第22話 「花嫁」
生誕の祭日から二日が過ぎた。
仕立屋に相談の約束を取り付け、店まで出向いたシリウスは人形の仕様書をもとに衣装の製作を頼めないかと交渉していた。ソラ本人はとにかくシンプルで中に入る者の年齢を考慮したデザインにしてくれと言っていたが、シリウスとしては「せっかく作るのだから」という思いがあり、華美にとはいかなくても少しくらいは飾り付けたものの方がいいだろうと思っていた。
そうしてイメージを膨らませると、生地にだってこだわりたいし、装飾品のパーツ一つとっても安物に金を払うつもりはなかった。そうして行き着いた答えというのが──。
「ペンカーデルの伝統的な衣装を元に作ってもらえないかな?」
「北方のですか……参考になる本がいくつかありましたので、持って参ります。しばしお待ちいただけますかな」
店主は指先が震えるような老人だったが、針を持つときだけはその震えが止まるらしい。店内には人間サイズの服を来たマネキンが置かれていたが、そのどれも縫い目は丁寧で布地をひきつらせることなく仕立てられていた。最近の流行だという背広のステッチを見てみると、公式な場においても存在が浮かないよう控えめな糸を使って均一幅でまっすぐに施されており、その技術の高さとセンスのよさが見て取れた。
「──北方の伝統的衣装でも、どういったものがお好みでしょう? 平時に着ていた素朴なものから、祝いの席のもの、公の場で着る形式的なものまで様々ございますが」
「結構いろいろな意匠があるんだね。何であれ人間のこだわりというのは、やはりすごいな……」
シリウスは店主が持ってきた資料をペラペラとめくりつつ、一通り目を通した後で最初の一冊に戻ってきて、あるページを指し示した。
「これなんてどうだろう? 華やかでいいと思うんだけど」
「ふむ……婚礼の際に着るものですな」
肌を露出せず、何なら首もとから手の先まで布を纏い、細身に絞った腰から足下に向かってすとんと生地が落ちる──しかしながら裾を広げるとその形が円形になるほどふんだんに布を使っているロングスカートのドレスだ。
裾や袖口には太めのラインで唐草や季節の花々の刺繍が施されており、それでいて重苦しい印象を与えないようになっている。厚手と薄手の布の使い分けが絶妙で、しっかりとした作りの割にドレス全体には風にそよいで舞い上がるような軽やかさがあった。
頭にかぶせる円筒状の冠の上に見る先が透ける薄布を被り、神秘の表情を浮かべる絵のモデル……シリウスはそれを見て、「ああ、やはりこれだ」。確かな口調でそう言った。
「婚礼衣装ですか……北方では地の軸に神が座すと言いますし、地の果てから軸へと昇り世界をお救いくださった聖人様──」
「魔女、な。爺さん」
訂正を入れたのはセナである。
「失礼いたしました。そうして神のもとへと行かれた救世の魔女様を模した御霊代……そちらに着ていただくものとなれば、婚礼の際に着用する衣装というのも着得て妙なのでしょうな」
「……僕とソラは結婚したつもりないけどね?」
「え?」
ルーシアと違って事の詳細を聞いていない店主は疑問符を浮かべてシリウスの軽口に首を傾げる。シリウスは「何でもない」と手を振った。
「とにかく僕はこの衣装が気に入ったよ。ただ、色は黒を基調にしてほしいかな。そういう感じで、まずは店主さんの頭に思い浮かんだ図案をいくつか見てみたいんだけど……」
そうして、シリウスは店主に具体的なデザインを求め、もうしばらく王都に滞在する中で修正を重ねた。
他方、瞳とかつらもその買い付けは順調に進んだ。瞳に関しては品質によっては既製のもので構わなかったし、かつらにしても運良く作り置かれていた品をカットしてもらえればよかった。その間に仕立屋の衣装案も固まり、あとは職人である店主の腕を信じて任せる段階になった。
