第16話 「王都ラド=ウェリントン」
それから鉄道を乗り継ぎ、シリウスたちは王都へとやってきた。
一見するとプラディナムと同じような山間の都であるが、標高は低いところにあり、その面積は広大と言って余りある大都市であった。周りを取り囲む山々が高々とそびえ、シリウスたちはその東側から谷間を縫うようにして、時にはつづら折りの緩やかな斜面を下りてやってきた。
短いトンネルを抜けると、一面に景色が広がる。
都市は全体に北側にある山の谷から斜面となっており、クラーナが位置する南方に向かって下っている。周囲の山脈はちょうど円の四分の一を切り取られた形で、南に口を開けて平地を広げている。都の中には大小の河川が流れており、水路の整備と標高差により、時に川の上を川が流れていたりもする。この王都ラド=ウェリントンは周辺の山が蓄えた地下水の恩恵を受け、別名「水都」とも呼ばれていた。
建築様式はペンカーデルのそれと似通っており、柱や梁といった家の骨組みを外壁の装飾として生かし、軸組の間を漆喰で埋めて仕上げた外壁が特徴的である。様々な色の屋根を被り、都市の中心部では垣根なく長く連なる住宅が道の間を蛇のようにうねり、郊外であれば広い敷地にこぢんまりとした家を建てて庭造りにこだわっているようなところもある。
中でも目を引くのは、やはり北部の王都内閣府を中心に広がる行政地区だ。そこに建つのは前述のような建築様式と異なり、石造りの重厚かつ大規模な建物が多く、回廊や尖塔には決まってアーチ構造が組み込まれていた。屋根に瓦などはなく、平坦で縁を盛り上げた作りのそこには周辺を警戒する騎士が立っていた。
「何かペンカーデルの風景に似てるよね~?」
車窓から景色を見渡し、ミラがそう言う。そんな彼女に、ジーノが北方の成り立ちをかいつまんで説明する。
「ここ王都での権力闘争に敗れた一派が山を越えて北の大地に城を構え、領地を広げ、いずれ復権を狙った……という過去がありますからね」
「なるほど。それじゃ、けんちくようしきが似通うのもどーりってわけかぁ。ミラ、ちっちゃい頃に来たときは全然気がつかなかった」
「それだけ、ものを見る目が養われたということですね」
「成長してるってこと?」
「ええ。そうですよ」
そんな会話をしていると、王都に入って最初の停車場に着いた。鉄道はその先の都中心部にも向かっており、一行は街の中に少し入ったところで馬車を降りた。
馬の往来に加えて人で混み合ってもまだ十分に広い大通りの両側には、三から四階建ての集合住宅や、背の高い建物全体を店舗として使っている商業施設などが軒を連ねていた。建物同士の間にはやや広めの路地が通っており、そういった道の先には個人経営の店が多くあった。シリウスたちが目指しているのはその内の老舗縫製店だった。
しかし、その前に会わねばならない相手がいる。
「ホゥホゥ!」
どこからともなく現れたフクロウがセナの頭の周りを飛び回る。彼の肩にとまったそれは、大通りの奥の方を見つめてもうひと鳴きする。
「セーナーッ!!」
遠くから伸びやかに間の抜けた声が響く。呼ばれたセナは「来やがったぞ」と呟いて身構えた。バタバタとせわしい足音が近づいてきて、白い制服を着た長身の男がセナに向かって一直線に突っ込んでくる。
「ひっさしぶりぃ~!」
「ロッカ……アンタ、相変わらずだなぁ」
「会いたかったよー、セナ!」
「へぇへぇ。フィナン隊長は?」
「今はちょっと忙しいからってぇ、王宮に居残り~」
「そりゃよかった」
出迎えにやってきた(しかし遅刻である)ロカルシュはフクロウと一緒に次第にテンションを上げ、自分に比べれば小柄であるセナをぎゅっと抱き上げてくるくると回り始めた。
「オイコラやめろ目が回る! あと恥ずかしい!!」
「お父さんいいなぁ。ミラもくるくるしてもらいたーい」
公衆の面前で男に抱きかかえられて赤面する父の羞恥も知らず、ミラは人差し指を顎に当てて下の方からロカルシュを覗き込んだ。
「あ! ミラも一緒なの本当だったんだね~! 久しぶりぃ」
「久しぶり、ロカルシュおじさん。元気にしてた?」
「私は元気だったよー。ミラは?」
「元気元気だよ~。なのでっ、ミラもくるくるして!」
「任せて~」
