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第4話 「彼の目的」

 シリウスはジーノが持っている器の上に証石を転がし、カランと鳴ったその音で皆も驚愕から目を覚ました。


 とりあえず「目の前の人物はソラではない」という言葉をいち早く飲み込んだケイは、それでも頭を抱えながらぶつぶつと呟いた。


「いや、その。ちょっと待ってくれ。地の軸を……作り出した……?」


「青星様~?」


 彼女が言いよどんだ言葉を続けたのはミラだった。くりっとした丸い目をさらに丸くして何度も瞬きしてみせるその少女は、話に聞いた魔女の姿で現れた青星の周りをくるくると回った。


「うん。今はシリウスって呼んでくれるとありがたいかな。ソラにもずっとそう呼ばれていたし」


「シリウス様! ですね!!」


「うん。よろしくね、ミラ」


「はーい」


 ミラが挙げた手にシリウスは自分のそれを重ねた後、しゃがみ込んで握手をした。子どもの相手が苦手なソラであれば不器用な笑顔を浮かべているところだが、生前(聖霊族としては)幼かったシリウスは、記憶にある自分と似た背格好の彼女に親近感を抱いているようだった。少年は眉尻を下げ、口元に柔らかい弧を描いて綻びる。


 大人たちはと言えば、見た目(ソラ)に似つかわしくない表情を浮かべるシリウスに目を釘付けにしていた。その刺さるような視線にはシリウスも当然のことながら気づいており、彼は笑みを苦くして立ち上がり、弁明した。 


「……いやぁ、その、ね? 別に騙すつもりはなかったんだよ? 最初にソラの名前を呼ばれて、何か感動の再会みたいな雰囲気になっちゃったから……まぁソラの声を真似て出てきた僕も悪かったんだけど……そんなこんなでつい彼女のフリをしてしまったんだ。ごめんね」


 彼はエースたちに向かって片目をつぶる。悪ふざけが失敗した子どものように、何なら舌を出してテヘペロでもしかねない少年に、先んじて出会っていた三人はどこか諦めたようにため息をつく。どうやらシリウスという人物は存外に茶目っ気があるようだ。


 儚げな見かけに反してそれを気取ることもなく、実に軽い調子で話す彼に対し、今にも儚く消え去りたいといった様子なのはセナだった。


「……」


「お父さん?」


「……二重の罪悪感で胸が痛い」


「お胸が痛いの?」


「正直今すぐ死にたい」


「ええっ!? し、死んじゃダメだよお父さん!」


 セナはシリウスの姿を直視できず、服の裾を引っ張るミラに顔を向けながら、その視界が端から歪んでいくのを眺めていた。そこに、白い手がすっと入ってきて、指先でセナの顎を上向かせる。


「それほど苦しく思う必要はないさ、セナ。僕のことは大昔の出来事だからね。歴史の是非は今、魔女研究の一環でキミも見直している最中なんだろう? ゆっくりとでもいいから、過ちがこれから先の未来で正されていくのなら……僕ら(・・)はそれで十分だよ」


 彼は聖霊族という種族が受けた仕打ちをそう語る。悲しく、辛く、悔しいことではあったが、既に過去の出来事である、と。


 しかし、セナの目の前には……十年前のあの日、南の地の果てで見殺しにした(ソラ)が立っているのだ。その姿を前に、彼が気に病まないわけはなかった。


 シリウスは少しだけソラの姿を借りてきたことを後悔していた。まだ年若い青年に干からびた果実のような、まるでこれから死に向かう老人にも似た悲愴の表情を浮かべさせるなど、彼は望んでいなかった。


「ソラは言っていたよ。キミに魔女を恨む理由があったこと……きっとそうすることでしか生きていられなかったこと……当時の年齢も考えれば、どうしようもなかったんじゃないかと、彼女はそんな風にキミのことを語った」


