第12話 「神都プラディナム」
シリウスたちは一等高い峰を越え、統一戦争時に活躍した城壁跡の前までやってきていた。風化が激しい門をくぐっていくと、眼下に青の都が広がった。
神聖都市プラディナム。
狭い盆地にひしめくようにして建物が建ち並び、その東端には四大都市の中でも一番の規模となる教会と礼拝堂があった。北ルートで山を登ってきたエースたちから見れば左手側にそれがあり、都を治める公的な機関もその周辺に集まっていた。都市はそこから扇状に広がっている。
背の低い宅地から、天井の高い集合住宅まで、そのどれもが白い壁にドーム状の青い屋根を被っている。ちょうどエースの瞳のような海色のそれだ。狭い路地は入り組み、また意図しないところで途切れるなどし、迷路のようであった。老若男女、よく迷子が出ており、その捜索のため駐在の憲兵があちこちを歩き回っているおかげか、治安は大陸の中で最も良いとされる。
「久しぶりに来たけど、やっぱりプラディナムの風景はすごいね~! 雪がないのに真っ白で、海もないのに真っ青なんだもん」
「ミラ、あんま騒ぐと具合悪くなっちまうぞ」
「大丈夫です。ものすっごーくゆっくりで、休み休み来たんだもん」
プラディナムの所在はソルテ村よりも標高が高く、歩き方を間違えれば高山病にかかり、症状がひどい場合には都を前に下山を余儀なくされる難所だった。だから一行は──特に初めての訪都となるジーノを気遣い、高所に体を慣らす時間を多めに取って山路を登ってきたのだった。
「ところで……。ロカルシュから紹介があった職人についてもう一度聞いておきたいんだけど、いいかな?」
シリウスは都までの道を下りながら、ミラと一緒に前を歩くセナに問いかける。セナはソルテ村からこれまでの道中で何度かロカルシュとやりとりした内容を思い出し、前を向きながら話し始める。
「ロカルシュは当初、知り合いの老練職人を紹介しようと考えてたらしいんですが、その話を当人に伝えたところ、若手の作家に機会を与えたいという話になって、俺たちが当てにして行くのはその若手人形作家のところです。色々と新しいことに挑戦している新進気鋭の人物だそうですよ」
「基本的には、職人が作り上げた素体に化粧を施す仕事をしている、とか?」
「ええ。ですが、その素体作りの段階からかなり積極的に関わっているらしく、従来の造形を脱した新しい人形作りに取り組んでるらしいです。人間を模した写実的な顔つきではなく、絵本に描かれるような親しみやすい美しさや可愛らしさを立体化して、若い人にも気軽に手に取ってもらえる作品を目指してるんだとか」
「ふむふむ。新しい販路を開拓しつつ、伝統技術の継承も考えているんだったね。熟練職人の間でもその熱意は認められている……んだっけ?」
「押しが強すぎて職人が根負けした、と言った方が正確かもしれないです」
「仕事に熱心なのはいいことじゃないか──って、何かキミ苦そうな顔してるけど?」
「……気にしないでください」
「ええー? とっても気になるじゃないか。何でそんな顔をするの?」
「まぁ、会えば分かりますよ。すぐにね……」
セナはシリウスに背中を向けながらも、すっと視線を横に流して肩をすくめた。
それからしばらく、足下に気をつけながら山道を下りていき、怪我をすることもなく平地までたどり着いた。
「ふう……やっと着いた。みんな、ここまでご苦労様」
一歩先にプラディナムの土を踏んだエースは後方の一同を振り返って両手を広げた後、半歩足を後ろに引いて皆の目に青と白の街並みを見せた。
「この後はどうするのです? お兄様」
「東ノ国の方も既に到着してるから、まずは彼女たちが泊まっている宿へ行こう」
「キミたちも少し休んだ方がいいのではないかい? 僕は疲れてないけど……登りの後半でミラを背負ってたセナは疲労困憊なんじゃ?」
「おっしゃるとおり。体力に自身があるとは言え、俺もさすがに疲れましたね……」
「ごめんね、お父さん。ミラお荷物になっちゃった」
「気にすんなって。あそこまでは自分一人で歩いてきたんだ。大したもんだと思うぜ」
「でも、やっぱり全部一人で歩きたかったな~。きっきんの課題は体力の底上げと、足の筋力の強化……?」
ミラは難しい言葉を舌っ足らずな声で口にし、腕を組んで虚空を見上げる。セナは「どこを目指すつもりだ」と笑いながらその頭を撫でた。
一行はエースが行ったとおり、とにかく東ノ国の者が宿泊している宿へと向かった。
