコンクリートの冷たさを感じながら、右腰に付けたホルダーから、
カーボンブラックのハンドガンを抜くと、入って来た路地の方向へと銃口を向けた。
小刻みに揺れる肩が銃口に伝わる波となって、上手く狙いが定まらない。
「来る…か」
張り詰めたその場の空気が、否応なしに緊張を強いた。
これより少し前・・・。
「あ、安城捜査官!丁度良かった」
一人の研究員が、開発部へと続く通路の途中で声を掛けた。
此処は、真鍋を最高責任者とする、公安特殊捜査部が持っている企画開発ラボ。
「あらま、センター長、珍しいですね企画室から出てるなんて」
それを聞き、安城に声を掛けた白衣の男が、照れくさそうに頭を掻きながら近づく。
「いや、ちょっと…見て貰いたい物が・・・ あるんだけどね、いいかな?時間」
安城からセンター長と呼ばれた男の名は、柴田と言った。
「また可笑しな物でも作ったんですか?」
怪訝そうな顔になった安城にそう言われ、頭を掻く仕草が速くなる。
「出来たんだ…バージョンⅡが、と、云うか、マイナーチェンジしたって云うか」
少し得意げに柴田が言った。
「えっ!まさか…出来たって、例の奴ですか?」
「ああ、そうだ、例の奴…、ドライブガン、バージョンⅡ」
企画室に連れて行かれた安城が目にした物は、いつも柴田が使っているデスクの上に、無造作に置かれている一丁の拳銃…らしきもの。
「あれ、これって…変わってないですね形は…それでも、少しグリップが厚くなったって云うか…ごつくなったって云うか…」
手に取り、嘗め回すように見ていた安城が言った。
「どうしてもそこの部分に集約するしかなくって、今回は荷電粒子を陽子から、今までよりも質量の大きい重イオンに変えた、それによって地磁気の影響を受けやすかった加速粒子を正確に直進させる事に成功したんだ」
それを聞いた安城が納得したような表情をする。今までのドライブガンは、確かに磁気に弱かった。空間磁気が発生した場合、目標物への命中精度が極端に落ちたのだ。
「と、云う事は、シンクロトロンの加速装置も大きくする必要性から、此のグリップって事ですね」
「ああ、その通りだ、まだある、今までは任意に定めていたブラッグピークを、完全自動化に出来た。まあ、AIの御かげってとこかな」
ドライブガンとは、荷電粒子砲を小型化し、ハンドガンとして製作された、対、影専用銃の事だ。その制作責任者がセンター長の柴田なのだ。
影との戦闘が激しくなった頃、今までの爆薬発火により発射される金属弾では全く歯が立たず、次なる有効銃の開発が急がれた。そして作られたのが此のドライブガンである。
此の銃は、加速器よって発射された粒子が亜高速まで加速され、目標射程に達すると、急激に減速され停止する、これをブラッグピークと云うのだが、これによって目標物、この場合、影、後にシャドーダイバーと言われる影の者に直撃すると、ハンガー状のアンカーがその体に残り、パルス化した重イオン粒子だけが透過する、すると、瞬間膨大なエネルギーが発生し、その場に針の孔ほどの亜空間を作る。尚もその中へと入り込む粒子が、ハンガーの掛かったシャドーダイバーの体を否応なしで亜空間へと引っ張り込むのだ。
そして、引っ張り込まれた体は現空間から消滅する。
銃口が狙った先、影一つ、迷うことなく引いたトリガーの軽い感触の後、加速発射された荷電粒子砲のリコイルが、支えた左ひじに衝撃を与える。
今にも襲い掛かろうとした影が、マックスで発射されたパルスエナジーによって弾き飛ばされ、収縮された小さな黒い球となってその場から消えた。
「やっぱり…か、命中精度は格段と上がったが…バージョンⅡでも闇へと弾き飛ばす事しか出来ない…どうやったら、息の根止められるってんだ…こいつら」
上がる息を整えながら、安城は携帯を取り出すと、真鍋への直通ボタンを押した。
「と、まあ、こんな感じで、特殊班チームの連中からの報告が、此処一年、かなりの数に上った。その全てが、白羽財団を調べ始めてからだ」
ゆっくりと背を預けながら、深くソファーに体を沈め、目の前で食い入るように聞いている襲に、真鍋の視線が熱く語っていた。
「シャドー…ダイバー…」
静かな口調で襲が呟いた。