第15話 「西へ」
麓の街まで下りてきて馬車鉄道に乗ってしまうと、ジーノとナギはソラの話で盛り上がっていた。プラディナムでは依り代作りの打ち合わせや確認でジーノも時間がとれず、ナギはナギでミラの面倒を見ていたりして、なかなか話す機会がなかったのだ。
「それで、ソラ様ったら美味しくない物を食べたときはこんな顔~って、ひどいお顔をされて……ふふふっ」
「まぁ。そんなことがあったのですね。私がお会いしたときは張りつめたようなお顔でしたから、そういった洒落っぽい一面もあるだなんて想像もしていませんでした」
「ほかにも、ソルテ村では……」
ジーノはソラについての思い出を自分が感じたままに語れるのが嬉しいらしく、次から次へと話題を移していった。辛い記憶を涙と共に語るのではなく、楽しかったそれを笑顔で話すのは、ソラがそれを望む人柄であるとジーノも分かっているからなのだろう。
その横顔を見つめながら、エースは話題に上った場面を頭の中の引き出しから取り出して、昨日のことのように思い出していた。嘘もつくし、怒ったり泣いたりもするけれど、心優しく、結局のところ全てを許してしまうようなお人好しだった彼女。元の世界での家族との記憶を失っても悲観せずに、それぞれの思惑があって逃亡の旅に同行した自分たち兄妹を本当の弟と妹のように思ってくれた。
そうして、光の壁の向こう側へと消えていった。
「……」
エースはやはり、ジーノのように笑みを浮かべて彼女を語ることはできない。そもそも、どうすれば笑うことができるのかさえ……もう随分と昔に忘れてしまった。
幼い頃の辛かった日々。
何の身構えもできない心に幾度となく突き立てられた言葉の刃。
そしてついに自ら刃を握って、自分を傷つけた相手に復讐を果たしたあの日。
それからずっと、エースは地獄を生きている。他人を観察して人間らしさを演じ、知識をもとに愛情を覚え……真に他人を愛することはできず、ましてや自分を愛することなどできるわけもなく……ただただ過ちを犯したことへの後悔だけが彼を生かしていた。
エースは眉間にしわを寄せ、ちらりとシリウスの方を見やった後、顔をうつむけた。
この苦しみから逃げたいわけじゃない。
逃げてはならないと分かっている。
だが、それだけだ。
逃げるなと自らに言い聞かせて、いつも崖の縁に立っているのだ。
裁きを受けることはなく、罪の償い方も分からず。自分自身の考えもなく。であれば答えが出るはずもなく、ひたすら後悔を抱いて息をしているだけの泥人形──自分は、何のために生きているのか。
償いのために生きる踏ん切りもつかずに、何をしているのか。
そういった瞬間、彼はふっと死にたくなることがあった。
今であれば、安易にシリウスの提案に頷いてしまいそうになる。しかし、それはよくよく考えなければならないことだった。軽はずみに引き受けていい役目ではない。
ソラの隣に立つというのなら、なおさら……確固とした決意が必要だ。
「……」
下を向く顔を手で覆い、エースは静かに長くため息をつく。その声を聞いて、向かいに座っていたミラが椅子から立ち上がってトコトコと近寄ってくる。
「エースおじさん。もしかして具合悪い? 馬車に酔っちゃった?」
彼女はそう言うと無遠慮にエースの顔を持ち上げ、医者が患者の体調を診るようにしてじろじろと見つめた。横からセナも覗き込んでくる。
「ん? ……本当だ。顔色よくないみたいだけど、大丈夫ですか? 今からでも薬飲みます?」
「いや、大丈夫だよ。ミラもセナもありがとう。具合が悪いっていうか、ちょっと考えすぎちゃっただけだから……」
「そうなんです?」
親子は言葉から仕草まできれいなユニゾンを描いてそう聞いた。
「うん、そう……。そういえば、ロカルシュさんには王都に向かう話を伝えてあるの?」
「ああ、それについては昨日のうちに鳩を飛ばしておきました。そのうち返事が来ると思いますけど──って、ちょうどいいな?」
馬車の窓に薄い物が当たる音が聞こえてセナが振り返ると、紙で折った鳥がばたばたと翼を羽ばたかせてぶつかっていた。セナは窓ガラスを上方にスライドさせ、その返信を受け取る。
「……俺たちの訪問については承知したそうです。仕事なんてポイポイして出迎えるって……アイツらしいな」
「ロカルシュおじさん、そんなことしたら上司さんに怒られちゃうんじゃないの?」
「そうは言っても来るのが青星様じゃあな……ひょっとしたらフィナン隊長も一緒について来ちまうかも……?」
「お出迎えが多いのは嬉しいことだね!」
唐突に、それまで静かに読書を楽しんでいたシリウスがパタンと本を閉じて身を乗り出してくる。彼はセナにアイコンタクトを送り、ちらりとエースの方に瞳を動かして言った。
「ほかには? 誰かいる?」
「……何をそんなソワソワして。子どもじゃないんですから」
「いやだな。僕は聖霊族の少年だったんだよ? このくらい元気なのが当たり前さ」
「前々から言おうと思ってたんですけどね、こっちからしたら百二十歳は十分に老人だし、貴方それで千歳近いんでしょうが。ちっとも少年じゃないですよ」
「ひっどーい」
「あと、その姿で子どもみたいに振る舞うのはどうかと思いますね。あの人に怒られるんじゃないですか?」
「……言わなきゃバレないよ」
「分かりました。下りていらした時に俺から言っときますね」
「セナ~、キミちょっと不敬じゃない?」
「仰々しいのはお嫌いとお伺いしておりましたが?」
「ま、まぁまぁ!! 二人とも落ち着いて。話が脱線してますから」
エースが間に入って軌道修正をしなければ、セナとシリウスの応酬は際限なく続きそうだった。
困ったように眉根を寄せながら、それでも先ほどよりは幾分顔色をよくしたエースに、シリウスとセナは「ひとまず休戦」と熱を下げて元の話題に戻った。
「で? ほかには誰か来てくれたりするのかい?」
「魔法術学会のノーラ博士も顔を見せるそうです。あの人、一応俺の後援者で研究のことも詳細を知ってますから、貴方に興味があるんだと思います、よ……」
そこまで言って、セナはそろった面子に顔をしかめる。ロカルシュはまだ制御できるが、フィナンとノーラ、そしてシリウスが顔を合わせたら狐三匹の化かし合いになりそうだ。想像しただけでげんなりしてくる。セナはエースと立ち替わるようにして顔色を悪くし、頭を抱えて盛大なため息をついた。
「何だかセナが今、とっても失礼なことを考えている気がするなぁ」
「そんなことねぇっスよ。俺もただ考えすぎただけです……」
「そう~?」
シリウスはセナの心労が分かっているのかいないのか、彼の頭をナデナデとして何やらニマニマとした笑みを浮かべていた。