 ソラはシリウスが地上に下りる話を聞いて、セナと会う可能性を想定していた。だからもしも顔を合わせたときのために、彼女はシリウスにセナへの思いを打ち明けていた。


「ソラ自身もキミの心に……そんな顔をさせるほどの傷を負わせた。彼女はキミと同じような顔をして、それを悔いていたよ。子ども相手に何てむごいことをしたんだ、とね」


「でも、俺……。いや、私はあの人に言わなければならないことが……」


「うーん。僕はお相子だと思うんだけど?」


 シリウスはわざとらしく、ソラではない他人の顔をしてそう言った。


「ま、彼女と会う機会はいずれやってくる。そしたら直接言うといいよ」


「……はい。シリウス様がそうおっしゃるのであれば、私は信じてその時を待ちます」


 セナはまだシリウスの瞳を正面から見つめることができないまま、表情も暗かったが、深く頷いて彼の言葉を受け入れた。


 シリウスはセナの頭を優しくひと撫ですると、ぱっと朗らかな顔になって皆に向かって両手を広げた。


「というわけで、湿っぽい話はこれで終わり。生きてる人間は元気が一番なんだし、楽しく、和気藹々といこう。と言っても僕は死んでるわけなんだけど──アッ! ついでに言うと、あまり僕に対して畏まることはないよ。普段通りの言葉遣いで話してもらって構わないからね!」


 彼は周辺に見えない花を咲かせながらそんなことを言った。そのざっくばらんな言いように周囲はつられて「はい分かりました」と答えそうになったが、元気よく了承の返事をしたのはミラだけだった。


 大人は当然のことながら、戸惑いの表情で顔を見合わせていた。ミラは一人シリウスに近づいていって、「駄目なのかも、です」と眉をハの字にした。


 シリウスは顎に手を当て、少し考えた風にして、


「これまで堅苦しく生きてきたせいかな? いや、軸を作ってからの千年を『生きてきた』と表現するのは少々語弊があるような気もするけれど、僕としてはそんな肩肘を張った生き方にも飽き飽きしていたところなんだよ。ソラも最近じゃ気分によって扱いがぞんざいだしね~。それに慣れちゃった今では恭しい態度とかむず痒くなるというか何というか……」


「しかしですね……」


「まぁまぁ、いいじゃないの。他でもない僕が言ってるんだから。というか、仮にソラ相手だったらここまで畏まるのかって話だよ? 僕も彼女みたいに、みんなにはふれんどりぃに接してもらいたいなぁ!」


「ミラ思ったんだけど、シリウス様って何かロカルシュおじさんに似てる──」


「こ、こら! なに言ってんだミラ!!」


 彼方の都にいる軽忽愚直な男は今頃くしゃみでもしたところだろうか。セナはシリウスにとんでもない人物を重ね合わせた娘の口を塞ぎ、顔を引きつらせる。


 その様子を見ながら、ジーノは思う。


 どんなに気をつけても、ミラはおそらくこの先も同じような言動を繰り返すだろう。そしてそのたびに周りが取り乱して、ミラにも必要以上に窮屈な思いをさせることになる。であれば、シリウスの願いはそのまま受け入れた方が良いではないか?


