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すべてを知った男

作者: yel10w

 父から電話があったのは久しぶりのことだった。

 「曲、聞いたよ。相変わらず専門的な感想は言えないが、良い曲だった。ところで、一つ頼みがあるのだが/」

 僕は、内心では自分が作る音楽があまり好きではなかったが、不思議なもので、それを好んで評価してくれる人間がいる。父以外にも大勢の人々が。そして、僕は僕の嫌いな部分を受け入れられることによって救われている。

 「うん、わかった。来週だね。色々と思い出しておくよ」

 父からの頼みは何ら難しいことではなかった。むしろ光栄なことであった。なにせ、神と呼ばれる男と二人きりで会う時間を与えられたのだから。

 「ああ、頼んだ。あと、彼の資料をPCに送ってあるから目を通しておいてくれ。それともう一つ、彼が・・・・・・いや、何でもない。忙しいところ、すまないな」

 父が何かを言いかけて止めることは珍しくなかったから、僕はあまり気に留めなかった。電話を切ると、直ぐにメールを確認し添付ファイルを開いた。神と呼ばれる男の動画があった。彼の容姿を形容するのは難しかった。神々しい、なんて陳腐な表現しか浮かばない。もちろん、そんな僕でも、目の形や手の大きさといった、ひとつひとつのパーツを説明することなら可能だ。けれどもそれは、彼が醸し出す不思議な、魅力的な雰囲気を伝えるヒントにすらならないだろう。いや、もしかしたら僕は、彼が人類の希望であることを知っているから、そう感じるのかもしれない。


   *


 ドアを開けると、彼は窓一つない部屋の隅で読書をしていた。全身、黒い服を着ていた。研究室に置かれているものも、極力黒色で統一されていた。事前に渡された彼に関する資料には、黒は最も彼が好んでいる色だと書かれていた。

 「はじめまして。お待ちしていました。どうぞ、お掛けください」

 彼は丁寧にお辞儀し、微笑んで僕を迎えてくれた。僕は、彼の資料が頭に入っているせいか、その微笑が機械的に見えた。この全知全能の神と言われる男は、私とほとんど変わらない歳か、多少若くも見える。

 「はじめまして。失礼します」

 事前に聞いていた彼の希望通り、僕が生まれてから今日までの二十五年間を思い出せる限り話していくことにした。


 彼は世界の頭脳が集結した神プロジェクトによって誕生した。僕には、彼が一体どれだけの遺伝子操作を施されているか想像もつかない。だが、プロジェクトリーダーの僕の父によれば、世界中で報道されている数よりもずっと少ないそうだ。

 「そうですか・・・・・・お辛かったでしょう・・・・・・」

 本当なら、あまり思い出したくない出来事だった。けれど、彼の目に浮かぶ涙と言葉が、思い出す時の痛みを少し和らげてくれた。五歳まで、あの事故が起こるまで、僕は父と離れ離れの暮らしを強いられていた。僕は誕生と引換えに母を失っていた。優しい叔父と叔母が側にいてくれたとはいえ、幼かった僕は、常に心のどこかで寂しさを感じていた。ある日、僕は当時A大学で研究をしていた父に会いたいと駄々をこねた。普段わがままを言わない僕の頼みを、叔父と叔母は素直に聞き入れてくれた。

 「ええ・・・・・・私も数ヶ月のあいだ生と死の境を彷徨いましたが、今、こうして生きています。叔父と叔母の分まで精一杯生きることが、唯一できる罪滅ぼしだと思っています」

 その日、叔父は僕をいつもの助手席ではなく、後部座席に座らせた。事故は完全に相手ドライバーの過失であった。僕はその五ヶ月後に目を醒ましてから、自分が死ななかったことを知った。母だけでなく、叔父と叔母も自分が殺してしまった気持ちになった。子どもながらに、この罪は一生背負っていくものだと感じた。

 「今でもご自分を責めているのですか?あなた自身も、失ったものは小さくないとお聞きしました・・・・・・」

 僕は自分の細く長い美しい指を眺めた。僕が母の胎内にいた頃、父も他の父親同様に僕の成長予測データを申請した。そして、僕がギフテッドだと知った父は、僕の指の形状と耳の機能、すべての内臓器官を、より美しく強く優れたものにするベイビーデザインを施した。一般的には金額的に難しい数の施術だったが、僕の父はその道の権威であった。そして、父はどうしても僕を、音楽の道に進めたがっていた。

 「そうかもしれません・・・・・・けれど命を失うのに比べたら些細なものです。それに、僕はこれで良かったと思っています」

 生き返ってから失ったものは、育ての親だけではなかった。貴重な神からの贈り物も失くしてしまった。それからというもの、父は僕に無理やり音楽を勧めようとしなくなった。けれど、幼い僕にはそれが辛かった。音楽にさほど興味を持たなかったから矛盾するようだが、僕は心のどこかで父から見放された気がした。そして、僕は今音楽で生計を立て、叔父と叔母の意志を引き継いで定期的にボランティア活動をしている。父から愛されるために、叔父と叔母から許されるために。