完成した場合にはルーシアの方に送るよう頼み、そうなると一行は王都を離れることを決めた。
肝心の素体の方であるが、ルーシアの進捗報告では順調に製作が進んでいるとのことだった。それでもシリウスはもう一度プラディナムに寄り、彼女に後を任せてもいいか相談することにした。
そして、王都を発つ日が来た。
都の東部に位置する馬車鉄道の停車場まで見送りに来てくれたのは、ノーラとロカルシュ、そしてフィナンだった。
セナは元上司を前に、やや緊張した面もちで頭を下げた。
「お久しぶりです、隊長」
どう呼んだらいいのか分からず、以前のままフィナンを呼んだセナに、彼は髭を撫でて愛想良く笑った。
「おう、久しぶりだな。それこそ懲罰会議以来か? お前さん、王都にちょくちょく来てロカルシュには会ってるくせに、俺は顔も見せてくれないんだもんなぁ。さすがに寂しくなっちゃうぜ」
「そんな無理言わないでくださいよ……気まずくてしょうがないんですから……」
十年前、ユエに唆されたとはいえ上司フィナンの命令を無視して己の復讐心を優先させ、ソラを連れて大陸を離れた責を負い、セナは騎士を免職されていた。その処分を決めるための会議で顔を合わせて以来の二人は、セナが一人で一方的にぎくしゃくしていた。
「セナ、お前……随分と丸くなったもんだな。やっぱり娘のおかげか?」
「ツンツンしてると怒られるんで……」
「ハハ! まぁ、子どもには敵わんわな」
フィナンは自分に追いつくくらいに背が伸びたセナの頭に手を置き、ぽんぽんと撫でる。その表情はセナがミラを見る時と同じで、フィナンは特務騎兵隊で面倒を見ていたときから、身よりのない彼を息子のように思っていたのだった。
「ロカルシュから聞いてはいたが、元気そうでよかったぜ」
「はい」
「時々は俺にも会いに来てくれよな」
「……たぶん。……ええ」
はっきりとした答えは返せなかったが、その頼みを断るつもりはなかった。セナは口をモゴモゴとさせながら頷く。
その後、ロカルシュに熱烈な別れの抱擁を受けるセナを横目に笑い、フィナンはシリウスに向き合った。
「貴方が千年前に地の軸を作った聖霊族の少年──そしてその姿が、彼の救世の魔女殿なのですね」
「そうだよ」
「彼女には結局、会うことが叶いませんでしたが……こうして見えたこと、光栄に思います」
フィナンはそこまで言うと、ほかに何を話題にしたらいいのか分からずにいるようだった。その居たたまれない様子に、シリウスはクスリと悪戯っぽい表情を浮かべ、一歩進み出てこう言った。
「善き国を作り、善き人を育ててくれたまえ。僕と彼女の願いはそれだけだ」
「はい……」
「王にもよろしくね」
「ええ。しかとお伝えいたします」
「──あ。それから、セナを通じて頼んでいたことなんだけど。どうにかなりそう?」
「あの件は………何とかします。それが彼女のためになるのなら」
「うん。どうかよろしく頼むよ。あの子には……本当に申し訳ないことをしてしまったからね」
シリウスは目を伏せ、自分に対する呆れを含んだため息をついた。
そうこうしていると、馬車の出発が近いことを知らせる鐘が鳴った。
「そろそろ出発の時間です。名残惜しいですが、お別れです」
「では、ロカルシュ、ノーラ、フィナン。元気でね」
「長い間お世話になりました」
エース、シリウス、ジーノが順に挨拶し、
「また学会の時にでも寄せてもらいますね」
「ロカルシュおじさん、ノーラ博士、フィナンのおじさまも! 風邪とか引かないように気をつけてね~。です!」
セナはミラと手をつなぎ、ミラは空いた片手を大きく振りながら別れを告げた。東ノ国の二人も言葉はなかったが深々と一礼し、停車場へと向かったシリウスたちの後に続く。
嵐のようにも感じられた来訪者たちはプラディナムの山脈へと去っていき、残されたロカルシュたちはどこか寂しさを感じながらも、これまで通りの日常に戻っていった。