四大都市の中で唯一鉄道が通っていないこの都は、大通りであっても道幅は狭く曲がりくねっていた。エースたちは所々で階段を上り下りしながら、まるで一山登ったかのような気になって息を切らせながら宿へとたどり着いた。
都市の中心部、泉を囲む広場を見渡す場所に、一角だけ屋根が高い建物があった。隣の民家との間には細い水路が通っており、わざと段差を作った道から落ちてくる水を受け、水車が勢いよく回っていた。
観音開きの格子ガラスの戸を開いて中に入る。屋内は暖かな色合いで光る明かり石に照らされ、天井には四枚羽のファンがくるくると回転していた。おそらく、外の水車を動力にしているのだろう。
エースは荷物を置き、フロントで「朱櫻」の名前を出して異邦の客人を呼び出してもらった。ついでに相手が来るまでの間に自分たちの宿泊手続きを済ませ、それが終わった後はロビーの隣にあるカフェラウンジに移動して一息ついていた。
それからすぐ、待ち合わせの相手はやってきた。
「エースはん、ジーノはんも、お久しゅう。十年前の……ソラ様と初めてお会いしたあの時以来になりますやろか」
「キミは……ナギさん?」
手紙で彼女が来るとは聞いていたが、過去と食い違うその口調にエースは驚きの声を上げた。兄に倣い立ち上がって迎えたジーノも、その顔を見て目を丸くしていた。
「はい、ナギです。覚えていていただけて光栄です。こちらは我が一族の侍従筆頭、カエンと申します」
積み重ねた人生を深いしわに刻んだ老人──その顔を見て、ジーノは口元をヒクリと痙攣させた後、申し訳なさそうに目を伏せた。
桐箱を抱えるカエンはその視線を追いかけて頭を下げる。
「その節は、ジーノ様には大変なご無礼を働きました。お詫び申し上げます」
「い、いえ……あれは何というか、お互いに仕方なかったというか。私も申し訳ありません……」
朱櫻を治める家の荘厳なる庭を破壊し尽くしたジーノとしては、ばつが悪くて仕様がなかった。彼女もまた深々と頭を下げて謝罪し、顔を上げたタイミングでエースがナギに聞いた。
「ユエさんは?」
「母は随分と体調が弱っておりまして。船の長旅に耐えられん言うことで、うちが名代として──」
彼女はそこで一度、言葉を切る。
「……いけませんね、私ったら未だに御宮言葉に慣れなくて。申し訳ありませんが、このままお話しいたします」
「構いませんよ」
エースはにこやかに頷く。シリウスとミラを除く三人はユエとの旅の経験があるせいか、その「御宮言葉」に対して条件反射的に威圧を感じてしまうので、むしろ通常の話し言葉に戻してくれたのはありがたいことだった。
ナギはエースに礼を言うと、その後ろにいたセナに目を向けて声を掛けた。
「セナさん、ですね?」
「……ああ」
「母からお話は聞いています。大陸では魔女様の名誉を回復するために奔走してらっしゃるとか」
「まぁ、な……」
「そうなの。お父さん頑張ってるんだよ~」
ミラは無意識のうちにセナを庇うように立ち位置を移動し、しかしナギと敵対するのではなく、明るい表情で我がことのように胸を張った。その無垢であどけない仕草に面食らったナギは、ミラとセナに穏やかな表情を見せて「今後の活動に期待しております」と述べた。
そして、彼女は最後の一人に視線を移す。
東ノ国からはるばるプラディナムまでやって来た理由。
視線を受けたシリウスは待ってましたと言わんばかりに、得意げな笑みを浮かべて一歩前に進み出た。
「やぁ。僕こそがキミら東ノ国の人たちが知るところの青星だ。今はシリウスと呼んでくれたまえ」
「シリウス様……。本当に……ソラ様の姿でおいでになっておられたのですね。よもや今生で再び見えることがあろうとは……」
ソラの姿に、そしてシリウスに。その姿を実際に見ることが叶おうとは思ってもみなかった。ナギは感涙をこぼしながら、潤む瞳を長い睫毛の下に隠して言った。
「ソラ様に、あの日の不躾をお詫びすることは叶いましょうか?」
「ああ……そのことね。ソラもずっと気にかけていたよ」
「え?」
「キミが謝ることは何一つないんだと、彼女はそう言っていた」
「ですが……」
「あの時のキミは何も知らない子どもだった。ソラはそういった幼い心に腹を立てるような人間ではない」