 そう考えたジーノは他のスランに視線を送り、無言の了承を得てセナとシリウスとの間に立ち入った。


「シリウス様ご本人がそうお望みなのであれば、その通りにいたしましょう」


「それでいいのかよ、アンタ……。ペンカーデルじゃ神様だって信仰されてる御方のはずだろ?」


「キミィ……その神がこうしてお願いしているのだから、民は従うべきだと思うけどね?」


「……シリウス様はちょっと黙っててくださいますかね」


 口が悪い素の部分を見え隠れさせながら、セナはこめかみを押さえて唸る。父の手を逃れたミラはジーノに抱きつき、その顔を見上げた。


「そしたら、ミラはシリウス様にも普通に話していいってこと?」


「ええ」


「やったー」


 跳ねたり飛んだりでシリウスの周りをくるくると回りだしたミラの喜びように、セナはやがて諦めたようにしてため息をついた。


「仕方ねぇな……。ミラ、あんま変なこと言うなよ」


「お父さんも、あんまり乱暴な言葉使っちゃ駄目なんだからね」


「分かった分かった。じゃあ、二人で約束な」


「はーい!」


 セナはどこか吹っ切れたような顔をして、ミラの人差し指に自分のそれを引っかけ、二回上下に揺らして誓いを立てた。


 話にいったん区切りがついたところで、一同は場所を居間に移す。暖炉の前のソファにシリウスとスラン、ケイが座り、他は食卓の椅子を持ってきて向かい合った。


 次の話題を切り出したのはエースだった。シリウスがその人本人だと分かった今、彼にはなおのこと疑問に思うことがあった。


「シリウス様はなぜソラ様のお姿でここへ?」


 わざわざ紛らわしい見かけをしてやってきたのには、それなりの理由があるはずだ。


 皆の注目が集まる中、シリウスは要点を話し始めた。


「まずは僕の目的だけど、それはソラの願いを叶えることなんだ」


「十年後も生きていたかったという……?」


「そう。といっても、十年後の地上に再臨させることでその思いを実現しようだなんて……エースたちにも言ったけど、そんなの屁理屈だ。でも、僕は何としても叶えてあげたかったんだよね」


 だから、ソラが自力で地上に再臨するための依り代を作ることを考えたのだとシリウスは言う。


「モノとしては人形(ひとがた)なんかが適当かと思ってるんだけど……」


「ひとがた? お人形(にんぎょう)ってこと?」


「そうだよ、ミラ」


 そこで、ジーノが小さく挙手して聞く。


「あの、すみません。ソラ様がそのお体でこちらへ来ることはできなかったのですか?」


「それについては、もう一つの目的の話にもなるのだけれど……言ってしまえば、この体は彼女の遺体でね」


 シリウスの答えを聞いた皆は一様にぎょっとした。


 まるでソラがそこに生きているかのように思えたのは錯覚で、生者と見紛う細々とした仕草は全て、シリウスの精密な魔力操作により成立しているのだという。礼拝堂で彼が「疲れた」ともらしたのは、その調整に一苦労していたからなのだった。


「……」


 それにしても、言葉が出ない。大抵のことでは動揺を見せないケイでさえも、これには顔色を悪くしてうつむいた。面と向かった人間が死体であるという事実もそうだが、生存は絶望的であったとはいえ生死不明であった人間が、実際に死んでいたと聞かされたショックは大きい。


 当然ともいえる反応を前に、シリウスは真面目な口調で続ける。 


「これだけははっきりと言っておくね。彼女は死んだ。最後の戦いで名前のないあの男に殺され、それをきっかけに自らの魔力に精神を焼き付け、僕と対を成す存在としてこの星を見守る役に就いた」


 それは残された側からすれば最悪の結果である。ひどく残酷で、やりきれない……けれどどうしようもなかった。そんな悲劇だ。だが見方を変えてソラの視点に立てば、その結末は決して悪いものではなかった。


 彼女は自らの死を予期していた。やがて費える短い命をどう燃やすか……どう死にたいのかと考え……彼女は大切な者を救い、「惜しまれて死にたい」と願い、そのために最期まで足掻いた。


 外野から見てみれば何とも自分勝手な生き方で、残された者を傷つけたようでもある。その批判も尤もだ。ソラはエースやジーノ、セナ──南の地の果てへ同行した皆に傷を負わせたことを否定しない。


 彼女は自身がとても利己的で、身勝手な人間だとよく理解していた。それゆえに、もしかしたらと思うこともあった。もしも自分が、もっと慎重で思慮深く、全ての可能性を熟考して正しい答えを出せる人間であったのなら、最良の結果があったかもしれない。


 けれど、ソラはそうではなかった。


 そうではなかったが、彼女は彼女なりに奮闘し、その時考え得た最善を尽くし、大切な者のために世界を救った。


 その最期を非難できる者は誰もいない。


 それはきっと、この場の誰もが分かっていることだろう。


 シリウスもまた、同様にそう思う。世界平定のために存在し、現実を生きることができなかった幻想種「聖霊族」──千年前、その在り方のまま死んだ彼はソラの生き様に少なからず心惹かれていた。


 だからこそ、自ら望んで彼女の願いを叶えたいと思ったのだ。


「彼女はこの地に自分を埋葬したいと考えているようなんだ」


 彼は身を乗り出してソラの思いを告げる。


 伸ばされた手を取って優しく寄り添い、いたわるような声色。それでいて、シリウスの顔には自責の念が見て取れた。すくい上げたはずの自分の方が救いを求めていたような、そんな顔だ。