   *


 「以上が、僕がこれまで歩んできた道のりです。思ったよりも長くなりましたが、聞いて下さりありがとうございました」

 どれくらい話しただろうか。資料によれば、彼は時間を嫌うため、部屋には時を示すものは何一つなかった。テーブルの上には、3杯目のコーヒーが入ったティーカップが二セットあった。僕にとって、彼は初対面で二度と会わないだろう存在だからこそ、神と呼ばれる存在だからこそ、隠し事なく全てを話すことができた。

 「こちらこそ、とても興味深い話をありがとうございました」

 彼は満足そうに微笑んだ。最初に感じた機械的なものと今回は違った。神プロジェクトの成果は、徐々に現れ始めていた。彼は、すべての学術分野に助言し、その発展に寄与するだけでなく、『予言』によって天災の脅威から多くの人命を救っている。今日では世界経済を彼に委ねるか否かで、各国が論争を繰り広げている。

 「ところで、ずっと疑問だったのですが、なぜ私の話をお聞きになりたいと思われたのですか?」

 彼は徐に立ち上がると、後ろの壁にあるスイッチの一つを押した。すると、音楽が流れた。なんの曲かは直ぐにわかった。これは僕がキャリアの初期に書いたピアノソナタだった。自分の孤独を癒すために作った曲だった。僕はいくつかこの質問の答えを予想していた。

 「あなたが、私の創造主の子どもだったからです」「彼が、どうして私を創ったのか、このプロジェクトが始まった原因を知るきっかけにでもなればと思ったからです」「キリストが生まれたことに理由があるように、私にも理由があるはずだ」

 だが、彼の口から出た言葉の真意は、予想と寸分変わらないものであったが、僕を驚かせる要素も含んでいた。

 「初めてこの曲を聞いた時、涙が込み上げてきました。なぜならこの曲は、私が初めて歌った鼻歌とそっくりだったのです。私はあなたのクローンです。私は、自分が一体何者なのかを知りたかった」


   *


 今度は僕が聞き役になった。彼の話は、彼が話していなければ作り話だと信じて疑わなかっただろう。二十年前、遺伝学に革命を起こした男は、自分の五歳の天才児が植物状態になったと知って酷く取り乱した。

 そして、男は息子のクローンを創ることを決意した。さらに、これは多少僕の推測が加わるが、男は『神を創る』というプロジェクトを掲げ、より素晴らしい息子を手に入れようとしたのだった。

 「最初、私は人類というより、彼の希望でした。ですが、私が、つまりあなたの細胞核が代理母に移植されて間もなく、あなたは目を覚ました」

 男は、自分の息子が生き返ったことで我に返った。そして、一度は神を殺そうかと考えた。けれど、後日息子が天才でなくなったことを知り、それを神を創ろうとした罰と受け止めた男は、信仰を捨て神に挑む決意を固めた。

 「彼が私に向けた全ての感情は、私が全ての感情を理解するための作り物でした」

 本物の息子には、哀れみと罪悪感がブレンドされた愛情を。もう一方には、神から授かり自ら磨き続けた才知の全てを。彼は、目覚めた僕を少しも恨んでいないと言った。自分が生まれた経緯を知った時、生みの親の気持ちが理解できたと言った。

 「ただ一つ、私が苦しく感じていたのは、私には自己愛すら許されなかったことです。自分が神ということ以外、何も教わってこなかったからです」


 彼が話してくれた神になる過程は、パソコンに色々なソフトをインストールするかのような作業だった。いや、それよりも日々劇的であったが、感情に触れられない彼からすれば、同じようなものだったのかもしれない。月日は経ち、やがて彼が知らないものは愛だけとなった。

 「ある人がある人を愛する理由を知るたびに、様々な要素で成り立っている彼らの愛は、私が理想とする愛とは違うことを思い知らされました。同時に、彼らの愛の期限も知りました。人間が他者に向ける愛情に純粋と永遠は存在しないのです。唯一、それに近づけるものがあるとすれば、それは自己愛です」

 聞きながらコーヒーカップを持つ僕の指は微かに震えていた。この黒で覆われた空間そのものが彼と僕の闇である気がしてならなかった。人類は神に見放された気がして、彼の言葉を否定したくなった。自分を愛せない者に、他人は愛せないのか。他人の愛を理解できない者に、自分は愛せないのか。けれど、渦巻く感情を解き放つ代わりに、僕はコーヒーを喉に流し込むことを選んだ。

 例えば僕は、僕そのものを犠牲にしてもボランティア活動を続けるだろうか。叔父と叔母が生きていたら、ボランティアに興味を持っただろうか。そして、僕は、自分の音楽を愛することができるのだろうか。全てを見透かすような目で微笑んで、彼は続けた。

 「これで私は、私が神ではないことを知ることが出来ました。そして、愛するという感情を。いや、もしかすると私は、人間から生まれた存在だからこそ/」

最後まで言い終わらないうちに、彼は僕の目の前から消えてしまった。ソファーの上には、彼が着ていた服が影のように残されていた。


終わり


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