ソラが朱櫻の家を訪れた最初で最後のあの日、幼かったナギは世界の救済を成すための真実を知らずに、「きっと、世界をお救いくださいね」。そう言って彼女に犠牲を強いてしまった。ナギは母ユエから南の地の果てでソラが最後に言った言葉を聞いてはいたが、それでもやはり心の重荷は軽くならなかった。
何てひどいことを言ってしまったのだろう、と。
真実を知らなかった……では済まされない、残酷な言葉を口にしてしまった。
「それでも私は──!」
「ナギ。もう、いいんだよ」
「……っ」
「キミの後悔もここまでだ。ソラはその思いをちゃんと分かっていたんだ。どうか……それを覚えておいてくれないかな」
「は、い……っ!」
シリウスの服を掴んで縋ったナギは、その右手に許された。それを背後に、エースは自分の胸ぐらを握っていた。人知れずうなだれる彼をナギの向こうに見ながら、シリウスはパチンと指を鳴らして声高に言った。
「よし。無事に合流できたことだし、本題に入ろう。ね? エース」
「え? あ……、はい。そうですね。ナギさん、ソラ様の左腕は……?」
「こちらにございます。が……私たちが取っているお部屋へいらしていただいてもよろしいですか?」
「ああ、そうですね。ここで明らかにするのは、少しはばかられますね」
一同はラウンジからナギたちが泊まる部屋へと移動する。二人の部屋は宿の三階の角にあり、泉の広場を手前に家々の屋根を海のよう見立て、その向こうにうっすらと雪が残る山を一望することができる特等のうちの一室だった。
皆はそのリビングに設置された丸テーブルを囲む。カエンが持っていた桐箱をテーブルの上に静かに置き、包みの薄布を解いて蓋を持ち上げた。
既に骨だけになっていた左腕を見て、ジーノは辛そうに目を伏せた。シリウスはしげしげと眺め、箱の中に一緒に納められていた魔鉱石に注目して頷いた。
「ソラが使っていた魔鉱石もある。確かに彼女のもののようだ」
「はい」
「こちらとしては腕部分をもらい受けたい。手の平から先は手紙にも書いた通り、キミたちに返そう」
「……エースさんたちは、それでよろしいのですか?」
ナギはエースとジーノの方を向き、その意向を確かめる。
「ええ。その重要性を熟知している東ノ国で保管してもらうのが最適であると、俺は考えます」
「私も同じように思います」
「そうでしたか……」
ナギはそのままセナの方に視線をスライドさせた。魔女を研究する彼であれば手元に置きたいと考えているのではないかと思ったのだ。だが、セナにしてもその考えはエースたちと同じである。その旨を伝えると、ナギは今度こそ納得したように胸を撫で下ろした。
一方で、シリウスは箱の中の華奢な作りの指輪を取り上げて光にかざしながら言った。
「できればこの魔鉱石も譲ってほしいのだけれど、いいかな?」
「はい、構いません。全てシリウス様方のおっしゃるとおりにせよと、母から言われておりますので」
「じゃあ、ありがたく頂戴するね。そしたら、何か包む物はあるかな? さすがにこのまま持ち運ぶわけにはいかないからさ」
その質問にはカエンが答えた。
「この箱をそのままお使いください」
「いいのかい? そっちの入れ物は持ってきてるの?」
「はい。事前にお手紙で御手は返していただけるとお聞きしておりましたので」
「そっかそっか。それはよろしい。気遣いありがとうね」
「もったいないお言葉……恐縮でございます」
「ナギも、ありがとう。魔女──そっちだと崇子って言うんだったね。その遺物を運ぶなんて、なかなか緊張したんじゃない?」
「は、はい……。正直なところ、気が気ではありませんでした」
ナギはもじもじとしながら、内心を吐露する。しかしそれはシリウスに話しかけられたからではなく、彼女はシリウスたちの今後の行動が気になっていたのだった。
「あの、唐突ではあるのですが、もし……。私どももしばらく行動を共にしても構いませんでしょうか? ソラ様に関するお話を、よくお聞きしておきたくて……」
「僕は全然いいよ~」
「俺も問題ありません」
「俺もいいと思うぜ」
「ソラ様のことなら私にお任せください!」
「わーい。じゃあこれから先はナギお姉さんとカエンおじいさんと一緒なんだね?」
異国の人間と話をする機会も珍しい。ミラは「いい経験になるかも~!」と言って喜んだ。
こうして満場一致でナギとカエンの同行は認められ、長旅で疲れていたエースたちは例の人形作家の工房へ翌日訪れることを知らせ、一日の残りを休息に当てることにしたのだった。




