金剛鬼 阿修羅
薙ぎの院は本堂へと続く階段の途中・・・。
「いるんだろ、お前達・・・バレバレだぞ、くっくく、何ともお粗末だな、はっはは」
そう言った彰が振り向いた先、三人の若者の姿があった。
「あ、彰さん、お久しゅう御座います。詳細は聞いておりませんが、与一さんからの命で此方の警護をと、云う事で来ておりました」
腰を屈めた三人の若者の一人が丁寧に言った。
「ああ、兄貴から聞いているよ、そんなに畏まるなよ、同義の中じゃないか、否、ご苦労さんだね、しっかり頼んだよ。それと、何かあったら、力を借りるから、何も起こらないことを願うけどね、まあ、宜しく頼む」
「はい、何でも言って下さい、直ぐに対処しますから・・・、では」
そう言うと、三人の若者が静かに下がった。
「いやぁ、相変わらず静かなお人だけど・・・凄いオーラだな」
三人のうちで一番の歳頭である青木が、高揚しながら言った。
その横で、瀬田と横田も頷いた。
「そう云えば、青木さんは彰さんの事、良く知ってるんですよね」
瀬田が唐突に聞いた。
「ああ、知ってる・・・、よ~く知ってるさ・・・、まだ俺がガキの頃、二つ坂で憧れのお人だった。とにかく、とんでもない法力の持ち主だった・・・当時、今の長、与一さんを凌ぐほどだったよ・・・、只・・・」
話の途中、口ごもった青木に尚も瀬田が聞いた。
「えっ、只?・・・何かあったの」
「もういいかな、あれから随分経ってるし・・・、時効って奴だな、うん、そうなんだ、
今から二十年程前になるかな、二つ坂が真っ二つに割れる事態が起こった、当時、頭角を現したのは彰さんの方が先だったんだ・・・」
栗の木が乱立する中、その一本の木に寄り掛かりながら、静かな口調で青木が語り始めた。
「おい、彰!いい加減にしたらどうだ、いつまでもガキみたいにヤンチャしてんじゃあねえぞ」
二十二歳の与一が、東京の大学から夏休みを利用して此処、二つ坂の実家に帰省していた時だった。
「良く言うぜ兄貴、今、此処がどうなってるか知らねえから、そんな呑気な事が言えるんだろう、水守の叔父貴の野郎、親父が倒れてから急に欲出しゃあがって・・・」
幾つかの集落で形成されている二つ坂の中の一つに、水守と云う地が在る。
其処をまとめている首長が、与一と彰の父、重蔵の実弟、景久と云った。
「あの野郎、周りの物見衆丸め込みゃあがって!次の長の座、狙ってやがる、露骨にな、まだ親父が生きてるってのによ」
握り絞めた拳が行き場のない怒りと共に、目の前にいる与一に向かって突きつけられた。
「まあ、待て、俺だってそんな事は分かってる・・・それに今、年寄連中に仲立ちしてもらうよう手筈を頼んである」
「けっ!あいつらに何が出来るってんだ!兄貴、力には力だ!圧倒的な力だ!」
「馬鹿野郎!そんな事になったら・・・、此の二つ坂、てめえは潰す気か!」
与一の顔が険しくなった。
「このまま行っても、潰れちまうわ!兄貴、知ってるか?あの景久の野郎、小夜の菊石から出た県会議員とグルになりゃあがって、北地のワサビ田、売り払っちまう気だぞ、此の山側に新しくバイパス通すって話が出てから、叔父貴の野郎、てめえの土地が掛かる様に県会議員と企みゃあがって!」
それを聞いた与一が愕然となった。北地のワサビ田は、根岸家が先祖代々受け継いできた
貴重な物・・・この先も受け継いでゆかねばならぬ・・・物。
「とにかく待て!お前の話が本当でも、それを納得してもらう程の証拠がなけりゃあ、表に引っ張り出せやしねえぞ」
そう言った与一が腕を組んだ、それは、一切の手出しを今はしないと云う証だった。
「あいつは姑息な野郎だ!そんなこたあ、百も承知の筈さね、だけどな、俺は聞いちまったんだよ、奴らが頻繁に会ってるって飲み屋でな・・・奴らもまさか俺が居たなんて気付きもしなかったろう」
「・・・分かった。多分、いくらお前の言葉でも・・・上手くはぐらかされちまうだろうな、だから、絶対的な証拠が欲しいんだよ」
「そんな悠長な事言ってる間はねえ!来月にゃあ、議会を通すんだってよ、強引にな、親父が出れない事をいいことによ」
その噂は与一の耳にも入っていた、故に、大学での休みを利用したサークルの活動を欠席してまでも、此処二つ坂に帰って来たのだ。
「で、お前、どうするつもりなんだ?」
先程までの殺気に満ちた表情は、今は無い与一が問うた。
「決まってるんじゃあねえか!あの野郎の口、割らすんだよ、力づくでな!」
「・・・そうか、だが・・・一つ言わせてくれ・・・気を付けろ、奴の取り巻き連中の中には、俺たちも知らない力の持ち主がいるって話だ、勿論、景久の叔父貴も若い頃から相当なもんだったじゃあねえか、お前も知ってるだろ」
「ふん!あんな老いぼれの力なんて知れてるぜ、それによ、俺にも付いて来てくれる連中だっているんだぜ」