 その横顔を眺めながら、エースが静かに口を開く。


「……そのための準備をシリウス様が買って出た、ということでしょうか?」


「うん。そういうこと」


「ジーノも言いましたが……やはりソラ様がご自分で、ということはできなかったのですか?」


「そうだった。聞きたいのはその話だったね」


 話が少し脱線してしまったことを謝って、シリウスは先を続ける。


「最初はソラも自分の始末は自分でつけようって思ってたらしいんだけど、彼女ってば未だに魔力の操作に不慣れなんだよね。僕が今やっているみたいに体を動かす練習をしてみても、いつもバラバラに──あ、いや……上手くいかなくて。代わりに僕が彼女の体を借りて話を進めようということになったんだよ」


「……バラバラ」


 聞き逃した方がよかったが、とてもそうはできない言葉を聞いて、エースや他の皆は静まりかえる。うっかり口を滑らせてしまったシリウスは取り繕うようにしてへにゃりと口を緩め、「ミラもいるし、あまり深くは聞かないで」。その表情がどことなくソラに似ていて、ミラを除いた一同はどこか懐かしさを覚えながら、彼の意を汲んでその点に踏み込むのをやめた。


「それにしても、遺体とは……。他の方法はなかったのですか?」


「僕も色々と考えたんだけどねぇ」


 ぽろりとこぼれるように疑問を口にしたエースに、シリウスは腕組みをして難しい顔をする。


 シリウスは言う。魔力を凝縮させて人に見える形で地上に下りてくることも可能ではあったが、自身の姿を記憶の中から再現するのは難しいことだったのだと。


 彼が生身の体を持って生きていたのはもう千年と前のことだ。「軸の座」の領域内であれば魔力に精神を焼き付けた時のまま形を保てるが、そこから一歩外へ出たとなると、その外見は途端に失われてしまうのだった。それはなぜなのか……シリウスが推測するには、やはりその()を支配する魔力が関係しているのだろうとのことだった。


 シリウスとソラがいる「軸の座」とは、星を巡る光陰の魔力が集積し、また発散していく中枢の場であり、過去から現在に至るまでの二属の循環史が蓄積・記録されている。であるからこそシリウスはその場所において自分の姿を保てるわけなのだが、地水火風の四属が満ちる地上ではその記録が反映されない。そうなると、シリウスは自分の記憶から姿形を掘り起こさなければならないのだ。


 正確な理由はともかく、試しに何度か人目のない場所に出てみたことがあるシリウスは、地上では形を保てずに幽霊のようになってしまうことを確認していた。かといって、姿を見せず声だけを掛けて幻聴と勘違いされても困る。そのため彼は苦肉の策として、今回の手法で地上にやってきたというわけなのだった。


 ジーノとスラン、ミラは何やらよく分からないといった顔をしていたが、エースとセナ、そしてケイはひとまず腑に落ちたと頷いた。ソラが地上に下りるためにわざわざ「依り代」を作るのは、そういった事情もあったのだった。


「それで、依り代を作るのを決めたはいいけど、果たしてどうやって外に出たものかな~って僕が悩んでたら、そんならそこにある私の体使えばよくない? ってソラが言ってくれて」


「……その異様に軽い感じが何とも言い難くソラ様らしいですね」


 エースとジーノは同時に同じことを言い、ため息をつく。そのシンクロにシリウスは面白そうに手をたたいて、


「何て言っても僕たちは死んじゃってるからねぇ。僕なんて千年と年季が入ってるし、彼女も既に十年近く幽霊やってるわけだろう? もうその辺は吹っ切れちゃってて。アハハハ」


 ──と笑う彼に対して、その場の誰もが眉をひそめる。


「あれ? どうしてみんな固まってるの……?」


「いや、その。何というか……」


「シリウス様~。ミラ知ってる。そういうの、ふきんしんって言うんですよ」


「不謹慎? そっか、生きてる人間の感覚だとそうなるのか。うーん、よく分からないな……?」


 ソラと話してると、「それな~」と笑いのネタになるのに、と彼は不満げな表情を作る。だが、周囲の人間は気が気でない。この手の冗談が通じるのはシリウスとソラの間のみである。礼拝堂でもちらりとその片鱗は見えたが、何とも心臓に悪い軽口だ。


 シリウスは顎に手を当てて右に左にと体を揺らし、しばらく考えても生きていたときの感覚は思い出せないらしく、「ま、いっか」と気を取り直して先を続けた。

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