ルーシアの報告通り、素体づくりは万事順調であった。関節の可動域の見直しに苦労するかと思えば、そういった調整は案外すんなりと作業が進み、どうして今までその作業に手を着けなかったのか、職人たちは「怠慢だ!」と舌打ちをしたらしい。
指の可動にしても問題はなく、おおむねルーシアが提案した図案の通りに事は運んでいた。骨粉は胴体部分に使われ、そこは既存の設計からほとんど変更していない部分であるため、既に焼き上がっていた。
「こんなにすんなりと進むなんて、まさに魔女様の加護ですわね!」
ルーシアはそんなことを言ったが、ソラが聞けば、彼女は鳥肌を立てて「貴方がたのたゆまぬ努力の結果ですから」と首を振ることだろう。
そんなこんなで、プラディナムでの作業も当人たちに任せるのみとなり、シリウスたちは長い旅を終えてソルテ村へと帰郷することになった。東ノ国の二人はさすがにそちらまでついてくることはなく、出会ったときと同じく、ここ神都で別れとなった。
「あとは依り代ができあがるのを待つばかりですね」
別れの前日の夜、皆が集まっての食事の席でナギは少し寂しそうな表情を浮かべてそう言った。同じ食卓に着き、水の入ったグラスを前にしたシリウスは「そうでもない」と腕を組んで頭を重たそうに傾げた。
「他にもソラの埋葬の準備をしなきゃいけないんだ。といっても頑張ってくれるのはエースたちで、できあがった依り代が納品されて葬式が出せるようになるまでの間、僕はこの体ごと軸に引っ込んでるだけなんだけどね」
「葬儀に出される人間が式の準備をするなんて前代未聞ですよ。最後くらいは……俺たちに任せてほしいです」
エースは口を曲げて言いにくそうにしながらも、その一言を口にした。
十年前にはできなかった彼女を送るための儀式だ。
何としても自分たちの手で成し遂げなければ、エースたち皆は明日からの一歩を進めなくなってしまう気がしていた。
「ソラ様がお召しになる御衣装は私が作らせていただきますね」
「棺も俺たちの方できっちり作らせてもらいますんで。ご心配なく」
「棺かぁ……どうせ焼いちゃうんだし、簡素なものでいいってソラは言いそうだけど?」
「だめですよぅ」
シリウスの言葉に眉をひそめたのは、セナの横で食事をしていたミラであった。彼女は頬を膨らませて口を尖らせる。ちなみに、物を口に詰め込んだから膨れているわけではない。
「魂を軸に送るための大事なものなんだから、ちゃんとしたのに入らないといけないんですよ」
「そっか。じゃあ立派なのをお願いしようかな」
「任せて~。お父さんのお手伝い、ミラもします!」
「うん、頼んだよ。それで……」
シリウスはナギとカエンの方に向き、
「都合が合えば、ナギたちにも参列してほしいのだけれど。どうかな?」
「是非に」
「そう、よかった。じゃあその時になったら手紙で知らせるね。エースが」
「承知いたしました」
二つ返事で返したナギに、シリウスは満足そうに笑った。
それから食事は和やかに進み、皆は暖かな布団の中で十分な睡眠をとり、翌日──。
東ノ国の二人は小さな桐箱を大切に抱えて母国へと帰っていった。シリウスたちの見送りにはルーシアを始め、依り代作りに協力してくれた職人らが来てくれていた。ナギたちから少し遅れてプラディナムを発ったシリウスは、都を囲む山を下り始める頃合いになって、ふと歩いてきた道を振り返った。
あと数ヶ月で、この道にも終わりが来る。
寂しくはない。辛くもない。
気持ちはむしろ、晴れやかである。
しかし。
ただ少しだけ……。
「……」
人と一緒に地上で生きたこの時間を思うと、後ろ髪を引かれるとはこういうことかと、シリウスは暖かいような湿っぽいような感情を胸に抱えつつ、満足したように微笑んだのだった。




