幻影
薙ぎの院は南向きの駐車場、一つの封筒を握り絞めた京助の姿が在った。
「ふう、やれやれだな、まあ、機材はそのままって事だから良かった」
そう言うと、先程、近藤から手渡された茶封筒の封を切り、中身の確認をした。
「へぇ~、粋な事するねえ、二万入ってんじゃんか、一万五千円の約束だったのにねえ」
余程嬉しかったのか、本堂から続く階段を降り観音開きの門を出ると、柄にもなく軽くステップしながら、駐車場の隅に止めてあるアルピナまでリズムよく近づいて行った。
LEDライトが届かない駐車場の隅、少しの暗がりの中、近づいた京助は、自分の車の姿に違和感を感じた。
「あれ、こんなに車高低かったっけ?・・・な、何ぃ~!パンクしてやがる!」
愕然とした京助が反対側に回り込むと、
「うっ!こっちもか!ちっ!こいつは…パンクじゃない、切り裂かれてんじゃないか!」
タイヤ四本、横の部分が鋭い刃物で切り裂かれている。
「畜生!誰がこんな事」
何て事だと思った、当然だろう、やっと帰れると思った矢先、まさかこんな事になろうとは・・・、京助は頭を抱えた。
落胆隠しきれない京助の背後から、近づく影があった。
「お、お前か!やったな、何の真似だ!」
その影に気付いた京助が振り向き様、睨みつけるように、に吠えた。
「ち、違いますよ・・・僕じゃない、それに、階段近くに止めてあるワゴン車と乗用車も、同じように、タイヤが・・・」
両手で違う違うをアピールしながら、一馬が必死に否定した。
「何だ・・・作家先生か、じゃあ、どうして此処に居るんだよ」
疑いの眼差し鋭く、京助が聞いた。
「えっ、ああ、只、夕飯前の散歩に来てただけで・・・たまたま・・・はい」
京助を目の前に、一馬がぎこちなく答える。
「本当だろうな、じゃあ、誰がやったんだ!クッソ!このタイヤ高いんだぜ、三百キロのスピードに耐えられる高速用タイヤなんだ、四本もやりゃあがって、中古の軽が一台買える値段だぞ!」
ピンからキリまである中古相場、何処を指して言っているのやら・・・などと思ったのだが、それより、激怒している目の前の男に、危険信号の点滅を感じた一馬だった。
「と、とにかく、今からじゃタイヤ屋さんも開いてないでしょうし、ましてやそれ程のタイヤですから直ぐには手に入らないかと・・・どうでしょうか、此方のお寺さんに今晩泊めて頂くって事に・・・明日になれば何とか・・・」
提案した一馬が、間借り人だと云う事も忘れ、京助に言った。
「しょうがないな、そうしてもらおうかな、ところで・・・晩飯は何か分かるか?」
この男、切り替えが早い・・・が、がっくりと落とした肩が、街頭の明かりで揺れていた。
「いえ、僕もまだ・・・知らないんです」
「そうか・・・頭に来たら腹が減った」
その後、駐車場を離れ本堂へと続く階段を上って行く二人の姿が在った。
本堂の庫裏から運ばれた膳が、だだっ広い畳の間に運ばれ、並べられた低いテーブルに置かれていった。
根岸彰が若者二人と共にその一つに陣取った、
残りのテーブルには、此処での修行を目的とする若い僧達に交じり、それを指導する中堅クラスの僧侶達の姿も在る。総勢十八人、静かに夕食が始まっていた。
「それで、どうします?明日は」
お替りの茶碗を持ちながら御櫃に掛かった布巾を取り、しゃもじで飯を詰め込むと、前の席に座った彰に手渡しながら近藤が尋ねた。
「ああ、その事だが・・・明日一番で、お前達は東京の社に帰れ」
思いも描けない彰の言葉に、驚いた二人が箸を置く。
「えっ!しかし・・・まだ、しっかりした調査もしてないんですよ、それに、あの影、
もし新しい水脈だとしたら上昇スピードが速すぎます・・・地表面が液状化する危険も・・・」
彰を正面に見据えた渡辺が苦言した。
