第6話 「聖域」
シリウスの宣言通り、三日後のこと。
エース、セナ、ミラ、ケイ、そしてシリウスの五名は聖域にある洞窟の中へと入ってきていた。入り口を守っていた自然結界が解けた今では何の変哲もないただの穴蔵だが、今も変わらず軸に座する神を尊崇する者にとっては、そこは軸とつながっていると考えられている神聖な領域である。信仰心の厚いジーノとスランは「神の領域に足を踏み入れるなどとんでもない」と頭が飛んでいきそうな勢いで首を振ったため、教会で留守番となっていた。
そう言いながらも、中に入ろうというエースたちを強く引き留めないのは彼女らの大らかな気質による。シリウスとソラの立場を創世と滅びの神の使いとして熱心に信奉するプラディナムであれば、こうはいかないだろう。聖域に入ろうと考えるなど言語道断、都への「出禁」を食らうほどの重大な侵害行為である。
エースたちはそれをよくよく知った上で慎重に、対してシリウスは自分の庭を訪れるかのように気安く、洞窟の中を歩いていた。
「シリウス様、寒くはありませんか?」
先頭を歩くシリウスの隣、明かり石を灯したランプを持つエースがそう聞く。気温は道を進むごとに低くなってきている。後ろの方ではミラの小さなくしゃみが響いたばかりであるし、シリウスもまた体を冷やしているのではないかと心配したのだった。
「これね、生きてる体じゃないから感覚はないんだ。だから寒さも感じないの」
「へぇ~! こうやってミラがツンツンしてるのも分からないんです?」
後ろから小走りに近寄ってきたミラがシリウスの右手をつつく。
「そうだよ。最初はちょっと不便かな~とも思ったけど、視覚や聴覚の情報はあるし、自分に何が起こっているかは分かるから、割と平気」
「ふんふん。なるほど。だからシリウス様、お食事もしないんですね」
「ああ、それだけは本当に残念だった……。あんな美味しそうなご飯を前に味わうことができないなんて、実にもったいない。香りも分からないんだもんなぁ……ハァ……」
シリウスは来た当夜の豪勢な食事を前にお預けを食うしかなかったことを思い出し、肩を落とした。そんな彼を励ますようにして、ミラはつついていた手をキュッと繋いで大きく前後に振って歩いていく。エースとケイはその様子を微笑ましく眺め、セナなどは胸を押さえて、「うちの子いい子すぎだろ……」。最後尾で静かに悶えていた。
それからしばらく歩いて、後方に出口の光も見えなくなった辺りまで来て、ランプ一つでは照らしきれないほどの大きな空間に出た。シリウスはその入り口を少し行ったところで人差し指をかざし、ぐるりと周囲を指さして回した。すると要所に配置されていた明かり石が光りだし、天井がドーム状になっている空間の全体像が露わになった。入ろうと思えば、ソルテ村の住人百数名を数える全員が入れる広さの場所だ。
とても自然に作られたとは思いがたい。
まず規則的に並んだ明かり石がいかにも人工的である印象を与える。また、天井を支えるための柱もあちこちに立っており、それは成型加工などを施されたものではなく無垢の石柱であったが、この辺りの地質を鑑みるに風化などで軟質の岩石が排された結果とは考えにくかった。
エースは、「すごーい」と歓声を上げるミラの声を聞きながら、傍らのシリウスに問う。
「シリウス様、一つお聞きしてもよろしいですか?」
「いいよ。僕で答えられることなら、何でも」
「ソラ様と出会ってからというもの、いつも頭の片隅にあった疑問なのですが……聖域は何のために作られたんです?」
「ふむ……聖域を作った目的ね。ソラのような異世界の人間をこの世界に送り出すため──というのは、キミの期待する答えではないようだ」
シリウスは答えを聞いたエースの表情を見、彼の正確な意図を探るように視線を返す。
「あ……いえ、俺の質問が悪かったんです。正確には、聖域はなぜこの世界の人間のみが立ち入ることのできない場所となっていたのか、ということです」
「ああ、そういう意味だったのか。実は、異世界の人間を地上に下ろす場所というのは後付けでね。本当は、僕が軸を作り上げたあの時代……住処を追われる聖霊族の避難場所になればと思って作ったものだったんだ」