くるりと背を向けた彰の肩越しから、親指を立てた拳が与一に向けられた。
うるさいほどに泣いているせみ時雨、夕景が刺す茜色の中へと長く伸びた影一つ、消えていった。
それから数日後、三つに分裂した二つ坂があった。
景久を擁護する物見衆の長老達、突破しようと激しくぶつかる彰率いる若手連中、
そして、それを止めようとする与一と、その仲間。
未だ勝手ない程の、力と力がぶつかった此の地が激しく揺れ動く。
怒りに満ちた彰の力は壮絶を極めた。幼い頃より、父、重蔵に鍛えられたその力は、既に誰も止めることが出来なかった。
半日程たった頃、若い勢いに圧された景久率いる物見衆が、一人、また一人と脱落してゆく中、残った景久達が、最後の抵抗を見せた。
「くっ、流石、二つ坂一と言われた法力の持ち主だな、彰」
残り三人となった物見衆を前に、景久が彰を見据えて言った。
勿論、彰を援護する若い連中も只では済んでいない、殆どが手負いとなっている。
「お前達、良くやってくれた、此処からは俺一人で十分だ、下がってくれ、周りに気を付けろよ」
そう言った彰の水平に振った右手が、若い連中に別れの挨拶をしたかのように見えた。
物見衆の姿が近づく、と、彰の射程距離間近で、三人の姿が、一つになった。
身構えた彰の右手方向から念撃が放たれた!至近距離!激しく炸裂した念圧で、彰の体が左へと飛ばされる。間髪入れず今度は飛ばされた左方向から念撃が、倒れこむ彰に向かって飛んだ。
「ぐうっ」
地に着いた膝を両手で抑え込みながら、立ち上がった彰だったが・・・。
「あにさん!」
「彰兄さん!」
若い連中の悲壮な叫び声が、此の地に木霊する。
彰の目の前、物見衆一人、気功砲の構え!
「くっ、此処までか・・・」
天を仰いだ瞬間、目の前の男が吹っ飛んでゆく!
「諦めるんじゃねえぞ!彰」
聞こえた声に振り向くと、彰の後ろに与一の姿があった。
「ほほう、良いものを見せてもらった、三位一体ってか、成程な」
辺りを睨みつけながら、与一が言った。
「ちっ、諦めちゃあいねえよ、礼は言わねえからな」
与一の姿を見た残りの物見衆二人が、戦前逃亡を図った。
「追うんじゃあねえぞ!」
控えていた若者達に、与一が言葉を投げた。
歯を食いしばりながら立ち上がった彰が・・・。
「叔父貴、今度の件、どう落とし前付ける・・・差し違える覚悟で来てるんだ、返答次第じゃあな」
近づく彰に、後ずさりしながら景久の肩が震えている。
「いや、俺じゃあないんだ・・・この話、奴が持ってきたんだ、俺は・・・乗り気じゃあなかったんだ、みんな県会議員のあいつの・・・」
「うるせい!此の期に及んでまだ言うか!終わりにしてやる!」
彰の右手が印を結んだ、我流、金剛鬼炸裂!
「なっ!馬鹿な!何で?何でかばった!」
彰から放たれた念撃が、景久をかばうように覆った与一の背中に、直撃した。
「馬鹿は・・・どっちだ!・・・認めたじゃあないか、後は年寄り連中に任せば・・・
いいことだ・・・これ以上は・・・」
そこまで言った与一の意識が、途切れた。
「あ、兄貴!おい、おい、しっかりしろよ!」
絶叫した彰が与一を抱きしめた。
「彰さん!早く、早く乗せて!」
若者の一人が乗り付けた車に、急ぎ与一の体を乗せた。
「急いでくれ!頼む」
数週間後、秋の気配を見せる二つ坂に二人の姿があった。
「どうしても行くのか?」
「ああ、修行のやり直しだ、今度は、人としてのな、それと、親父を頼むぜ、大分良くなったけど・・・あの件で、落ち込んでるからな」
「彰、尚のこと、お前が傍にいろよ、次の長はお前だから」
「はっははは、冗談きついぜ、ごめん被る、こんなとこで腐る気はねえよ、それに、長は、兄貴の方がいいに決まってる」
「しかし、何でそんなことしたんだ?背中、見たときゃ、腰が抜けた」
「俺流の詫びの入れ方さね、気にするな・・・じゃあな、兄貴、悪かったな」
「彰・・・」
その後与一は、大学の修士課程を得て数年のキャリアを積み、地質調査の会社を立ち上げ、強引に彰を引き入れた。
「てな訳だ、あん時は本当にぶっ潰れると思ったよ、二つ坂が・・・今じゃ伝説だが」
しゃべり終えた青木の背中が、頼っていた栗の木からずるずると滑り、地に尻をついた。
「大袈裟な話だと思ってた、まさかそこまでとは・・・」
聞いていた二人の顔が高揚している。
「ああ、それで、前に彰さんが帰って来た時、一緒に温泉入ることがあって、そん時見たんだ、彰さんの背中」
「えっ、背中って?何」
「びっしりと入ってた・・・阿修羅の入れ墨・・・が」
「えっ~!それって・・・」
「ああ、彰さん流の落とし前だったんだろうな」
静かに揺れた風が、一足早く枯れた枝先を、彼らの足元に落とした。