「わかっている、確かにお前の言う通り、水脈かもな・・・特に此処は山の中腹にあるコブみたいな地だからな、一度液状化すれば土石流のように下へと流れ落ちるだろう」
そう言うと、すすった湯飲みを置き、彰が苦い顔をした。そして更に、深いしわを作っている眉間を擦りながら・・・
(まいったな、こいつらに本当の処は言えんしな・・・巻き込むことは絶対に避けたい)
あくまでも表向きは地質調査をする会社である、主に、大手企業の工場地建設に伴う岩盤
深度調査や、工場跡地の化学物質による汚染度の確認調査等を行っている。これは、先に言った表の顔だ。しかし、今回、調査に来ている近藤や渡辺も知らない別の顔が在るのだった。それは・・・忌み地の浄化である。
此処に在る元池のように、おぞましい事情で埋めた立てられた事によって引き起こされる災い等を治め鎮める事。古より、湧き上がる水場には不可思議な力が宿るとされていた、よって、それらは信仰の対象となる事も稀ではない、故に、滅多やたら、簡単には埋め立てる事は出来ないのだ。そのような事由により、此のリーゼルと云う会社には専門の部所があり、それが、広報部の名を借りた特殊チームの存在。
(早すぎるが用心に越した事は無い、奴らを呼ぶか)
どうやら、彰の腹が決まったようだ、そして、徐に出した携帯を発信させた。
一馬と京助は母屋に入り、先程いた庭の見えるソファーに対面越しで腰を下ろしていた。
「勘弁してくれよ、もう、沢山だ・・・面倒に巻き込まないでくれ、俺は帰る金を作っていただけなんだ、これが終わったら此処には何の用もない」
冗談ではないと思った、京助にとって最早これ以上の厄介事は真っ平御免。
「えっ!そうなんですか?僕はてっきり地質調査の会社が雇った・・・用心棒的な・・・」
「何だよそれ、今時マカロニウエスタンじゃあるまいし、用心棒って」
そう言った京助は思い出した、朝方会った連中、そう、二つ坂の物見衆が言っていた言葉だ。此の地に災い在り・・・。
「で、作家先生、その起きる事って、いい事じゃあなさそうだけど、いつ起こるんだ」
先程とは違い、静かな口調で聞いた。
「仕入れ先は聞かないで下さいね、遅くても・・・明日の夜には・・・」
何かを覚悟した一馬の瞳が揺れている。
「なあ、先生、一体何が起きるって云うんだ、時代劇に出て来そうな宿場を牛耳るヤクザ連中が襲ってくるみたいに言ってるけど」
「襲ってくるんです・・・ヤクザより性質の悪い連中が・・・此の場所を乗っ取りに」
一馬も分かっているようだった、この男、京助には嘘が通じないと云う事・・・。
「とにかくだ、俺は帰る!明日の朝早くに高速バスに乗ってでもな」
さすがに今回はアルピナで帰れそうにもない事は分っていた、まずは横浜に帰ることが先決と判断したのだった。・・・すると、一馬が・・・、
「もう、手遅れかと・・・此処から出る手段は断ち切られてるかも・・・です」
「はあぁ~?何言ってんだよ、って言うか、まさか、もう囲まれてるってか?」
「ん?」
「あれ、専務どうしました?難しい顔してますけど」
本堂に設けられた俄かの食卓で首を傾げている彰に、近藤が尋ねた。
「おい、お前達の携帯、今・・・使えるか?」
すかさず出した携帯を確認した近藤と渡辺が、揃って言った。
「あっれぇ~、圏外になってる、そんな・・・」
「だろ、さっきまでは使えたんだが・・・おかしいな」
そう言うと、徐に立ち上がり、彰が声を張った。
「すみませんが、此処に居る皆さんの携帯、使える方はいらっしゃいますかね?」
急ぎ取り出した勇見が顔をしかめた。
「此処の修行僧には携帯の使用は禁じております。持っているのは私だけですが、・・・
おかしいですな、圏外・・・と」
「やはり・・・な、電波を遮断されてるようだ、何処かで故意にな」
彰がそう言うと、すかさず勇見が立ち上がり、席を離れながら彰に向かって、
