第17話 「憤怒の女」
それは仕事の休憩時間に見たことだった。
今の時期、国王の生誕日が近いとあって王都には人があふれていた。ラフィールが近間の露店で買った遅い昼食を歩きながら食べていると、その人混みの中でもいやに目を引くというか、妙に視線を引きつける一団が歩いていた。王国の四地方の人間が様々に集うこの都においては金髪も褐色の肌も珍しいものではなかったが、さすがに異邦の着物を身にまとった二人と、若白髪に雪の白肌の女というのは目立った。
その白い頭の女に、ラフィールの目は釘付けになっていた。彼女は手に持っていた物を地面に落とし、口をあんぐりと開けてその姿を見つめる。
「あのアマ……」
色は違えど、見間違うわけもない。
一度差し伸べた手をあっさりと引き下げ、戸惑いと嫌悪を混ぜたような顔で自分を見た女。
最後の最後で、こちらの野望を台無しにしてくれた忌まわしい奴。
執念だけで望む全てを成した……憎らしく、妬ましい存在。
「……」
ラフィールは腰の剣に手をかけようとして、まぶしい太陽光に目がくらみ、今がまだ白昼であることに気づいた。周囲の目も多いし、襲撃に及ぶには間が悪い。襲いかかって確実に仕留められるのならそうするが、相手の取り巻きに行動を阻まれる可能性もある。こちらの執念を果たす前に捕まったのでは、元も子もない。
彼女は怒りに震える手を必死に押し戻し、まずは敵の行き先を探ることにした。仕事など、そんなものはこの際どうでもいい。一人抜けたことで崩れるような警備体制ならそもそも機能していないも同然だし、邸内を守る正規の警備員ならまだしも、騎士崩れのごろつきが行方をくらましたくらいで騒ぎになりはしない。
──夜だ。
あの女の居場所を見つけ、夜襲をかける。
今度こそ、確実にその息の根を止めてやる。
眼光鋭く睨みつけるラフィールの姿は、標的である彼女からは随分と遠い。そのはずなのに、取り巻きの一人──壮年の金髪男がこちらを振り返った。ラフィールはあわてて壁の陰に隠れる。人混みの合間から見た彼の目は、しきりに周囲を警戒していた。よく回る首で辺りを見渡し、武器もないのに腰に手を伸ばす仕草をして……まるでいつでも切りかかるかのような気迫だ。
その雰囲気の変化に気づいたのか、子どもを連れた褐色肌の男が彼の肩を叩いた。彼らは一言、二言を交わし、子連れの男の方が難しそうな顔つきになった。男は子どもを金髪に預け……周辺を見てくるとでも言ったのだろう、一人だけ別行動になってそれまで一緒だった者たちに手を振った。
男は一直線にこちらへ向かってくる。
「……クソが。余計なことしやがって」
ラフィールはそそくさとその場を立ち去り、路地を通って自分の寝床へと戻る道に入った。
こういう時にこそ、この金の目が役に立つ。
彼女は自由になっていた魔力の糸を適当な動物につなげ、白髪の女の行方を見つめる。一匹が後を追うとその不自然な動きで追跡がばれてしまうかもしれなかった。だから彼女は見る視点を次々に乗り換えていった。
出店の木箱の陰に隠れたネズミの視線で歩き去る女を見送り、住宅の屋根の上で休んでいたカラスの目で小路を進む女の頭を追いかけ……そうして、歩き去った方向から女の次の行き先を予測して、定点視線での監視を続けた。
行き着いた先は、有名な学者の屋敷だった。
「そういや、先頭を歩いてたあのババア……何か見覚えが……?」
しかし、誰だったかは思い出せない。
覚えているのは、あの白髪女のことだけだった。
視点を乗り継ぎながらも、ラフィールの足は寝床へと帰り着いていた。彼女は寝台の上に腰掛け、靴を履いたままで膝を抱えて夜を待った。その間に目をつぶると、頭の中の廃屋では狂乱の笑い声が響いていた。
さあ、ころそう。
かくじつに。ぜったいに。
にどと、おきあがらないように。
あのこがにくんだ、あのおんなを。
「ころして、ね?」
脚が折れた椅子を蹴飛ばして近づいてきた少女は袖に隠れた手でラフィールの頬を包み、その顔を無理矢理に上げさせる。
そんなことはできない、とラフィールは内心思っていた。だが、彼女はもう少女たちに抵抗することにも疲れてしまっていた。怒りの原因、憎しみの源流、その理由を見つけてしまった今。彼女は全てに疲れ果ててしまっていた。
だからラフィールは少女の金色の瞳に、静かに頷く。
その目を、あたかも自分のものであるかのように錯覚して……。
夜。
緋に彩られた不気味な月が天辺を過ぎて次第に高度を下げ始めたその頃、ラフィールは頭まで覆い隠す外套を被り、闇に溶けて路地を進んでいた。深夜であっても人でにぎわう都の中心部から離れ、彼女はひっそりと郊外区域までやってくる。一軒の敷地が大きい住宅街は閑散としていて、足音の一つまで響きそうなほど静かだった。
その中でも群を抜いて立派な家──屋敷と言った方がいいだろう。ラフィールはそこに用があった。目線より背が高い生け垣に、矢尻を模した鋭い突起が天を向く鉄柵……周囲の目を確認してその陰に隠れ、彼女は自分の視界を敷地内にいる動物につなぐ。
見つけたのは小さなネズミだった。ラフィールはその目で邸宅を外からぐるりと見て回り、大まかな間取りと、一部屋だけ明かりがついている場所があることを確認した。壁に登りついて窓越しに部屋の中を見てもらうと、ぼんやりとであるが、青白い明かり石の光に照らされた白い頭が確認できた。
「……」
ラフィールはネズミを解放し、今度は自らが動き出す。彼女は鉄柵の支柱を掴んでよじ登ると、柵同士をつないでいる横向きの梁に手を伸ばし、腕力で自身の体を引き上げた。柵の上に立ってしまえば、あとはもう生け垣をまたいで飛び降りるだけである。騎士時代に比べて体力は落ちたが、これくらいの芸当は今でもやってできないことはなかった。
彼女は背を低く保って庭を走り、屋敷裏手の勝手口へと向かった。扉の前までやってきて、鍵穴に人差し指を当てて意識を集中する。
魔鉱石を介さない魔法の使用は非常に煩雑な手順を踏むが、どこの家の鍵も開け放題というのは非常に重宝した。鍵の内部機構がよほど面倒なことになっていなければ、ほんの数秒で鍵を回すこともできる。体内の魔力を魔法として発散する理論を正しく理解していれば何も難しいことはないのだ。
ただ、今回の解錠には少々手こずった。十年前に「宿借り」がこの鍵破りの方法で数々の家を襲い凶行に及んだことから、施錠技術はより複雑化し、突破されにくく改良されてきた。さすがにこれだけ大きな邸宅を守る鍵は野中の一軒家と同じとはいかないようだ。これは時間と労力と、並大抵ではない集中力が必要になる……ラフィールはぺろりと唇をなめて挑発的な笑みを浮かべる。
それから一分ほど。
集中の余り息を忘れ、鼻の頭に汗までもかいて鍵を開けた彼女は一仕事終えたような顔つきになって腰を上げた。といっても、本題はここからである。物音をたてることなく屋敷内に侵入したラフィールは外から見た間取りを元に明かりがついている部屋の場所に見当をつけ、暗い廊下を進んでいく。
一階、東の角部屋へ。
扉の取っ手をゆっくりと下に傾け、半開きにする。その隙間から明かりを確認したところで、彼女はわざと蝶番が軋むようにして扉を開け放った。




