第18話 「襲撃」
昼の違和感を警戒したエースが夜通しの読書につき合うと言ったとき、シリウスは余りに心配性だと思ったが、今回ばかりはそのおかげで命拾いをすることになった。いや、既に命は尽きているのだけれど……とシリウスは思いつつ、目の前に転がる女を見る。
事の起こりはほんのわずか前のことだった。
対面する一人掛けのソファにシリウスとエースは座っていた。シリウスは毎晩の通り本を片手に、エースは少し仮眠を取ると言って浅い眠りについたところだった。
何の前触れもなく、書室のドアが開いた。
シリウスの手元を青白く照らす明かりだけがある室内に、蝶番の軋む音が響く。彼は本に栞を通して閉じると、ようやく眠ってくれたエースを起こすのも忍びないと思って、一人でドアの方へと近づいていった。
何者かの気配があることは分かっている。
「誰かそこにいるのかい?」
シリウスは廊下に顔を出して左右を確認し──突如、下から手が伸びてきた。シリウスはあわてて首を引っ込める。何者かは一歩後退したシリウスの前に立ちはだかると、両手で彼の首を掴んでそのまま押し倒そうとした。
「貴様! 何者だ!?」
そこに、闖入者の胴体めがけて長机を飛び越えた体勢のまま蹴りを繰り出したのはエースだった。相手はとっさに身をかばってシリウスから手を離す。近くにあった調度品が台座から落ち、大きな音を立てて割れる。その間にエースは転倒しかけていたシリウスをやんわりと受け止めて床に落ち着かせ、すぐさま不審の者に向かって戦闘態勢となった。
女が一人、そこにいる。
つい先ほどまで瞼を閉じていたのが幸いした。暗がりでもエースには相手の姿がよく見えていた。
腰に剣を差しているのを見て、エースはじりじりと間合いを取りながら、飛び越えてきた机から飾りの掛け布をはぎ取る。それを両手に取ると、女が剣を抜いて襲いかかってきた。
シリウスは窓の外の庭に何かが落ちた音を聞きながら、それを確認する暇もなく、エースの邪魔にならないよう机の陰に隠れた。
鋭く突き出された刃はエースが両手で張った布を意図もたやすく切り裂いた。だが、エースは身を翻すと同時に刀身を布で包むようにして丸め込み、彼は力任せに女に体当たりをしてその体の上に乗り上げた。
剣を扱うにしては、その切っ先の軌道は余りにも粗雑すぎた。まるでいつも腰に差しているかのような風格であるのにも関わらず、である。エースはその印象を疑問に思いつつも、逃げ出そうと抵抗する女の腕を掴んで捻り上げる。
手に持っていた剣は床に落ちた。
その時、女はそれまでの堅い動きを急に猫のように柔らかくし、一瞬、密着状態から離れたエースとの間に足を畳み入れて、思い切り蹴りつけた。その行動を察知していたエースは女から離れて距離を取る。それでは女を逃がしてしまうと分かっていて彼はそうした。
「何なのよ!? 人の家で暴れないでくれる!?」
「お兄様、シリウス様! どうかなさいましたか!?」
ノーラとジーノが廊下を駆けてやってくる。
女はすぐさま窓に向かって床を蹴った。両の腕を張って突進し、ガラスを突き破って庭の芝に転がる。
「よォ、待ってたぜクソ野郎」
最初のエースの大声に飛び起きて二階のバルコニーから庭に降りていたセナが、その横腹を蹴りつける。
彼は芝を転がりつつも起き上がった女に口笛を吹くと、息つく暇も与えず容赦のない拳を浴びせた。相手の性別など関係ない。セナは正面からの突きに加えて下からも殴り上げ、腕を張って攻撃を耐えていた女の顎を打った。
その瞬間、女はそれまでの稚拙な構えを隙のないそれに転換し、眼光を鋭くした。彼女はセナが突き出した拳を避けたかと思えば、その腕を掴んで肘を折ろうと関節に掌打を加えようとする。
セナはゲッと声を上げて、反射的に足を振り上げてその攻撃を蹴り上げた。しかし女はセナの腕を放さないまま懐に入り込み、自分より体格のいい彼を芝の上に投げ飛ばした。
セナは何とか受け身をとって体への衝撃をいなす。夜空を向いた視界には、バルコニーが見えていた。そして、そこに両腕を振り上げる小さな影があることに気づいた。
「お父さんをいじめないでよねーッ!!」
その声を合図に、セナは自分から離れようとしていた女の頭を掴んだ。直後、肉厚の磁器が幾片にも割れる音が響き、女の頭がガクンと揺れて力を失う。
自分の上に倒れてきた女を取り押さえながらセナはバルコニーを見上げ、そこにいた小さな勇者に賞賛を送った。
「助かったぜ、ミラ!」
闇夜の中でもいっそう明るく輝く星のように、少女はまぶしい笑顔で父親に手を振った。




