第21話 「救済の価値」
夜が明け、セナはラフィールについてロカルシュを通じてフィナンに相談した。彼女が抱えているものはとても厄介だ。とにかくその日は憲兵に連行され、後に王都騎兵隊の方で保護観察下に置き、彼女はその行動を管理されることになった。
シリウスはもとよりラフィールを訴えるつもりなどなかったし、ノーラの屋敷の損害についても(これは他の誰にも秘密なのだが)シリウスのブルーダイヤモンドをひと欠片与えるという取引によって不問になった。そのため、ラフィールは刑罰などを受けることはなかったのだった。
シリウスはそのほかに、彼女についてセナにある依頼を持ちかけていた。それは追々明らかにするとして、ラフィールの一件から四日が経った王生誕の儀当日。シリウスはその祝宴に参加していた。
といっても王城に招かれたという話ではなく、都の各地で催されている祭りに足を向けただけだった。そこにはラフィールの襲撃があってからというもの、目に見えて元気がなかったエースの気が少しでも紛れればという思いがあった。
シリウスたちは七人そろって街に繰り出す。
街並みはそこかしこが花で飾られ、場所によっては紙吹雪が舞い、人々の顔には笑みがあふれていた。その盛況ぶりを見るに、グレニスの王というのは民に歓迎され広く受け入れられる存在なようだ。
「すごーい! 人がいっぱいだね。お父さん、迷子にならないように手をつないでいい?」
「いいぜ。俺も人波に流されそうだし、頼むわ」
「はーい。じゃあ、ミラのもう片っぽはジーノにお願い!」
「えっ……?」
セナとジーノは濁点がついていそうな声を出して異を唱える。
「え? じゃないの。つなぐの~!」
ミラはセナとつないだのと反対側の手をジーノに差し出し、有無を言わせぬ笑みを浮かべる。
「……分かりました」
ジーノは仕方なく、やや不服そうな顔をしながら彼女の手を取った。いたたまれない大人二人の間に挟まれてご機嫌の少女は明るい調子で鼻歌を歌った。その声も、都の中心部に向かうにつれて喧噪にかき消されていく。
沿道にあふれる声、音楽、足音。
様々な贈り物に、食べ物に、統一戦争の一幕を演じる人形劇。
昼を過ぎると、快晴の空の下で王を乗せた馬車が練り歩く祭礼行進が行われた。ミラはセナに肩車をしてもらい、シリウスとエース、ジーノ、ナギとカエンもその隣で行列の様子を遠くから見つめる。
王は齢にして、七十ほどだろうか。しかしながらそれほど老人らしい風貌ではなく、しっかりと光の差す瞳に叡智をたたえ、勇ましい目元に心優しい表情を浮かべた女であった。金と銀の葉が絡む月桂の冠に、透き通る純白の羽織を翻し、年月を刻んだ手に携えた権杖を高く掲げ、民の一人一人に微笑みながら彼女は進む。
時の進む先へ。
軌跡を残しながら、歴史の最先へ。
「時々、考えてしまうのです……」
王の行列が過ぎ去った後の余韻に紛れ、唐突にナギがそう呟く。
「私たちには救われる価値があったのかと。幾人もの異界の方々を犠牲に……」
この世界は救われた。
ナギが言った通り、多くの犠牲によって。
その犠牲を強いた側であるシリウスは、遠くの空を見つめて言う。
「……ソラは自らの意志で、大切に思った者たちのためにこの世界を救った。彼らの幸福には世界が必要だからと言ってね。だから彼女にとって、この世界は救う価値があったのさ」
「……」
「彼女って自分で認めた理由さえあれば何でもできるって言うか、これと決めたら譲らない頑固な性格だからね。自分の決意を無駄にしたくはないだろうし、何を言ってもその思いは変わらないと思うよ」
「シリウス様自身は……どのように?」
「僕は……最初は世界平定の義務だけを胸に軸の仕組みを作り上げた。そして希望と絶望を繰り返しながら千年の時を待った……。けれどね、結局は僕もこの世界に生きる者の一人だったんだ。この世界が救われることを望んで、異世界の人間に助けを求めた無力な子どもだった」
「……」
「ああ……、そうなんだよね。僕だって考えなきゃいけないんだ。救われる価値があったのかと、自分に問い続けなくてはならない」
彼は自分の頬を撫で、胸が痛んだような顔をした。
「価値を認めるのは、実際に世界を救ったソラ一人──いいや、彼女だけではない。その影で犠牲になった異世界の人間たちにこそ、その権利があるのだろう」
この世界に残された者たちは皆が皆、その言葉に頷く。
「価値を証明するにはどうすればいいなんて、答えは出ないかもしれない。罪悪感に潰されてしまうこともあるかもしれない。けれど、問い続けるんだ。どうすればいい? 何をすればいい? とね……。自らができる最善であろうとすれば、いつかきっとこの世界は本当に価値あるものになると信じて……」