言うや否や、ロカルシュはセナを投げ捨ててミラを抱え上げ、回転木馬のように回り出した。放り出されたセナはぜぇぜぇと息を荒くしながら立ち上がる。
「ミラのこと今みたいに投げ飛ばしたらブン殴るぞ、アンタ」
「しないよそんなこと~。ミラはセナみたくに頑丈じゃないし、女の子だもん!」
「あっそ。ならいいけどよ……」
ロカルシュとミラはそれからしばらく回り続け、その後は皆に順繰りと再会の挨拶をしていった。
「お兄ちゃん! 久しぶり~」
「未だにそう呼ぶんですね……。お久しぶりです、ロカルシュさん」
「妹ちゃんも元気だった?」
「ええ。ロカルシュさんもお元気そうで、何よりです」
「えっとぉ、そっちの東ノ国の人たちは~?」
「ナギと申します。母ユエの名代としてエースさんたちに同行させていただいております。隣にいるのは……」
「朱櫻の御家にお仕えしております、カエンと申します」
「ナギとカエンはあの巫女さんのところの人なんだね~。私はロカルシュっていうの。よろしくぅ」
そして、最後に残されたのはシリウスである。
「さて、ロカルシュ。僕に対する挨拶はまだかな?」
「……魔女さんと全然違うしゃべり方してる。本当の本当に、魔女さんの顔なのに魔女さんじゃないんだねぇ?」
「そうとも。今はソラの体を借りて地上に下りてきているが、その中身は僕、シリウスさ。よろしくね」
「セナの話だと、創世の神様の方!!」
プラディナムでは光の魔力を持つ聖霊族について、正確なところで言えばその使いとして知られている。「始まりの魔女」をかばった過去からつい最近までは堕落者としての烙印を押されていたが、セナの魔女に関する研究内容を知って、神都では早速その地位を回復させていた。
「私すっごい人とお話してる! もう知ってると思うけど、私はロカルシュ! 元はプラディナムで神子をやってたの。よろしくね、シリウス~」
すごいすごいと言ってはしゃぐわりに、ロカルシュはシリウスのことを呼び捨てにする。だが、呼ばれた本人は気にした様子もなく、シリウスが許すのならと周りの皆もロカルシュの物言いに口を出すことはなかった。
一通り紹介が済むと、先にロカルシュが走ってきた方から女の声が聞こえてきた。
「ちょっと……、ロカルシュ! 一人で先に行かないでちょうだい!! これじゃあ何のために貴方についてきたのか……」
「ごめーん、博士。セナ見つけたら嬉しくなっちゃって忘れてた~」
「……最っ高に腹立つわね貴方」
ロカルシュの肩にとまるのとは違うフクロウを頭の上に乗せて現れたのは、初老の学者、ノーラであった。
「こんなに早く再会することになろうとは思わなかったわ」
エースとセナ、そしてケイが参加した魔法術学会で顔を合わせてから、それほど経っていない。都合が合わなければ年単位で会えないこともあるというのに、半年もせずに再会することになったのはノーラにとって驚きだった。
「ケイは来なかったの?」
「学会の長旅で疲れているそうで。ソルテ村でお留守番です」
「あら……。そうなの」
エースの答えに対し、ノーラはどこか残念そうな顔をしていた。しかし彼女は自分のその感情が気にくわないのか、ごまかすようにして小さく頭を振り、シリウスの方に向かった。
「この方が……その、青星っていう? 軸を作った聖霊族の……?」
「今はソラの体を借りているけどね。中身はそうだよ」
「カシュニーで会ったあの時と雰囲気が違うのは気のせいじゃないのね」
「そういうこと。今はシリウスと呼んでくれたまえ」
「……分かったわ」
ノーラは記憶の中にあるソラと目の前のシリウスとを見比べて、明らかに態度も口調も、顔つきさえも違うことに納得したようだった。その頭からフクロウが降りて、ロカルシュの肩にとまる。それを見て、ミラが首を傾げる。
「その子もロカルシュおじさんの番さん?」
「そうだよ~。名前はふくちゃん。ふっくんもそろそろ年で引退だから、後任の子なの。今は研修みたいな期間で、あっちこっち一緒に来てもらってるんだ~」
「ほぅ~」
フクロウのように鳴いたのはミラだった。
ソラと旅を共にした時から一緒にいたフクロウ「ふっくん」は白い羽毛の所々に灰色のまだら模様が入っているが、後任の「ふくちゃん」は茶と黒で縞模様を描く翼を持つ。彼女はロカルシュを見失ったノーラを連れて、ここまでやって来たのだった。