「ははぁ……だから人間だけは通れなかったんですね」
広場を危なっかしく駆け回るミラを連れ戻したセナが話に加わってくる。エースはその言葉に神妙に頷き、そこでまた一つ別の記憶を思い出していた。
「ここソルテ村では洞窟の入り口に光を通さない幕……いえ、墨を染み込ませた綿のようなものが入り口いっぱいに詰め込まれていたと言えばいいのか……そんな蓋がされてありましたが、あれはいったい何だったのです?」
「ああ、そういったものはね……もしも結界が破られるようなことがあった時の保険さ」
「保険?」
「エースは探求心が強いと聞いているけれど、あのまとわりつくような得体の知れない闇に、あえて足を踏み入れたいと思ったかい?」
「……いいえ。ソラ様もそうでしたが、正直なところ俺も不気味に思いました」
「だろう? まぁ、実際には中に入って壁伝いに歩くと、この場所まで通り抜けられるようになっていたんだけど」
「では、軸とつながっていたということは……?」
「ないない。加えて言うと、異世界の人たちがもと居た世界に帰れるような道でもないよ。ここはあくまで、聖霊族の避難場所だ」
そう締めくくったシリウスに対し、セナの足にひっついていたミラが自分の理解が正しいかどうかを聞く。
「聖域は聖霊族さんたちのひなん場所で、後から……これは異世界の人を地上に下ろすのにも使えるぞ~!? って思って使い始めたってことなんです?」
「そう。誰だって、未知の領域からやってきた人間は特別扱いしたくなるものだろう?」
「はい。自分たちとは何か違う人だ! って思っちゃいます」
「うんうん。そういった人間の心理を利用して──アッ!?」
と、そこでシリウスは言葉を切り、恥入ったような顔つきになって頭を下げた。
「この話題はもうやめておこう。詳しく話し始めるとキミたちからもゴミを見るような目で見られそうだ……」
「ええ!? ゴミですか? 何で何で~?」
「というか……俺たちからも、というのは……?」
「そりゃあ……おそらく、あの人がそういう目で見たんでしょうよ」
エースの腕を肘でツンとして、セナが小声で言う。
「ソラ様……」
「いやいや、彼女には散々に言われたね……。今でこそだけど、僕もどうかしてたと思ってるよ」
言葉を濁すシリウスにミラは不思議そうな顔をしていたが、大人三人は何となく彼の言わんとしたことを察していた。意外にも計算高い軸の神は、これまでずっと人間が持つ「感情」を利用してきたらしい。伝承にある儚い少年像と違って強かな性格のシリウスに、エースとセナは互いに顔を見合わせて困惑の表情を浮かべる。
一方で、彼らは安堵もしていた。それとは、ジーノとスランがこの場に居合わせなかったことについてである。元とはいえ聖域であったこの場所に足を踏み入れることに難色を示した二人……信じ崇める対象の口からこんな泥臭い話を聞かされたら、目眩を覚えるどころか失神していたかもしれない。
胸を撫で下ろすエースたちを横目に、ケイはクツクツと忍び笑いをもらしながら言う。
「これで大まかな疑問は解決したな。聖域が我が国にしか存在しなかったわけも含めて、得心が行った」
「ケイおばあちゃん、そんなことまで分かるの? ミラ、ちょっとよく分かんないから教えてほしいんだけど……」
すがりついてくるミラに対し、ケイはシリウスを指さして視線を彼に誘導する。答えを求められたシリウスはミラの前にしゃがみ込んでヒントを口にした。
「僕ら聖霊族はここの大陸にしか生息していなかった種なんだよ、ミラ」
「え? えーっと、うーんと……聖霊族さんは大陸にしかいなかった……ってことは、他のところに避難場所を作る理由がない……から、聖域はこの国にしかなかったんだね!」
「大正解。こんなに小さいのに、キミは賢いね」
「てへへ……褒められちゃった!」
ぽんぽんと頭を撫でられたミラは手を腰の後ろに回して、はにかんでもじもじとした。シリウスはその小さな頭を最後にひと撫でして立ち上がると、広間の奥へと向かってゆっくりと歩き出した。