「母屋に行って確認して参ります。有線電話が通ずるかどうか」
「お願いします、私達も外で確認を致しましょう」
彰が言い終わらないうちに、若い僧たちが一斉に動いた、その中の中堅だろうか、一人の僧が他の僧達に向かって言った。
「陣形を整えよ!春夏秋冬の位置構え、ゆけ!」
号令と共に、四方八方へと僧達が散らばって行った。
「おいおい、一体何が始まっちゃうんだ?春夏秋冬って・・・何?」
何が何だか分からないまま、近藤と渡辺が不安そうに呟いた。
「東西南北を現してるんだよ、春は東、夏は南、秋は西、そして、冬は北」
彰が補足した。更に、
「お前達も知ってるだろ、此処の祠の意味を・・・、東西南北にある一つ一つの名を」
「ええ、東の祠から、弔い廻りで、青龍、朱雀、白虎、最後は北の祠で、玄武」
「分かってるねぇ~、それだよ」
弔い廻りとは右回り、即ち、時計回りの事を云う、昔は葬儀の際、仏の棺桶を担ぎ、村内を右回りして最後の別れとしたのだった。
彰がにやりと笑った。
「面白くなってきた」
彰達が本堂の横にある庫裏から外に出た時だった。
「彰君、何が在ったの?」
母屋から急ぎ出てきた静香が、彰達に向かって言った。
静香の後に付いて、暮葉と共に母屋の厨房を手伝っていた若い僧二人も続いた。
「おう、静香、とにかく本堂に入ってろ、詳細は今から調べる」
「わかった、さあ、皆さん、本堂へ」
そう言うと、目配せをした静香が皆を中に入れた。
「彰殿、通信手段を絶たれたようで・・・」
小走りに近づいた勇見が、神妙な顔で言った。
すると、先程何処ぞに散った僧の一人が、急ぎ彰の前に現れた。
「ご報告致します、只今下方にて、全車両、タイヤを裂かれておる事、確認致して御座います」
「くっ、やってくれたな・・・用意周到ってか、これで外界とは完全孤立・・・」
彰の顔が険しくなった。
裏手に設置してある立ち入り禁止の看板前、二人の僧が闇に向かい構えている。
「何処ぞの者か!」
僧の一人が激しく声を張った。
細長い三日月が天井より照らす心細い光の中、一つの影が、僧達の身構える前にその姿を露わにした。
「何だ・・・青臭いクソ坊主か、お前達に用はないぞ」
そう言った影法師の直ぐ後ろから、もう一つの影が現れた。
「面倒くせぇ~なぁ~・・・さっさと殺っちまおうぜ、騒がれる前によ」
その影が言い放った。
「まあ・・・待て、・・・そうだ、此奴等生け捕って、上に居る奴らの情報ってやつを聞き出せばいい・・・そう、それがいい、kukukuku」 笑った。
「お前達、何者! 此処を薙ぎの院と知っての侵入か!」
明らかに戦闘モードとなった僧が、怒りと共に言い放った。
「うるっせ~なぁ~!やっぱ、死ねや・・・お前ら」
そう言い放つと、影法師の片手ひとつ、闇の中へと消え始めた。
闇撃と云う・・・シャドーダイバーがもっとも得意とする攻撃方法・・・放たれる細く伸びた漆黒の闇線、これに絡み付かれたが最後、逃れる術は・・・ない。
スキアの中で、最も闇を操ることに長けた者達、その生態は闇に潜み、その闇がある限り無増に放出できる力を持つ、しかし、この者達は、故に、日の元には出る事が叶わないのだった。ひとたび日光に触れれば、その力は消滅し、弱体化してしまう。しかし、その中でも、特異体質を持つ者が存在する、それが、白蓮の手下、森田に通ずる。
称して、シャドーダイバー(陰の潜航者)と・・・云う。
その一人が放った漆黒の闇線が、今、まさに一人の僧に絡みつこうとしていた。
ギュイーン! 空気を切り裂く甲高い音がした。
「な、何をした!」
闇撃した影法師が叫んだ。確実に打ち込んだ筈の闇線が、狙った僧の目の前で四方八方に吹き飛んだのだ。
「危ない危ない・・・闇からの不意打ちか・・・とんでもない戦法だな」
青木陽介、二つ坂は物見衆一番頭、法力対、闇の力が此処にぶつかる。