そんな小動物に引き連れられてきたなど悟られまいと、ノーラは咳払いをして新たな話題に入る。
「貴方たち、今夜の宿は決まっているのかしら?」
「いいえ、まだですが……?」
質問の意図が分からず、エースたちはそろって目をぱちくりとさせる。
「そう。ならちょうど良かったわ。今日は私の屋敷に招待したいと思っていたの。ついでに泊まっていったらいかがかしら?」
「博士はねぇ、シリウスが──っていうか魔女さんが、かなぁ? 王都に来るって知ってから、いそいそお迎えの準備してたんだよ~」
「今の時期だと宿を取るのも大変だろうからって気遣いよ。勘違いしないでほしいわね」
余計なことを言うロカルシュの背中を小突きながら、ノーラは少し怒ったような仕草をしてそう言った。
大方、ケイあたりに一行の接待を頼まれたのだろう。エースたちはソルテ村でスランを特訓中の彼女と定期で連絡を取っているし、それでノーラの方にも話が行ったに違いない。そうした事情を察したのはソルテ村からやってきた四人であった。
シリウスについては、さきほどノーラが言ったことに疑問を持ったようだった。
「今の時期だと宿が取りにくいって、それはどういうことだい?」
その横でナギも腕を組む。
「そういえば街も何やらにぎやかな様子ですし、お祭りでもあるのでしょうか?」
「若様はまだまだお勉強が足りませんねぇ」
「え?」
「お祭りというか、国王陛下の生誕日が五日後に控えているのよ」
困ったように笑ったカエンに代わって、ノーラがそう答えた。それを聞いてハッとしたのはエースもだった。
「そうか……シリウス様がいらっしゃってからバタバタしてて、すっかり忘れてたな……。そうなると縫製の職人さんも今は忙しいかもしれませんね。お伺いするのはせめて生誕の祭日が終わってからの方がいいのかも……?」
「各地へ用向きの内容はロカルシュとケイからだいたい聞いてるけど、ここでもそれなりのお店に用事なんでしょう? だとしたら祭儀の衣装だの何だので仕事があるでしょうから、やはり祭日後にした方がいいと思うわ」
「ノーラおばあちゃんのとこ、祭日が終わるまでいてもいいの?」
セナの後ろからひょっこりと顔を出して、ミラが聞く。「おばあちゃん」という単語にノーラは顔をしかめ、その後すぐに眉をつり上げて指摘した。
「博士と呼びなさいと前々から言っているでしょう」
「てへー。ノーラ博士」
ソルテ村に居着く前、セナと一緒に各地を旅していた際に何度かノーラと会っているミラは、わざとらしく間違えたふりをして舌を出した。
「博士のお屋敷にはいつまでおじゃましてもいいんです?」
「祭日が終わるまでと言うか、いえ……王都にいる間くらい部屋を貸してあげるわよ」
「博士、優しい~です!」
「別に。ケイに借りを返すだけの話よ」
「ミラ知ってるもんね。博士はケイおばあちゃんに甘々──」
「違うわよ! 何を言い出すのこの子は!」
ノーラは「あくまで貸し借りの話だ」と言う。
ソラが世界の救済を果たした後、大陸中を混乱に陥れた「宿借り」との関係性が明るみに出て失脚の窮地に陥ったノーラを寸でのところで救ったのは……何を隠そう、ケイであった。その後の崖は自力で這い上がったが、絶望の淵で手を差し伸べてくれたケイに、ノーラは絶大な恩があるのだ。
十年前のあの日、魔女であったソラを見逃して貸しを作ったつもりが、その何十倍にもして返されてしまったノーラは、それが悔しくて仕方がなかった。もちろん、ミラが言ったような「甘々」な感情もないわけではないが、それを認めまいと、ノーラはつっけんどんな態度で少女の言葉を否定した。
「ノーラ博士は素直じゃないです~」
「博士、その辺ちっとも変わらないですよね」
「いつもどおり。ツンツンだぁ」
ミラ、セナ、ロカルシュが順に言い、ノーラがへそを曲げる手前の絶妙なタイミングで話を切り上げる。そのやり取りを見るのが初めてなジーノは、ハラハラとしながら四人の様子を窺っていた。
「で、では……。博士のお言葉に甘えて、お屋敷にご招待いただきましょうか……」
「そうだね。とりあえず、職人さんには都合のいい日を聞いておくとしよう」
ここ十年のつきあいでノーラのツンデレにも慣れてしまったエースは妹の心配に、「気にすることないよ」。何でもない顔でそう言った。