そこで、セナの肩から降りたミラがシリウスの服を引っ張って聞いてきた。
「魔女さんたちに、この世界を救う価値はあったんだなって思ってもらうためにも、ミラたちはこれから善いことをしてかないといけない。ってことですか?」
「ああ。それも一つの答えだと思うよ」
「そっか!」
天真爛漫な表情を浮かべ、無垢な少女は大きく頷く。その素直さをいつまでも大切にしてほしいと思いながら、シリウスは彼女の頭を優しく撫でた。
「生きていくには自分の行動を選択しなければならない。いつも正解を選べるわけではない……もしかしたら間違いだらけになるかもしれない中で、その時考え得る最善を選んで……多くの人は生きていくのだと思う」
そういった決断は自分だけにとどまらず、他の誰かにも影響を与える。シリウスは今回の一件でそれを痛感した。しかし、先の先まで見通して道を選べと言うのはなかなかに酷な話だ。
「僕なんかが人生について考えてみるけど、人の一生とは、選んだ結果を受け止めながらその先をどう生きるか……ということなのだろうね」
「結果を、受け止めて……その先を……」
「そうだよ、エース。キミたちは何度も分かれ道を進んで行くことになる。その選択を間違えるな、なんてことは言わない。ただ……最悪が何とは言わないけれど、自らそれを選ぶようなことはしないでほしい」
「……」
シリウスは黙り込んでしまったエースの方をちらりと見て、すぐに視線を逸らした。
「僕は……。人にはね、善きものであってほしいんだ。あと少しの間だけど、僕もそうありたいと思うから……」
「シリウス様? あと少しって……?」
「うーん……今はまだ秘密。その時が来たら教えてあげるよ」
「そうなの? じゃあミラ、それまで待ってますね!」
すんなりと納得したミラに対し、セナとナギ、カエンはシリウスの発言の真意を知りたそうにしていた。シリウスは小さな声で、「何にだって世代交代は必要さ」。そう囁いた彼はミラと手をつなぎ、露店が出ている通りへと足を向けた。
「さて。明日になったらいよいよ活動再開だね」
「活動再開?」
「ミラってば忘れちゃったのかい? 僕らはソラの依り代を作るためにあちこち飛び回ってたんだよ?」
「アッ! そうでした。お祭り気分ですっかり目的が頭からさよならしてた……」
「まぁ、今日一杯はお祭りを楽しむのもいいさ。そしたら、ノーラにお土産を買って帰ろうか」
「せっかく王都まで来たんだし、スランおじいちゃんとケイおばあちゃんへのお土産も買いたいな~」
「よーし。エースというお財布もいるし、たくさん買っちゃおう!」
「え!? っと、あの……! いくら余りあるとは言っても人のお金なので、あまり無用な物は買わないでくださいね!?」
エースは顔を青くして二人の後を追いかけていった。ミラはともかく、シリウスは金銭感覚がなさそうだし、地上の営みにも疎い彼は言葉巧みに騙され、価値のない物を高額で買ってしまう心配があった。あわてるエースの背中は少しかわいそうな様子ではあったが、それを見つめながらジーノはたまらなく笑い出していた。兄の顔から昨日までの鬱屈とした表情がかき消えていることに安心し、彼女も三人の後を追い駆けていく。
シリウスたちは少し離れたところまで歩いていって後ろを振り返り、手を振って残ったセナたちを呼ぶ。セナとナギは一度顔を見合わせ、再びシリウスの方を見た。
「あの人、いずれ自分の役目を終える気でいるみてぇだな」
「ええ。世代交代という言葉……私もそのように受け取りました」
目下の疑問は、その後任に誰を置くのかということである。ナギは難しい顔をしながら、十年前の日々を思い出す。
「カエン」
「はい、若様」
「このお話、他言無用ですよ」
「仰せの通りに」
ナギは危惧していた。東ノ国の首都「宮上」で権威を争う魑魅魍魎どもの耳に今の話が入れば、その「箔」を狙って余計な騒動が巻き起こるだろう。
かつて、宮上での立場を確立しようと躍起になっていた母の顔を見ていたナギは思う。自分も同じような顔をしたくはない、と。ナギは他者に対して激しい闘争心を燃やすあの目が好きではなかった。
そういった危機感はセナにしても同じで、彼はシリウスの方を見ながら「釘を刺しておかねぇとな……」と呟いた。
おそらく、シリウスはそういったことに気が回っていない。
今夜、本を読んでいるときにでも会いに行って、内密に事を進めるよう進言すると決め、セナたちは皆のもとへと向かった。